31.少しずつ
「こりゃあ、すげえー」
店の爺は、あんぐり口が開いたまま言う。店員も客もレナトリアとナータトミカの演奏に見入っていた。平民の店とはいえ、吟遊詩人が訪れるここの店員の耳は肥えている。彼らに認められるには技量が必要だ。
特にレナトリアの演奏は桁違いだった。正確な演奏ながらも、周りの人や音に合わせ奏でる音色に誰もが心を奪われた。
「さすが、特権階級の人間だなー」
爺はニヤリと笑ってユーリグゼナを見た。平民でないとバレている。そして特権階級だとしても程々の腕のユーリグゼナに、意地悪を言っている。目を伏せた彼女にそっと囁いた。
「まあ。お前さんは友人の娘さんだからな。友人にしといてやるよ」
店の爺は、親切にも仲買人をかって出てくれた。直接仕入れでなくなり、御用達の代わりを彼に頼むような形だ。当然利益を取られるが、今の売り買いの流れを乱さない配慮として、カミルシェーンに言い訳できると思う。
「代わりと言っちゃあなんだが、店で演奏するなら給料出すぞ」と言ってくれた。甘えることにしたユーリグゼナとアルフレッドは、連日店に通う。レナトリアとナータトミカには、楽譜起こしの仕事を回してくれるようになった。
◇◇
実は、ユーリグゼナは音楽教育をまともに受けていない。物心つく頃から、家族は命がけでシキビルド王と戦っていて、身内の人間に片手間で習った。普通に演奏するには問題ないと思っていた腕が、店の爺に軽く失望されて、かなりショックを受けていた。
「いいわ。一からやりましょう」
レナトリアは綺麗な声で「お礼代わりだから、お金はいらないわ」と優しく微笑む。その笑顔を萎ませるほど、ユーリグゼナはできなかった。長年一人で演奏するうちについた変な癖は、簡単に直らなかった。
レナトリアは、できなくても決して見捨てることなく、練習に付き合ってくれる。情けなくて何度も泣きそうになりながら、必死に正確な音の出し方、楽譜通り正確に弾く練習……今までつまらないと思っていた数々をひたすらやり続けた。
◇◇
「上手くなったな」
アルフレッドに満面の笑顔で言われても、少し拗ねたような顔になってしまう。凄まじい勢いで腕を上げている彼は、レナトリアとナータトミカ同様に別格だ。
今日も二人は店で、演奏をしている。
壁に寄りかかって休憩する彼女に、アルフレッドは躊躇いがちに口を開く。
「なあ。……店の人たちが俺たちに好意的なのは、ユーリがベルンの娘だからか?」
彼女は瞬きすらやめ硬直する。
「他にも俺に言ってないこと、あるよな?」
そう苦しそうに問うアルフレッドの顔を、彼女は見れなかった。言えないけど嘘もつけない。目を逸らしたまま小さく頷く。彼から、くっと小さな声が漏れる。
彼を傷つけたい訳ではなかった。俯きながらも必死に言う。
「言えないこと以外は言うよ。…………アルフ。何か聞きたいことあるの?」
アルフレッドはふうと、息をついた。落ち着きを取り戻したように感じた。
「シキビルドでも、平民の店で演奏してるんだろう?」
ギリギリ平気かも、と彼女は慎重に頷く。彼は続ける。
「『楽屋』って店で歌う『青』って知ってる?」
「シラナイヨ」
あまりの直球に声が裏返る。彼は呆れたように目を細めた。
「別に知ってていいだろう。なぜ嘘をつく?
