33.欲しいもの
欲しいものを親にねだる。一般的な子供が取りがちな方法を思い出し、ユーリグゼナはにんまりした。そういえば自分にも親が出来たではないか。
「ライドフェーズ様!! たってのお願いを聞いてください」
シキビルドとペルテノーラを繋ぐ時空抜道の一室で音声相互伝達システムを使い、彼女は深く頭を下げた。目の前に映るライドフェーズは眉間のしわを増やしながら言う。
「多分無理だが、一応聞こう」
何度となく聞いた残念な台詞だ。心の中でため息をつきながらも、真剣な面持ちで伝える。
「欲しい楽器があります。資金をお貸しください。出世払いにてお返しいたします」
ナータトミカの家の楽器を一つでも多く譲ってもらおうとしていた。彼は予想以上に嫌そうな顔になった。
「無理だ。本気で今、金がない」
一国の主とは思えない、残念な台詞がまたも飛び出す。彼は自分の眉間を揉みほぐし始めた。
「実は謝らなければならないと思い、ずっと連絡をとっていたのだ。カミルシェーンが不在でお前と連絡をとる許可が下りず、遅くなった。……もう、楽器は見に行ったのか?」
彼の言う楽器は本来アルクセウスに願ったものを、謝罪の代わりに彼が購入してくれる約束のもの。そう。ペルテノーラに似たものがあるから、と言われて彼女の家出の目的の一つだったのにも関わらず、延び延びになっていた。
「明日見に行く予定です」
「断ってくれ」
彼女は一気に顔を曇らせる。彼は沈んだ表情になった。
「本当にすまない。必ず約束は守るから、少し待ってもらえないか」
「何かあったんですね」
彼女の問いに、ライドフェーズは目をつむる。
「あった」
アナトーリーがペルテノーラに行く話になったのは、そもそも賠償金の支払いが滞っているのが原因だ。ライドフェーズは、特権階級から取り立てる話を強行した。ただ今回はちょっとだけ、優しく。
「寄付にしてみた」
「寄付?!」
訳が分からない様子の彼女に、腕を組みながら話す。自主的なものにし、金額は本人任せにした。しかし、それではみんな納めない。
「御館の入り口に納めた人の名前と金額を張り出した」
「なるほど」
体裁を気にする特権階級たちは、次々に寄付する。高額者だけでなく全員を張り出したため、少額者は慌てて追加を申し込んだ。
「大成功ですね!」
嬉しそうに微笑む彼女に、彼は渋い、それはそれは渋い顔になる。
「王である以上、一番多く寄付しなければならないと思ったのだ……」
話が読めてきた彼女も渋い顔になる。
「私より遥かに多く納めた人間がいて、金額を合わせざるをえなかった。誰だったと思う?」
「アナトーリー…………ですか?」
いや、違う。楽屋の支払いに追われているはずだ。彼は無表情のまま言った。
「シノだ」
「え──!!」
張り出された名前はセシルダンテになっていたそうだ。シノは自分の名前を出さずに納めるよう、セシルダンテに頼んだ。
「ペルテノーラで側人を勤めてもらった給金を貯めていたらしい。ペルテノーラに戻すだけなので、何の抵抗もないそうだ」
それはさすがに男前すぎる。労働代償は自分のために使うべきだ。
「事情は分かりました。楽器の購入は見送ります。……それでライドフェーズ様はすっからかんになって、この先大丈夫なのですか?」
「生活に支障はない。使ったのは個人の金だ。だが……さすがにアーリンレプトに買い与えるものを控えねばなるまい」
本日最も渋い顔になった彼に、ユーリグゼナは同じ顔で同調する。
「それは一大事です!! アーリンレプト様を甘やかせなくなります」
「そうだろう! 分かってくれるか。だから金策のため、魔法陣を使った発明品を手放そうと思っている」
「私もお手伝いを。資金調達を練りましょう」
やはりお前は話が分かる奴だ、と彼は満足げに何度も頷く。
「そうであった。アーリンレプトが、ユーリグゼナに遊んでもらえなくて拗ねている。早く帰って来るように」
「すぐに!! ってあれ? いいんですか。問題片付きました?」
「大丈夫になった」
ユーリグゼナの家出に御館は騒然となった。教育係は震え、サギリに嫌がらせをした側人たちは青くなった。すでに証拠を押さえていたライドフェーズとスリンケットは、あっさり解任する。仕事にならなかった仕入れ担当は飛ばされ、御館の空気は一気に良くなった。
「でも、全てが元に戻ったわけではない。シノは御館に戻ることを望まなかった」
彼が手掛けた養子院出身の側人は、みるみる評価を上げていた。今では特権階級だけでなく、平民の上流からの依頼も多い。
「シノは今、側人の仕組み作りに必死だ。孤児であることを逆手にとって、養子縁組してタダ働きさせる者が出ないよう、あくまでも契約で側人を派遣しようとしている」
相変わらず、目の前のことに全力を注ぐ彼らしい働きだ。後ろを振り返る暇はないのだろう。ユーリグゼナの顔がふわりと緩む。
「いつか、側人で稼げる国になりますか?」
「ああ。そうなったらいいな」
ライドフェーズは穏やかに笑う。人身売買でしか稼げなかった国が、知識と技能で新しい価値を産み出していけるかもしれない。
「お前の教育係だけでも通いでやるのはどうか聞いたら、お前に伝言を頼まれた」
ライドフェーズは記憶をたどるように薄目になった。
「『学ぶべきことは他にありませんか? あと二年しかありませんよ?』だったか」
彼女は目を見開き、動きを止めた。
(卒業まで二年しかありません。音楽の勉強は足りてますか? 野望の準備できていますか?)
できてない。全然。
ペルテノーラに来て思ったこと。自分の技術と知識の乏しさ。同じ人ばかりでなく、様々な人と演奏経験を積む必要性を痛いほど感じた。そしてもう一つ。
(国の外で演奏するなら、自国のこともその国のことも、もっと知らないと駄目だ)
焦土の地で感じた、現地のものでない音楽への抵抗感。それがカミルシェーンの現地語の歌で一気に変わった。町でも少し現地語を覚えただけで、一気に演奏の高揚感が増した。
「ペルテノーラの現地語を教わりたいです」
ライドフェーズの瞬きの回数が増えた。
「相変わらず、予想を超えてくる。──いいだろう。頼んでおこう」
◇◇
カミルシェーンに事情を話すと、少し不憫そうに目を細めた。
「見に行って、結局買わなくても構わない」
ユーリグゼナは驚いた顔で、仰ぎ見た。彼は静かな声で言う。
「見たいのだろう?」
「はい」
彼女の黒曜石のような目が光を帯びる。彼は栗色のくせ毛をふわりと揺らし、「そのくらいいい」と席を立つ。不在中のたまった仕事を片付けに戻っていった。
カミルシェーンの態度は一気に軟化した。
レナトリアの婚姻の話も邸宅売却の話も、当人が希望しないなら構わないという。
アナトーリーのペルテノーラ行きも、賠償金の支払いがいくらか進んだので、強制されない。
結局、彼と徹底抗戦したのは婚約の話だけだ。戦うつもりで身構えていたユーリグゼナは、ここ最近ずっと拍子抜けしていた。
次回「前に」は9月6日18時に掲載予定です。当然カミルシェーンは企んでます。次はハンドベルに挑戦。




