20.負けた者
連の視点で、楽屋のお話。
ユーリグゼナ平民の姿=青(銀髪・青目)
アナトーリー平民の姿=累(こげ茶髪・緑目)
このごろ、連は少し元気がない。
(時勢に乗れない奴は、必ずいるもんだがな……)
敗戦当時の物資不足や混乱が収まり、安定し、少しずつ新しい国の形が見えてきたシキビルド。思うようにならず、店で腐っている客はまた増え始めていた。世の中が変わるたびに現れる、そんな負け犬たちを『楽屋』は受け入れ続ける。音楽には力がある。人が弱っている時こそ、威力を発揮する。
(前王の圧政や戦争は、未だに人々を蝕んでいる)
連が客たちから感じるものは、無気力。────それが平民たちに、そして特権階級の一部にも蔓延している。
これまでの恐怖による統治に馴れた人間は、自分で考えることを止めていた。心を持てば苦しく、考えなければ楽だったから。人々は、恐怖から逃れるために何でもした。薬を使い心を縛った幼い子供たちを、金に換える手伝いをした。国家的人身売買は、こうしてすべての階層を巻き込み、行われていた。
戦いに負けたとき、ペルテノーラの占領が始まったとき、それぞれは思った。「罰が当たった。次は自分たちが報いを受ける番だ」と。
連も無力な自分を恥じている。特権階級の責任は重い。まともな人間であればあるほど、当時の自分を呪うだろう。
(ペンフォールドは今も変わらず、命を絶った子供たちを弔っている)
サタリー家が寝静まるなか、家の一角に隠れるようにある墓の前で一人、無言で手を合わせる。盗み見た連は、何も終わってなどいないことを知った。ペンフォールドはずっと、おそらく一生向き合い続ける。連は、苦しみから目を逸らさない兄を尊敬している。
新王のライドフェーズは良くも悪くも、王らしくない人物らしい。これまでのシキビルドとは正反対の政策ばかり。やることは突拍子もなく、関わると手間暇かかる面倒なことをやらされるが、成果はいつも予想以上だ。「前より自由になった。結果を出せば認めてくれる、いい国になった」上手くいっている人間はそう言う。
そういう人間に『楽屋』は無用だ。自分に負けて苦しむ、そんなどうしようもない奴の受け皿であり続けることが、この店の使命だと思っている。
連は思案しながら、目を細め白髭を撫でる。憂鬱そうに外を見た。
(夜には降ってくるな)
外の湿気た空気が楽屋にも入り込んでいる。
今日は青が店に戻ってくる。学校から戻った当日の夜から歌いたいなんて、本当に熱心な歌い手だ。連はにんまりと口を緩ます。
(満たされないんだろうよ。ユーリグゼナのままでは)
彼女はいつも、闇の中から世界を見ている。ユーリグゼナとして、王女として明るい世界にいても、今歌いたいのは、どす黒い歌だ。そんな心の闇を歌に叩き込み、歌い続ける彼女を連は愛している。
彼女の歌は、負け犬たちの心を癒し続ける。じわじわと熱を帯びながら、シキビルドの平民の間で流行り始めていた。
国が安定し良くなりつつあった治安は、最近少し悪くなっている。
『よう。じじい』
アナトーリーが累としてやってきた。青の護衛のため来てもらうことになっていた。青の歌を好む客は大人しいが、不気味なほど心酔していて少し危うい。連はふんと鼻を鳴らす。
『なんだ。俺に会いたくて早く来たのか』
『……まあ。そうかな』
予想以上に素直な返事に連は、拍子抜けした顔で彼をむかい入れる。
『ただの噂……じゃないんだな』
『……ああ』
久しぶりに楽屋にきた累は寂しそうに笑った。連はつくづくついていない彼の身の上にため息をつく。
布を頭から被った青が、ふらっと舞台に現れる。どっと声援が沸く。青は一瞬固まったあと、小さくぺこっと頭を下げる。すると、また客から声が上がる。青は強ばった顔のまま、舞台に置きっぱなしだった楽器を手に取ると、すごすごと舞台から下りて行った。
(驚いてたな……)
連は彼女を心配しながらも、苦笑いする。これまでとは声援の熱と数が違う。店の売り上げとしては有難いことだが、肝心の青は注目されるのが苦手だ。そんな慣れない青を、仕草が可愛い、と愛おしみあまり刺激しないよう見守ってきた古い馴染みは、現状を喜ばない。新しい客を敵視している。
予定時間より前に、青と他の演者は舞台に上がり、前奏を始める。歌い手の青が被った布から、銀髪と青い目が覗く。連から見ても、美しさは凄みを増していた。客たちは固唾を飲んで見守る。青は演奏に添うように歌い出す。懈怠感の漂う低い声が、静かな店内を暗く染めていく。
押し付けられた休暇
何もできない 敗人の俺たち
尽した先がこんな世界と 誰が知る
もう 飛ばなくていいよな
むしけら ぼんくら くらくらり
暗すぎて お蔵入り
青は無表情のまま歌い続ける。足だけは音もなく、拍を刻んでいた。静かに見えて激しい動きに、頭に被った布は外れかけている。覗いた耳に、赤い耳飾りが光った。客たちの意識は間奏に集中する。
ダダダン ダン
青の足踏みが、客たちの足と揃う。お約束の拍に、店全体が不思議な一体感に包まれる。青は僅かに熱を帯びた声で歌い続けた。
