45.守れない
久しぶりに友達に会ったユーリグゼナは、話せなくても楽しく過ごしていた。スリンケットが来るまではと、ゆっくりお茶を飲む。
ところがスリンケットはなかなか現れない。彼が特別室に来たときには、ほとんどの学生たちが目覚め、寮内に人が溢れていた。秘密裏に動くユーリグゼナは学生が授業に行って出払うまで、待たなければならない。それでも、フィンドルフは自分がユーリグゼナをシキビルドまで送っていくのだと主張する。授業を休む覚悟だった。
(フィン、行って)
ユーリグゼナはフィンドルフの手を取り伝える。フィンドルフが不服そうに彼女に伝える。
(俺に約束を破らせる気かよ)
(もう守ってもらってるよ。私を口実に授業サボる気でしょう?)
彼女の言葉にフィンドルフが反論しようとすると、アルフレッドがフィンドルフの肩にそっと手をのせ言った。
「フィンドルフ。スリンケットは姿を消す陣をひける。心配いらないと思う」
スリンケットは午前中の授業が無く、適役だった。ユーリグゼナはアルフレッドの様子を見ていて思った。
(アルフレッドは感応の能力無いって言ってたけど、本当かな? いつも他人の気持ち読み取ってるよね?)
彼女がそんなことを思っているうちに、話がつき三人は朝の準備に自室に帰る。テラントリーが心配そうな顔でユーリグゼナの手を取り言う。
「早くのご回復を祈っています……」
最後の方は涙声になる。ユーリグゼナは彼女の頭を片方の手でそっと撫でた。テラントリーは名残惜しそうに部屋を出る。続いてフィンドルフがちょっとユーリグゼナを睨みながら、一度だけ手を振り出て行く。
アルフレッドはユーリグゼナの側に行くと、少し顔を近づけて囁くように言う。
「ユーリが学校にくるのを待ってる……」
それが彼の願いであり、簡単に叶わないことも分かっているようだった。ユーリグゼナはアルフレッドを悲しそうに見る。それを見てアルフレッドは切な気に微笑み、彼女の頭をポンっと叩くと退出していった。
スリンケットは遅れた謝罪をしたあと、静かに退出する三人を見送っていた。いつも通りを貫こうとする彼の顔が、ユーリグゼナには少し張りつめているように見える。
(わざと遅く来たのは、私だけに話があるから?)
ユーリグゼナはそう思いながら、スリンケットに促され彼と共に椅子に座る。そうしてようやくスリンケットは、ユーリグゼナの目を見た。
(今日はこのままで話すよ)
触れていないのに、ユーリグゼナにスリンケットの声が聞こえてくる。彼が普段封じている能力を感じる。ユーリグゼナはそれに、そっと能力を添わせてみた。すると、まるですべての壁が取り払われたかのように視界が広がり、スリンケットを見ているというより感じているような状態になる。ユーリグゼナが驚いてスリンケットの顔を見ると、彼も青い目を見開いていた。ユーリグゼナは思った。
(これは楽ですね)
(これは話しにくいね)
同時に違うことを思った彼の嫌そうな雰囲気が伝わってくる。スリンケットは表情と本音がたまにズレている人なので、ユーリグゼナとしてはとても話しやすい。そんな思いも伝わってか、スリンケットは不愉快そうだ。ユーリグゼナは伝える。
(すみません。能力を抑えます)
(いや。いい。ユーリグゼナが楽な方がいいよ)
スリンケットのいたわりと焦りが混ざって彼女に伝わる。
(紙の手紙のこと、本当にすまなかった。僕が王に渡したことを前もって伝えていれば、ユーリグゼナが連れ出されることはなかったね……)
彼の深い息づかいが聞こえてくるようだった。ユーリグゼナは首を振りながら思う。
(気にしないでください。どんな風によびだされても、私はライドフェーズ様について行きましたから)
迷いなく言うユーリグゼナに、スリンケットはいつもと違い厳しい表情になった。
(ユーリグゼナ。君は最初から犠牲になるつもりだったの? 家族が必死に君を守ろうとしたのに? どれだけアナトーリーが心配して苦しんだか分かってる?!)
彼が苛立ちを隠さず言う。めったにないスリンケットの怒りに、ユーリグゼナは怯える。誤魔化すように話題を変えようとする。
(……私に何か話があったんですよね)
(そう)
スリンケットは大きくため息をつく。彼女の誤魔化しに気付きながらも、話題を変えた。彼の赤茶色のくせ毛が揺れる。
(……これ見て何か思い当たる?)
