4.王からの課題
ユーリグゼナが食堂を出ると、セルディーナの側人が迎えに来ていた。丁寧な物腰で誘導してもらっているうちに、応接室につく。シキビルド寮で一番の大きい部屋だ。
入室しても、セルディーナはいない。側近らしき人に混じりスリンケットが見えた。ユーリグゼナに目を向け、すまなそうな表情になる。
(セルディーナ様の側近になれたのかな。いや違う……)
彼女の疑問に答えるように、彼が言った。
「依頼人から足が付いた。ごめんね」
夜の無断外出がバレたということだ。セルディーナの側近の一人が、お話はお控えください、と制す。二人は静かに目を伏せ、セルディーナを待った。
扉がノックされ、側近たちと一緒にセルディーナが入室する。長い金髪がさらりと揺れ、光がキラキラ舞い散るように見える。
(やっぱりお綺麗だなあ)
ユーリグゼナが見とれていると、彼女に体を向け穏やかに微笑んだ。
「ようやくお会いできましたね」
ユーリグゼナが何も言えずにいると、セルディーナはスリンケットに声をかける。
「急にお呼びして申し訳ございません」
スリンケットは跪き、礼を執る。ユーリグゼナも合わせて執ろうとすると、セルディーナが腰を落とし、二人に目線を合わせて微笑む。
「学生の間は全員平等と決められております。礼は不要です」
セルディーナは姿勢を戻すと、話を続けた。
「お二人は昨夜、校内の森に入りましたか?」
二人は同時に小さく頷く。それを見てさらに続ける。
「開校式の際、教壇に現れた魔獣は、シキビルドから連れてこられたものでなく、校内に成育していたものだった、と考えています。森で捕らえた者を目撃していれば証拠になります。森の中で異常に気付きませんでしたか?」
「いいえ」
スリンケットに続き、ユーリグゼナも首を振る。少し残念そうに、セルディーナは俯いた。
「そうですか……」
何も有益な情報が出せず、ユーリグゼナは申し訳なく思う。セルディーナはスリンケットに謝辞を示し、退室の許可を出す。ユーリグゼナには少し部屋で待つように言い、側人に何か指示を出しその場を離れた。
(私にだけ用か。多分ライドフェーズが言ってたお金だ)
退室しようとするスリンケットに、ユーリグゼナは袋を差し出す。驚いた顔のスリンケットが受け取る。
「自分たちを売った依頼者だよ? どうして依頼を叶える気になるの?」
低い周りに聞こえないような声でささやく。
「もったいないだけです。素材が」
スリンケットはいつものニヤニヤした顔になった。
「分かった。迷惑料込みで高く売る」
フワフワと赤茶色の髪を揺らすと、またね、と退室していった。
しばらくすると側人の一人が入室してきて、ユーリグゼナを別の部屋へ案内した。扉を開けると焼菓子の美味しそうな香りがした。中ではセルディーナが、ゆったり座って待っていた。彼女の自室のようだ。そこに同席するように言われ、ユーリグゼナは恐る恐る席につく。側人も側近もみんな下がってしまう。
ユーリグゼナが驚いた顔でセルディーナを見ると、ふふと笑う。
「内緒の話があるから席を外してもらいました。それに……あなたに勝てる護衛なんて、シキビルドにいないでしょ?」
「……」
「私の秘密、誰にも言わないでくれてありがとう。──ライドフェーズが慌てていたわ。あなたに口止めする暇がなかったって」
セルディーナの言葉にユーリグゼナは、首を傾げる。
(妖精ってことかな……? それって秘密なの?)