近づく足音 おしまいが終わる
赤月を 待ちわびて
焼けつく叫びは 闇へ溶かせ
今は 氷で爪を砥く
累が息を詰めて見ていた。
(この曲は初めてだったんだな)
連は目をつむり、酒と演奏の余韻を味わう。青は不思議と、累とスリンケットの前では退廃的な歌を避けていた。
(累がいても、今日は歌わずにはいられない。か)
何があったかは知らないが、ユーリグゼナに何か割り切れない出来事があったことだけは感じた。
演奏を終えた青は、熱狂的な拍手と声援を受け、完全に硬直した。他の演者たちは、仕方なさそうに青を引っ張り舞台裏へ戻って行く。
『今回の変声魔術機械は、かなり精度が高いな』
『ああ。スリンケットが改良というか、完全に作り替えた。見事だな』
累がぼんやりと舞台の方を見ながら、頬杖をついたまま答える。連はハタリと考え込む。血の近い家族ならともかく、他人がそういうのやっていいんだっけか? 連は頭の整理が追いつかない。累はぼうっとした顔のまま聞く。
『赤月って暁か』
『だろうな』
『不穏な歌だ。今の世の中を否定するような。特権階級に目を付けられないか?』
累の心配はもっともだった。連は頷く。
『今はまだ。でも気を付けてはいる。客たちがな、特権階級に広めないよう守ろうとしている感じがする。……それより、青の耳飾りが赤い月になってる。何かの合図だと思われるぞ』
『いや。あれが新しい変声魔術機械なんだ。そうだな。見えないように注意しておく』
ガシャーン ゴロゴロゴゴ
大きな雷鳴とともに雨が降り出した。閉店間近だが、土砂降りのなかに客を締め出すわけにもいかず、連は店員たちに合図し、営業時間を延ばす。とはいえ、いつまで延ばすかは問題だ。
土砂降りの中、客が一人入ってきた。店の扉が開き、雨の音が室内に響く。心持ち身をやつしたスリンケットが扉の前に立っていた。魔法で服を乾かそうとしているのを、累が慌てて止め、店員に乾いた布を頼む。連は小さく息を吐き、周りを見回す。
(スリンケットはどっから見ても、特権階級のぼんぼんだよなあ)
閉店時間にも関わらず、客がいることをようやく飲み込んだスリンケットを、累が借りた個室へ連れて行く。戻って連に同席するときには、スリンケットは平民に見える服へ着替えていた。
「ご迷惑をおかけしてすみません」
未だに現地語が覚えられず、小さな声で謝った。
「いや。閉店後に来いと言ったのはあいつだろう?」
累は共通語で囁き、青に視線を向ける。連は頭をぼりぼりと掻いた。彼女はスリンケットの卒業祝いに歌を送りたい、と連に伝えていた。終わってからならいいぞ、と返事をしておいたが今夜は客を追い返すのが難しくなっている。
(読み違ったな……)
それは閉店時間のことだけではない。スリンケットを累に紹介したのは、結果的には失敗だったと思い始めている。
スリンケットは父親譲りの真面目で誠実な性格だ。
自分が特権階級の人間であるという意識が高い。普通なら利点でも、パートンハド家の者としては絶対に不可だ。人も魔獣も魔樹も同じように思える人間でなければ、務まらない。
楽屋の店員たちも彼をよく思っていなかった。累を慕い、青をとても可愛がっている奴らなので、特権階級の彼と仲が良いことを、裏切られたように感じている。
(アナトーリーが、噂通りパートンハド家を出ることになれば……)
アナトーリーがいたから、スリンケットは力を発揮できた。累がいるから、店員たちは表立ってスリンケットを批判しない。先を思い、連は頭が重くなる。
『歌を贈るのは、どうなんだ? いろいろな意味で』
スリンケットに分からないように、あえて現地語で伝える。彼女の婚約者はアルフレッドだ。それを差し置いてスリンケットに贈るのは……。青として歌えば、他の客の妬みを……。たくさんの思いを込めた連の言葉に、累はぽけっとした顔で答えた。
『祝いには、いいんじゃないか? 知らせずに呼んでるから、多分驚くぞ』
累は、自分も嬉しかったことを、にこにこしながら語り出す。何も分かっちゃいないのだ。この似た物同士の叔父と姪は。最初は警戒心が強すぎるくらいなのに、一度信用すると途端に何も疑問を持たなくなる。
(ベルンがいたらな……)
思わず愚痴がこぼれそうになる。彼は人の心を溶かす笑顔を浮かべながらも、非常に冷静な目を持っていた。今、お気楽な二人を守れる人間は、ヘレントールだけだ。でも彼女も基本は家の中。
スリンケットに気づいた青が、表情を緩ませる。それがとても可愛いらしく、気づいた贔屓の客がざわつく。
(ああ。馬鹿)
連は頭を抱える。負けた者は、自分を救ってくれる人間を恩人のように大事に思っている。それを奪われると激しく牙をむく。恩人ごと喰いつくすほどに激しく。
雨は明け方まで止むことがなかった。連の心配は虚しく、客の前で青がスリンケットのために心を込めて歌うことは止められなかった……。
次回「弱者」は7月21日18時に掲載予定です。
サタリー家の墓は第一章25話で孫のアルフレッドが触れています。スリンケットへの歌は機会あったら。次回は御館からの呼び出しです。




