26.焦土の地
ユーリグゼナは地面にへたり込んでいた。頭がぐらぐらして吐き気がする。カミルシェーンは、彼女を観察するようにじっと見ている。
「初めてか。てっきりアルクセウス様と何度かあると思っていたよ」
ユーリグゼナは答える代わりに頷いた。気持ちの悪さが増していく。
時空を飛んで移動するのは、確かに初めてだった。とはいえ、それが原因でないように感じ始めている。
飛んできた場所の様子がおかしい。ここは生き物の気配が全くしない。草もなく、土も鉄屑のように無機質。吐き気を堪えながら聞く。
「何なんですか。ここは」
遠くを見渡したままカミルシェーンは答えた。
「昔の戦場跡」
激しい争いの結果、全てが焼け焦げ何もなくなった。40年近く経つが未だに生き物を拒絶している、と彼は語る。
彼女の中で、セルディーナの過去とアナトーリーの語った前王の話が蘇る。共通する年代と人物、すべてが繋がっていく。静かな声で呟いていた。
「前世のシキビルド前王と、三代前のペルテノーラ王が戦って亡くなった地……」
彼女の言葉に、カミルシェーンの紫色の目が冷酷なものになっていく。きつい顔で彼女を見下ろした。
「なんでそんなことを知っている? 不用意な発言だな。────顔はルリアンナと瓜二つなのに、色合いと中身がまるで違う。顔が似ている分、腹立たしさが増すよ」
(ライドフェーズ様。私、失敗しました!!)
散々注意されていたのに……。ぼんやり言ってしまった言葉で、いきなりカミルシェーンの不信感を爆発させてしまった。
頭を抱える彼女に、得体の知れない巨大な影が飛び付いてきた。地面に押し倒されたユーリグゼナの目の前には、フサフサした白い毛で覆われた巨大な胸? 首? 彼女の頭の上から魔獣の声が聞こえてくる。
『臭う』
臭うと言われると、だいたいの人間は落ち込む。いきなりショックな言葉をぶつけてきた巨大なモフモフは、彼女の頭くらいの大きな肉球でユーリグゼナの身体をがっちり押さえている。
くんかくんか鼻息をたてて彼女の身体を嗅ぎまくる。ツンと突き出たひげや、心地のよい柔らかな毛が彼女の肌をかすめ、ついに巨大な生温かい舌でぺろりと舐め始めた。
(怖いというより、く……くすぐったい)
ぶひぃっひひひ
我慢できなくて、思わず変な声を出し身体をよじるユーリグゼナから、ようやく肉球が離れた。
『お前、鳥野郎の番?』
きっと鳳魔獣のことだ。森の契約ならしている。曖昧に頷く。いつの間にか先ほどまでの吐き気が消えていた。
『ふうん。王連れてきてくれて助かったよ。ここから出られなくなってたんだ』
カミルシェーンはユーリグゼナの横に立ち、得体の知れない生き物を見上げた。さっきの殺気に満ちた空気は消えていたが、彼女に対して態度は悪い。
「こいつを探しに来たんだ」
「お知り合いでしたか」
「魔獣に知り合いはいない。意志疎通出来るなら、『森の王が死んだ。お前が継いで何とかしろ』って伝えろ」
ユーリグゼナにムクムクと反発心が湧き上がる。なぜ命令されなければいけない?! それにこの白くて大きい生き物は、黒い大きな目を潤ませながら『カミル』と呟いている。彼女は白い獣の味方をしたくなる。
「知り合いだと思いますよ? それに王なのになぜ魔獣と話せないんですか」
立ち向かってきたことを感じたカミルシェーンの目が再び厳しくなる。
「……俺が話せる必要はない。話せるやつに任せればいい」
「では話せる配下にお命じください」
ユーリグゼナは目をつむり白々しく言った。この人は自分のペースにはめて、人を従わせる人だ。王らしくて結構だが身内でやってくれ。
(でも、地が出てきた。俺って言った……)
彼は悔しそうにチッと舌打ちをした。
「頼むよ。ユーリグゼナ」
「その前に。……本当に知り合いみたいです」
「こんなデカい知り合いはいないって」
拗ねた顔でカミルシェーンはもう一度白い獣を見上げた。その時……
にゃあ