「秘密ですよ。人間には。──分かってなかったのね」
ユーリグゼナが声に出してないのに、会話がつながっている。彼女が固まっていると、セルディーナも気づき、あらっと呟いた。
「あなた読み易すぎて、私には聞こえてしまうみたいね。正確には元妖精。今はほとんど人間。だから心配してなかったのだけど、あなたの一族はみえる人たちだから、ライドフェーズが先に抑えておきたいって必死だったわ」
ふわりとした雰囲気で話しながら、ユーリグゼナにお茶とお菓子をすすめた。ユーリグゼナは一礼していただく。本日三杯目のお茶である。
「今回お願いしたいことが三つあります。賠償金支払いと、学校内の私の護衛。そして今回の魔獣の調査に加わって欲しいというお願い。あなたが死体をみれば、ほとんど事情が分かるんじゃない?」
「私の言うことは、誰も信じないでしょう」
「私が本当のことが知りたいだけ。他の人間は構わない」
「……セルディーナ様は、なぜ私を信じられるのですか?」
セルディーナはきょとんとした顔をした後、にっこり綺麗に笑った。でも何も答えなかった。
ユーリグゼナの心に、叔母とその息子三人の救済処置の話をした、ライドフェーズの顔が浮かんだ。
「御心のままに。……ただ護衛は難しいかと思います」
「なぜ? 私、最終学年だから今年だけよ」
「……。私は授業が全然取れてなくて落第寸前です。多分、同行できる時間がほとんど取れません」
「──ふうん。ライドフェーズ諦めてくれるかしら?」
(諦めてください。もう十分尽くしてると思います。護衛なんて……。私の眠る時間なくなるじゃないですか)
ユーリグゼナが悲壮な気持ちでいると、セルディーナは手元のある鈴をチリリンと鳴らした。よく響くそれはとても綺麗な音だ。セルディーナの声にも似ている。側近、側人が静かに入室してくる。ユーリグゼナに向き直ると、彼女は言う。
「お金の受け取りをしたいと思います。移動式金庫を今、お持ちですか?」
「はい」
ユーリグゼナはそういうと、トラキースに金額を書き込み、支払いを操作する。セルディーナも受け取りを操作すると、チャリンと音がして成立する。
(この音好き)
セルディーナはふふっと笑う。また聞こえていたようだった。ユーリグゼナは少し顔を赤くした。
調査はその日中に行われた。ユーリグゼナはセルディーナと側近たちに同行する。ユーリグゼナは自分が疑われている、と聞いていた。しかしその疑いに合理性がないこと、今回の魔獣がシキビルド固有種ではなく学校にも成育している事実を、学校側にも説明して理解してもらえているようだった。
セルディーナは学校側にも話を通すことのできる、なかなかのやり手のようだ。
初めて見た学校長は、三十過ぎに見える癖のある風貌の男だった。髪は銀色で腰の下まであり、整った顔立ちがやる気のない締まりのない表情で損なわれていた。調査の現場検証にも関わらず、緊張感はなく黙って用意された椅子にだらりと座る。
(……多分、わざとだ)
目に理性的で鋭い光がある。とても愚かな人には見えない。
話すのは主に学校長の側近で、順調に調査は行われていた。ユーリグゼナはセルディーナに、何も話さなくていいと言われている。犯人探しだけできればよく、すでに見つけていた。
死体と同じ臭いが付いているのは、調査の進行を進めている学校長の側近だ。
調査の結果、犯人特定不能ということになった。疑われたシキビルド側としては、不満の残る結論だが、セルディーナは大した感情も見せず淡々と対応する。
調査終了後、ユーリグゼナはセルディーナに犯人を伝える。調査の一切は口を閉ざすよう、やんわり言われて座を辞した。
ユーリグゼナは、アルフレッドにお礼と報告の必要があることに気づいた。夕食でも会えず、もう明日の授業で良いかと思っていたところ、アルフレッドの学友のカーンタリスを見つけた。ユーリグゼナは、友人がいなかったためこれまでの二年間、学校生活で人に話しかけることはない。緊張しながら声をかける。
「……アルフレッドがどこか知っていますか?」
カーンタリスは優しく微笑みながら、首を何度も振る。
「さあね。でももう食事も終わってたし、自室に戻ったと思うよ」
「……ありがとうございます」
(笑顔が怖い……。もういいや。明日にしよう)
ユーリグゼナは疲れていた。しかも明日から授業である。寝てばかりとはいえ、たくさん人がいると気が滅入る。暗い気持ちで女子寮に戻ると、その入り口に探していたアルフレッドの姿があった。側人はなく一人だ。あきらめた矢先に現れたので、ちょっと面倒な気持ちになった。
(しかも、なんか機嫌悪そう……)
アルフレッドは、ユーリグゼナを見つけると、着いて来いというように合図して歩き出した。階段下の空き空間で止まる。見事な金髪が俯いた彼の額にかかる。静かに低い声で話し出す。
「ユーリ。お願いがある」
アルフレッドの深緑の目は、とても真剣だった。
「これからは授業で寝ないで欲しい。全科目全力で最速で取得するんだ」
「!?」
「そしてできるだけ多くの時間を、セルディーナ様の護衛に割いて欲しい」
「!? ──嫌です」
