30.友人なら
ユーリグゼナはここ最近ではないほどに、彼女らしく生活している。明け方に起き、サギリとともに狩りと採集。森で獲物を捌き、保存用の塩漬けと燻製を作成。二人で燻製用の火を調整をしながら、朝ごはんを食べる。
「めちゃめちゃ美味しそうな肉の匂い……」
今日はアルフレッドたちもついてきた。
「ユーリグゼナとサギリの戦闘能力は凄いな。俺では何も手伝えない」
ナータトミカの言葉に、レナトリアがこくこくと頷く。礼儀には厳しい彼女だが、その場に合った振る舞いができる人だった。今日は動きやすい質素な服に身を包み、動作も変えている。打ち解けると更に話さなくなるレナトリアの、素直で柔らかい表情が見られるようになると、ユーリグゼナの心は高鳴った。それを傍目で見ていたアルフレッドは「また顔か……」と途方に暮れたようにぼやく。
彼女は煙を浴びながら、燻製の仕上がり具合を満足そうに見て、にっこり笑った。
「ナータトミカとレナトリアが森に演奏してくれたでしょう。あれで狩りがしやすくなったよ」
シキビルドの季節と反対に、ペルテノーラの森は夏に近づき緑は濃く豊かになっている。食糧問題は当面は大丈夫そうだ。
「仕入れを平民から直接? ……さすがにカミルシェーン様が何か言ってきそうだぞ」
アルフレッドは腕を組み唸る。ナータトミカは大きな体を斜めに倒しながら、重そうに足を進めていた。「反逆罪か、友情と楽器か……」とブツブツ言っているのが、少し怖い。
ペルテノーラの売り買いの流れを壊すことになる。ユーリグゼナとしても、少しまずいかなと思っているが、背に腹は代えられない。食べ物以外にも必要な物は多い。服が欲しいからといって、苗から綿を育てるわけにはいかない。
「一応、平民に変装した。アルフレッドとレナトリアが高貴すぎてバレると思うけど、私とナータトミカは平民だと言い通す。平民として取引するところから、始めてみよう」
ユーリグゼナは両拳に力をこめる。ナータトミカは巨大な手の平で彼女の頭を覆う。「俺も頑張るよ。妹よ」と設定上の役柄で呼び、ガシガシと頭を撫でる。髪のぼさぼさ具合が平民というより、身を整えられない子供のようになる。
そもそも困窮している特権階級を放っておくカミルシェーンが悪い。交渉の余地はあるだろう。いや、確かライドフェーズに近寄るな、交渉するなと言われていたような…………気のせいだろう。
「で、全滅か……」
アルフレッドは彼女の頭をポンポン叩く。ユーリグゼナは掃除の行き届かない食事処の机に突っ伏す。
商いをする店を片っ端からあたったが、皆怯えたように身を引くのが分かった。よく考えれば当たり前だ。ペルテノーラの現地語が話せない取引相手なんて怪しい。途中から現地語が話せるナータトミカと交渉役を交換したが、彼の場合違う意味で怖がられ、今に至る。
「なんか、制服仕立てるところが見つからなかったときのことを思い出したよ」
あの時はアルフレッドが助けてくれた。
アルフレッドは、赤らむ顔を手で押さえる。
「あったな。そんなこと……」
そういうと彼は隣に座るナータトミカと一緒に席を立った。ユーリグゼナは隣に座るレナトリアの様子を窺う。彼女は机の上に置かれた料理を見つめたまま、手をつけずにいる。
「レナトリア。平民のお店、初めてですか?」
簡単につまめるお菓子や、携帯食を用意しておけばよかった。夜まで歩き続けると予想していなかったのが甘い。レナトリアは顔を上げて言う。
「いいえ。音楽の伝承は家の使命の一つよ。平民の店に入ることもあるわ。そうではなく。……私の無力さが歯がゆい。ユーリグゼナ。本当はね。一つ提案されているの」
誰からとはこの場では言わないが、彼女には分かった。やっぱり何か仕掛けていた。レナトリアの声が震える。
「……縁談を受ければ、ナータトミカの生活保障はしてもらえると言われている」
「それでも、家は売るんですよね? 人の弱みに付け込むなんて、許せません。それに…………結婚したくないのではありませんか」
彼女の言葉にレナトリアは息を呑む。白い頬が小さく震えたように見えた。
「私、婚約者を亡くしてるの。他の人はまだ……」
『……!!』
男の太い声で、彼女の言葉はかき消される。レナトリアの座る椅子の横に、ふらりと男が現れた。ペルテノーラの現地語でレナトリアに執拗に話しかけ距離を詰めてくる。内容は分からないが、ユーリグゼナが攻撃的な気持ちになるのに十分な胡散臭さだった。
ドサッ ガラガラガラドシャ──ン
彼女が足で蹴り上げると同時に、男の体は地面に叩きつけられ、ぶつかった机から食器が落ちて割れる。ユーリグゼナがきつい目で男を見下ろし威嚇すると、そそくさと逃げていった。気丈に振舞っているレナトリアの手が震えている。その手に優しく触れ、力を籠めた。
