5.父の店
平民の町の日常。ユーリグゼナは連にお呼ばれ。
ユーリグゼナは、平民の服装で町を歩いていた。連に招待されて、アナトーリーとともに待ち合わせの食事処へ向かう。今日は青と累ではない。二人とも髪と目はそのままの色だ。彼女は歩きながらアナトーリを見上げた。不服そうに口を膨らませる。
「私了承してない」
アナトーリーは片眉を上げて、周囲に気を配る。
「意見は聞いても受け入れない、と言われたろう?」
「本当に嫌なのに」
「もう決まった。覆らない。彼は家の許可も取り付けてきた」
道の真ん中で人の往来がある。アナトーリーは名を伏せ囁くような声で話している。ユーリグゼナは長い長いため息をついた。アナトーリーは彼女を探るような目で見た。
「好きな奴がいて受けたくないのか?」
ユーリグゼナは目を細め、呆れたように彼を見上げた。
「なんでそう思うの? アルフを巻き込みたくないからだよ。私、多重の契約魔法で体内はボロボロ。身体には大きな多数の傷。死ぬとき遺体は残せない。知ってて私と結婚する人はいないよ」
「知ってても結婚したいと思う人がいたら?」
アナトーリーは熱心に問う。ユーリグゼナは目を伏せ、静かに言った。
「誰にも知らせない。結婚することもない」
アナトーリーは立ち止まり、そっと息をつく。彼女の頭にポンと手を乗せ、どこか寂しそうに笑う。
「それでも。一緒にいたい奴ができたら、言えよ。何とかするから。ユーリの願いなら、何だって叶える。絶対だ」
彼女はきゅっと胸が詰まるように感じた。その感覚が抜けないまま、彼女はふわふわと頼りない笑顔で言う。
「ベルンの口癖。最近よく言うね」
アナトーリーは目を逸らした。
「そうか? ……まあ、婚約はするんだ。婚約者らしくして、相手を困らせないようにしろよ」
その言葉に、ユーリグゼナの首が限界まで傾げられた。
「婚約者らしくって?」
「それは……。仲良くしろ。……家族と同じくらいには」
言い淀む彼の言葉に、ユーリグゼナの顔が不可解そうに歪む。
「具体的にはどうすれば?」
「え…………。人前では多少の接触は許してやれ。二人の時は気を許すな」
ユーリグゼナは謎に挑むように、胸の前で手を組み難しい顔をする。浮かない表情のアナトーリーは彼女の背中を叩く。
「行くぞ。遅れたら連がうるさい」
足早に店に向かうアナトーリーを、ユーリグゼナは眉をひそめながら追いかけた。
待ち合わせの店は、程よく高級感があった。お洒落な装飾が目をひく。予約の名前を言うと、女性の店員は二人を奥の個室へと案内する。部屋には顎に生えた白髭を撫で、にんまり笑う連がいた。いつもより、こざっぱりした服装だ。ユーリグゼナは笑顔で挨拶をする。
「連。今日はお招きいただき、ありがとうございます」
「おう。ユーリグゼナとして会うのは四年ぶりくらいか? 魔法なしの素顔も可愛いな」
連のいつもの挨拶だ。共通語なのがくすぐったく感じる。連はアナトーリーをしげしげと見た。
「お前も呼んだっけ?」
「俺に連絡してきたんだろうが」
「ただの連絡係のつもりだったんだが。まあいい」
アナトーリーは、まあいいって何だよ、とぶつくさ言いながら席に着く。
給仕がいない時を見計らい、連はユーリグゼナに花束を渡す。桃色の花を中心にたくさんの花が束ねられ、青い綺麗な色の細い布で結ってある。ユーリグゼナは黒曜石のような目をキラキラさせた。
「ありがとう。こんなに大きな花束もらったの初めて」
ユーリグゼナの嬉しそうな笑顔に、連はニヤニヤしている。
「婚約おめでとう。ついに親戚になるとはな」
連の言葉にユーリグゼナの笑顔が凍り付いた。思わずアナトーリーを見る。助けを求める彼女に、アナトーリーは落ち着け! と、目配せする。
「連はペンフォールドの弟なんだ」
その言葉にユーリグゼナは、落ち着くどころか叫び声を上げたくなった。
(ペンフォールドと兄弟?!)
