27.偽りの真相
カミルシェーンは楽し気に黒い鳥に近づくと、いきなり嘴をぎゅうっと鷲づかみした。鳥は口を開閉できず、苦しそうに羽をばたつかせる。
(ひどい! なんなのこの人)
ユーリグゼナは飛び上がり、拳を彼に振り下ろした。彼はうげっと呻きながら、ぱたりと倒れる。
「ひどいな。なんてことするんだ」
彼はよろよろ立ち上がり振り返る。彼女はふうーと威嚇したような息を吐き、黒曜石のような目に鋭い光を強めていく。カミルシェーンは彼女の本気の怒りに、つまらなそうな顔で息を吐く。
「君さ。こいつが何か分かってないだろう?」
彼女はたじろいた。その通りだ。これが何かなんて全然分かっていない。だから借り物の言葉で答える。
「……鎖ですよね? 私これで朱雀と繋がってるから生きているんですよね?」
カミルシェーンは、ぶぶっと異音を立てた口を押さえる。彼女はむむっと口をすぼめるが、言い返す言葉がない。彼は答えを知っているというのか。
「いやー。見事だね。ちょっと感動ー。じゃあさ、鎖って何?」
「分かりません」
ユーリグゼナは渋い顔で言い放つ。ライドフェーズやヘレントールたちと話す中で勝手に作り上げた印象しかない。彼は「素直でよろしい」と微笑む。
「俺も分からなかった。魔法陣に興味ないし。ライドフェーズの言葉を丸呑みしてた。でも、朱雀の間の一件を聞いて勉強し直した」
彼女は、必要であれば勉強し直す彼の姿勢に感動しながら問う。
「何だったんですか?」
「分からなかった。全然」
がっくりと首を垂れる。なんだそれは……。カミルシェーンはにやにやしながら続ける。
「ただ違和感に気づいた。神獣の朱雀と人間を繋ぐのは技術的に無理がある。鎖のことは後回しにして、別の方向から考え直したんだ」
彼女はごくりと息を呑む。彼は不敵な笑みを浮かべる。
「アナトーリーが壊した魔法陣って何?」
そこから考え直し?! 彼女は目を回しそうになった。
朱雀の間でアナトーリーが鎖解除の強固な魔法陣を破壊して、事は収まったと聞いている。それが違うとなれば……。
「何を壊したと思われるのですか?」
「朱雀とパートンハド家の契約魔法」
彼はさらっと言い、寝入り始めたネロの体を撫でる。彼女はしばらく沈黙していたが、急に声を上げた。
「はあ?」
「良い反応。──神獣の間は無駄な物なんて一つも置けないようになってるんだよ。起動もしてない魔法陣を何年も置きっぱなし? ユーリグゼナの鎖の解除の魔法陣を? 変だって。でもまあ、可能性はゼロではないよね」
「……はい」
ユーリグゼナは不安な顔のまま頷く。彼は紫色の目を煌めかせる。
「パートンハド家の惣領が主に選んだら、自動的にシキビルド王になれる。なのに何でライドフェーズはこんな後になってから選定を受けてる? ────アナトーリーさ。本物の惣領じゃなかったんじゃない? しかも朱雀の間での記憶が曖昧って、神獣に認められてない証拠だよ」
意識的に目を逸らし続けていた可能性。それを彼は確実についてくる。彼女は息が詰まりそうになりながら言った。
「それ、アナトーリーに言いましたね?」
カミルシェーンは満足そうに微笑んだ。
アナトーリーが穏やかにペルテノーラ行きを受けとめている理由が見えた。二人は秘密裏に会ったのだ。おそらく謝神祭の時。
「惣領でなかったと知れば、朱雀とパートンハド家を繋ぐものを断ち切ったのが自分と知れば、アナトーリーはシキビルドを出ようとするでしょう。わざと言いましたね」
務めを果たそうと必死だったアナトーリーに、残酷なことを伝えた。カミルシェーンを睨む。彼は平然と返す。
「欲しいものを得る機会だ。利用して何が悪い」
「そもそも本当なのか確証がありません。そんな言葉で翻弄するなんて……」
ユーリグゼナの言葉に、呆れたように彼は言う。
「君は本当に頑固だね。それに自分のことは無頓着。でもこれ以上は……」
カミルシェーンから、ぐーきゅるるぅぅという異音が聞こえてくる。
