11.才能
ユーリグゼナは、倒れた翌日の授業を休んだ。そしてその翌日からは、勉強と楽器の練習の毎日へ戻っていく。休んでいたときの授業内容は、アルフレッドから教わる。
「アルフ。かなり勉強してるんだね」
一昨年までの彼と、習得度がまるで違っていた。
「サタリー家を出る条件なの?」
ユーリグゼナの言葉に、アルフレッドは顔を上げた。彼の深緑の目が、躊躇いがちに揺れる。
「そうだ。なんで分かった……」
「何となく。……私との婚約のせいだね。パートンハド家に入らなくてはならなくなったから。大変な思いさせてごめん」
「違うだろう。俺が望んだことだと、何度言ったら……」
そう言いながら息をつき、ゆっくりと彼女の方に向き直った。
「ユーリ。パートンハド家に入れることは、この上ない名誉な事だ。これほど古く神秘的な家は他にない」
「そう、なの?」
彼女の口がポカンと開く。初耳だった。家族の誰からも聞いたことがない。アルフレッドは大きく呟く。
「アナトーリーは、学生の間は自由でいいって、まだ何も聞かせてくれない。俺に教えたのは、じいちゃ……ペンフォールドだ。パートンハド家はこの世界で最も古い一族で、強い能力と優れた知力を持つ。にも関わらず、決して王位を望まない異色の家だそうだ。────でも俺が一番心惹かれたのは、音楽」
そう言う彼の表情が急に柔らかくなった。ユーリグゼナは問う。
「音楽?」
「ああ。パートンハド家は例外なく全員、音楽の才能がある。フィンドルフはいいな。あの年であれだけ弾けるなんて。同級生にいたら、嫉妬しそうだ」
「そう! フィンは凄いの。練習は欠かさないし、音が聴けるから合奏すると────」
ユーリグゼナはフィンドルフの素晴らしさについて語りたかったが、アルフレッドが言おうとしたのは別のことだ。
「パートンハド家は戦闘能力がずば抜けて高い。だからずっと勘違いしてた。どうして音楽が大事なんだ?」
音楽は特権階級では教養の一つで嗜むもの。一般的にはそこそこ身につけていればよく、のめり込む者は変わり者のレッテルを貼られる。ユーリグゼナは黒曜石のような目を煌めかせた。
「すべて、森が基準なの。森に入るのに絶対に必要なものは音楽。魔獣や魔樹と仲良くなるために一番有効だから。身体を鍛えるのは、失敗したとき無事に逃げ帰るため」
「なるほど。全部、森のためか」
「そうなの!」
彼女は弾けるように笑った。嬉しくて堪らない。自分たちが大事にしてきたことを、他の人に理解してもらえたのは初めてだった。アルフレッドは眩しそうに彼女を見て、目を伏せる。
「両親はサタリー家を出ることに反対した。能力無しが家を出てやっていけるか、本気で心配してた。ペンフォールドが『一人でやっていけるよう、力をつけさせて送り出すのが親の務めだ』って説得してくれて、両親は折れたんだ。能力は増えないけど、知識はいくらでも増やせるって学校の成績を条件にした。どう? ユーリのせいじゃないだろう」
彼がじっと見て言うので、ユーリグゼナは恥ずかしそうに頷いた。
「うん。もう言わないよ」
アルフレッドは静かな面持ちで続ける。彼のさらっとした見事な金髪が揺れた。
「ずっと、家柄ばかり良くて、何も持たない自分が嫌で、拗ねて生きてきた。そんな俺にアナトーリーは言ってくれたんだ。『音楽の才能がある人間がパートンハド家に入ってくれるのは、本当にありがたいんだ』って。嬉しかった」
ユーリグゼナは目を瞬かせた。
「凄いね。アナトーリーは音楽に関しては、あんまり人を褒めないんだよ」
「そうなのか?!」
彼はハッとしたように彼女を見る。
「────ずっと、アナトーリーが苦手だった。才能溢れる彼が羨ましくて、いつも悔しかった。演奏技術も編曲のセンスも、彼ほどの人間はいない。そんな人に必要とされて、俺は本当に、嬉しいよ……」