上品で知的なペンフォールドに欠片も似てない。というか、どうしてサタリー家の人が平民の店やってるのか分からない。
連はユーリグゼナの様子を見て、何だ表情豊かになったじゃないか、とニシシっと笑う。
「何だ。アルフレッドと店や俺の話をしていないのか。じゃあまだ、青の引退は考えなくて良いか?」
「青のことも、『楽屋』で歌ってることも秘密にしてて。お願い!!」
必死のユーリグゼナの頼みに、連は何度も頷く。そしておもむろに話し出す。
「うーん。引退しないなら、ちょっと考えないとな。青として歌うには問題が出てきてる」
連は、ユーリグゼナの姿がもう男の子と偽るのが微妙になっていること、変声魔術機械が彼女の声に合わなくなっていることを指摘する。
アナトーリーが顔を歪めて考え込む。
「見た目も変声魔術機械もそうだが、王の養女が歌ってていいのか? 平民の店で」
彼の指摘にユーリグゼナは、胸の奥がずんと重くなるのを感じた。彼女の心を成り立たせている青の存在。歌ってきた理由。絞り出すように気持ちを言う。
「歌わせて欲しい。演奏だけでもいい。私を認めてくれた連の店で。『楽屋』は……ベルンの店でもある────父様が音楽を世界に届けた店」
張りつめた表情のユーリグゼナの席の横に、連が立っていた。彼女の肩に手を置き、ギラギラした表情で言う。
「良いぜ。歌えよ。青がいれば、ベルンより先の世界に行ける。これからも『楽屋』が世界の音楽の中心だ。俺の最高の店だ」
「連……」
ユーリグゼナは口元を歪めながら、どうにか泣かずにいる。連はニタリと笑った。
「やりたいことを我慢するために、養女になったわけじゃないんだろ? アナトーリーに何とかさせろ」
「おいおい」
アナトーリーが慌てたように言うと、連はビシッと彼の背中を叩いた。
「頼むぜ。惣領!」
アナトーリーは痛がりながら、遠い目をしてため息をついた。連はユーリグゼナが持ったままの花束を受け取り、空いた椅子にそっと置く。
「あと、アルフレッドのことだが……」
連の言葉に、ユーリグゼナの顔が硬直する。連は彼女の顔を、ムニュムニュと揉み解し、にかっと笑った。
「そう気に病むな。政絡みだろうと何だろうと、あいつが真面な顔になったのはユーリグゼナのお陰だ。もう十分あいつのためになってる。予定通り婚約破棄していい。揉めそうなら取り持つ」
「知ってるの? 婚約の理由」
「何となく……な」
扉が叩かれ女性の店員がお茶を手に入室する。それに、アナトーリーが反応した。女性も彼を見た。彼女の艶やかな金髪が揺れる。
「久しぶりね」
「ああ」
アナトーリーは目を逸らし、自分の手元を見た。ユーリグゼナがじっと彼の様子を窺っている間に、女性は済んだ器を盆に乗せ退出して行く。ユーリグゼナは連を見上げる。連はニシシっと笑っていた。
「俺の娘だ」
ユーリグゼナは目を丸くした。とても綺麗な女性だった。妖艶と言ってもいい。連は自分の席に戻ると、顎に生えた白髭を撫でた。
「ここは彼女の店だ。『楽屋』で料理を担当していた奴はここに移ってもらうことになった」
「『楽屋』の料理はどうするの?」
ユーリグゼナは黒曜石のような目を心配そうに細めた。楽屋は美味しいご飯が食べれることでも有名だ。連は悪い顔になる。
「飲み物と軽食だけにする。食事のついでに音楽を聞くんじゃない。『楽屋』は音楽を聞くために人が集まる場所にするんだ」
ユーリグゼナは目を見開いた。
「それ……かっこいい!」
「だろ。でな、青が歌ってる新曲のことなんだが……」
連は、ユーリグゼナが学校に行く間に別の歌い手が歌ってもいいか、と聞いた。ユーリグゼナに異存はない。
「歌の途中、足だけで踊ってるだろ? あれなんだ? どうすりゃいい」
「ああ。あれは音を立てない所作の練習を、面白がって入れてただけ。別になくていい。でも、これは要る」
ダダダン ダン
ユーリグゼナは足踏みした。連はニヤリと笑い彼女の拍の真似をする。
「もちろんだ。客たちと歌い手で足が合うと気持ちいい。次の『楽屋』にそういう要素入れていきたいんだ」
ユーリグゼナは目を閉じ、くーっと両手を握りしめる。
(楽しそう────!! 私もやりたい)
その時、アナトーリーはぴくっと反応して、嫌そうに立ち上がった。
「ちょっと外で話してくる」
「なんだ。女か」
「仕事だ。……くそじじい」
アナトーリーは連を睨み付けながら、部屋を出る。最近、前のように夜にも彼に音声伝達相互システムで連絡が入るようになった。彼がいない間に聞きたいことがあった。
「連の娘さん、アナトーリーと付き合ってたの?」
ユーリグゼナの顔が興味津々なのを見て、連が歯を見せて笑う。
「なんだお前。そんなことにも興味出てきたのか。良い傾向だ」
「アナトーリーのことだからだよ。どうして結婚しないのか、不思議に思ってた」
彼女の返事に、連はちょっとだけ考え深げに目を閉じる。
「結婚しないのは娘のせいじゃないさ。あいつはアナトーリーの『先達の妙技』の相手なんだ。確かに当時は付き合っていたが、とっくの昔に別れてる」
「……」
ユーリグゼナの顔が浮かない。連は首を傾げた。
「どうした?」
「『先達の妙技』って何?」
連はああ、と呟いた。
「知らなかったか。特権階級の子弟は、結婚前に夜伽の練習をするんだ。特権階級の場合、みんな未経験同士の結婚だろ? 悲惨な初夜にならないためのお勉強だ」
「なるほど……」
ユーリグゼナは平気そうな顔で聞いている。連は少しホッとした顔になった。
「嫌じゃないのか。こういう話」
「気にならなかった。連だからかも」
そう言うユーリグゼナの頭を、連は満足そうにポンポン叩く。気になることはたくさん。でも、ようやく音楽ができるようになった幸せに、しばらくは浸っていたかった。
次回「役目と気持ち」は5月31日18時掲載予定です。学校へ行きます。