スリンケットは軽く目を閉じる。その瞬間、黒い髪に明るい茶色の目をした可愛らしい女性が浮かぶ。ユーリグゼナの脳裏にその彼女との思い出が一気に蘇る。
(ロヴィちゃん……)
彼女はまだ両親も祖父もアナトーリーも邸宅にいた頃、パートンハド家に良く来るお客様だった。ユーリグゼナの記憶がスリンケットにも見えているようで、彼は呆然と空を見つめている。
「ロヴィ……」
その声は日頃のスリンケットからは思いもつかないほど、甘く切ない声だった。スリンケットからの映像が心に流れてくる。彼女との親し気な様子が浮かんでは消える。ユーリグゼナが見ていられないほど、どんどん親密なものになっていく。急いでユーリグゼナは心を閉ざす。映像が消え、元の特別室の室内の風景が彼女の目に映る。ユーリグゼナはホッと息をついた。そして思う。
(恋人だったんだ)
彼女はパートンハド家の家族と仲が良く、遊びに来た日はみんな楽しそうだった。最近思い出した中で、唯一幸せな記憶だ。スリンケットは立ち上がり、ユーリグゼナの肩に触れ伝えてくる。普通の感応の能力だった。
(ありがとう。思い出してくれて。もう誰も彼女を話題にしないから……嬉しかった)
スリンケットは青い目を細めて微笑む。辛そうにもホッとしたようにも見えた。ユーリグゼナは伝える。
(今まで何度か私に匂わせて聞いていましたよね? 分かっていなくてすみませんでした)
(いいんだ。僕が勝手に期待してただけ……)
彼は小さく首を振った。ユーリグゼナは慎重にスリンケットに聞く。
(なぜ今になって、隠していた強い能力を使ってまで、私が思い出せたか確認するんですか?)
スリンケットは少し笑った。
(今日こんなことになったのは、ユーリグゼナの能力のせいもあるから。……ロヴィは、ロヴィスタは戦争前から諜報の仕事をしていて、そこに大国ウーメンハンへの切り札になる情報があったらしい。王とペルテノーラ王がね、それを欲しがっている)
彼の話に、ユーリグゼナは頭の回転が追い付かず、ぼんやりしてしまう。それを見てスリンケットは苦笑しながら聞く。
(他には思い出せないんでしょ?)
(はい。すみません)
(謝る必要はないよ。悪かったね。体調悪いって分かってて無理させた。アルフレッドがいたら、僕を止めただろうな)
そう言うとスリンケットは手を差し伸べ、ユーリグゼナを立たせた。
(送るよ)
彼は姿が見えない陣をひくと、時空抜道へ向かう。入り口で陣を解き、一緒に中へと進んでいく。スリンケットは話す。
「僕は今年、ユーリグゼナが学校に来れなくて少しホッとしている。不謹慎だけど……」
ユーリグゼナは首を傾げ聞いている。スリンケットは続けた。
「君は音楽でシキビルドの地位を高めた。謝神祭での曲も演出も学生たちの記憶に鮮明に残ってる。アルフレッドは、他国の学生たちに『ユーリグゼナを出せ』『今年は何をやるのか』って詰め寄られて困ってるよ」
ユーリグゼナは繋いだ手から彼に伝える。
(他国にですか?)
スリンケットは軽く手を握り返して、少し含みのある言い方をする。
「そう。他国に。シキビルド寮は去年の終わりの雰囲気のまま。いい意味でも悪い意味でも和やか。なーんにも分かっていないから」
(何が分かっていないのですか?)
ユーリグゼナの問いに、スリンケットは静かに答えた。彼の青い目が細められる。
「貧弱な敗戦国が、独特のやり方で文化豊かな平和な国になってきた。他国はシキビルドの新しい国造りが自分たちにとって、利になるか脅威になるか見極めに必死なんだよ。シキビルド国内の王の結婚式や祭りのことも、すでに他国に知られ話題になってる。……君もね」
そう言いながらスリンケットは歩みを止め、ユーリグゼナを正面から見た。暗い中でも彼の苛立った表情がユーリグゼナには見えるような気がした。
「自分の価値を知らなさすぎる。ユーリグゼナの生み出す音楽の影響は大きい。君を支持する人が本当に増えたけど、それ以上に君を利用するために近づこうとする者も増えてしまった。各国の為政者たちも君に目をつけた。……もう守れないよ」
(え?!)
「もうパートンハド家だけでは、君を守れない」
スリンケットが悔しそうに言うのを、ユーリグゼナは不思議な気持ちで見つめていた。
彼は彼女の両手を掴み、痛いくらいに握りしめる。俯いたスリンケットの額が、ユーリグゼナの手に寄せられる。ユーリグゼナの手首に彼の赤茶色のくせ毛がかかった。
「……生きて帰ってきてくれてありがとう。僕はもう失いたくない」
スリンケットはかすれた声で言った。握りしめる手は力強いのに、小さく震えているようにユーリグゼナは感じた。普段は髪で隠れている、彼の耳の耳装身具が露になっている。とても綺麗な薄紫色の石がはめられていて、闇の中で小さく光っていた。
スリンケットはユーリグゼナの手を放し、さっと自分の顔を拭う。彼は冷静ながらも張りのある声で言った。
「僕からアナトーリーに話すよ。王と距離を置いている場合じゃない。協力を仰ごう」
そう彼は言うと、もう一度ユーリグゼナの手を取り歩き出す。ユーリグゼナは繋いだ手から気持ちを伝える。
(スリンケット。心配かけてすみません。そして、その……ありがとう)
スリンケットは振り返り、彼女に優しく微笑んだ。
ユーリグゼナは歩きながら、考えずにはいられなかった。彼が何を失ったのか。
次の月曜更新休みます。
次回「君待つ日々」は4月22日18時掲載予定です。アルフレッドと友人の日々です。




