25.ペルテノーラへ
「カミルシェーン様にペルテノーラにお誘いいただいていましたし、きっと了承いただけると思います」
「また勝手なことを……。返事をしたのではあるまいな」
ライドフェーズの指摘にユーリグゼナは、うっと息を呑み答える。
「いえ。アナトーリーに止められました……」
ライドフェーズの眉間にみるみるしわが増えていく。
「その様子では心配だ。頼むからカミルシェーンと交渉して、何か決めてくるようなことのないように」
ユーリグゼナは大きく首を傾けた。
「駄目ですか? ……アナトーリーのペルテノーラ行きを諦めてもらうよう、交渉するつもりです」
「やめておけ。お前では簡単に丸め込まれる。いつの間にかペルテノーラに嫁入りしている未来しか見えない」
嫁って。そこなんだ。交渉のポイント。気が抜けてしまう。
彼女は、ふうと息をつくとライドフェーズに問いかけた。
「学校でナンシュリー王子に求婚と母について嫌味を言われました。カミルシェーン様は何なんですか? 妻を増やすのが趣味の好色の方なんですか?」
ライドフェーズは額に手をあて、強く擦り始めた。
「お前には言うつもりはなかったのだがな────カミルシェーンはルリアンナに執着している。学生の頃からルリアンナを調査していて、未だに山のような資料をひとつひとつ大切に保管しているくらいにな。ずっと前から、娘のお前も弟のアナトーリーも側に置きたいと言っている」
ユーリグゼナは心の中でひいっと悲鳴を上げる。
「へ……変な方なんですね」
「もっと警戒しろ。お前は危機感がなさすぎる。カミルシェーンには絶対に近づかないように」
「アルフ。ナータトミカに連絡して泊めてもらうというのはどうかな」
ユーリグゼナは少しわくわくした様子で家出計画を練っている。王が退席し、アルフレッドは少しゆったりした様子で聞く。
「どうしてナータトミカなんだ?」
彼女はわくわく家出計画書を楽しそうに書き続けながら答えた。
「古くから音楽に関する仕事をする家で、珍しい楽器が家にたくさんあるんだって。ぜひ家に来て欲しいって誘われた。私を家族に紹介したいんだって」
「待て。それ本当にただのお誘いか?」
彼の顔が引きつった。ユーリグゼナは考え深げに手を顎に添える。
「そっか。楽器を買ってくれるお客さんだと思われてる? シキビルドはお金ないし、私も今、自由なお金少ないから買ってあげられないかもしれない。がっかりさせちゃうか」
アルフレッドはコテンと首を落とすと、盛大なため息をついた。
「俺も行くからな。ペルテノーラ。……危なすぎる」
「そっか。助かる。実はカミルシェーン様から私が探していた楽器に似たのが見つかったって言われてて、一緒に見て欲しいんだ。ほら、養子院で一緒に演奏して欲しいってお願いした、一音ずつ手に持って演奏する楽器のことだよ」
彼女の熱い語りに、アルフレッドは困りきったように両眉を寄せた。
「……いつの間にカミルシェーン様と話を進めてるんだ。すっげー不安。頼むからあっちでは俺の側から離れないでくれよ」
「はい……」
彼女は少しばつが悪そうな顔でおとなしくなった。彼は身をかがめて、彼女の表情を窺う。
「ごめん。今日俺、ユーリにきついことばっかり言ってる。悪かった……」
彼はユーリグゼナの頬にそっと触れる。
「……良かった。さっきより少し顔色が良くなったみたいだ」
スリンケットは荷物を机にそっと置き、こそこそ立ち去ろうとしていた。気づいたユーリグゼナは目を輝かす。
「スリンケット。これって芋ですよね?! 家から持ってきてくれたんですね」
彼はガックリ項垂れて「ごめん、アルフレッド。本当にごめん」と小さな声で何度も呟いた。ユーリグゼナは不思議そうに首を傾げた。
「アルフも食べていいよ? ふかしただけの芋だけど、落ち葉で焼いてるから、香りがついて美味しいよ」
ごそごそ紙袋を探ると紙に包まれた、少し煙のにおいがする芋が出てくる。まだほんのり温くて、嬉しそうに彼女は頬張る。それを見たアルフレッドは、穏やかな表情になった。
「──ユーリが食べてるとほっとする」
スリンケットも身体の力を抜いて、息をついた。机に置いていこうとした手紙を取り、改めて彼女に手渡す。
「これ、ユキタリスから。字書けるようになったから見せたいって。預かってきた」
ユーリグゼナは手の中の芋がなくなると、手紙を開く。
『すりんいるから ゆきわ だいしょうふ``
ゆーりは けんぎに あぱれてね』