逃れようとするユーリグゼナの両肩を、アルフレッドはガシッと掴んだ。
「どうか頼む。でなければ──。俺は家から金がもらえなくなり、楽譜や楽器、趣味のすべてが奪われてしまう」
アルフレッドは天を仰いだ。
「俺は今、実家に脅されている。人生の岐路に立たされている。助けてくれ!」
心が全く動かない説得と、残念な坊ちゃんぶりにユーリグゼナが呆れていると、後ろから聞き覚えのある声がした。
「僕、関係ないよね? それ」
「あっ。スリンケット。よろしく頼みます。魔術学専攻一の秀才って推薦しておきました!」
アルフレッドの軽いお願いの言葉に、スリンケットはいつものとらえどころのないフワフワした笑顔を止め、顔を引きつらせる。
「はあ? なに人巻き込んでるの? むちゃくちゃ迷惑してるんだけど?」
そこに見覚えのない女子学生がやってきた。艶やかな薄紅梅色の髪の小さな少女は、見事な所作で挨拶を述べる。
「ごきげんよう。ユーリグゼナ様でいらっしゃいますね。はじめまして。テラントリーと申します。セルディーナ様から一般教養のマナーを中心に高得点で合格させるよう、仰せつかっております。どうぞよろしくお願いいたします」
ユーリグゼナは引きつりながら笑顔を返すが、何も言えなかった。先ほどからセルディーナの『諦めてくれるかしら』と心配そうな顔と、ライドフェーズのつり目が頭をよぎっていた。
(諦めてくれなかった、ということか。固執しすぎ。何かある)
おそらくライドフェーズがサタリー家とスリンケットに圧力をかけている。固執する理由はなんだろう。もしかすると……。
(生きてる? あの人が)
周りでは言い争いが炸裂していた。
「なぜスリンケット様が任されたのでしょう。すでにお家は廃されて、紫位でもなんでもない方ですよね。今回の魔獣についても怪しまれていましたよね?!」
「嫌な女の子だね。潰すよ?!」
「高得点で、とは聞いてない。どうして俺だけ指示が違う」
「成績が悪いから、期待されてないんだよ」
ユーリグゼナは本当に疲れていた。この場を逃げ出そうとすると、グイっと引っ張られる。
「ユーリのことなのに逃げるな──。やるだろう。全科目合格」
「高得点で!」
必死に言われて、ユーリグゼナは観念した。
「やります。よろしくお願いします」
テラントリーはにっこり笑い、アルフレッドとスリンケットは、ちょっと意外そうな顔をする。
「森も夜間活動も止められちゃってるよ? 遅れてる昨年まで分、全部合格するまでお預けだってさ」
スリンケットの言葉に、ユーリグゼナはぎょっとして顔色を変える。黒曜石のような黒い目に涙を潤ませた。
次の日から、ユーリグゼナは授業中寝れない日々が始まる。放課後は図書館や談話室、もしくはセルディーナの護衛をしながら大部屋で、教科書と参考書をめくる。3学年の分は授業内容の予習と復習だが、1学年2学年で落とした教科は再試験もしくは再履修となる。ユーリグゼナは、魔術学専攻か武術学専攻のどちらかで良いところを、二つとも専攻していた。取得必要科目が多すぎる。
アルフレッドは呆れて言う。
「そもそもなんで二つ専攻したんだ?」
「……お得だなあと思って」
「……」
アルフレッドは無言でため息をつく。
本当は戦争中、学校に居残るため。もう一つ専攻したい、という理由で申請し、一年が終わったあとの休暇中は帰国せず学校で過ごした。その間、自主学習していたはずの彼女の点数は壊滅的だった。二年目の居残りが却下されたのは当然といえる。そして……二つ専攻した分の授業は丸ごと残っていた。
「落としたなかにある『魔獣生態学』なんて得意そうなのにな──」
「……試験を受けなかった」
「なぜだ?!」
少しでも早く授業を取らせたいアルフレッドが不服そうに聞く。ユーリグゼナは言いにくそうに答える。
「授業の中で、ボルカトリンの繁殖期の生態の説明が間違ってると思って興味がなくなった」
「授業が間違ってたのか?!」
「多分。繁殖期には複数の雄雌が群れになる、と言ってたけど正確には、雌だけの群れを得るために、雄たちが戦い、勝ち残った一匹だけが雌群れを得てボスになる」
「へえ……」
スリンケットが関心したように二人の話に加わる。
「その辺はさすがだね。教授に話したら、試験なしで受からせてくれるかも。そういう指摘大好きな人だから」
「分かりました。話してみます」
「気に入られそうで、少し不安」
呆けた顔になるユーリグゼナに、意味ありげに笑う。
「まあ、教授を味方にしとくと便利だから、上手く使えるようになろうね」
「は、はあ……」
テラントリーはとても丁寧に礼儀作法を教えてくれた。これが最初の合格となった。
四人で勉強していると、他の学生もユーリグゼナに何か教えようと関わってくるようになった。すると騒がしくなり、図書館ではなく大部屋に場所を移す。するとまた別の学生が興味を持って話かけるという具合に、シキビルド学生全体に広がっていく。戦争後、探り合いで殺伐とした雰囲気だった寮内は、穏やかなものに変わりつつあった。
伏線の回収は、第三部の6話7話8話になります。たどり着くまで長くなり、すみません。