32.一緒にいる
「ご無事でお戻り、何よりです」
ユーリグゼナは作法通りに挨拶をする。カミルシェーンはスッと目を逸らす。
「他人行儀な。おい。二人きりにしろ」
「結構です。……アクロビスも行かないでください」
彼女はこわばった顔で彼の服をガシッと掴み、離さない。アクロビスが何とも情けない顔で彼女を見る。
「なんだ。早速浮気か?」
平然と聞くカミルシェーンに、彼女とアクロビスが「違います!」と同時に言う。カミルシェーンは仕方なさそうに頬杖をつく。
「まあいい。アクロビスも聞いて行け。口止めしたにもかかわらず、ユーリグゼナは話したのだろう? 跡継ぎのお前は知っておいた方がいい」
◇◇
カミルシェーンは新しく森の王となったネロと一緒に、ペルテノーラの森を修復した。その間、時間の感覚はやはり無く、一日で戻ってきたつもりだったと彼は言う。
「ユーリグゼナは何の手伝いをしたのですか。演奏しただけと聞きました」
アクロビスの質問に彼はうーんと唸り、考え深げな表情になった。
「彼女の音楽は空間に作用する。浄化し拡大させる。本来空間はゆっくりと時間をかけて縮んでいくものなのに、シキビルドの国土は拡張し続けている」
「音楽で、ですか?!」
アクロビスは呆然とした顔で、ゆっくりと彼女を振り返る。そんな顔で見られても、彼女自身も知らないことだ。何も言えないまま彼を見返した。
「シキビルドは彼女の能力を隠蔽している。本人すら知らせないまま利用し、一国で独り占めしようとしている。だからこそ婚約という手段をとった。理解したか?」
彼は二人を見回し言う。深く頷くアクロビスの隣で、彼女は大きく首を振る。
「そんな悪意のある言い方をしないでください」
「では、なぜ君に説明しない? ライドフェーズもアナトーリーも……おそらくスリンケットすら知っている事実だ。君には勝手なことをするな、神々への挨拶はするな、と禁止ばかり。本来君の能力はこの世界全体のために使うべきもの。なぜ本人にすら伝えず独占しようとするのか、考えてみろ」
カミルシェーンの言葉は鵜呑みにできない。何か裏があるように感じる。
「……私はシキビルドのみんなを信じています。あなたこそ、私を利用したいのではありませんか?」
彼は小さくチッと舌打ちして、目を逸らした。
「アクロビス。出ろ。二人で話す」
アクロビスが不安げに彼を見た。ユーリグゼナは立ち上がり、逃げる体制をとっていた。
「無体な真似はしない。それに君には用心棒がいるだろう?」
カミルシェーンは自分の肩を指でつんつんと叩く。黒い鳥のことを言われ戸惑いながら、ゆっくりと頷いた。アクロビスは心配そうな顔で部屋を後にする。
◇◇
机の上に食事とお茶が用意される。彼女はおずおずとお茶を手にする。とても美味しいがシノには負けている。少し元気を取り戻し、静かにきっぱりと言い放つ。
「婚約は無効です」
カミルシェーンは食事をとりながら、彼女の言をさらっと却下した。
「有効だよ。ちゃんと段取りを踏んでる」
彼は素の言葉遣いになっていた。彼女は臆せず言う。
「あんな騙し討ちみたいなのが有効なら、私はこれから百人と婚約したいと思います。食事に招いて手作りの焼菓子振舞えばいいんですよね?」
彼の顔が物凄く嫌そうに歪んでいる。それに力を得て一気に押しまくる。
「そうなればカミルシェーン様は百人の中の一人。婚約者としての価値は大暴落です!」
「……そんなに嫌?」
彼はひどく傷ついた顔になる。騙されてはいけない、と気合を入れる。
「はい」
彼は大きな大きなため息をつく。
「分かった。そんなことしないでいいよ。……婚約は保留にするから」
保留?! 婚約が保留ってどういうこと? また騙されると彼女は思った。
「いいえ。無効もしくは破棄で」
「なかったことにはしない。絶対にね」
「だったら、百人計画実施させていただきます!」
彼女が言い放った瞬間。
バン!!
