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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第2部

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62/198

10.音を震わす

 二回目の合同練習は、授業の無い日に設定された。長時間に及ぶ予定だ。ユーリグゼナは前日までに必死で授業の課題を終え、この日を空けた。練習はずっと夜間にしていた。王女特権で、防音機能付きの特別室を使用する。


「ユーリ。大丈夫なのか?」


 従兄弟の二学年フィンドルフが不安そうな顔で、彼女の顔を覗き込む。ユーリグゼナは胸を張った。


「大丈夫。練習してきた。今日はよろしく」

「いや。そうじゃなくて……」


 フィンドルフの紺色の目が揺れる。しかし早々に始められた練習で、二人の話は中断された。


 今日の音合わせは無事に進み、一度休憩を挟む。その間に各国の代表が集まり、改善点を話す。今回は作曲者の話も聞きたいという理由で、ユーリグゼナが呼ばれた。アルフレッドはため息混じりで囁く。


「俺の仕切りへの不満が溜まってるんだ。要求を通すために、王女のユーリを巻き込もうとしている。ごめん」

「全然。任せっきりでごめん。役に立てるの嬉しいよ」


 ユーリグゼナは穏やかな気持ちで言う。いつだってアルフレッドの一番の味方でいたい気持ちは、変わっていない。

 彼女は、スリンケットが脅されている事実をアルフレッドに相談した。彼を守りたい気持ちが、二人を前のような関係に近づける。彼は不用意に彼女に触れなくなった。ユーリグゼナは彼の側で、気兼ねなく過ごせるようになっていた。

 





 ウーメンハン代表は黒髪で茶色の目をしている。椅子に座ると同時に不服そうに話し始めた。


「ペルテノーラとシキビルドのレベルが低すぎる。全体の音を乱してる。曲を短くしたのもそのせいだろう? 選抜人数もおかしい。学生数が十倍以上も多いウーメンハンが、なんで同数なんだ。レベルが違うのも当然だ」


