43.苛立ち
アナトーリー視点続きです。
アナトーリーが養子院に着くと、子供たちが案内を務めてくれる。その中の年長の男の子は、アナトーリーを誘導する動作がとても綺麗だった。
(シノは教えるのが上手いな)
アナトーリーはそう思って表情を緩める。すると、子供たちの中で一番小さな女の子が小声で訊いてきた。
「魔獣のお姉さんは今日は来てくれないの?」
年長の男の子が慌てて背に庇う。女の子をアナトーリーの視界から隠した。
「申し訳ございません」
孤児に高圧的な態度をとる客が多いのだろう。アナトーリーは年長の男の子に微笑む。
「問題ないさ」
小さな女の子の前に腰を落とし、目線を合わせた。
「来て欲しい?」
小さな女の子は、アナトーリーを見つめる。
「ええ。またあの綺麗な音を聞かせて欲しい。魔獣の鳥さんにも会いたい」
「そうか……音楽の方は難しいかもしれないな」
小さな女の子は、しゅんとして表情を曇らせる。アナトーリーは優しく言う。
「魔獣の鳥さんの方は彼女に頼んでみるよ」
彼女の顔がぱっと明るくなった。アナトーリーは微笑みながら立ち上がり、年長の男の子に案内を促す。男の子はホッと息をついた。
季節外れの柚子茶を、シノは嬉しそうに受け取った。
「冷やして飲むのですね。早速御館に戻って試しましょう」
シノはにこにこと微笑む。整った顔立ちが花のように美しく映える。
彼は最近少しやつれた……というか、艶っぽくなった。
(シノは不思議な奴だよな。平民とは信じがたい完璧な所作……)
そんな彼をペルテノーラから呼び寄せ、有用しているシキビルド王ライドフェーズが、一番不思議な人間と言える。亡命中のどうしようもないアナトーリーを拾って側近にしたのも、ライドフェーズだった。
(まさか自ら距離を置くようになるとは……)
アナトーリーの胸に苦いものが広がった。打ち消したくて、シノとの雑談に気持ちを向ける。
「ヘレンがな、御館に持っていかず俺たちで飲むように言っていた」
「そうなのですか?」
シノが不思議そうに言う。店で売っている柚子茶は非加熱の蜜が使われていることがあり、赤ちゃんに良くない。持参した柚子茶は問題ないが、セルディーナが柚子茶を好んでよく飲むため、注意喚起が今回持参した本当の目的だった。そう説明したアナトーリーの、薄い茶色のやわらかそうな髪が揺れる。
「なんかな。ヘレントールはそう言いながらも『とにかく二人で休憩してきて!』って訴えてくるんだ」
不満そうに言う彼に、シノが目を泳がせた。
「そ、そうですか。しかし困りました。実は今朝から、養子院の冷容魔術機械が壊れていまして……」
冷容魔術機械とは、平民でも使えるように改良された食料を冷やしておける魔術機械である。夏の必需品として、平民の中で広まりつつあった。アナトーリーは眉をひそめた。
「それは大変じゃないか。すぐに修理するんだろ?」
「それが……。今日はお休みを取っているところが多く、頼めないのです」
シノが仕方なさそうに微笑む。アナトーリーはあぁそうか、と呟き手を額に当てて言う。
「今日は祭りだからか」
シノは頷く。アナトーリーはすくっと立ち上がり、彼に言う。
「いいよ。俺が直す」
「えっ。そんなわけには。明日には頼めますし……」
慌てるシノを尻目に、アナトーリーは腕まくりして扉に立ち、うん? とシノを振り返る。観念したシノは笑顔で言う。
「それでは、お願いいたします」
養子院の厨房の横にある食糧庫の中に、冷容魔術機械は置かれていた。清掃はされているが、年季が入っている。食糧庫の中は窓がなく薄暗い。特権階級の人間が尻込みするような空間に、アナトーリーは平然と入り込み魔術機械の故障個所を確認していく。
周りの食料品を作業の邪魔にならないよう移動するシノに、アナトーリーは言う。
「内部の基幹部分の魔法陣が一部破損していた。すぐ直せるよ」
「ありがとうございます!」
シノの声が明るい。アナトーリーは作業を続けながら、打ち合わせを始めた。
