24.前向きに逃亡
「教わってなかったものは、出来なくても仕方ございませんわ」
そう新任の教育係が微笑むたびに、ユーリグゼナの心は追い詰められる。自分のせいで悪く言われるのは、身を切られるより辛い、とシノが言っていたのを思い出す。彼女のせいで、教えた人全員が蔑まれるのは何とも耐えがたかった。
これ以上聞かなくてもいいように、教育係に必死に添う。でも……。何をやっても、同じように嫌味が続く。ユーリグゼナはもう、どうしていいか分からなくなっていた。
「解任していただきましょう」
サギリには珍しく、ピリピリして言う。
常に穏やかで冷静な側人の鏡のような彼女だが、御館では苦労していた。聴覚に優れるユーリグゼナには、いろんな声が耳に入る。膨大な側人の仕事を、一人でこなすサギリに、御館の側人たちは「勝手なことをしては叱られます」と非協力的だった。それならば、とサギリが指示を出すと「王女付きともなると、尊大な威厳をお持ちのようですね」と嫌味が返ってくる。
サギリは穏やかな笑顔で受け流し、側人たちに強気の指示を出し続ける。面白くない彼らは、周りにバレないよう巧妙に彼女の仕事を妨害する。ユーリグゼナは側人たちに完全に舐められていた。サギリを守れず、無力感に襲われ続ける。
そんな状況下でも、サギリは全力でユーリグゼナを守り続ける。だから悪意に満ちたこの御館のなかでも、ユーリグゼナは生きていける。
(私の教育係どころじゃないはずなのに……)
こみ上げる苦みをグッと飲み込み、穏やかな表情を作る。
「いいよ。また似た人が来るだけ。今の人は女性で紫位の次の青位の人だから、学ぶことも多い。この機会に覚える」
「……生徒をやせ細らせる教師は失格です」
サギリは暗い表情で俯く。ユーリグゼナは、うっと呻いた。サギリの言う通り食が細くなっている。孤軍奮闘に限界が来ていた。
アルフレッドが婚約者のご機嫌伺い、という名目で御館にやって来た。スリンケットも一緒だ。教育係が同席したため、四人でのお茶会となる。
「アルフレッド様は、王女の夫に相応しい品格をお持ちでございますわね」
教育係の言葉に、アルフレッドは作法通りの笑顔で応える。教育係は、スリンケットに成人のお祝いの言葉とともに贈り物を用意していた。終始和やかな雰囲気で進む。教育係の機嫌は良く、悪口を挟まない。ユーリグゼナはホッとして彼女の相手を二人に任せる。
戸が叩かれ、ユーリグゼナが許可を出すと、シキビルド王ライドフェーズが入室してきた。ユーリグゼナ以外は礼を執る。王は顔ぶれを見てスッと目を伏せた。
「ユーリグゼナに話がある。パートンハド家の者以外は外してくれ」
暗に教育係を排除しようとする。
「私は王女付きの教育係です。近い者と認識しておりましたが」
「……そうだな」
ライドフェーズは面倒そうに言う。スリンケットは、低姿勢のまま発言した。
「王。先日のご指示、これから務めたいと思っております。御前を失礼してもよろしいでしょうか」
「そうか。残念だな。話はまた別の機会にしよう。……それに婚約者同士の時間も必要か」
ライドフェーズは、アルフレッドにチラリと目線を向ける。スリンケットは教育係に「出口まで送っていただけますか?」と声をかけ、手を取り見事な作法で連れ添う。アルフレッドを除き全員退出した。戸が閉まると同時に、ユーリグゼナは大きくため息をついた。
「ユーリの馬鹿」
二人になった途端、アルフレッドの尖った声で怒られる。彼女は、口をぽかんと開けた。
「何でこんな状態になっても連絡してこないんだ。ユーリは本当に馬鹿だ」
そう言いながら、彼自身が傷ついているように見える。彼の悲しみの原因が分からない。
「こんな状態って?」
「お前が痩せこけて、サギリがピリピリして御館で全く上手くいってない状態のことだ」
合図もなく部屋に戻ってきたライドフェーズが、アルフレッドの代わりに答える。
「お前たちへの配慮が行き届かなくて、すまない」
