47.揺らぎ
ライドフェーズの日常
出会いは、異臭漂うペルテノーラの暗い牢の中。痩せこけた男が極上の音を奏でていた。ライドフェーズはその場に立ち尽くす。男が紡ぎ出すものは周りの空気を変えていく。
(人にもこんな美しいものが生み出せるのだな)
心を奪われたまま、そう思った。
神獣は血に弱い。そして国土が荒れると狂い、苦しみながら眠ってしまう。
神獣に認められなかったシキビルドの王たちは、礼堂を作った。そこでは日常的に子供の虐待が行われ、血が捧げられた。自分たちの邪魔をさせないよう、朱雀を無理やり眠らせるため。
ライドフェーズは礼堂の調査を自ら行っていた。何が目的の建築物か分かった彼は、険しい顔になっていた。彼は手をぐっと握りしめると、心の中で宣言する。
(ここを破壊しようとしたユーリグゼナに、完全に同意する!!)
そして凄まじい勢いと形相で、礼堂どころか辺り一帯をぶっ飛ばす凶悪な魔法陣を描き始める。気づいた側近たちは慌てて、ライドフェーズを取り押さえる。「こんなもの即刻破壊して何が悪いのだ!!」と切れる彼を、側近たちは礼堂から引き剝がすように連れ出した。
そういった経緯で平和な解体の目途が付かなくなっていたが、シノがアナトーリーを口説きようやく日時が決まる。話し合いの場でライドフェーズは言った。
「私も解体に同行する」
場が騒然となる。アナトーリーは、すぐにライドフェーズに礼を執り了承する。彼が周りを説き伏せ、無事にライドフェーズの同行が決まった。
(ようやく、アナトーリーが私に話しかけてくれた……)
ライドフェーズは、アナトーリーにずっと避けられていた。最愛の姪を傷つけた元凶だ。さぞ恨んでいることだろう。それでも。どんな恨み言を言われるとしても、彼と会って話したかったのだ。
解体の当日、ライドフェーズとアナトーリーは護衛用の動きやすい服装で礼堂にいた。ライドフェーズは側近のセシルダンテと側人のシノ以外、全員を離れた場所に待機させる。
(今日こそ二人で話したいんだ)
彼は必死だった。アナトーリーは普段と変わらない様子でライドフェーズに言う。
「至る所に魔法陣が仕掛けられ、下手に解体すると事故が起こります。王は下がっていてください」
「私の方が得意だ。私が無効化しよう」
そう主張するライドフェーズに、アナトーリーは俯きながら、呟くように言う。
「私にとって大事な方です。間違いがあって欲しくありません」
彼の言葉に、ライドフェーズは目を見開き動きを止める。そしてアナトーリーを見ながらポツリと言った。
「今もそう、思ってくれているのか」
アナトーリーは下を向いたまま、薄い茶色のやわらかな髪を揺らしながら言った。
「あなたに一生お仕えしたい気持ちは変わっていません。今回のこと、礼を欠き申し訳ございません」
アナトーリーの謝罪に、ライドフェーズは慌てる。
「アナトーリーが謝ることなど、何一つ無い。鎖のことは全部私の我が儘だ。本当にすまなかった。少しずつでも償えたら、そう思っている。……それで、提案がある」
ライドフェーズの言葉に、アナトーリーは静かに耳を傾けている。ライドフェーズは思い切って言った。
「ユーリグゼナを私の養女に迎えたい」
真剣な顔のライドフェーズを、アナトーリーはじっと見て言った。
「それは国として、姪を守ろうとしてくださっている。そうとってもいいですか?」
言いながらアナトーリーはひどく悲しそうに目を細める。ライドフェーズは眉をひそめて言う。
「そうだ。……なぜそんな顔をする」
「……また力が足りなくて、守れないんだな、と」
アナトーリーの細められた目は、遠いどこかに向けられている。ライドフェーズは首を振る。
「ユーリグゼナは今、他国の興味を一身に集めている。シキビルドに必要な人間を、国でみるのは当たり前だ。アナトーリーが抱える問題ではないだろう?」
ライドフェーズの言葉にアナトーリーは頷いたが、納得していないことは明らかだった。ライドフェーズは、何度も見たことのある彼の表情を、息を詰めて見守っていた。
(父と姉を。家族を守れなかった。彼の心はそればかり)
アナトーリーはとても有能だ。それと相反する心の不安定さ。ライドフェーズは、そんな彼がどうにも愛おしい。庇護下に置きたくて堪らない。
結局、二人で礼堂の魔法陣を次々と無効化していく。全ての危うい陣を取り除いたあと、そこに清浄な空気が流れ始めた。二人は顔を見合わせた。アナトーリーは呟く。
「ここは本来、朱雀のための祭壇……」
「ああ。血などではなく、もっと彼女が喜ぶものを捧げよう」
そう言うライドフェーズに、アナトーリーは不思議そうに聞いた。
「……彼女、ですか?」
その様子を見て、ライドフェーズは顔が強ばっていく。
(今、ルリアンナが朱雀だと、知っているよな?!)