「子供たちの教育は上手く行っているようだな」
「はい。おかげ様で」
「フィンドルフの側人、推薦できるか?」
「はい」
シノは分解用の工具を彼に手渡しながら嬉しそうに答えた。そしてシノは特権階級向けの側人の教育ができる人材を紹介して欲しいと、彼に頼む。アナトーリーも了承し、基幹部分を分解しながら言う。
「で、本題だが──礼堂は完全に撤去でいいんだな」
シノは分解を手伝う手を止め、真剣に言った。
「はい。できるだけ早くお願いいたします」
アナトーリーは彼の早急な様子に少し違和感を感じる。
「なぜだ?」
少し戸惑いながらシノは答える。
「……破損が酷く危ないのです。子供たちには近寄らないように言っておりますが」
「そうか」
アナトーリーは静かに言った。破損が酷いのはユーリグゼナが壊したせいである。
「分かった。早々に撤去しよう。予定が決まったら連絡する」
アナトーリーの言葉に、ホッとしたようにシノは頷き、部品を分解した順に並べていった。
アナトーリーは冷容魔術機械を稼働させ、無事に動くか確認しながら、冷たい柚子茶の準備する。平民用の冷容魔術機械は少しの燃料で長く使える分、冷えるのに時間がかかる。それとは別に魔法陣を使い二人分の氷をつくり、柚子茶をいれる。辺りには柑橘の甘酸っぱい香りが漂い始めた。
デカい男が二人もいれば、狭い食糧庫は蒸してくる。でもアナトーリーは移動が面倒になった。そのまま機械の調子を見ながら、立ったままお茶する。
アナトーリーが淹れた氷の浮かぶ柚子茶を、恐縮しながらシノは飲む。飲んだ瞬間、ふっと気を抜いたように微笑んだ。アナトーリーに淹れ方のコツを訊ねてきた。
「俺はコツも何もないんだが……。淹れる時に濃い目にすると美味しいと思う」
シノは、濃い目ですね、と無邪気な笑顔で言う。彼が年下らしく可愛く見えた。
(こんな顔もする奴だったのか)
アナトーリーは、真面目だが少し堅苦しい性格だと思っていたシノの認識を改める。気が緩み、避けてきた話題を口にしてしまった。
「最近、御館で会わないな」
シノは少し目を伏せて笑う。
「……はい。私はほぼ養子院で過ごしています。王女の誕生もあり、側人の仕事は女性中心になりました」
「そうか。俺も御館に行く機会が減った」
アナトーリーの言葉に、シノは寂しそうに頷く。結婚式の準備でも時空抜道開通までの日も事あるごとに、二人は連日連夜御館で過ごしていた。それが遠い昔のように思える。アナトーリーは続けた。
「お祝いの雰囲気、苦手か?」
シノは息を呑んだ。さっと顔色が失われた。アナトーリーは苦笑する。
(シノが御館に寄りつかない本当の理由だな)
本当のことが言いにくい立場の彼の代わりにアナトーリーは言う。
「俺は苦手」
シノは切なそうに顔を歪めたが、何も言わない。アナトーリーは濃い紺色の目を細め、努めて静かに続ける。
「正直、祝う気にはなれない。ユーリはあの日からずっと苦しんでる。声も戻らない。シノは……どう思ってる?」
シノは彼を見つめるが、下を向いてしまう。やがて戸惑いを滲ませながら、静かに語り出した。
「今回の件……結果だけ見れば国にとって良いことばかりです。ライドフェーズ様が神獣に認められ、セルディーナ様の体調も安定して、王女も無事に生まれました。……その陰でユーリグゼナ様が犠牲になったことを、世の人々は知りもしません。私にはその全てを仕組んだ人間がいるように思えて、非常に…………すみません」
シノは手を握りしめ、言葉を切った。アナトーリーは紺色の目で彼を見た。
(シノは姉上が仕組んだと思っている)
少し前シノがパートンハド家を探っていたのは、御用達の研に聞いて知っていた。彼の言動からそう察することができる。
(ヘレンも俺も姉上が意図したことだと確信している)
確証など何一つない。妹弟として彼女の手腕を見てきた彼らの勘だ。アナトーリーは苦し気に顔を歪める。
(じゃあ、なぜ娘を追い詰めるようなことを仕組んだ?)
