8.君との距離
アルフレッド視点です。
初回の合同練習は基本的には失敗に終わった。このまま練習を進めても、完成まで漕ぎ付けることは難しい。学生は授業の合間にしか練習できない……。
「多分、長すぎた」
アルフレッドは、眉をひそめた。大人数で一曲を弾くということ自体が初めての挑戦だ。何頁にも渡る楽曲は無謀だと、ようやく気付く。納得はした。でも意味のある旋律を、バラバラにして継ぎ接ぎするのは少し嫌だった。ユーリグゼナは、難しい顔で楽譜に目を落とす。
「いいよ。縮めよう。私だったらこの部分……」
そう言いながら弦楽器を弾き始める。アルフレッドも楽器を構え、お互いの意図することを表現する。二人の残したい部分はほぼ一致した。彼女はうーんと唸る。
「ただ短くするだけじゃなく、何か考えたい」
「まあな。でも合同練習の時間はそんなに取れない。何しろもう一曲ある」
アルフレッドはため息をつきながら、自分のまとめた楽譜を見た。謝神祭の演奏が恒例になるきっかけになった、魔樹の花びらの曲。未だに学生に絶大な人気だ。鍵盤楽器用を、彼は大人数で演奏する弦楽器の楽譜に書きかえた。
ユーリグゼナは早速、海の曲の書き替えに入っている。一度集中すると、他が一切目に入らなくなる。彼女の黒曜石のような目は輝き、熱を帯びる。まつ毛の影だけが、瞬きをするたびに動いた。アルフレッドは息をつくのも忘れ、彼女に見入る。
(すっげー可愛い)
なかなか人に馴れないこの生き物は、彼の前では警戒を解く。こんな風に集中する彼女の側にいられることが、今一番の幸せだ。ユーリグゼナが眉間にしわを寄せる。そのまま彼を仰ぎ見た。
「アルフ。ここさ……」
その顔に惹かれて、アルフレッドは楽譜ではなく彼女に顔を寄せる。ユーリグゼナは、彼が距離を詰めた分だけ体を後ろに逸らした。
「何で逃げる」
「近づいてくるから」
ユーリグゼナは目を泳がした。こちらの意図に気づいているのかどうか……。そう思いながら彼が体を引くと、彼女はホッとしたように息をついた。アルフレッドは楽譜に目を落とし、指さす。
「ここ?」
「そう」
ユーリグゼナは彼に答えを聞くと、また作業に集中していった。
「ユーリってさ。顔が整ってる奴、好きだよな」
アルフレッドは、ユーリグゼナの側人が用意したお茶を飲みながら、不機嫌そうに言った。ユーリグゼナはハタリと動きを止める。
「……そうかな」
「うん。セルディーナ様によく見惚れてるし、アルクセウス様には初対面から口数が多かった」
「そうだった?」
アルフレッドはコクリと頷く。ユーリグゼナは赤くなりながら下を向き、意識してなかった……と呟いた。
「なんか二人とも、母様やおじい様を思わせる。顔もあるけど所作が綺麗で、懐かしい。親しみが湧くというか」
アルフレッドの表情は引き攣った。王の妃やこの世界の調停者に親しみを抱く、彼女の感覚はよく分からない。
ユーリグゼナは顔を上げる。
「私も聞きたい事ある」
「なに?」
彼が構えると、彼女は思い切ったように言う。
「アルフ。本当は人の心読めるでしょう」
「へ?」
「いつも周りの意図を読んで動いてる。どういう能力なの?」
アルフレッドは返答に困った。彼は能力無し。紫位の人間としては恥ずべきことだ。婚約する前に言っておくべきだった、そう反省する。
「いや。俺は能力無しなんだ」
「そうなの? じゃあ、どうして人の考えてること分かるの」
ユーリグゼナは不思議そうだ。彼に考えが分かるとすれば、その人に興味があるからだ。何気ない言動から気持ちが分かってしまう。彼女に限っては、無意識に読み解いてしまう。
「よく見てるからだろうな」
「……私も出来るようになるかな」
寂し気に目を伏せる彼女の頭に手を伸ばし、ポンと叩いた。何でも出来るようになられると、少し困る。彼女を手助けできる役得がなくなってしまう。そんな思いを見せずに言う。
「なるよ」
ユーリグゼナは小さく笑った。
「アラントスもまだ能力が無いの。でも従弟三人の中で飛びぬけて賢くて、人と付き合うのが上手で」
「……あのな、ユーリ。能力無しのことは、他では言わないで欲しい。馬鹿にされやすいんだ」
彼女は驚いたように目を見開き、ゆっくり頷いた。
「……気を付ける」
アルフレッドは内心冷や汗をかいていた。彼女が能力無しに無頓着なのは有り難いが、あまりにも世間を分かっていない。
お茶が終わり二人は部屋を片付ける。楽器の演奏のため、防音機能が使える特別室を使っていた。ユーリグゼナは扉の前で立ち止まり、アルフレッドを振り返った。
「能力の話だけど、アクロビスが言ってたのって関係ある?」
「多分。知ってるのかな、と思った」
アルフレッドは、彼女がずっと自分のことを考えていたことに驚いた。ユーリグゼナは防音の魔法陣を止める準備をしながら言う。