ライドフェーズの鼓動が高まる。本当の王になってから、色々なことが分かるようになってから、ずっと疑問だったことがある。
(アナトーリーは朱雀の間での出来事を、曖昧にしか覚えていないのではないか)
強い能力を持つ者であれば、ライドフェーズが朱雀の選定を受け王に選ばれたことくらいは分かる。現に何も知らないはずのペンフォールドが、往診の際そっと彼を祝してくれた。
でも神獣自体のことは認められた者しか、記憶に残すことも感じることもできない。パートンハド家の惣領は、最初から朱雀に認められた存在だ。朱雀のために王を選ぶのだから。
(朱雀にも会ったはず……。なぜ?)
ライドフェーズが考え込んでいるうちに、アナトーリーは礼堂を段取り良く解体していく。建物部分は瓦礫となり、一か所にまとめていた。それに気づいたライドフェーズは驚いて言う。
「見事だな」
アナトーリーは少し照れたように顔を背け、言う。
「いえ。王にはまだまだ及びません」
「アナトーリー以上の術者は側近にいない。スリンケットなら、卒業する頃に追い付いてくるかも知れぬがな」
「彼は有望です。本当に」
アナトーリーはライドフェーズに大きく頷いた。スリンケットを褒められたことが嬉しそうだ。彼の薄い茶色のやわらかな髪が風に舞う。
彼はライドフェーズを、彼の濃い紺色の目で見つめて言う。
「先ほどの養女の話、私の一存では決められません。ヘレントールと本人に王から直接お話いただきたい」
その言葉を聞くと、ライドフェーズは天を仰いだ。
「それはほとんど断るのと一緒だぞ。ヘレントールが許すものか」
ライドフェーズの言葉に、アナトーリーは苦笑いする。
「私が言ったら、言い終わる前にぶっ飛ばされます。王ならさすがに手は出さないかと」
「ああ。分かった。命がけで説得する。ヘレントールの顔もだいぶ見てないことだし、そろそろ会わねばな」
渋い表情になるライドフェーズに、アナトーリーは少し笑いながら、お願いします、と頭を下げた。
解体が終わったライドフェーズは、そのまま養子院でシノのお茶で寛いでいた。
「お疲れ様です」
そう言ってシノが出すお菓子の種類の多さに、ライドフェーズは驚いた。
「なんだ。養子院ではこんなに恵まれたおやつが出るのか……」
「いえ。まとめて全部ではありません。一日一種類ずつですよ。平民の方が色々作ってくださるので、子供たちは毎日楽しみにしています」
シノの説明を聞きながら、ライドフェーズはどんどんつまんでいく。油で揚げた固く甘いお菓子にはまり、パリポリパリポリと音を立てながら食べる。本当ならシノの制しが入るところだが、今日は苦笑いするだけだった。
(最近では一番の機嫌の良さだな)
ライドフェーズはそう思いながら、素知らぬ顔をしてお菓子をつまむ。シノは朱雀の間から帰ってきて以来、ずっと口数少なく無表情だった。ついには御館に寄りつかなくなっていた。ライドフェーズに対する不満というより、気持ちの折り合いがつかない。そう見えた。
ライドフェーズは立ち上がり、金属の棒を指差しながらシノに言う。
「ユーリグゼナの言っていた楽器はこれか?」
彼の言葉にシノは困り顔になった。
「ライドフェーズ様のおっしゃる、一本ずつ手で持って演奏するようなものは無いのです。ただ、ユーリグゼナ様が弾いていたのは、こちらでした……」
ライドフェーズは吊り下げられた金属の棒を、横に添えられた木の棒で叩く。
ポーン
とても良い音が響いた。彼の頬が少し緩む。他にも楽器が集められていた。その一つに見覚えがあった。ライドフェーズは微笑み、それを手に取りあげて言う。
「アナトーリー。この弦楽器は初めて会った時、弾いていたものだろう?」
それは胴の部分が、ライドフェーズの両手くらいしかない小さな楽器だった。彼が差し出すと、アナトーリーは吸い寄せられるように立ち上がり受け取る。彼の表情がなぜか曇った。ライドフェーズは戸惑いながら聞く。
「久々に弾いてもらえないか?」
アナトーリーは硬い表情のまま頷く。
ポロン ポロン
