5.演奏依頼
何日か経って音楽の授業があった。今日の課題は七本弦の楽器で、課題曲の練習である。実習は大体、他国の学生と一緒に行われる。三学年は五百人ほどいて、指導者も助手を入れて五人いるがほとんど目が行き届かない。皆、自由に演奏したり雑談していた。
ユーリグゼナはさっさと課題曲を穏便に終え、次の履修に備えようと部屋から出ようとしていた。
「ユーリ」
それを見つけたアルフレッドが、彼女を呼び止める。すました顔を装ってしているが、いたずらを企む悪ガキのような目になっている。
「一緒に演奏してくれる約束だろう?」
ユーリグゼナは黙っていた。アルフレッドの言う通りだが、何より目立ちたくないのだ。
「今日はユーリが主旋律な。俺が伴奏の方やる」
ユーリグゼナが返事してないのもお構いなしである。この曲は伴奏の方が音が多く、演奏速度が速くなった時、演奏自体が難しくなる。前はユーリグゼナが伴奏を弾いたが……。
(相当練習してきたんだろうな。私の方はずっと練習できてなくて、指が動くか心配。それに……。目立たない? 確かに周りの音もうるさいけど。大丈夫?)
アルフレッドがしつこく催促してくるため、ユーリグゼナは黒曜石のような目を軽く閉じ、ため息をつく。諦めて弾き始めた。最初は彼女の主旋律で曲を始めていく。
チャンチャン チャチャン チャチャン
チャララララ チャチャン チャチャン
チャチャン
アルフレッドがニヤニヤしながら参戦してくる。
チャッチャラ チャッチャッチャッチャッ
綺麗な音だ。練習したと自慢するだけのことはある。でもユーリグゼナとではバランスが悪い。主旋律であるユーリグゼナの音が綺麗じゃないし正確じゃない。
(駄目だ。もっと丁寧に。でも速度は保って)
ユーリグゼナは必死になり合わせていく。アルフレッドは合わせるどころか、弦を弾く手の動きをどんどん早めていき速度を増す。
(前は、アルフ弾けてなかったのに……! 絶対負けられない)
ユーリグゼナの本気の演奏が続く、アルフレッドは余裕そうでしかも嬉しそうだ。最後のサビでようやく音が合ってきて一瞬目が合った。楽しくなったところで、演奏が終わる。その瞬間。
おー!!!!!
大歓声に合わせ、拍手が起こる。
ユーリグゼナは唖然とする。アルフレッドは平然と楽器を下ろしていた。
(アルフのせいだ)
ユーリグゼナは、アルフレッドを睨みつけた。アルフレッドはため息をつく。「違う。自分じゃ分からないんだな」と、遠い目をして呟いていた。
「そこの二人は、こちらへ」
教授の一人がユーリグゼナとアルフレッドを呼び寄せる。周りの学生は、しんと静かになる。二人は立ち上がり教授のところへ向かった。
(課題曲でないものを弾いていた。怒られて当然……)
ユーリグゼナは沈んだ気持ちで誘導に従い、アルフレッドと教授の部屋に入った。
教授はさらに奥の物置に入り覆っていた布をバサッとはぎとる。そこには人間が五人がかりでも抱えられそうにない、大きな楽器があった。
(鍵盤楽器だ!)
ユーリグゼナは思わず駆け寄る。彼女の黒曜石のような目は興奮でキラキラしていた。
「貴方はこの楽器を知っているのね?」
じっとユーリグゼナの様子を見ていた教授は言う。ユーリグゼナは背筋を伸ばし、教授に体を向ける。
「はい。でもこんなに大きいものは知りません。ものすごく貴重で高価です」
「そうね。でもずっと誰も演奏していないの。適した曲が分からなくて」
教授の少し怪訝な顔を見て、ユーリグゼナは静かに聞いた。
「さっきの曲が演奏に合うと思われたのですか?」
教授はユーリグゼナに微笑みながら言った。
「ええ。──私は今では弾かれなくなった楽器を復活させる役目を負っているわ。各国では消えてしまった楽器も、学校には大切に残されている。ユーリグゼナ、アルフレッド。今度の学校の謝神祭でこの鍵盤楽器を演奏しなさい」
(?!)