アルフレッドの深緑の目がゆっくり閉じられる。彼の穏やかな顔を見て、ユーリグゼナは幸せに思った。
(こんなふうに、一緒にいるのは嬉しいんだけどな)
彼が音楽を奏でる時に、側にいたい。その気持ちは本当。
「私さ。アルフは分かってると思うけど、パートンハド家の者としては才能が無いんだ」
彼女の言葉を聞いて、アルフレッドは片眉だけ下げる。何とも奇妙な顔だ。
「それ、本気で言ってるのか?」
「楽器弾くの、下手だよね。私。……アルフもフィンも、ナータトミカも本当に上手いから羨ましい」
沈んだ表情の彼女から、彼は少し目線を逸らす。
「……まあ、な。でもユーリは練習してないからだろう? それにあの独創的な曲は? あんなの誰も書けないぞ」
「私が作曲したことになってる曲は全部、異世界の他の人が作ったものだよ。私は、父の集めた楽譜を書き直しているだけ」
ユーリグゼナの言葉に、彼は表情が全く動かなくなった。彼女を首を傾げる。
「アルフ?」
彼女は固まったまま動かない彼の肩を揺すってみる。
「ねえ、大丈夫?」
アルフレッドはハッとして、彼女から離れた。
「急に近づくな。……混乱する」
「知らなかった? ライドフェーズ様が『あんな音楽、聞けば異世界のものだってすぐ分かる』って言ってたから、みんな何となく分かってるのかと……」
「ユーリ。みんな分かってないし、異世界の存在自体、一般的には認識されてない。他で言うなよ。誰かに話したか?」
急に緊迫した表情になった彼に、ユーリグゼナも固い顔で首を振る。
「誰にも。でもパートンハド家では普通の会話だよ? フィンも気軽に話してるんじゃないかな」
「フィンドルフは言わないだろう。世間のことをよく分かってる。一番危ないのがユーリだ」
アルフレッドは大きく息をついた。眉をひそめる彼を見て、彼女は身を縮ませる。
「王は異世界のものだと分かっていて、謝神祭の曲を指示したということか? 今回の選曲は王とアナトーリーだろう」
「そう。もちろん分かってる。その時、カミルシェーン様の名前が出ていたような気が……」
ユーリグゼナの言葉に、彼は眉間のしわを深くした。
「……なんか政絡みっぽいぞ」
「海の荒々しい曲はウーメンハン、情緒的な曲はカンザルトル狙いだったかも。スリンケットのことがあるまで、考えもしなかったけど」
「そうなんですか? スリンケット」
不意に、アルフレッドは隣の控室の扉に声をかける。すると少し間をおいて、スリンケットが不満げに顔を出した。
「ユーリグゼナはしゃべり過ぎ。日頃は全然話せないくせに」
「スリンケット様は秘密にし過ぎです」
彼の後ろからテラントリーのツンとした声が聞こえる。彼女は扉から部屋に入ると、ユーリグゼナの側でゆったりと礼をする。ユーリグゼナは顔を緩ませた。
「今日の授業は終わったの?」
「はい」
「選曲の時、給仕してくれてたでしょう。どう見えた? 二人には言ってもらって構わないよ」
ユーリグゼナは曲を選ぶのが楽しすぎて、全く状況を見ていなかった。その場にはセルディーナとアーリンレプトもいて、テルとテラントリーが側人としてお茶を用意していた。本来は秘すべき内容を、彼女は慎重に話す。
「選曲は、ペルテノーラ王の意向をそのまま汲んだように、お見受けしました。王は大国二国に対し何か考えがおありのようでした……」
テラントリーは不安そうに言葉を結ぶ。全員が浮かない顔で黙り込んだ。ユーリグゼナには、王たちがどんな思索で動いているのか、全く読めない。ただ、音楽が利用されることに、気持ちの悪さが残った。
四人はサギリが用意した香りのよいお茶を飲んだ後、勉強を終え解散する。ユーリグゼナは、客室と控室の間の扉からスリンケットとテラントリーを見送ったあと、片づけ途中で椅子に座ったままのアルフレッドに向き直る。