シキビルドのため。そうなのだろう。結果そうなった。だとしても、あれほど愛しんだ娘ユーリグゼナを、なぜ犠牲にしたのか。アナトーリーには姉ルリアンナの行動が理解できない。
黙り込んだアナトーリーを、シノは心配そうに見ていた。
「アナトーリー様、どうかご自愛ください」
「え? 俺?」
アナトーリーは不思議そうな顔で聞き返す。シノは小さく息をつき真剣な顔で言う。
「……あなたに倒れられたら、本当に困ります」
多分心配されていて、意外と頼りにされていて。アナトーリーは驚きつつも、嬉しくて、くすぐったくなった。
少し暑い部屋で飲む冷たいお茶を、とても美味しく感じた。アナトーリーはお代わりを自分とシノに入れる。食糧庫を出るまでに、満タンだった玻璃の器の柚子茶の素は、半分ほどに減っていた。
アナトーリーが家に帰ると、祭りで見かけた服装のままユーリグゼナとアラントスとユキタリスの三人が待ち受けていた。次男アラントスは重そうな袋をアナトーリーに手渡す。
「これ連から」
アナトーリーは受け取り、戸惑いながら袋の中を見る。
(酒と本?)
彼は小さな書付がつけられていることに気づき、袋から出し読んだ。
『周りに心配かけるなボケ!! 俺の秘蔵の酒と愛読書だ。年上美人妻ものにしておいた』
中の本の表紙に「昼下がりの約束」とシキビルド現地語で書いてある。アナトーリーは慌てて全てを袋の中に突っ込む。
(こんなもん子供に運ばせるなよ!!)
少し顔を赤くして、周りを見ると子供たちにじっと見られていた。末っ子ユキタリスが彼の顔を覗き込み言う。
「アナトーリー、すこしげんきになった」
「えっ?!」
アナトーリーが驚いていると、呆れ顔の姉ヘレントールが近づいてきて言う。
「アナトーリー。いい加減にしてくれる?」
「は?」
「子供にまで心配かけるなんて、大人として最低よ」
「俺、何か……いでっ!!」
彼が言い終わる前に、ヘレントールの拳が彼の頭に降ってきた。そして彼女は続ける。
「みるみる痩せていくし、その顔色の悪さと言ったら!」
ヘレントールは、苛立ちのあまりバンバン机を叩いていた。アラントスとユキタリスは母親の勘気を察して部屋から逃げていく。
「新しく注文した夏用の服、また仕立て直しでしょう?! ご飯も余ってしょうがないのよ。さっさと元気になってもらわないと、本当に面倒!!」
彼女は久々に怒鳴ったせいか、凄みが増しているようだった。アナトーリーは自分の着ている服をつまむ。
(確かに服が緩くなった。髭も剃るとき骨が当たって剃りにくい)
アナトーリーはようやく自分の異常に気づいた。潔く言う。
「ヘレン。悪かった。改める。ユーリ、ごめん」
静かに二人の様子を見守っていたユーリグゼナは、小さく首を振った。アナトーリーが連の贈り物を持って自室に戻ろうとすると、ヘレントールが言う。
「その本読むの後にして」
アナトーリーはピクリと肩を動かし、動きを止める。その瞬間、ヘレントールから何か光るものが飛んできた。彼はひええーっと怯えながら、それを受けとめる。
「鞘無しの剣を放り投げるなんて、俺を殺す気か?! 心配してるんじゃなかったのかよ!!」
「心配してるわよ。パートンハド家たるものいつでも対応できるよう、身体の鍛錬は基本でしょう?! サボり過ぎよ。ユーリも」
ヘレントールが仁王立ちで二人に言う。彼女の言葉にユーリグゼナはこくんと頷いた。すると、避難していたアラントスとユキタリスが部屋に戻ってきて言う。
「僕もやる!!」
「ユキも!!」
アナトーリーは仕方なさそうに、剣をクルクル回しながら言う。
「じゃ、やるか……ヘレンも」
「え?!」
離れかけていたヘレントールが立ち止まり、振り向いた。アナトーリーは笑う。
「ご飯の用意手伝うからさ。それに……今、俺たちに振られる仕事激減してるから、暇だろ?」
ヘレントールは水色の目を見開き、すぐににっこり笑った。
「そうね」
「俺たちいなくても国は回っていくんだな……」
少し寂しそうに言うアナトーリーに、ヘレントールは言った。
「馬鹿ね。本来パートンハド家は非常時以外は暇な家よ。平和になったということでしょう?」
彼女の言葉に、アナトーリーは少し楽になった気がした。
次回「届けたい」4月12日18時に掲載予定です。
ようやくユーリグゼナが一歩踏み出します。