二人は顔を見合わせた。本来、謝神祭は外部の人間を招待して、日頃の成果を披露する催しである。が、音楽での参加は恐らく今までにない。教授はいたずらを企むような楽しそうな顔で二人に命じた。
「ここを使用することを二人に許可します。練習して仕上げるように」
教授の部屋を出てから二人は、しばらく黙って歩いていた。沈黙を破ったのはアルフレッドだ。
「ユーリはなぜ、あの楽器を知っているんだ?」
ユーリグゼナは少し怯みながら下を向いて言った。
「……家にある」
「うらやましい──!」
アルフレッドの羨望に、彼女はさらに引き気味になる。ポツリと言った。
「アルフはなぜ演奏を了承したの?」
「弾きたかったから」
「そう……。アルフは何か良いね……」
「どういう意味だ」
アルフレッドは怪訝そうに聞く。ユーリグゼナは地面を見つめた。
「凄いという意味。さっきの七本弦の演奏も凄かった。負けた。──謝神祭の演奏依頼、私は仕方なく受けたよ。前向きになんてなれない。大勢の前で弾くのは、怖い……」
アルフレッドは意外そうに目を丸くした。そして優しい声で言う。
「俺も一緒だろ? ユーリを支えてやるよ」
ユーリグゼナは驚いてアルフレッドを見つめた。彼女は特権階級の誰かと一緒に音楽ができるなんて想像もしていなかった。
驚いた顔のまま固まってしまったユーリグゼナに、アルフレッドは戸惑った様子だった。彼は探るように彼女を見ながら言う。
「今度さ、ユーリの家に行っていい?」
途端にユーリグゼナは心底嫌そうな顔になり、彼女の大きな黒い目は細められた。低い声で言う。
「……ご遠慮ください」
「鍵盤楽器見たいだけだ。俺が持ってない楽譜もあるんだろう? 少しでいいから」
「今度アルフが知らない曲を提供するので、それで諦めて──」
「本当に?! いい。諦めた」
新曲の話でアルフレッドはすぐに満足顔になった。彼のさらっとした見事な金髪が楽しげに揺れる。ユーリグゼナはホッと胸をなでおろした。
授業の準備のためアルフレッド、スリンケット、テラントリー三人はまた集まっていた。今回一番の課題は音声伝達相互システムである。
「ユーリグゼナ様は、輝石や素材をご用意してくださるご家族がいないのですね……」
テラントリーは困り顔だ。艶やかな薄紅梅色の髪がゆらりと揺れる。
プルシェルは一生使用する大事な魔術機械で、常に身に着けられる耳飾りや指輪に、特殊な魔法陣と契約魔法を埋め込んで作られる。
家族から入学祝いに素材が贈られるのが、定番だった。
「ペンとか本とかに埋め込めばいいと思う」
目を伏せさらりと言うユーリグゼナに、三人とも同時に反論する。
「無くしてしまったら、どうするんですか?!」
「本当に持ち歩く? それ」
「そもそも使う気あるか? いらないと思ってるよな?」
ずっと他人から連絡が入る音声伝達相互システムが嫌いで作っていなかったユーリグゼナである。反論はできない。
アルフレッドがまくし立てるように言う。
「今から注文して作ればいい。耳飾りと指輪どっちがいい?」
「アルフレッドが買うつもり? 意味深じゃない?」
「女性からお贈りする方がいいですわ。私実家から注文します」
テラントリーは少し興奮気味に顔を赤らめながら、一生懸命に話を詰める。そんな彼女の様子にユーリグゼナも少し乗り気になってきた。肌が金属に弱いこと、邪魔にならないものが良いことを伝え、あとはお任せにした。
ところが次の日、テラントリーはちょっと沈んだ表情で、セルディーナからの呼び出しを伝えにユーリグゼナのところへやってきた。
(テラントリー?!)
なぜ沈んでいるのか聞けないまま、セルディーナの自室に着いてしまう。
後ろ髪を引かれながら、ユーリグゼナは部屋に入る。
「お呼びでしょうか」
「ええ。こちらに」
セルディーナにさらに近くに呼ばれ、彼女の金髪に触れられそうなくらいまでユーリグゼナは近づく。セルディーナは、そっとユーリグゼナの右手をとると、手の平よりもさらに小さな箱を渡す。開けるよう合図され、ユーリグゼナは蓋を開けた。
「……」
それはとても小さな耳飾りだった。白銀の中に青色の石が複数はまっている。かなり精巧な作りだった。耳の耳介に引っ掛けて固定するタイプで、穴を開ける必要はない。石で耳に直接金属が当たらないように細工してある。金属でかぶれてしまうユーリグゼナへの思いやりが分かる意匠だった。誰が用意したのか、ユーリグゼナには分かった。彼女の黒曜石のような目に光が差す。
(銀と青色は、亡き母の髪と目の色。それを知っているのは──)
「今は、私から贈ったことにしておいてください。その方にはまた必ず会えるでしょう」
ユーリグゼナは、セルディーナに手布を差し出されて、初めて自分がポロポロ泣いていることに気づいた。受け取った手布で押さえても、まったく涙が止まらない。彼女が茫然としていると、セルディーナがそっと合図をして人払いをしてくれた。
「ずっと一人で大変だったわね」
そして、ぎゅっと抱きしめる。ますますユーリグゼナの涙は止まらなくなり、嗚咽が出る。セルディーナはずっと彼女の背中を優しく撫で続けた。
「申し訳ございませんでした……。あの……。ありがとうございます」
落ち着きを取り戻したユーリグゼナは、セルディーナから離れる。ユーリグゼナは目の周りと頬を赤くしながら謝罪と感謝を伝えた。セルディーナはふふッと笑う。
「本当に可愛いわ。私も娘欲しくなってきちゃった」
卒業すればライドフェーズとの結婚が決まっている。そんな未来もあるだろう。ライドフェーズは彼女と結婚できて幸せだ、とぼんやりユーリグゼナは思っていた。
セルディーナの部屋を出るとき、テラントリーがユーリグゼナを誘導する。ユーリグゼナは急いで話しかけた。
「テラントリーは、私に何を贈ろうとしてくれたの?」
「……髪留めです」
(えっ欲しい!!)
ユーリグゼナのことを、よく考えてくれた贈り物だ。護衛のために常に動きやすい格好をしているので、髪は後ろにあっさり一つ結びだ。貴金属でも肌が直接触れず邪魔にならず、常に身に着ける可能性が高い。
「予定通り贈ってもらったら駄目? プルシェルには使わないけど欲しいな」
「?!……し、仕方ないですわね。もちろん構いません」
テラントリーは先ほどとうって変わって、嬉しそうに笑っていた。それは初春に咲く美しい小さな赤い花のように可愛らしかった。彼女の艶やかな薄紅梅色の髪は、その花の色に似ている。そのことにユーリグゼナは初めて気づき、テラントリーの髪を美しいなと思った。