小さな楽器は綺麗な高い音が出る。アナトーリーは音を確認していく。その間に彼は、少しずつ和らいだ表情になっていく。そして、ゆっくりとやわらかな音で奏で始める。連ねられる旋律にライドフェーズは心地良く酔う。
(優しい気持ちになる)
寛ぐライドフェーズがふとシノを見ると、切なそうに目を細めアナトーリーの指先を見ていた。ユーリグゼナがここで弾いた曲かもしれない、とライドフェーズは思った。
彼がアナトーリーに演奏を命じることはほとんどない。弾くとき彼は隙ができる。敵が多い状況下では無理だ。そう考えていたライドフェーズは苦笑いする。
(違うな。アナトーリーの本当の姿を隠しておきたかっただけかもしれない)
ライドフェーズは昔と同じく、心を奪われながらそう思った。
アナトーリーは曲の終わりに近づくと、チラチラと扉を見ていた。シノが小さくため息をついて、扉を開ける。その瞬間、扉に貼りついていた子供たちがドサドサっと倒れこんできた。彼らを見下ろすシノの厳しい視線に耐えきれず、子供たちは逃げ出す。逃げ遅れた、もしくは逃げなかった二人は、シノの前に姿勢を正し顔を強ばらせたまま立っていた。
シノはすまなそうにライドフェーズに言う。
「申し訳ございません。私の指示が行き届いておりませんでした」
男の子が首を振る。
「いいえ。シノさんは部屋から出ないように言いました。言いつけを破ったのは僕です」
「違うわ。私が部屋を抜け出したから、探しに来てくれただけ。悪いのは私」
小さな女の子はライドフェーズを睨み、強い口調で言う。ライドフェーズは呆気にとられる。ずっと控えていたセシルダンテが笑い出す。
「護衛や側近を先に帰らせる指示を出した私の責任でしょうな」
「そうしろ、と言った私のせいにしたいのか」
ライドフェーズが言い返すと、セシルダンテは楽しそうに頷いた。シノとアナトーリーは小さく息をついて顔を見合わせた。
アナトーリーは、楽器を置き男の子と小さな女の子に声をかけた。優しい表情で少し話をして金属の棒を二本ずつ叩く。重なる音が単純で美しい。子供たちに叩かせ、それに合わせアナトーリーは弦楽器を弾く。音色が重なり響き合う。辺りの空気を清浄なものに変えていく。
(これだけのことをアナトーリーはあっさりやってしまうのだ)
ライドフェーズはアナトーリーが誇らしい。彼が楽しそうに演奏している姿を見ながら、ライドフェーズは思う。
(ずっと側にいて欲しい)
何も持たない当時のライドフェーズを慕い、忠誠を誓ってくれた唯一の男。
ライドフェーズはユーリグゼナの鎖を奪うため、密かにペルテノーラを出る決意をした時、アナトーリーは離れて暮らす姪ではなく自分を選ぶと思っていた。何があっても二人の関係は変わらない、そう信じて疑わなかった。
(でも、そうはならなかった。私も……)
今でも戦いで亡くなった同胞たちの顔が浮かび、犠牲の意味を彼に問う。それでも。敗戦国側の人間といえど、ユーリグゼナの命を軽く思えなくなった。王に認められたことは、それが正しいというシキビルドの、そしてこの世界の意志だと思っている。
(いつか。双方のわだかまりは解けないか? 元通りになる日がくるのではないのか?)
そう思い、気の緩むライドフェーズにふっと過ぎる。なぜ朱雀の間の記憶が曖昧なのか。
(朱雀が、アナトーリーを惣領と認めていないとしたら……?!)
そう考えれば、様々な矛盾が消えるような気がした。背筋が凍るように冷たく感じる。慌ててライドフェーズは自分の考えを打ち消す。アナトーリーを見ると、子供たちと穏やかな表情で演奏を続けていた。
彼がいなければ戦争は長引いたし、復興もここまで上手くは進まなかった。何より……
(アナトーリーが私をシキビルドの王にしたのだ。惣領でなければ、何なのだ)
ライドフェーズは霧を掃う様に、頭を何度も振った。アナトーリーを手放す気持ちなど微塵も無い。ユーリグゼナが養女となれば、王とパートンハド家との繋がりは強固になる。何の不安もあるはずがない。
次回「森の小屋」は5月3日18時掲載予定です。




