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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第2部

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16.賄賂

「アルクセウス様は、とても四十歳過ぎているようには見えませんね」


 ユーリグゼナは、ほうとため息をつきながら言った。アルクセウスは手元の本から目線を移動する。


其方(そなた)は……」


 優雅な仕草で顔を傾け彼女を見る。その眉間に微かにしわが寄る。


「どうしてそうも集中力がないのだ」


 声にこもる小さな苛立ちに気づき、彼女は首をすくめ課題に戻る。彼女の為政者の授業は遅れに遅れている。その補習のために、アルクセウスは時間を割いていた。にもかかわらず、ユーリグゼナの意識は限りなく低い。


(『為政者が物事の本質を見抜くために必要なものを述べよ』?! ……述べたくないよ。全然)


 ピクリとも触手が動かない。どこから取り組めばいいのか。考えようとする気力すら削がれていく。鬱々(うつうつ)とした表情で机に向かう彼女を見て、アルクセウスはパタリと本を閉じた。


其方(そなた)の言ったことから、読み解いていこう。なぜ(わし)が四十過ぎていると思った」

「カミルシェーン様たちの授業を担当していた、と伺ったからです。成人と同時に結婚、アクロビス誕生とすれば、カミルシェーン様は現在三十三歳。入学時にアルクセウス様が成人だったことを考えれば、最低でも四十歳!」


 課題を考えるより、いくらかマシな顔で彼女は答えた。彼は僅かに緑がかった黒い目を細めた。


「では、(わし)の見た目はいくつだ。もし見た目通りだったとして、いくつから教鞭を取っていることになる」

「カミルシェーン様と同じくらいに見えます。でもそうすると十歳ちょっとで教授になったことになりますよ?!」


 彼女は口を尖らす。アルクセウスは軽く目を閉じる。


「正解は七歳だ。教授の勤めを始めた年に、カミルシェーンとライドフェーズが入学した」


 ユーリグゼナは目を丸くした。そして計算をやり直した。いうことは現在二十九歳?! 老けて見える、と思ったことは口に出さない。彼は薄目をして頬杖をついた。


「真実が予想と違うことは、よくあることだ。その時は立ち返り、現実から問い直す。そこから出た答えは、たとえ飲み込みにくいことだったとしても、真実であることが多い」

「……もしかして、課題に繋がります?」

「回答しやすくなれば良い、と少し思っている」

「ありがとうございます。面白かったです。書いてみます」


 彼女は課題に戻る。黒曜石のような目に光が戻り、手を動かし始める。アルクセウスは頬杖を外し、また本を開く。





 どうにか今日の補習を終えた。ユーリグゼナはぐったりして机にうつぶせになる。アルクセウスは席を立たず、懐から小さな布の袋を出す。彼女はガバッと起き上がり、姿勢を正した。


(授業終わりじゃなかった?!)


 彼はユーリグゼナを見て、眉をひそめた。


「厄介そうなものを、身につけているな」


 彼の目線は彼女の耳に向いている。そこには、先日スリンケットに作ってもらった変声魔術機械が光っている。


「人体に魔法を帯びたものを使うのは、好ましくない。予想と違う問題が起こることが多いから、学生は大概失敗する。その作成者もさぞ悔いているだろう」

「失敗してます?」

「いや。そのもの自体は見事な加工だ。陣も良く練られている」


 ユーリグゼナは頭を悩ませる。褒めているように思える。なのに、厄介そう? 彼の言うことがよく分からなかった。アルクセウスは小さく微笑む。


「作った者にしか分からぬだろうよ。シキビルドの学生は、どうして魔法陣で何でも解決しようとするのか。ルリアンナといい」


 彼女はその名前に、胸の鼓動が早くなる。アルクセウスは端正な顔立ちを、ユーリグゼナの方へ向けた。


「ルリアンナは魔法陣の実験をして、学校を壊していた」


 思わず吹き出しそうになり、彼女は口元を慌てて押えた。彼はゆっくり語る。


「他の学生と違う点は、壊したところを元に戻すところだ。そして戻せば特に問題はないと思っていた。綺麗だが表情の無い顔で、素知らぬふりをした。実際、当時の学校長は全く気付かなかった。(わし)が戻しきれていない修繕個所を指摘すると、抑揚のない声で『大変申し訳ございませんでした……』と言ったものだ」