 それを聞いて、ナータトミカがゆっくりと立ち上がる。元からの怖い顔で、のっそり話す。


「ウーメンハンは、アルフレッドの指揮に合わせないからな。どっちに合わせるのが正解か、教えてくれたら改善できる」

「なんだ? レベルが低いのと関係ない話だよな」


 ウーメンハン代表は、ナータトミカに喰ってかかる。が、ナータトミカの方がはるかに体がでかい。子供が大人に飛びかかっているように見えた。

 カンザルトル代表は濃い橙色の綺麗な髪を手で梳きながら、つまらなそうに黄緑色の目を細めた。


「なーんか。ウーメンハンの演奏って嫌な感じよね。粋がっちゃって下品。海の曲ではあなたたち、見せ場多いんだから、他ではもう少し他を立ててくれない?」


 そう言いながら、そっとユーリグゼナに近づき手を取った。にっこり笑いかける。


「ねえ。ペルテノーラとシキビルドばかりに貴重な楽器が割り当てられるの、おかしいと思いません?」


 ユーリグゼナは、美人に迫られるのはやぶさかではない。でも何が彼女の望みか分からず、小さく首を傾げる。


「打楽器とか笛にご興味があるのでしょうか?」

「違うわ。そうじゃなくて。鍵盤楽器(ピエッタ)を編成してもいいと思うの」


 二年前の閉校式に、カンザルトルの学生が鍵盤楽器(ピエッタ)を演奏したと聞いている。彼女が弾いたのかも知れない。


鍵盤楽器(ピエッタ)が入れば、表現が広がります。素敵だと思います」


 ユーリグゼナの台詞(セリフ)に、男性陣全員がギョッとした。


「おい! 待て」

「これから変更はちょっと……」


 言い合いをしていたウーメンハン代表とナータトミカが、慌てたように話に入ってくる。二人の勢いに彼女は戸惑う。アルフレッドが静かに促した。


「ユーリ。ちゃんと最後まで説明して」


 彼女はこくんと首を動かす。


「今日の全体を通した仕上がりを聞いて、私は心が震えました。鍵盤楽器(ピエッタ)を加えた演奏に変えても、これには劣ると思います。それに時間の問題もあります……」


 流し目でアルフレッドを見ると、彼が深く頷いた。それに力を得て、彼女は姿勢を正す。


「もう一曲練習したいと思っています」


 彼女の言葉に、ウーメンハンとカンザルトルの代表が眉をひそめる。


「……演奏が終わった後、まだ聞きたいと余韻に浸り、帰らない人がいると思うのです。その時に弾ける曲を練習しませんか」

「そんな用意いるか?」


 ウーメンハン代表が皮肉気に笑う。ユーリグゼナは穏やかに微笑みを返す。


「誰も待たないと」

「ああ」

「それだけの演奏ができないということですか?」

「……」


 彼は彼女を睨んだ。ユーリグゼナは笑って受け流す。


「ナヤンは、予定にない贈り物って、嬉しくありませんか?」

「それは、嬉しい」

「心に残りませんか?」

「……残るだろうな。でも良いものだったらだ。つまんないのだったら、いらない」


 ユーリグゼナは嬉しそうに頬を緩めた。ナヤンは不服そうに、ちゃんとしたのだったらの話だからな、とグチグチ言う。


「終わった後なんて、みんな席についていないと思いますわ。ちゃんと聞いてくれないところで、弾くのは嫌よ」


 カンザルトル代表は腕を組み、口を歪ませている。ユーリグゼナは彼女を見つめた。


「心惹かれる演奏だったら、人は足を止めます。足を止めてまで聞いた曲は、きっと忘れません」


 彼女は黄緑色の目を細め、厳しい表情になる。


「言いますわね。あなたならやれるというの?」

「リナーサならやれる、と思っています。このあと試しに演奏します。私が成功したら、再登場(アンコール)用の主旋律を担当してくれますか? 鍵盤楽器(ピエッタ)を諦めて」


 リナーサは不敵な顔でユーリグゼナを見た。これまでの本音を隠した媚びへつらいをやめた。


「いいわ」


 ユーリグゼナはにっこり笑う。そして、練習終了時に試してみます。と言い、席を立った。





「……助かった」


 追い付いてきたアルフレッドがユーリグゼナに声をかけた。彼女は興奮気味に振り返る。


「役に立った?!」

「かなりな。王女対応、ありがとう」


 アルフレッドの気を抜いた笑顔に、ユーリグゼナも頬を緩める。彼は心配そうに彼女を見つめた。


再登場(アンコール)用の曲の模擬演奏は、確かに予定してたけど、終了後の予定じゃなかった。やれるのか?」

「もちろん。練習してきた」

「いや。そうじゃなくて……」


 休憩時間が終わり、アルフレッドが呼ばれる。彼はため息をつくと、ユーリグゼナをチラリと見て壇上に向かった。

 






 無事に練習が終了して、アルフレッドが解散の合図を出す。長時間の練習で疲れ切った学生たちは、さっさと椅子を片付け始める。帰る準備に忙しい。ガヤガヤと雑音が一向に止まない。


「こんなうるさい状態で弾くのか?」


 大型弦楽器(フレンジーニ)を手にしたナータトミカは、ユーリグゼナを不安げに見る。彼の橙色の目を見ながら、ユーリグゼナは悪戯(いたずら)っぽく笑う。そして、アルフレッドとフィンドルフを振り返る。二人はにやりと笑う。アルフレッドは、無茶はいつものことなんだ、とナータトミカを宥めた。

 彼女の濡羽色の髪を飾っていた深紅の花から、花びらが二枚落ち、ふわりと舞った。彼女は弦楽器を構え、弓を大きく引いた。



ティラリラリー ティ 

チェラチェラチ ティーリ



 ユーリグゼナは華やかな強い音を出す。さらに弦を押さえる指を揺らし、音を震わせる。

 一瞬で周囲は静かになった。さらに音を震わせながら、感情を揺さぶる旋律を強く激しく奏でる。彼女の髪がさらさら揺れている。どこからか風が入り込んでいた。

 ユーリグゼナの演奏は抒情的で、(リズム)が不安定だ。にも関わらず、ナータトミカは低音部の音をピタリと合わせる。アルフレッドとフィンドルフも、落ち着いた音を重ね、曲に深みを出していく。

 帰りの準備をしていた学生たちが、みんな手を止めていた。驚いた顔で突然始まった演奏に目も耳も奪われる。

 ユーリグゼナは主な旋律を、アルフレッドと交代で演奏していく。交代の瞬間、視線は絡み合う。二人は旋律を奪い合うように、激しく強弱を繰り返す。アルフレッドの金髪が汗で額に貼りつく。最後は全員で強く奏で、同時に弓をふり切った。




 演奏が終わると、拍手ではなくガヤガヤと大声が混じり合い、大騒ぎとなる。ユーリグゼナは呆然としながら息をととのえる。騒々しすぎる雑音の中、アルフレッドに尋ねた。


「これって失敗?」


 雑踏で互いの声が聞き取りにくい。二人は演奏した興奮のまま、距離を詰めた。アルフレッドは彼女に耳打ちする。


「いや。大成功。本当に驚かしたみたいだ」


 その時ようやく拍手が起こり始め、大きくなっていく。リナーサが眉間にしわを寄せ、ユーリグゼナに近づいてきた。彼女の目がきつく吊り上がった。


「こんな下品な演奏、無効ですわ。音をわざと震わせて感情に訴えるなんて! しかも何度も何度も。破廉恥よ」


 そう言って、赤い顔で口を尖らせて出て行ってしまった。上流階級では音楽は嗜むもの。感情を表現するものではない。彼女の反応は至極真っ当といえる。


(私、おかしいんだ。ここでも)


 ユーリグゼナの心は、暗い感情に覆われる。その時、アルフレッドが彼女の手をとった。学生が騒いでいる中心へと彼女を連れて行く。彼はユーリグゼナを振り返った。嬉しさを(こら)え切れないように口元を腕で押さえていた。


「みんな興奮が収まらない。ユーリを担ぎ上げてくれって」


(担ぎ上げるって、どういう……)


 ユーリグゼナは戸惑い、固まっていると、ナータトミカが何とも優しい顔で彼女に近づき、ヒョイと抱き上げた。高く空中に身体が浮き上がる。そして、そのままアルフレッドの右肩とフィンドルフの左肩に座らされた。下の二人は彼女の身体をしっかり支える。


(えっ!?)


