34.前に
「鐘だな」
アルフレッドはたくさん並べられた金属の楽器から、一番小さいものの柄を手にして揺らす。チーンと高い音が空気に沁みていく。この楽器は一音ごとに違う鐘で奏でる。目の前には数えきれない程の数が置かれている。孤児院で見つかったものの、誰も使用方法が分からず倉庫で埃を被っていたという。
「演奏しても、いいでしょうか」
ユーリグゼナは、持参した手袋をはめながら聞く。案内の側近はどうでもよさそうな顔で許可を出し、すぐに退出していく。彼女は早速、鐘を布で拭いていく。保存用の箱に入っていたと言うが、すぐに布は真っ黒になっていく。ナータトミカは拭かれた鐘を、巨大な白い手袋をはめた手で受けとる。小さい順に次々と並べていった。
「どうやって演奏する? 三人では鳴らせる数に限りがある」
アルフレッドは軽く音を鳴らし、頻度の高い音を選別しながら分かりやすく並べていく。彼女は最後の鐘を拭き終わると、うーんと唸った。
「アルフの言う通りだね。…………アルフに渡した楽曲はどう? ナータトミカも知ってるし。鍵盤楽器の主旋律だけなら、三人でもいけるはず」
ナータトミカは太い首を縦に振る。
「音色は確かに合う曲だ。順々にずれていく前半部分は追える。が、最後までは無理だ。曲が速く音の高低差も激しい」
「音が鳴りっぱなしにならないよう、毎回鐘の振動を止めないといけない。担当の音が重なったらどうする」
アルフレッドは難しい顔で楽器を見つめる。彼女はお腹の辺りがムズムズしていた。
「音の振動は台に分厚い布を敷いて、置いたら止まるようにしよう。担当者決めずに、間に合う人が弾けば重なることも少ないよ!」
アルフレッドが小さく息をつく。
「……とにかくやりたいんだな。後先考えてないな。もう、ユーリってほんとに」
「な、何……」
「いい。ついて行くよ。ユーリに最後まで」
優しく微笑み目をつむるアルフレッドに、彼女は顔を赤くしながら「ありがとう」と小さく言った。
ナータトミカは台の上に布を敷き、使う音だけを準備していく。これで少しは把握しやすくなるはずだ。
「いくぞ。ゆっくりだ。音が抜けても演奏は止めずに、最後まで行こう」
彼の低いのっそりした声に、二人は大きく頷いた。
◇◇
ユーリグゼナは目をつむり、鐘が空気を揺らす余韻を楽しむ。
アルフレッドが、最後に鳴らした鐘をゆっくりと布の上に置いた。浅い息を繰り返し、呼吸を整える。彼の額には、いつも以上に光る金髪が貼りついていた。
「──俺、数えきれないくらい抜かした。ごめん……」
「いや、アルフレッドは凄かった。メインの音ばかり重なったのによくあれだけ繋いだな。ユーリグゼナは相変わらず速い。だいぶ拾ってくれた」
ナータトミカは雨に降られたかのように、服がぐっしょりと濡れている。
ユーリグゼナの爽やかな笑顔は、光り輝く。
「上手くいって良かった……本当に綺麗な音」
「何が『良かった』だ! 途中からユーリが伴奏の音増やすから、すっげー大変になっただろう」
「音が重なると綺麗だから、足したくなった」
アルフレッドのつっこみも、あまり気にならないくらいに音に酔って機嫌が良かった。が、扉の向こうに何やら気配がして耳を澄ます。
なんだよ。押すなって。ねえ、続きは? どうなってるの。聞こえないよー
高い声の主はたくさんの子供たちだ。そっと扉を開けたつもりが、バランスを失った子供が雪崩のように倒れてくる。きゃあー、わーっと逃げ出していくのを、彼女は呼び止める。
「聴いていく?」
ピタリと立ち止まった子供たちが、彼女の顔を窺う。彼女はにっこり笑って子供たちを部屋の奥へと招き入れる。彼女の最高の笑顔になにも言えなくなったアルフレッドとナータトミカは、汗を拭く間もなく競技並みのハードな演奏に付き合わされた。
◇◇
「えっ。僕たちでもできるの」
「うん。曲覚えたら、楽譜読めなくても大丈夫。今回は三十個の音を三人で鳴らしたから大変だっただけ」