机から割れそうなほどの大きな音がした。彼の振り下ろされた拳で、食器が落ちカチャカチャガシャーンと床を転がっていく。凍るような紫色の目が彼女をみつめていた。ユーリグゼナは背筋を冷たく感じて動けなくなる。少し間があって、外から戸惑いがちな声がかかる。
「……王。いかがいたしました」
カミルシェーンは黙ったままだ。今度は扉の近くから、別の気遣うような小さな声がしてくる。
「ユーリグゼナ。無事か?」
彼女は扉に近づき、アクロビスに小声で返事をした。
「だ、大丈夫です」
そしてカミルシェーンを振り返り「片付けてもらいますよ」と承諾を求める。彼は不機嫌そうに頭を縦に動かした。
入室した側人たちは速やかに片付け、退出して行く。アクロビスだけは部屋から出ない。
「アクロビスも出ろ」
「父王。ユーリグゼナはシキビルドの第一王女です。二人きりでお会いになるのは礼儀に反します。扉を開けたままにするか、誰かを同席させるかさせてください」
「秘すべき内容だ。無理だな」
打ち切るように手を振ったカミルシェーンに、アクロビスはさらに言い募る。
「盗聴防止の陣をお使いください。私は口の形を読むことが出来ません。同席するなら適任かと」
カミルシェーンは呆れた様子でため息をついた。面倒そうな声になる。
「勝手にしろ」
ユーリグゼナは驚きを隠せないまま礼を言う。
「ありがとう。アクロビス」
「俺は父王の体面を気にしただけだ」
すぐにそっぽを向いて入り口を閉めると、二人から離れたところに椅子を置いて座った。
「どうして私にこだわるのですか? 音楽が国を拡大させるとか政のことは、本当の理由ではないように思います」
彼が感情的になる理由は他にある気がする。
カミルシェーンから表情が消える。
「ルリアンナが先見の能力を使って、俺に教えてくれたことがある」
先見は未来が見通せる能力。家族以外知ることのない機密事項をなぜか彼は知っていた。栗色のくせ毛がふんわり揺れ、穏やかにカミルシェーンは彼女に微笑んだ。
「彼女の願いが叶ったとき、ペルテノーラで君に会えると。………………ようやく、会えた」
彼のやわらかな表情から、彼女は目が離せなくなった。
「ルリアンナが絶対に守りきりたかったのは、ユーリグゼナ。君だよ。君を生かすため全てを懸けた。本当に長かった。ギリギリの選択を何度もして、ようやく彼女は君を生かすことができたんだ……」
彼は苦しそうでいて、どこか幸せそうにも見えた。ユーリグゼナの黒曜石の目は、ふわふわと落ち着かなくなる。
「どうしてそう思うのですか? 母から説明されたわけではないでしょう?」
ルリアンナはいつも説明しない。先のことは見えても、基本的に人には話さない。カミルシェーンがどうしてこんなにも理解しているのか。
彼は潤んだ目を隠そうともせず、ユーリグゼナを見た。
「俺は誰よりも彼女を想い、彼女の思考を読み解き続ける。俺以上に彼女を理解できる者なんて存在しない。────俺の願いはルリアンナにもう一度会うこと。そのためなら何だってする」
それは叶わない。無理な願いだ。もう生きていない人間を想ってどうする。顔を背けた彼女を、彼はふんと笑う。
「君は本当に頑固で愚かだね。会えるさ。この俺が会おうとしている。絶対に叶えるんだよ。────彼女はね。君を守るために今も存在している。朱雀として」
「なっ……」
次の言葉は告げられない。カミルシェーンはまるで目の前にルリアンナがいるかのように優しく目を細める。
「彼女が置いた布石が、時を超えて効いてきている。後から考えればそれしかないと分かる、研ぎ澄まされた一手。決まった瞬間は、世界はルリアンナの息づかいに包まれる。感じることができるのは、俺だけ。それでいい。
──────実際に一緒にいた時間は僅か。でも、彼女が教えてくれた。国を隔てても人間でなくなっても、存在を感じながら、ずっと一緒にいられることを」
怖いくらいの独りよがりな妄想。会えなくてもずっと一緒にいるだなんて、現実離れした思い込みだ。だけど…………
(妄想だって、なんだっていい。本当は会いたい。私だって母様に会いたいよ)
言ったらいけない。願ってはいけない。ずっと、そう思っていた。
でも目の前の彼は、自分と同じ熱量でそれを願う。
会いたいものは会いたい。理が身体を隔てても、どうしようもなく心は願ってしまう。
「君との婚約は解消しない。ルリアンナが心から愛しんだ者を、俺は手放さない」
さらりと言う口振りとは裏腹に、カミルシェーンの横顔が少しだけ色づいた。
次回「欲しいもの」9月2日18時に掲載予定です。
その頃ライドフェーズは統制を強めていました。あと四話で妄想男の国から帰国します。