 こんな風に担がれるのは初めてだ。二人の体温も汗のにおいも感じて、目が回りそうになる。彼女は慌ててバランスをとった。

 周りを見ると、たくさんの学生が彼女を笑顔で両手を鳴らしている。彼らの拍手と歓声と熱気が、彼女の顔を紅潮させる。認めてくれる人がいた。学校でも。ユーリグゼナは耳がキーンとするほど騒がしいなか、ぼんやりと嬉しさを噛みしめる。四人での演奏は本当に、とても楽しかった。特にアルフレッドとの協演は毎回面白くて堪らない。そう思いを巡らしている間に、何度かクラっと頭が揺れる。


「アルフ。フィン。下ろして。私……」


 一気に蒼白になる彼女の顔を見て、二人は顔を強ばらせた。ゆっくりと地面にしゃがみ、下ろしてくれる。でもその途中で、彼女の意識は遠のく。すぐ近くで鳥の羽音が聞こえた。








 ユーリグゼナが目覚めたのは、全然知らない場所だった。ギョッとして起き上がると、クラっと眩暈(めまい)がして、寝台にぼてっと倒れた。


「横になっておれ」


 涼やかな声が後方から響く。(かす)かに本が閉じられた気配がする。アルクセウスはここが休養室であることを告げた。


其方(そなた)は倒れたのだ。……主に寝不足で」


 ユーリグゼナは時間をかけて寝返りをうつ。彼がいる方に向き直った。暗がりの中、端正な顔立ちが見えた。ユーリグゼナの顔の横には、丸くうずくまる黒い鳥がいた。その鳥をアルクセウスはチラリと見て言う。


「一応、契約魔法の絡みも調べた。倒れた原因ではないが、これ以上無理が出来ない状況だ。……留年するしかあるまい」


 ユーリグゼナは唖然とした表情になる。


「……留年への流れが、全く分からないです」

其方(そなた)の実力と体調では、遅れた分を取り戻すのは不可能だということだ。今回の謝神祭(テレオンナーレ)の練習も寝不足の原因の一つであろう。巻き込んだのは、(わし)だ。十年くらいかけて、卒業することを許そう」


 アルクセウスの語る恐ろしい未来に、ユーリグゼナはガバッと起き上がり、再び眩暈に襲われ寝台に倒れ込む。青ざめた顔で言う。


「そんな長い間勉強したくありません。何とか終わらせます」

「本来これからの人生のため、深い知識と教養をきちんと身につけて、卒業することが望ましい。────だが強制はできぬ。駆け足で単位を取るというなら、最終学年までに全授業終えられるよう、ライドフェーズと相談しておこう。良いな?」


 良いなも何も、学校長が王と決定したことに彼女が口を挟めない。それにしても、とユーリグゼナは思った。


(調停者って暇ですか?)


 学生一人倒れたぐらいで、なんで様子見に来てるのかさっぱり分からなかった。


「今日、其方(そなた)らが演奏した曲を、神々がとても気に入ってな。とても助かった」


 アルクセウスは、花びらが舞うようにふわりと微笑む。


「友人と側人が心配していた。程なく迎えがこよう。…………夜の(たわむ)れは程々にしておくように」


 最後の彼の言葉に、ユーリグゼナは背筋が凍る。全身が硬直した。気づいた彼は、柔らかな物腰で頬杖をついた。


「何をしているのか、までは知らぬ。休む時間を確保するように。それだけだ」


 ユーリグゼナは布団に包まったまま、震えるように言った。


「……私はおかしいのです」


 声が(かす)れた。思わず出てしまった言葉に後悔し、ユーリグゼナは目をぎゅっとつむる。休養室の静かな空間のなか、アルクセウスはポツリとこぼした。


「母が恋しいのであろう」


 とても人間くさい言葉が、ユーリグゼナの心を震わせた。彼女は何かに促されるように聞く。


「アルクセウス様は、恋しかったですか?」

「恋しいさ。今でも」


 彼はゆったりと揺るぎなく言うと、すうっと目を閉じた。ユーリグゼナは潤んでくる目でアルクセウスを見る。彼のようにきちんとした大人もそうなのか。自分の心の落としどころが見つかったように感じた。


母様(かあさま)が恋しくてもいいのか)


 そう思ったら少し楽になった。そして……


(サギリ……)


 彼女への態度を、少し変えられるような気がした。自分を変えたい。サギリを大事にしたい。そう思うユーリグゼナの顔が、くしゃりと歪む。ユーリグゼナは包まっていた布を頭から被った。





次回「才能」は6月17日18時掲載予定です。

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