鳴いた。巨大な生き物とは思えないほど可愛いらしく。彼の目が大きく開かれた。
「ネロかあ?」
にゃあ
ネロは嬉しそうにもう一度鳴いた。
カミルシェーンは、じゃれついてくるネロの成すがままだ。脱力している彼の栗色のくせ毛がライドフェーズ並みに乱れている。
「デカくなりすぎだよ。色しか同じじゃない」
そうぼやきながら、巨大な頭をガシガシ撫で始めた。ネロは嬉しそうに目を閉じる。カミルシェーンがまだ子供だった頃に出会ったネロは、抱えられる大きさだったそうだ。ネロが時空の隙間に落ちて出られなくなっているのを助けたことがある、という。
「今回とよく似てますね」
「多分、神獣の仕業だよ」
「神獣?!」
彼女が思わず聞き返すと、カミルシェーンはゆっくり首を縦に振る。
「そう。ペルテノーラは玄武という神獣がこの国を保ってくれている。俺に、この地の歪みをどうにかしろってことだと思う」
「どうにかって、どうするんですか?」
不思議そうに首を傾けたユーリグゼナを、彼は意味ありげに見つめた。
「今回はユーリグゼナがいる」
「その荷物に楽器入ってるだろう?」
「はあ」
彼女は促されのろのろと背負っていた大きな鞄を下ろす。中から一番大きな弦楽器を取り出した。
学校の結界が強まったように、壊れかけ歪んだこの地も音楽で何とかなると、カミルシェーンは言う。
(そんな簡単かな……)
彼女はそう思いながらも楽器を調律していく。その途中に感じる違和感。
「何でもいいから弾いてみて」
今のカミルシェーンには王らしさも、にこやかな笑顔も無い。彼の自然な様子に、彼女は素直に気持ちを言う。
「何でも、では駄目みたいです。この場所が望んでないと感じます」
「えー」
カミルシェーンの声が空間に響いていく。それを感じたユーリグゼナは慎重に言う。
「カミルシェーン様の声は染み込んでいくみたいです。私はこの空間で話すたびに、小さな圧力を感じるのですが、何か感じますか?」
「いや。別に」
「なるほど。……では歌ってください」
「はあ?!」
彼はあきれ果てた声を出した。やっぱり彼の声はよく響いていく。
低くてよく響くカミルシェーンの歌は、どこかもの悲しい。それでいて綺麗な旋律を、ユーリグゼナはすぐに好きになって覚えた。
トゥル ルールル ルールル
歌詞は無理だか、音はとれる。カミルシェーンと一緒に歌いながら弦楽器をかき鳴らす。今度はしっくりくる。
「さすがだな。もう覚えたんだ」
「歌詞は全然です。なんと歌っているのですか?」
彼の口は重くなる。実はペルテノーラの現地語はほとんど話せない。意味は分からず歌っていたという。
「国を守るために戦った勇敢な兵たちは、深い森の朝もやの中、故郷を思い眠りについている。そんな感じの曲だと叔母が言っていた」
「切ないのは、死んだ人を悼む歌だからだったんですね」
「そうか。……眠りの意味を取り違っていた。叔母は死んだ者たちを思って、子守唄を歌っていたのか」
鎮魂歌が子守唄!! 彼女は驚きを隠し、下を向く。足元ではネロが気持ち良さそうに転がっている。そして……
「カミルシェーン様。大成功です」
指先程の小さな細い葉っぱが地面を覆い始めていた。ユーリグゼナの顔がほころぶ。
「この歌を気に入ったみたいですね。私も好きになりました」
「俺もだ。ユーリグゼナを好きになった」
油断していた。そうだった。この人は変な人!!
気づくのが遅かった。すでにがっつり両手を握られていた。掴まれてしまうと、相手を殺すくらいの技でないと逃げられない。
その時、バサバサっと黒い影が舞う。黒い鳥が鋭いかぎ爪を彼に突き立て、急旋回を繰り返す。カミルシェーンは動じず、むしろ高揚した様子で応戦した。その間に彼の手からユーリグゼナは逃れる。黒い鳥がふわりと彼女の肩に止まった。カミルシェーンの好戦的な目は黒い鳥を捉えている。ニタリと笑う。
「やっと会えたな。恋敵」
次回「偽りの真相」は8月12日18時に掲載予定です。




