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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第1部

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49.降り積もる

 ユーリグゼナには、ずっとお礼を言えないでいる人がいた。お茶をもらっても、ご飯をもらっても、命を助けてもらっても。会ったら、(うつむ)くか、目を逸らしてしまう。いつも本当に言いたい言葉は、彼の前では消えていく。


(あの人は養子院にいる)


 彼女はようやく決める。迷いながら準備したものを慎重に袋と鞄に詰めると、すでに家を出た叔父アナトーリーたちを追いかけた。






 ユーリグゼナが追いついたとき、アナトーリーは森の小屋で鍵盤楽器(ピエッタ)を運ぶため、物を浮遊させる陣をひいていた。彼はやってきた彼女を不思議そうに見た。ユーリグゼナは音楽を止められている。彼女自身も望まないため、養子院への移動はアナトーリーと従弟フィンドルフが行う予定だった。


(私も行く)


 ユーリグゼナがアナトーリーに伝えると、彼は嫌そうな顔で言った。


「なぜだ? 移動後に音を確認する。鍵盤楽器(ピエッタ)鳴らすぞ? 止めておいた方がいい」


 前に行かないと決めた理由をもう一度言う。元々アナトーリーは彼女を養子院に連れて行きたがらない。


(渡したい物があるだけって何か、言いにくい)


 そう思い、彼女は黙り込んでしまう。じっと見ていたフィンドルフが言う。


「ユーリに音を聞かせないよう、俺が遠ざける。この鍵盤楽器(ピエッタ)を見るのは、これが最後になるかもしれないだろう? 連れて行ってやりたい」


 彼は真剣な面持ちで、アナトーリーを説得しようとする。ユーリグゼナは、フィンドルフの言葉を有難くも、後ろめたい気持ちで聞く。

 アナトーリーは、大きくため息をつく。


「分かったよ。ユーリ余計なことするなよ。声が出ないことは極秘なんだ。フィン。手助けを頼む」


 ユーリグゼナとフィンドルフは、緊張気味の顔で大きく頷く。彼女は隣の彼に、同行の口添えをしてくれた感謝をそっと伝える。フィンドルフは頷くが、すぐに彼女を軽く睨みながら言う。


「ほんっっとに、余計なことするなよ」


 ユーリグゼナはこくりと首を動かす。渡すだけなら余計なことではないよね、と心の中で確認した。





 台車の上に鍵盤楽器(ピエッタ)を浮遊させたまま、大きな厚い布を被せる。冬の冷たい突風で布が飛ばないよう、紐をかけた。三人は慎重に台車を押しながら、進んで行く。

 養子院の入り口にはシノが待機していた。中へ滞りなく誘導する。ユーリグゼナは荷台に隠れながら、彼を盗み見る。ほぼ一年ぶりに会ったシノは、綺麗で近寄りがたい。鞄と袋の中身が重くなるのを感じた。




 シノが誘導した先には、樹木の匂いのする五角形の建物があった。建物内の装飾には、年代物の風合いがある木材が使われている。とても落ち着いた雰囲気だ。


(何て……すごい。でもこんな建物あった?!)


 ユーリグゼナの記憶にはないので、おそらく一年以内に造られたのだろう。四角錐の立体的な天窓から日の光が注いでいる。その光が天窓の不思議な模様を、木の床に映し出している。

 見惚れているユーリグゼナを見て、アナトーリーがニヤリと笑う。彼女は苦笑いする。


(分かってるって。本当に凄いよ。アナトーリー)


────優れた才能と感覚(センス)。彼以上の人間を、ユーリグゼナは知らない。




 無事に運び入れが終わる。シノはすぐ戻る旨をアナトーリーに言い、退出して行った。アナトーリーは鍵盤楽器(ピエッタ)に不具合が無いか内部の点検に入る。フィンドルフは盗聴防止の陣を裏返しにしたような魔法陣をひく。ユーリグゼナの周りだけ音が遮断された。


(すごい。フィン凄い!!)