………ずっと話題になってる歌い手だから、聴きに行きたいんだけど連……知り合いが絶対に『楽屋』の営業時間は入れてくれない。子供だからってさ」
「ソウ」
「なんだその声。……どんな奴か知ってる? 良かったら一緒に聴きに行こう。シキビルド現地語の歌ばっかりだけど、ユーリも分かるんだろう? それで、ユーリはどこの店で演奏してる? 俺もその店に行っていいか?」
(いや────。怖い。アルフ、本当に怖い)
ユーリグゼナは心の中で泣きそうな声になっていた。そして連、ありがとう。本当にありがとう!! 連への感謝が心を満たす。
何も答えない彼女を、アルフレッドは少し焦れた様子で窺う。
「俺さ。本当は、ここでの生活がずっと続けばいいと思ってる。毎日新しい音楽に出会えるし、なによりユーリと一緒に暮らせる。本当に幸せなんだ。シキビルドに帰っても一緒に過ごせる場所が欲しい。『楽屋』に行こう。連はユーリを気に入ると思う。本当に凄い店だから、一度連れて行きたい」
熱心に語る彼の言葉は、彼女には半分も届いていなかった。恐ろしさのあまり、夢中になって青を隠す策を練っている。
「ユーリ?」
手をパタパタと目の前で振られて、ようやく彼を見上げると、そのままやんわり腕の中に包まれた。
「アルフ?」
不意をつかれ驚いた顔のまま彼を見ていると、くすっと笑われた。ムッとした彼女は口を尖らす。
「ユーリが油断してるから、つい」
彼は微笑みながら、ほんの少しだけ困った顔になった。彼に言えない考え事に夢中だった彼女は、気まずそうに顔を逸らす。彼の声が耳に届く。
「怖がらなくなってきて、嬉しい」
彼をあまり怖れなくなっていた。寝食をともにするうちに、警戒心は薄れていく。
彼のお誘いは続く…………とにかく、彼を楽屋から引き離そう。彼女はきりっと彼を見上げる。
「アルフ。私、シキビルドに戻ったら養子院に通うつもりなんだ」
今思いついたばかりのことを、あたかも計画していたように提案する。
「鍵盤楽器が置いてあるし、子供たちに音楽を聴かせる約束もあって。結婚式の時に演奏してた面子にも会える。一緒にどう?」
彼は一気に沈んだ表情になった。それでも頷いて答える。
「ああ、行く。新しい楽器も子供たちと演奏する予定だったな。────俺はな。ユーリを独り占めできる約束が欲しいんだ」
「独り占め?」
「二人きりで過ごしたい。今みたいに」
彼女は彼の腕のなかから抜け出し、二歩ほど距離をとる。アルフレッドは不服そうに話し続けた。
「このまま卒業するまで、俺と婚約したままだったら、どうなると思う?」
彼女は思っているまま答えた。
「どうにもならないよ。破棄するもの」
「残念だけど、ユーリ。王女は卒業と同時に絶対に結婚する。周りが許さない」
「……最初の話と違う」
彼女は次第に顔色を失っていく。彼は彼女をじっと見つめていた。
「そう。だから話してる。こっちに来て外からシキビルドがどう見えるのか分かってきた。このまま俺が婚約者でいたら、結婚することになる。……ずるいけど俺はそうしたい」
彼は一歩前に出ると、彼女の頬に手を寄せる。ユーリグゼナはスッと一歩後ろに下がる。
「私、結婚しないよ」
「……俺と結婚は、嫌か」
彼は手の平を見る。そして苦しそうな顔で閉じた。
「アルフの隣でずっと演奏していたいと思う。でも結婚は別」
彼女は、自分が薄汚い小娘であることを知っている。身体も、考えていることも全部汚い。
誰一人助けられない。関わる人間を次々に不幸に導く疫病神。結婚相手も不幸にするだろう。アルフレッドを不幸にするのは、彼女自身が許せない。
「どうしても結婚しなければならないなら、王女の地位を剥奪してもらう。それも無理なら…………消えるよ」
「そんなこと俺がさせるわけないだろう。ユーリ」
彼は深緑の目を切なげに細めた。
「そんなに嫌なら結婚だってふりでいい。他の奴を見ないで、側にいて。俺はもうユーリじゃないと駄目だから」
服の胸元を強く掴み過ぎて、皺だらけになっていた。
ユーリグゼナは黙って彼を見つめるが、自然に頭が下がっていく。後ろめたかった。
(私、アルフならそう云うって、知ってて言ってる)
アルフレッドが自分に執着していくのを、困った顔をしながら心のどこかで喜んでいる。私を嫌わない、私から離れていかないんだ、と。自分の醜い部分さえ見せなければ、このままずっと側にいてくれるのではないか、とさえ打算する。
でもそうやって甘え続けるのは、限界がきているような気がした。女性として答えないことに、いずれ彼は堪えられなくなる。ユーリグゼナばかりに利のある歪な関係は、少しずつ終わりへと向かっていた。
◇◇◇
ペルテノーラでの生活が上手く回り始めたころ、残念な知らせが入り城に呼び出される。そう。カミルシェーンが戻って来てしまった。
「王がずっと行方不明だったなんて……」
ユーリグゼナが思わず呟いた言葉を、部屋に案内していたアクロビスが拾う。
「もともと父王はよくいなくなる。今回は確かに長いが、結果を見ればさすがだと思う」
王がよくいなくなるのは問題だと思う。そこを突っ込まなければ、彼が少し誇らしげな理由は、毎日森で狩りと採取している彼女には分かった。日々森は深く豊かになっている。二人は王の執務室に入る。
「ただいま。愛しい婚約者」
へらっとカミルシェーンが微笑む。このふざけた婚約をばっさり断ち切らなければ、とユーリグゼナは拳に力をこめた。
次回「一緒にいる」は8月30日18時に掲載予定です。




