1.内緒の話
「これほど美しい子だぞ?! 危ないではないか。魔獣たちに目をつけられたらどうする?!」
ライドフェーズの話はずっと同じことの繰り返しだ。セルディーナは言う。
「ライドフェーズ。目をつけられて仲良くなれるのはとても良いことよ? あなた心配し過ぎだわ」
彼女も少しズレている。二人のやり取りは、なかなか終わらない。
ユーリグゼナはそっと息をつき、側で目をぱちくりさせている乳飲み子を見た。白い髪に薄い赤色の目の彼女は、ユーリグゼナの顔をじっと見上げる。ユーリグゼナは頬が緩んだ。
二人の話が終わり、仕事で御館に残るライドフェーズは、出掛け際のセルディーナに口づけた。それは触れるだけのものから濃密なものへ、さらには他でやってくれよ、という段階まで進んで行く。
免疫の無いユーリグゼナは赤くなる顔をどうすることもできず、顔を背ける。それをテルが気遣う様に見ていた。しかし、他の側人は特に気にせずテキパキと仕事をしている。
(これがいつも通りですか?!)
その事実に気づいたユーリグゼナは、頭を抱える。養女になればこれが日常になる。
ユーリグゼナはセルディーナと王女と共に、シキビルドの森に訪れる。ユーリグゼナはセルディーナと声を合わせた。
森の精霊 神々よ
やをら過ごさせたまへ
森への挨拶は、ライドフェーズが「挨拶でも音楽でも何でもするがいい……」とヤケ気味に彼女に言ったことで解禁された。家族以外と一緒に挨拶するのは初めてだった。高まる鼓動を感じながらセルディーナを見ると、彼女はふふっと笑ってユーリグゼナを見ていた。ユーリグゼナは頬を赤らめ俯く。
側人たちはユーリグゼナたちが過ごす場所を、居心地よく整えたあと離れていった。三人を遠くから見守ってくれる。セルディーナはさらりとした長い金髪を軽く結わえ、下草の上に敷かれた厚手の大きな敷物の上でのんびりと寛いでいた。
「ずっと。シキビルドの森に来たかったの。今日は我儘を聞いてくれて、ありがとう」
彼女の赤い目が嬉し気に細められる。ユーリグゼナは彼女の美しさに目を奪われていた。
(相変わらず本当に……)
ユーリグゼナは落ち着きを取り戻そうと、彼女から目を逸らす。春になり、森は魔樹たちが咲かせた花で色彩豊かだ。王女は敷物から外へ這い出そうとして、セルディーナに優しく両脇を抱き上げられる。
王女の名前はアーリンレプト。セルディーナは「ライドフェーズの名前の趣味はよく分からない」と苦笑いするが、娘を「アーリン」と愛称で呼ぶときとても優しい顔をする。色素の薄いアーリンレプトは、まるで妖精のように綺麗だった。
(ライドフェーズ様が言うのも、そう外れていないかも)
ユーリグゼナは、まだ歩けず話もできないアーリンレプトを見ながら口元を緩める。
「森の白い生き物はみんな、神様の化身とされます。アーリンレプト様も際立って清らかで美しい。神々の御子のようです……」
黒曜石のような目をキラキラさせ、賛美称賛し続ける。セルディーナは少し呆れたように笑う。
「褒め過ぎよ。……何だか、ライドフェーズがもう一人増えたような気がするわ」
ユーリグゼナは一瞬嫌そうな顔になる。が、すぐに弦楽器を手にして言う。
「あの。森にアーリンレプト様を紹介しようと思うのです。歌ってもいいでしょうか」
セルディーナは嬉しそうに頷いた。すると、上空から聞きなれた羽音が聞こえてきた。ユーリグゼナは笑顔で見上げる。鳳魔獣は少し離れたところに下り立った。そして二本足でちょこちょこ歩きで近づいてくる。ユーリグゼナは彼に飛びつき伝える。
(アーリンレプト様を驚かさないようにしてくれたの? ありがとう)
鳳魔獣は嬉しそうに低い声で鳴く。そしてゆっくりと、セルディーナに向き直る。彼女に向かって首を垂れた。
(え?!)