 顔を綻ばせるユーリグゼナにフィンドルフは、照れたように言う。


「スリンケットに教えてもらった」


 フィンドルフは学校で頑張ったのだ。この魔法陣はその一端に過ぎない。ユーリグゼナは誇らしい気持ちで、彼の顔を見た。

 アナトーリーはこちらの様子を確認して、音の操作部である鍵盤を押す。何回も押す彼に焦りが見えてきた。フィンドルフはアナトーリーに何か言っている。陣の中で聞こえないユーリグゼナは不安で堪らなくなる。フィンドルフは彼女の顔を見て、渋い顔で陣を解除した。


「音がしないんだ……」


 そう言うフィンドルフを、ユーリグゼナは引き()った顔で見つめた。

 アナトーリーは鍵盤楽器(ピエッタ)の内部をもう一度確認していた。ユーリグゼナは彼に近づく。彼は青ざめていた顔で、彼女を見上げた。


「ユーリ。すまない。おそらく異世界のものを封じる魔法陣が原因だ。音さえも封じてしまっている」


 それは土台無理だったということだ。あの小屋でしかこの鍵盤楽器(ピエッタ)は鳴らせないと──。

 

(嫌だ……)


 ユーリグゼナは一つの鍵盤を押す。やはり鳴らない。音楽への恐怖も全部吹っ飛んでいた。彼女は震えながら、鍵盤を次々に押す。聞こえなくても懐かしい感触だった。(なま)った指と手首が(きし)むように悲鳴を上げている。痛みに思わず顔が歪む。それでも、彼女は心の中で響く音を頼りに弾く。



ティラリ ティラリ ティラリ ティラリ



 本当に鳴り出していた。木でできているはずの鍵盤は、なぜか鉛のように重くとても冷たい。それでも、ユーリグゼナは必死で音を繋げる。本来は早い(テンポ)の曲なのに、恐ろしくゆっくりにしか弾けない。


(雪の曲なのに……)


 ユーリグゼナは苦痛に耐えながらも、少し笑った。こんなたどたどしい演奏では、積もる前に溶けてしまう。それでも。降り続けるように音を鳴らしていく。

 最初より鍵盤は軽くなっていた。何音も同時に押して、響き合う音を重ねていく。手のしびれが減った。本来の曲の速さに近づいていく。

 

(音が気持ちいい。本当に雪が降ってきてるみたい)


 五角形の建物に、鍵盤楽器(ピエッタ)の音がはらはらと舞うように響く。雪の降り始めが一番冷える。でも積もった雪は少しだけ寒さを和らげる。

 彼女の視界の中に白く舞うものが現れた。それは天窓から光りながら下りてくる。次々と。ユーリグゼナは演奏を感覚に任せ、一度だけ上を見上げる。何かがいた。でもよく分からなかった。早まる演奏に再び気持ちを向ける。


 演奏が終わると、不思議な静寂が彼女を包む。ふわふわしていた。疲れているのにホッとするような心地よい穏やかさ。

 不意に、ユーリグゼナの肩が引き寄せられた。


「おかえり」


 涙声のアナトーリーが言う。彼の目が潤んで光るのを見ながら、彼女は思った。そうだ、そうなんだ、と。


「ただいま」


 自然に答えが出ていた。





 ユーリグゼナは遠巻きに見る子供たちに気づいた。一応に目をキラキラさせてこちらを見ている。その更に奥に呆然と突っ立っている人物を見て、彼女は目を丸くする。

 ライドフェーズだった。




 アナトーリーとフィンドルフは鍵盤楽器(ピエッタ)の点検を続けるため、その場に残る。ライドフェーズはユーリグゼナを側に呼ぶ。ユーリグゼナはいつもより近くにある、ライドフェーズの顔に目がいく。どうも目と鼻が赤いような気がする。ライドフェーズは不愉快そうに、彼女から目を逸らす。シノの案内でライドフェーズとユーリグゼナは来客室へ移動した。


 入室すると、ライドフェーズが眉をひそめながらユーリグゼナに椅子をすすめる。促されるままに座ると、続いて彼も座った。ライドフェーズは言う。


「会う予定ではなかったが、好都合だ。ユーリグゼナに話したいことがある。叔父アナトーリーと叔母ヘレントールにはすでに話したが、直接話しておきたい。声が出ずとも、私の感応の能力(ちから)で気持ちは読み取れる。お前の正直な気持ちを知りたい」


 神妙な顔のライドフェーズに、ユーリグゼナは戸惑いながら言う。


「出るようになりました」


 彼女の声を聞いて、ライドフェーズの口が半開きになる。


「はあ? いつからだ。聞いてないぞ」


 彼の質問に、彼女は戸惑いがちに答えた。


「さっき。治りました。鍵盤楽器(ピエッタ)弾いたら」

「お前……。音楽は禁止されたはずだ。弾いているのを見て慌てただろうが!! 全く」


 彼はブチブチ文句を言いながらも、明らかにホッとした顔をしている。ユーリグゼナも少し顔を緩ませた。


(そっか。心配してくれていたのか……)