お茶の時間になり、戻ってきた側近は子供たちを追い払わずにいてくれた。というか、ユーリグゼナの持参した焼菓子に夢中で、他はどうでも良さそうだった。
何人かの子供たちは楽器の周りをウロウロしている。触ったらいけないことだけは分かるようで、じっと見ていた。
「演奏したいか?」
ナータトミカの低く太い声に、子供たちの肩がビクッと震える。でも恐々と彼に向き直り、何人もの子供が大きく頷く。彼女は食事中の側近に聞く。
「子供たちに演奏させていいですか?」
「……はい。王にユーリグゼナ様には従うよう申し付けられておりますので、お好きになさってください」
なんだそれは、と思いながら重ねて聞く。
「ここで、子供たちの演奏会を開いてもいいですか? 王も演奏会を開いて欲しいとおっしゃっていましたし。ナータトミカの協力があればできそうです」
「ユーリグゼナ様も参加されますか?」
「えっ。私は明日帰国いたしますので無理かと思います」
側近の口元から、菓子の欠片が落ちる。
「えっ。お妃になられるのではないのですか?」
「は?」
口が開いたままになった彼女の前に、制止の手がかざされる。凶悪な笑顔のアルフレッドよる説明で、側近は何も言わなくなった。
◇◇
「買えなくて、残念だったな」
孤児院からの帰り道、アルフレッドは気遣うように彼女に言う。ユーリグゼナの黒曜石のような目がキラリと光った。
「それなんだけど。私が思っていた楽器とはやっぱり違ってた。それで……一から作ったらどうかと思ってる」
「楽器をか?」
「うん。……結婚式の演奏してた面子って、昼間は暇してて養子院にいるらしいの。彼らと金物加工ができる職人に組んでもらったら、作れると思う」
「なるほど。……これは養子院に通うしかなくなるな」
アルフレッドはウーンと言いながら、両腕を上げ背伸びする。彼女は意外な気がして、口にした。
「もしかして養子院、あんまり好きじゃない?」
「ああ。さっきもそうだけど、子供にユーリを取られそうになるから。しかも……」
「しかも?」
彼のさらっとした金髪が揺れ、深緑色の目を隠す。アルフレッドは何も答えないまま、彼女の濡羽色の髪をそっと撫でた。
◇◇
ナータトミカの家はもう、第二の家だ。ユーリグゼナの心休まる場所になっている。
出発前夜の夕食は、今までで一番豪華だった。側人も主人も客人も隔てなく、食事の用意をして一緒の食卓に着いた。
夕食後の楽器の演奏にも熱が入る。彼女が弾く異世界の曲の一つを、レナトリアがとても気に入っている。彼女のために何度となく演奏してきたが、それも今夜で弾き納め。歌詞を共通語で伝えると、レナトリアは目をぱちくりさせた。
「違う国の人に恋する女の子の歌?」
レナトリアに最初の頃の緊張感はない。それを嬉しく思いながら、離れる寂しさで胸が締め付けられる。
「そうです。自分の国が好きで堪らないけど、あなたを包む世界が知りたい。春を届けに飛び込んで行っていいですか? そんな感じの歌詞です」
レナトリアは美しい青紫色の目を切なげに細くする。
「慣れた場所から知らないところへ飛び込むのはとても勇気がいる。…………まるでユーリグゼナみたいね」
「えっ。私?!」
レナトリアは口をぽかんと開ける彼女を見つめ、優しく微笑んだ。
「そう。あなたは届けてくれたわ。私たちに春を。ユーリグゼナを見ていると、出来ないことを出来ないままにしている自分が恥ずかしくなる…………。私、前に進むね」
「前、ですか?」
「そう。ここに来てくれてありがとう。また会いましょう」
そう言う彼女の灰色の髪がさらりと揺れた。目を奪われるような美しい動きでユーリグゼナに近づくと、柔らかな胸に抱き寄せる。レナトリアの花のような香りに包まれどきりとする。遠慮がちに彼女の背中に手を添え目を閉じる。また来よう。この美しい人に必ずまた会おう。そう思った。
次回「味方」9月9日18時に掲載予定です。ペルテノーラのラスト回。少し長めになりそうです。