「見返りが欲しいなー」
ユーリグゼナは大きく肩を落とし、鞄の中を探る。ペルテノーラの森で、食べられそうな果実をもぎってきていた。そして簡単な携帯食と焼菓子、飲み物も出す。彼は勝手につまみ始める。彼女もお腹から音が鳴り出す前に、と食事を始めた。
「帰りませんか? もう」
「うん。ユーリグゼナのお菓子食べ終わってからね」
楽しそうに言うカミルシェーンが帰ろうとする気配は全くなかった。
食事が終わりユーリグゼナが「お茶飲みますか?」と聞けば、勢いよく「飲む!」と返ってきた。お湯を沸かす魔法陣を起動させ、大きいままのお茶の葉っぱを煮出す。
先ほどまで焦土だった土地は、時間とともに緑が濃くなっていく。なかなか帰らないのは、王として見届けたいのだろうか。
ネロが起きてきて食べ物をねだる。迷い込んでから何も食べていなかった彼に、果実と焼菓子を見せると迷わず菓子を食べた。こんなに大きな体で、こんな量じゃ足りないよね、と手持ちの菓子をすべて渡そうとするとカミルシェーンの本気の制止が入る。ネロも『ちょっとユーリグゼナをかじったから大丈夫』と不穏なことを言って遠慮した。
「アナトーリーが本当に納得したのは、状況から推測されるルリアンナの気持ちを聞いたからだ」
見返りが足りたらしく、ようやくカミルシェーンは話し出した。
「鎖はルリアンナが言い出したことだ。セルディーナの命を繋ぐ方法がある、と。実際に一度、彼女と人間の肉体を繋ぐことに成功しているらしいね」
その事実があり、セルディーナは人間の身体を手に入れている。同じく鎖で命を永らえるユーリグゼナの鎖を取るよう、ルリアンナはライドフェーズに願った。
(母は自分の死を願った)
その話を聞いてからずっと、彼女はそう思っている。アナトーリーとヘレントールもそう取ったはずだ。
「ルリアンナの目的は、ライドフェーズに戦禍の中一人きりになっていた君を保護させること。大事な鎖を持つ子を見殺しにできないからね。さらに鎖解除と偽り、朱雀とパートンハド家を結ぶ魔法陣を破壊させることだ。────多分他にもあると思う。でもいつも全てが終わってからじゃないと、彼女の思いは見えない」
カミルシェーンは切なそうであり、どこか幸せそうでもあった。ずっとこうやって、ルリアンナの心を探り続けているのだろうか。そう思わせるほど、彼の思索は広く深い。
ユーリグゼナにはひどく悲しい生き方のように見えた。帰ってこない人の思いを一つ一つ拾っていくなんて、苦しくて耐えられない。
彼は平然と続ける。
「アナトーリーは、ルリアンナが君を見殺しにしようとしていた、と思っていたらしい」
「私もそうです。母は本当は私を守りたかった? パートンハド家を終わらせたかった?」
そうなの? 母様。
聞いても答えはない。黒い鳥が現れて、彼女の頬に頭をすりすりと擦りつけた。
カミルシェーンは目を細めて言う。
「パートンハド家惣領には代々、朱雀の眷属が付き添う。そいつ、いつから君の側にいる?」
彼は何を言おうとしているのだろう。ユーリグゼナは思考が止まりそうになる頭をどうにか動かす。
「……祖父が亡くなったころから、だったような気がします。でもその時は、真綿みたいな捉えどころのない形でしたよ」
彼の目が鋭くなる。
「いつから鳥の形に?」
「はっきりは……。朱雀の間で気を失って、目覚めた後にはこの形になっていました」
そう言いながら、ユーリグゼナは黒い鳥の頬に優しく触れる。鳥は目をつむり、じっとしていた。
「魔法陣が破壊される前に、朱雀は君を認めた。……もう契約魔法は無い。だから君が最後のパートンハド家の惣領だ」
黒い鳥が頭を上げ、カミルシェーンをじっと見つめる。ユーリグゼナは彼の言葉がしばらく理解出来なかった。
次回「信頼の問題」は8月16日18時に掲載予定です。
恋敵は次でゆるく回収します。ユーリグゼナはアルフレッドたちと合流。