彼は素早く盗聴防止の陣をひき、状況を説明する。
シノが去ってから最も影響を受けたのはセルディーナだった。彼女の健康に清浄さが欠かせない。テルだけでは整いきらない部分を、シノが担っていた。
(セルディーナ様が元妖精であることは広げられない。対処が難しいんだろうな)
ユーリグゼナも御館に入り、彼女が出歩けなくなっていることに驚いた。テルはアーリンレプトの世話も受け持っており、手が回らなくなっている。
さらにシノの不在は、仕事の停滞と御館内の物不足を招いていた。彼の仕事量と質をこなす代わりがいない。日用品の仕入れは、シノの引継ぎを断った後任は、仕事をこなせず失敗が重なり、まともに機能していなかった。
「シノがいなくなったとたん、あちこちで支障が起こっている。みんな大わらわだ。ざまあみろ」
ライドフェーズはひさびさに口が悪い。扉に合図があり、スリンケットが入室する。許可を得てすぐに発言する。
「王の見立て通り、言い含められていました」
彼が帰るように見せかけたのは、教育係を探るのが目的だったようだ。ライドフェーズは顎に手をあて目を細めた。
「そうか。即刻解任したいところだが……」
「ライドフェーズ様の見立てって何ですか?」
「ユーリグゼナの教育に、妃教育が含まれている」
「はい? なぜでしょう」
ライドフェーズは、非常に機嫌が悪そうに話す。
「ユーリグゼナを王の妃にしようと画策してる一派がある。あの教育係はその意を汲んで動いていたようだな」
彼女は頭を悩ます。王の妃はセルディーナである。彼女は誰の妃候補になったのか。そもそもアルフレッドとの婚約があるのにおかしい……。うんうん唸るユーリグゼナの頭を、ライドフェーズがポカリと叩く。
「私の妃にと言われているのだ」
「嫌です」
「気が合うな。でも腹立たしいことに、本気でそう思う馬鹿者が増えている」
「なぜ、セルディーナ様を差し置いてそんな話が?」
彼女の言葉にライドフェーズは一気にイライラが増し、不貞腐れた顔でそっぽを向いた。
「セルディーナは今、公務ができない。代わりにユーリグゼナを正妃にして、社交をさせようとしている」
ずっと黙っていたアルフレッドが、ムッとして語気を強める。
「ユーリグゼナ様に社交は難しいと存じます。……それにすでに婚約者がいます」
彼の顔が殺気立つ。めったにないアルフレッドの怒りに慌てたユーリグゼナは言う。
「そうです! 社交は無理です。ライドフェーズ様の妃なんて、そんな不幸なこと受け入れられません。絶対に絶対に嫌です!!」
「腹立たしい言い方だが、同感だ。だからユーリグゼナに頼みがある」
彼女は問うように彼を見る。ライドフェーズは皮肉な笑いを浮かべた。
「向こう側の失態は続いているが、ひっくり返すには、もう一押し欲しい。馬鹿者たちの目を覚まさせるような、突拍子もないことをやれ」
むうっと考え込んでいだユーリグゼナは、ふっと目を上げた。
「前向きに精いっぱい考えてみました。────私、家出します!! 御館が元に戻るまで帰りません」
アルフレッドとスリンケットは、口が開きっぱなしになった。ライドフェーズは満足気に目をつむる。
「悪くないな。馬鹿馬鹿しくて実にいい」
(この人は、馬鹿馬鹿しい、が褒め言葉だとでも思っているのだろうか)
ユーリグゼナが放つ不穏な空気に気づかず、ライドフェーズは難癖をつけ始める。
「しかし、森に逃げ込むでは弱い。もうひとひねり欲しい」
彼女は腕を組んで、思いついたことを口にする。
「では、国外へ。ペルテノーラではいかがでしょう」
「いいな。…………しかし一点問題がある。時空抜道は王の許可なく使用できない。 私自ら許可しては、家出になるまい」
ライドフェーズは残念そうに口を尖らしている。彼女は平然と言う。
「王はライドフェーズ様一人ではありませんよ」
ハッとした顔の彼を見て、ユーリグゼナはニヤリと笑った。
次回「ペルテノーラへ」は8月5日18時に掲載予定です。