ユーリグゼナが驚いていると、セルディーナが彼に応えるように深く頭を下げる。今まで鳳魔獣は祖父以外に敬意を示さなかった。ユーリグゼナは二人を見比べる。鳳魔獣はユーリグゼナに頭をすり寄せてくる。
『弾いてくれるの?』
ユーリグゼナは彼の羽の合間を優しく掻きながら「うん」と呟いた。鳳魔獣は気持ちよさそうに目を閉じ、彼女の側に頭を下ろす。そのまま大きな躰を横たえた。
ユーリグゼナは、三本弦を弾く。空気が穏やかに変化し、風が彼女の濡羽色の髪を揺らす。彼女の柔らかな声が森に響いていく。
森の香り 草花の息づかい 風が皆にそっと配る
優しくあなたを包み 先へと誘う
あなたの歩く道に 小さな足跡
遠い未来 私と出会う
彼女の声に合わせ、風がおこる。セルディーナはその風に花びらをのせた。彼女がつくった幻の花だ。風は花を運んでいく。いつの間にか集まっていた小さな魔獣たちのところに、花びらが舞う。残りの花は風が森の奥へと運んでいった。
「綺麗な能力ですね」
ユーリグゼナは食い入るように見て言った。セルディーナは目をつむる。
「能力ではないわ。妖精の時にできた唯一のこと。人間になってもできると思わなかった」
ユーリグゼナは、なんと答えていいのか分からなかった。テルが用意してくれた軽食と飲み物を取り出す。小さな台の上に広げ、セルディーナに食事を勧める。アーリンレプトの目は閉じかけ、うつらうつらと頭を揺らしていた。セルディーナは娘の頭を優しく支え、自分の体に傾けていく。何でもないことのように言った。
「秘密があるの」
彼女のさらりと長い金髪が風に揺れる。
ペルテノーラの森は、荒らされ動植物が壊滅状態になった時期がある。そんな時に妖精として生を受けたセルディーナは、見える目を持たなかった。哀れんだ父王はかえって愛おしみ、彼女を他の兄弟より可愛がる。
彼女は迷い込んだ人間の世界で、初めて色を見た。しかしすぐに彼女はパタリと倒れる。そのまま何年も起き上がることが出来なくなる。セルディーナの目は人間の世界を映すが、身体は人間の世界に耐えられなかった。
「人間の王が元凶を倒して、ようやく森の荒廃が止まったわ。でも父王は逆恨みした。なぜもっと早くに倒さなかったのかと。妖精たちは十分の一にまで数を減らしていた」
セルディーナはまるで神話でも語るかのように、淡々と続ける。
「人間の王は元凶とともに亡くなった。父王は王一族の子供たちを騙し、願いを叶える代わりに寿命を取り上げていった。そして集めた命を……全部私にくれた。私は人間の世界に行っても生きられるようになった……」
セルディーナは地面を睨む。彼女の顔は険しくも痛々しい。ユーリグゼナはかすれる声で言う。
「なぜそんな話を私に」
セルディーナは目線をあげ、静かに言った。
「ユーリグゼナが『自分のせいで家族を不幸にした。生きている価値など無い』と言ったから。伝えたくなった。──人の命を喰い生きる。私の本当の姿を」
そう言うと、セルディーナはさらに眉間のしわを深くする。
「父王は死んだわ。ライドフェーズのお父様が、不正な術者に契約を返したから。私がもらった命も返された。でも少しだけ代わりの命を繋いでくれたの」
彼女は言葉を止める。息を吐き、ゆっくりと続きを言う。
「私が今使っているのは、ライドフェーズのお母様の命よ」
セルディーナの彼女の赤い目が、凍てつくような冷たい色に変わる。ユーリグゼナは苦しくなり、息が詰まりそうになりながら聞く。
「……ライドフェーズ様はご存じなのですか?」
「いいえ」
セルディーナはユーリグゼナをじっと見つめた。そして逸らさない。
「ライドフェーズに伝える必要はない。何も変わらない。彼が苦しむだけ。私が自分を許さず苦しめばいい」
彼女の冷え切った表情を、ユーリグゼナは顔を歪めて見ていた。胸を押さえながら聞く。
「いつ知ったんですか」
「最初からよ。私、確かめに行ったもの」
「え!?」
ユーリグゼナが目を丸くするのを、セルディーナは少し顔を緩ませて見た。
「父王が亡くなって、私は妖精の世界を追放された。人間の森で一人、命が尽きるまで過ごすつもりだった。でもその前に誰にもらった命か知っておきたくて。────命をくれた彼女は、自分も息子も上手に愛せない人だったわ」
いつの間にか、セルディーナは穏やかな顔になっていた。
「見たら好きになってた」
彼女は嬉しそうに言う。
「だったら私が愛す! 二人とも!! そう思ったらドキドキしたの。何だか幸せだなって思った。生きてて良かったって」
セルディーナの微笑みを見て、ユーリグゼナは心が締め付けられるように思った。
セルディーナの話は、急に終わりを迎える。アーリンレプトが、もにょもにょと起き出したからだ。先ほどから側人もこちらを窺っているので、じきにやってくるだろう。
ユーリグゼナはずっと、セルディーナに言いたいことがあった。彼女の前で跪く。
「セルディーナ様。……どうか。私の主になってください。あなたを守りたいのです。どんなものからも」
ようやく伝えられた。
ユーリグゼナは小さく息をつく。するとセルディーナは彼女の前にしゃがみ込んでしまった。ユーリグゼナに上を向かせ、そのままぎゅっと抱きしめる。
「私はユーリグゼナが大好き。だから主にはならない。あなたに自由でいて欲しいから。でも……」
セルディーナの目は、零れ落ちそうなほど潤んでいく。
「一つだけ願ってもいい? ライドフェーズとアーリンレプトの側にいて。……私がいなくなったあとも」
彼女の言葉を聞いて、ユーリグゼナは首を振る。セルディーナはいなくならない。だって何としても守るのだから。セルディーナは優しく彼女の頬に触れる。
「すべての生き物は、終わりに向かって歩いているのよ。歩く速さが違うだけ」
セルディーナは目をつむり優しく微笑む。
「ライドフェーズはずっと私と一緒に歩いてくれた。隣に好きな人がいてくれる幸せを、私にくれた。私は人を犠牲にして生きる歪な存在よ。それでも生きられてこんなにも嬉しいの」
セルディーナは幸せそうに赤い目を潤ませる。愛おしそうにユーリグゼナの背中をさする。ゆっくり何度も。彼女の手が心地良すぎて、ユーリグゼナは離れがたく思った。
「あなたが隣にいて欲しい人が分かった時、私の気持ちが分かるはず。その日までどうか……」
セルディーナは祝福の言葉を呟いたようだった。アーリンレプトが這いながら近寄ってきて、ユーリグゼナの腕につかまり立ち上がる。セルディーナは娘に笑いかけ、二人を同時に抱きしめた。
次回「養女」は5月17日18時に掲載予定です。シノ視点。