 ユーリグゼナはもどかしい気持ちで、必死に訴える。


「それ、本気で反省しているんです。どうか誤解しないでください」

「ああ。分かっている。反省していなければ、学校の破壊など許すわけがなかろう。だが失敗しなければ魔法陣の実験をしていいと思ったらしい。破壊は無くなったが、ずっと実験は続けていたな」


 ユーリグゼナは話を聞いているうちに、頬が引きつってきた。思った以上にルリアンナは、学校で自分らしく生きていたらしい。


(魔法陣の実験に夢中? なんだかライドフェーズ様みたい)


 魔法陣の実験の集大成が、朱雀の間にあった鎖解除なのだろうか。精巧で生き物のような美しい陣を思い出す。

 アルクセウスは手にしていた小さな布の袋を、音もなく机の上に置いた。


「人体に魔法陣を使うのは好きではないが、今回は作った」


 見ただけでは、ただの紺色の巾着に見える。彼女はおずおずと袋を手にした。小さい上に軽い。中身を見ようとすると、彼に手で遮られる。


「開けないまま、身につけておくように。身の危険を感じた時に握りしめれば、助けになろう」

「何が起こるのですか?」

「…………儂のところに飛ぶことが出来る」


 アルクセウスの言葉に、間があった。ユーリグゼナは何となく感じる。


「もしかして、嘘ですか?」


 彼は小さく笑い、優美に頭を揺らす。


「なんだ。其方も分かるようになったか」

「どうして嘘をつくんですか」

「必要な時には、躊躇なく使って欲しいからだ。学校のある聖城区を離れれば使えなくなる。転移される前に起動させよ」


 ユーリグゼナはギョッとして彼を見た。彼女がさらわれようとしていると、知っている?! だとしても学校長が、いや調停者が一学生にここまで関わってくるものなのか。アルクセウスは彼女に見つめる。彼の真っ直ぐな銀髪がさらりと揺れた。


「学生の命を守るのは学校長の務めだ。それが非常に困難なことであっても、一人の犠牲も出さずに卒業させるため力を尽くす。とはいえ。其方には……少々特別扱いをしている」


 目を丸くするユーリグゼナを見て、彼はおかしそうに口元を緩ませた。


賄賂(わいろ)をもらっているからな」







 アルクセウスは目を伏せ、静かに語る。小声でも彼の声はよく響いた。ユーリグゼナは常々、祖父ノエラントールに似てるなと思っている。


「ルリアンナとは卒業後、一度も会うことはなかった。卒業の十年後、彼女が書いた其方(そなた)の入学願いを目にした」


 入学願いは養育者が作成する。実は入学資格に決まりはない。学校長が受理するかどうか、それだけだ。だが各国で学生の基準を設けているうえ、平民は共通語で文書を作成できない。事実上、特権階級と上流階級の子女のみが行く学校になっている。

 各国の代表は、養育者から入学願いを預かり、学校に提出する。だがパートンハド家と敵対していた前シキビルド王は、ユーリグゼナの入学願いを受け取らなかった。


「其方の父は来校し、提出するための面会を願い出た。しかし当時の学校長は、平民出身の彼を拒絶した」

「……どうやって、提出できたのですか」


 彼女は息を詰めて聞く。彼はふっと優雅な笑みを浮かべた。


「其方なら、分かるのではないか」

「音楽ですか?」

「そうだ。『挨拶代わりに曲を贈ります』と言って演奏を始めた」


 ユーリグゼナは、予想通りの彼の行動に、身体の力が抜ける。

 ベルンは問題が起こると、いつも楽器を手に演奏を始めてしまう男だった。ルリアンナも彼に従い合奏を始める。アナトーリーは「変だから! おかしいって気づいて、姉上(ルリアンナ)!!」と毎回訴えるが、結局は折れて彼も加わる。祖父ノエラントールは、小さいユーリグゼナを膝の上に抱き上げた。楽しそうに演奏を聞く。