「さっき途中だった。私に才能がない話なんだけど……」
「ああ。途中から謝神祭の選曲の話に変えてしまって、悪かった」
彼はそう言いながら手を止める。ユーリグゼナは目線を落とす。彼は問うように首を傾ける。
「どうした?」
「私、アルフと一緒に楽器を弾くのがとても楽しい。私が下手でも才能がなくても、アルフの隣で演奏していいかな。これからも」
最後には声が小さくなる。アルフレッドは机の上で、自らの手をぎゅっと握りしめる。
「当たり前だろう。それに才能なら、ある」
彼の言葉に、ユーリグゼナはゆっくりと顔を上げた。アルフレッドは深緑の目で、彼女を見つめる。
「ユーリが願う音楽は、なぜか人を惹きつける。バラバラだった人たちも、なぜか一緒になってユーリの音楽を実現させようとするんだ。そうやって、最高の音楽が出来上がるのを、俺は何度も見た。そんなこと出来る奴、ユーリしかいない」
彼は静かに、でも凛とした面持ちで彼女に伝えてくる。ユーリグゼナは痺れるように彼の言葉を聞いていた。追い詰められたとき、いつも彼の魔法の言葉に助けられてきた。いて欲しい。側に。婚約を解消した先もずっと。
「私にその才能があったとしても、アルフが周りを取り持ってくれないと無理だよ。……側にいたい。結婚できなくても。私、アルフに側にいて欲しい」
アルフレッドはいきなりバンっと音を立てて、自分の頭を机に打ち付けた。彼女はポカンとする。
(たまに、貴公子らしい見た目にそぐわないことするよね……)
アルフレッドは何も言わず、じっと机に顔を伏せている。彼女の心は次第に閉じていく。
「結婚しないのに側にいたいだなんて、ずるいよね。身勝手だね」
ユーリグゼナは泣きそうに顔を歪ませた。アルフレッドは机に片頬を押し付け、彼女を見つめる。
「どうしてそうなる。いたらいいだろう。側に」
彼は机の上に視線を落とす。
「……約束違反だ。卒業前に結婚できないとか言うな」
アルフレッドは真剣な表情のまま、深く息をついて、顔を上げた。額と片頬が赤くなっていた。そして、鞄に本や筆記具やらを乱暴に突っ込みながら言う。
「俺は側にいたいから、ユーリと結婚したい。どうしてユーリは、俺の側にいたいけど、結婚はできないって言うんだ……?」
彼女に聞いているというより、自分自身に言っているようだった。そして、すこし苛ついているようにも見えて、ユーリグゼナは怖くなる。
「アルフ……。怒ってる?」
アルフレッドは立ち上がると、何も言わずに客室出て、バタンと扉を閉めてしまった。ユーリグゼナは硬直する。扉の前で立ち尽くしているとアルフレッドの声がした。
「ユーリ。聞いてる?」
彼女の硬直は一気に解ける。急いで言った。
「聞いてる!」
「俺もユーリと一緒で、側にいたい。二人とも同じことを言っているようなのに、なんでこんなに違うのか分からないんだ」
ユーリグゼナは、彼の言葉をよく聞こうと控室の扉に近づく。
「俺はユーリに触れたい。けど、ユーリは嫌なんだろう?」
彼の声に彼女の足は止まる。彼女の肩が小さく震える。その時、扉がキイっと小さく軋んだ。アルフレッドが扉に手をついたのが、彼女には分かった。
「それでも……一緒に演奏している時だけは、同じ気持ちなんだと思ってる。俺は真剣に音楽をやっていくよ。ユーリと一緒に。ずっと。そうしていいよな?」
彼の声が、扉のすぐ近くで聞こえた。ユーリグゼナは扉に手をついた。
「うん。アルフと一緒に音楽をやっていく。私の命の続く限り……」
トンと反対側から扉が鳴った。彼女も応えるようにトンと軽く叩く。しばらくアルフレッドの気配が、そこから動かなかった。気配が消えるまでずっと、ユーリグゼナは扉から離れなかった。
次回「誘い出す」は6月21日18時に掲載予定です。