暗号のようだが「スリンいるからユキは大丈夫。ユーリは元気に暴れてね」だと彼女には読め、にやにやと顔が綻んでしまう。「ユキ、上手になったね」と呟いた。
「スリンケットが教えてくれてるんですね」
彼女は手紙から目を上げスリンケットに嬉しそうに微笑んだ。彼女を見つめる彼の表情は優れない。
「────これでも僕はパートンハド家の人間だよ。なったばかりだし頼りないだろうけどさ。ユキタリスに教えるのは当たり前。君も…………頼って欲しかった。家を出ていても王女になっても、みんな君を家族だと思っている」
ユーリグゼナはしゅんとして下を向く。彼は彼女の頭をふわりと撫でた。
「僕は仕事で御館に呼ばれることが多い。アナトーリーも以前よりは減ったけど御館に来る。必ず挨拶に寄るから、何かあったら相談して」
家出の準備は順調に終わった。
ある日の夜明け前、ユーリグゼナはサギリと一緒に御館を抜け出す。アルフレッドとの待ち合わせ場所は、ペルテノーラへの時空抜道の拠点だ。
拠点はペルテノーラが管理していて、学校へ行く拠点と違い整備され強固な造りになっている。前もってカミルシェーンの通達があったらしく、役人たちは彼女たちに頭を下げる。が、彼らの顔色は悪い。それもそのはず。
拠点の建物の上に鳳魔獣が乗っかっていた。巨大な影が彼女のもとへ舞い降りる。その風圧が周りの木が揺らし、役人たちを吹き倒す。着地した彼は巨大な頭を彼女に擦り付けてきた。いつものように彼の羽の合間を優しく掻いてやる。
『ありがとう。見送りに来てくれたんだね』
彼は嬉しそうに彼女に巨大な嘴を近づけ、大きく開けると巨大な舌でベロンと舐めた。ユーリグゼナが「へ?」と奇妙な声を出しているうちに、何度も舐められ彼女は顔も服もびちょびちょだ。サギリが乾いた布をかぶせようとすると、鳳魔獣は頭を大きく振った。その風圧でサギリは手が止まる。
『私のにおい付けをしておいた。気を付けて。彼の地は未だ危うい。無事に戻ってくるんだよ』
ユーリグゼナは了承の代わりに目の前にある嘴をポンポンと叩く。自分の体から日の光のような香りが漂う。
『鳳魔獣からいつもする香り……。一緒にいるみたいで心強いよ』
そう伝えると彼はあむっと口の中にユーリグゼナをくわえてしまう。嘴が彼女から離れたときには、ユーリグゼナは滴るほどに濡れていた。呆気にとられる彼女をもう一度巨大な舌で舐める。
『ユーリグゼナは時々、今すぐ食べて欲しいのかと思うようなことを言うよね』
『できれば、今は食べないで』
『今は。ね』
そう伝えると細かく体を震わせる。鳳魔獣は一気に空へ飛び立っていった。
「行ったか」
アルフレッドがひょこっと顔を出す。
「ユーリ。シキビルドに戻ったら、森との関わり方を教えて欲しい。俺にも必要だ」
ユーリグゼナは顔がにやけてくる。そんな風に言う人はいない。婚約うんねんはともかく、彼がパートンハド家の人間になろうとしてくれることをとても嬉しく思った。
鳳魔獣が飛び去り、落ち着きを取り戻した役人たちは三人を時空抜道の中へと案内する。
話しながら長くて暗いトンネルの中を、ユーリグゼナとアルフレッド、サギリの三人で歩いていく。暗がりの先に光が見え始めた。
光の先に、仁王立ちした銀髪の少年がいる。
「来たか」
この役割は不服だ、と言わないでも分かるほど嫌そうな顔のアクロビスが出迎えた。
他に人はいませんでしたか? というユーリグゼナの心の叫びをサギリなりに代弁する。
「王子に自らお出迎えいただき感謝すると、我が主人は申しております」
「うむ。遥々シキビルドくんだりからよく来たな。父王から案内を頼まれている。付いて来い」
そんなに遠くありませんけど? 田舎扱いやめてもらえます? ペルテノーラだって大して変わりませんよね? と、彼女は黙って顔で訴え続ける。アクロビスは全く解さず、自慢付きペルテノーラの説明を機嫌よく続ける。アルフレッドは呆れ顔で、噛み合わない二人を見守った。
「父王と森の中で落ち合うことになっている。ユーリグゼナに頼みごとがあるらしい」
アクロビスの話は寝耳に水だ。ライドフェーズに止められている。お受けできませんって伝えて、と彼女はサギリに目配せする。
「申し訳ございません。この後お約束が」
「この国に私より優先される約束など、無い」
サギリの言葉が、突然現れた栗色のくせ毛の男に遮られた。カミルシェーンはいきなりユーリグゼナの腕を掴むと、紫色の目を他の三人に向ける。
「ユーリグゼナだけでいい。他は城に戻れ」
その瞬間、ユーリグゼナの視界から三人が消えた。
次回「焦土の地」は8月9日18時に掲載予定です。