 アルクセウスは、ゆったりとした口調で続ける。


「学生がいない時期だったから、教授たちは面白がって集まった。羽目を外すものが多く、学校長は(わし)に『事態を収めて来い』と命じ、儂が受け取ったのだ」

「入学願いには何と書かれていたのですか?」


 彼女はドキドキしながら聞く。


「優れた身体能力と、強すぎる能力(ちから)。それに相反するように不安定な精神と不器用過ぎる人付き合い。彼女らしい厳しい視点で書かれ、要点を得た入学願いだった。が、なぜか娘への風変わりな擁護も書かれていて、笑った。あのルリアンナがな、と意外だった。が……問題は裏書きだ」

「裏書き?」


 彼女は首を傾げる。アルクセウスは足を組み、楽しそうに、そして悪そうに微笑む。


「学校長の悪行の証拠固めについて、詳細が書かれていた。後になって、それ通りに動いたら面白いように証拠を握ることができた。見事だったぞ」

「もしかして、前学校長の処刑に繋がりますか」

「そうだ。ほとんどルリアンナの功績だ。前学校長を押さえられなければ、今の儂はない。情報という名のとても高価な賄賂だった。凄まじいやり方だ。娘を頼むと、命を懸けで儂に願った」

「え?」


 物騒な表現に、思わず聞き返した。彼の目は静けさを(たた)えたままだ。


「当時の学校は、学校長兼調停者による圧政下にあった。反発するものは学生も教授も闇に葬られる。其方の父母がやった事は無謀だ。……この裏書きを見られたら、誰が書いたか知られたら、即刻殺されていただろうよ」


 彼女は青ざめる。現在の学校からは想像もできない。ベルンは何の能力も無く、武器の扱い方も知らない。平民出身の人間は、人扱いされない。よく殺されずにアルクセウスの前までたどり着けたな、と思う。


「其方の父が無力な人間だったから、たどり着けた。怯えた様子で何も言わない彼を、皆で臆病者と(あざけ)り、思うままに殴った。動けなくなるまで」


 ユーリグゼナの顔は蒼白になり、手は震えた。怒りと悲しみでいっぱいになる。


「アルクセウス様も、ですか?」


 彼は表情を変えずに答えた。


「いや。……だが同じことだな。儂はベルナンドルを助けるつもりなど、なかった。この世界でどれだけ残忍なことが行われているか知っていて、見て見ぬふりをしてきた」


 アルクセウスは蔑むような顔つきで(くう)を睨む。

 ベルナンドルは、父ベルンが母ルリアンナと結婚するために得た特権階級の名前だ。他の人が呼ぶのを、ユーリグゼナは初めて耳にした。


「暴力に飽きた側近たちが出ていくと、ベルナンドルは殴られたことが嘘のように立ち上がり、丁寧に礼を執った。『ようやく、お話しできます』と嬉しそうに。儂を学校長と間違えたのかと思った。『いいえ。あなたです。娘が入学するとき学校長なのはアルクセウス様ですから』と、鮮やかに笑った」


 ユーリグゼナは首を傾げてアルクセウスを見上げる。彼は声を落とし、低く響く声で言う。


「分からぬか。……ベルナンドルは現職を蹴り落とせ、と発破をかけたのだ。儂が学校長、いや調停者として成り代わり、娘を守ってくれと。儂自身すら見限っていたアルクセウス=ゼトランズを信じ、命がけでここにやって来たのだ」


 アルクセウスの声に熱い響きがこもっている。ユーリグゼナは不思議な気持ちで彼を見つめた。導かれたように聞く。


「アルクセウス様は父に応えたのですね」

「そうだ」


 彼の顔が微かに色づく。

 

「これほど儂自身を望まれたのは初めてだった」


 アレクセウスは真っ直ぐに、何かを見ていた。


 



次回「来訪者」は7月8日18時掲載予定です。


ユーリグゼナの計算。こんなこと考えてました。

【妄想式】18歳で成人だから……

アルクセウス18歳で教授-カミルシェーン入学年齢11歳+息子アクロビス現在15歳+カミルシェーン結婚18歳=現在のアルクセウス40歳

【確め算】7歳で教授 

アルクセウス7歳で教授-カミルシェーン入学年齢11歳+息子アクロビス現在15歳+カミルシェーン結婚18歳=現在のアルクセウス29歳

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