「アルフレッドの凄さは、能力とかじゃ計れない。何も知らず馬鹿にしたアクロビスが許せなかった」
彼はクラっと眩暈がした。彼女の側につかつかと歩み寄る。防音を解除しようとする彼女の手を取る。ユーリグゼナはびっくりした顔で彼を見上げた。彼女の緊張が伝わってくる。
「急にどうしたの?」
「こっちの台詞。先にユーリが心に触れてきた」
アルフレッドは彼女の手を放さない。距離を取ろうとする彼女を許さない。
「触れていい?」
出来るだけ優しく言ったつもりだった。でも彼女は激しく首を振った。
「そういうことは…………『先達の妙技』の方に教えてもらってください!」
ユーリグゼナの言葉に、アルフレッドは思わず口が開く。
「はあ?」
彼は顔が赤らんでくる。
「意味分かってるのか? 俺にユーリ以外の女性に触れろって言ってるのと一緒だ」
「私に気遣いは要らないから。必要な勉強なんでしょう?」
ユーリグゼナは目を逸らし、怯えて言う。逃げようとしている彼女に苛立った。アルフレッドは手を引き寄せる。
「そんなことユーリに言われたくなかったよ!」
彼女の肩に手を触れた瞬間、アルフレッドの体は宙に浮き、床に叩きつけられていた。ユーリグゼナの濡羽色の黒髪が舞うのを、ぼんやりと見ていた。
(そうだった。ユーリってむちゃむちゃ強いんだった)
叩きつけられた背中が痛い。すぐには動けそうになかった。すると、ユーリグゼナがビクッと肩を震わせ、耳に手をあてる。アルフレッドは彼女が音声伝達相互システムを使っているのを初めて見た。
「申し訳ありません。はい……不埒者の方です」
ユーリグゼナの言葉に、不本意なものが混じる。暴力行為を行ったため、アルクセウスから連絡が入ったことは分かる。が、一体どんな話になっているのか。すぐに会話を終え、ユーリグゼナは怯えた顔で扉に背中を貼りつけながら言う。
「アルフ。投げ飛ばしてごめん」
彼女は碌にアルフレッドの顔を見ないまま、部屋を出て行った。アルフレッドは仰向けになったまま深くため息をついた。
「立ち上がるの手伝ってもらえませんか」
アルフレッドは控室に向かって声をかけた。ゆっくりと扉が空き、スリンケットが顔を出す。
「ごめん。出るに出られなくなっちゃってさ。立ち聞きして悪かったね」
そう言う彼の後ろから、テラントリーが出てくる。彼女がいることには気づいていなかった。彼女の鋭い視線が痛い。アルフレッドは顔を両手で覆う。
「ユーリも気づいてました。そうでなければ、とっくに逃げ出していたと思います」
スリンケットはアルフレッドを抱き起こす。アルフレッドの背中に痛みが走るが、起き上がることは出来た。礼を言うと、スリンケットは小さく首を振った。
扉が叩かれ、側人が声をかける。
「テラントリー様。ユーリグゼナ様がおいでになるそうです」
「分かったわ。ユーリグゼナ様の荷物を持って、先に戻っていてくれる?」
「かしこまりました」
テラントリーの側人は入室し、荷物を手に退出する。アルフレッドは早口で言う。
「テラントリー。君とユーリは自室に行き来するほどの仲なのか?」
彼女は振り返ってにっこり笑った。彼女の艶やかな薄紅梅色の髪がゆらりと揺れた。
「はい。それが何か?」
「ユーリときちんと話し合いたい。だから…」
「申し訳ございません。戻らなければ。お待たせしてしまいますので」
彼女は彼を遮って、さっさと退室していった。のんびり見物していたスリンケットは、赤茶色のくせ毛をふわふわ揺らす。
「女の子が結束するのは、厄介だなあ」
「他人事ですね? スリンケットは味方になってくれると思ってたのに……」
弱り切った顔のアルフレッドを、スリンケットは探るように見た。
「ユーリグゼナでないと駄目?」
「もちろん。今さら何言ってるんですか」
「アルフレッドを望む娘は多いはずだ。卒業後なら婚約を解消して、他の女性と結婚してかまわないって、王に言われてるよね?」
サタリー家はシキビルド筆頭の家柄。現在未婚男性に限れば、アルフレッドが最高位だ。他国からの縁談は、本気のものが多かった。ユーリグゼナと婚約してからも、探るように話を持ちかけられている。それを彼は片っ端から断り続けている。
「俺はユーリと結婚したいんです」
「僕はアルフレッドには、普通に幸せになって欲しいと思ってる。婚約者に推しといてなんだけど、ユーリグゼナは普通じゃない。面倒事を抱え過ぎてる」
スリンケットはユーリグゼナと結婚させようと、ずっと画策していた。なのに、態度の急変はおかしい。
「スリンケット。何かありましたね?」
彼が迫ると、スリンケットはスッと顔を逸らした。機嫌が悪そうに言う。
「いや。何も……」
嫌いなはずの嘘をついた。アルフレッドの心がサッと冷えていった。
次回「依存」は6月10日18時掲載予定です。