「店の物を壊されちゃあ。困るんだ」
いつの間にか、髭を生やした一人の爺が二人の前に立っていた。つらつらと共通語で話し出す。
「でも、友人だったら多少の融通は聞かせられるなあ」
髭を撫でながらニヤリと笑う。ユーリグゼナは意図するところが読めず、眉をひそめた。
その彼女の腕を軽く引く者がいる。茶色い髪の男が穏やかに彼女に話しかける。言葉が分からず戸惑っていると、レナトリアが「踊りに誘っているわ」と囁いた。そういえばずっと同じ単語を言っている。ユーリグゼナは踊っている人たちを指した。
「フランドル?」
若い男は嬉しそうに大きく頷いた。彼女は通じるか自信が無いまま言ってみた。
「フランドル。トト」
どうにか通じたようで、彼は嬉しそうに笑いユーリグゼナの腕を引いていく。レナトリアから離れてしまった片方の手を、再び誰かが掴む。
「信頼できる友人だったら、取引してもいいって言質をとった。俺も行く」
アルフレッドは彼女の手を取ったまま、一緒に踊りの輪に入る。知らない曲に見慣れない踊り。二人は苦笑いしながら、周りを真似してお辞儀をし、踊りはじめる。
チャッチャ ピロリロリーロ
弦楽器と笛、そして見たことのない楽器がかなりの早い拍で弾かれている。それに人々の手拍子が加わる。
踊り手たちはくるくる回転し、組になった男女はさっと手の平を重ね、すぐに離れる。それを繰り返しながら次々に隣へと相手が変わる。アルフレッドとはすでに離れ、ユーリグゼナは緊張しながら知らない人と次々に踊っていく。大勢の客たちから起こった手拍子は、曲とぴったり揃っていく。店全体が不思議な一体感に包まれていた。彼女の怯えは消え、音楽にのせて体を動かす。楽しさに思わず顔が緩む。
(曲もいい。弾き手も見事)
踊り手と客の橋渡しが上手い。どんどん盛り上げていく。いいな。こういう演奏。私も出来たらいいな。そう思いながら踊り続け、人々が楽しんでいる店内の空気を肌で感じていた。
曲が終わると、誘ってくれた茶色い髪の男がやってきて、そっと彼女の手を取り熱心に話す。メラドパーニャと聞こえる。
慣れない状況に彼女は焦り、握られた手が汗ばんでくる。男との間に、突然大きな壁ができ視界が塞がれた。ナータトミカは何やら話し、ユーリグゼナの手を男から引き剥がす。隣にはアルフレッドが立ち、鋭い目で茶色い髪の男を見下ろした。
立ち去る男を厳しい視線で見届けながら、アルフレッドは腕を組みをする。
「なんかまた寄ってきそうだ。狙ってる奴が多すぎる」
「ああ。ちょっと厄介だな」
そう答えたナータトミカの手を、ユーリグゼナはトントン叩く。
「さっき踊ってたとき『メラッド』ってたくさん言われた。どういう意味?」
ナータトミカは、いかつい顔をくるりと彼女に向けた。
「『メラド』だろう。可愛いとか可憐とかそんな感じの意味だ」
「へえ。じゃあ、さっきの人が言ってた『メラドパーニャ』は?」
「…………『メラドパーニャ』は、だな……」
ナータトミカが少し戸惑いがちに言う言葉に耳を傾けていると、彼女の両耳をアルフレッドが塞いでしまう。不満げに彼を見ると、仕方なさそうに手を外した。
「聞くな。口説かれていると分かれば十分だ」
目を逸らしそう言うアルフレッドの深緑の目に、凶悪なものが光る。
ユーリグゼナはたじろぎ、こっそり彼から離れた。さっきの爺を探す。向こうも探していたのか目が合うと、にやっと笑いかけてきた。
(ちょっと連っぽい)
密かに笑いをかみ殺しながら、彼女は言う。
「演奏に加わりたいのです。良いでしょうか」
爺の口から、ぶぶぶっと変な声が出る。
「いいぞ。やってみろ。……おい」
店員に声をかけて用意させようとしている。探しに来たアルフレッドが、彼女の肩に触れ「勝手に消えるなよ」と囁く。
「ユーリ。何をする気だ」
「楽器弾かせてもらおう。友人になるなら、私たちの場合、やっぱり演奏でしょう?」
「……そうだな」
彼は大きく息をつく。ようやくいつものアルフレッドに戻ったようで、彼女は安心する。彼が行くところ、すぐに女性に囲まれてしまい不機嫌そうだった。
「アルフは女の子に寄って来られて大変そうだね。演奏中ならきっと、声かけにくいはずだから」
彼に助け舟を出せたと、彼女は嬉しそうに笑う。ところが彼の顔が何とも渋い顔になる。
「言い寄られて嫌だったのは、俺にじゃなく……」
「何人弾いてくれるんだ」
爺が弦楽器を手にして、彼女に聞いてきた。ユーリグゼナは嬉しそうに四本指を立てた。
次回「少しずつ」は8月26日18時掲載予定です。