 

 ライドフェーズは鍵盤楽器(ピエッタ)の魔法陣がきちんと動くか、この世界への影響が出ていないか、確認するために訪れていた。アルクセウスから直接学び、アナトーリーに教えたのは彼だそうだ。音が出るようになった経緯を聞くと、彼は考え深げに言う。


「なるほど。曲を弾いたら鳴ったか。一音だけでは音楽にならないからな。音が連なって初めて音楽になるのだろう? 異世界の音楽が魔法陣を緩めたのだろうな」


 ライドフェーズの言葉が、ユーリグゼナは心に留まる。


「音が連なって初めて音楽になる。そうです。仰る通りです。何故か止めたらいけない、と追い詰められ弾いていました」


 彼女をじっと見つめたまま、ライドフェーズは紫色の目を煌めかせる。


「神秘的で清らかな演奏だった。あまり夢のようなことは言いたくないが、そう言わざるを得ない。雪が降る幻とは……。何故かペルテノーラの雪を思い出した。どんなものにも等しく降り積もる雪。死者にも生者にも。戦う者にも悲しむ者にも。何故かそんなことが思い浮かんで…………って、なんで泣いている?!」


 涙腺が崩壊しているユーリグゼナは、酷い呂律(ろれつ)でライドフェーズに答える。


「ライドブェーズざまが……ずごいことをおっじゃるからです」

「まだ不安定なのではないか? まともに話せるようになってからで良い。それより、話があると言っただろう」


 ライドフェーズは、ユーリグゼナに養女になって欲しいと伝える。自信が無さそうに目を伏せた。


「私の娘は嫌か? セルディーナの娘でもあるが……」


 ユーリグゼナは彼の言葉の後半部分しか心に残らなかった。黒曜石のような目をキラキラさせる。


「なります! セルディーナ様の娘に。そしてお生まれになった王女様に一目会わせてください!」


 ライドフェーズは胡乱(うろん)な目つきで、彼女を見た。


「相変わらず、何も考えていないな。義妹になるんだ。会わせるのは一向に構わん。それより、王の養女に似合う教育を始める。学校の勉強は休んだ4学年と来年5学年の授業、さらには為政者の子女の必須授業を取ってもらうことになる。良いんだな?」 

「え……」


 全く考えの及んでいなかったことに、ユーリグゼナは顔色が失せる。ライドフェーズは意地悪そうに笑う。


「一度了承したことは、覆すな。でも、本当に嫌で堪らなかったら、私に言うように」


 彼の言葉に、ユーリグゼナは不思議そうに首を傾げた。ライドフェーズは目を細め、少し頬を緩めて言う。


「お前を守るための養女だ。不利益が多過ぎるなら、相談しろ。別に考える」


 そう言うライドフェーズはごく自然な表情だった。混じり()の無い誠意を感じる。ユーリグゼナは素直に頷くことができた。






 扉が叩かれ、シノはお茶を給仕するため部屋へ入る。そしてすぐに退出していく。ユーリグゼナは声をかける機会を完全に逃した。ため息交じりにお茶を飲む。どうにも取り付く島もない。そう感じてしまう。

 すると、また扉が叩かれシノが入室する。今度はユーリグゼナの下に来て、濡らした布を捧げ持つ。彼女は動揺しながら受け取る。シノはすぐに退出して行った。


(え? 何?)


 ユーリグゼナがぼんやり手の中にある冷えた布を見ていると、ライドフェーズは呆れたように言った。


「泣いたせいで目鼻が赤い。鼻水まで出ている。何とかしたらどうだ?」


 ユーリグゼナはかえってポカンと口を開ける。


(泣いたら顔を冷やす? そういうこと?)


 彼女はそんな気遣いなどしたこともない。少々驚きながら、そっと冷えた布を顔にあてがう。柔らかい布の感触と冷たさが心地よかった。(ほの)かに花の香りがする。顔が冷やされ、心が穏やかになった。静かに思う。


(お礼を言おう)


 ユーリグゼナは鞄と袋をぎゅっと掴んだ。

 

 


次回「想い」は5月10日18時掲載予定です。ライドフェーズ視点。

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― 新着の感想 ―
[良い点] アルクセウス・ゼトランズの肩書きが凄い 学校長で世界の調停者って ライドフェーズがユーリグゼナ殺そうとしたりしてやっぱ悪い奴やんと思ったら、それはセルディーナのためだったのか、ちゃんと思い…
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