42.遠くの祭り
アナトーリーの回想と日常
4/5掲載分です。
アナトーリーは戻らぬ日々の夢を見る。
彼は卒業後、今は無きパートンハド家の邸宅で、父ノエラントール、姉夫婦と過ごしていた。
「君が作った風車は本当によく回るなあ」
義兄ベルンは妻ルリアンナが作った風車の、青と白の羽根部分に息を吹きかけクルクルと回す。
ルリアンナはぽうっと顔を赤らめると、すぐに俯き次の風車の製作に取り掛かる。今度は黄色と白で色違いを作るようだ。
ベルンの膝の上には、彼の娘ユーリグゼナがちょこんと座っている。小さな少女は黒曜石のような目をきらきらさせて、見入っていた。
アナトーリーは自分の手元にある、強力に息を吹きかけないと回らない風車を見ながら、口を尖らし言った。
「ベルンが言い出したのに、何で自分で作らないんだよ」
ベルンは、にいっと笑って答えた。
「僕が作ったらアナトーリーと同じくらい回らなかったんだ」
アナトーリーはムッとして、自分の作った風車を放り投げた。彼の薄い茶色のやわらかな髪が揺れる。ベルンは頭をぽりぽり掻きながら言う。
「いやー。見たことはあっても、実際に作ると奥深いね。自分の奥さんが優れていることを再認識したよ。可愛いだけじゃなく、こんなに賢いだなんて僕は本当に幸せ者だなあ。この間の彼女がまた素敵でね……」
「ベルン!! 止めてあげて! 姉上が……」
アナトーリーは慌ててベルンに言う。ルリアンナは顔も耳も真っ赤にしたまま、動きを停止させていた。
ベルンは彼女から目を離さないまま、ユーリグゼナに風車を手渡し膝から下ろす。そしてルリアンナに近づき顔を覗き込み、優しく微笑んだ。
「これ、他の人でも作れるように設計図作ってくれる?」
ルリアンナは顔が赤いままベルンを見て、小さく頷いた。それを見てベルンは嬉しそうに笑った。
◇
アナトーリーは人の動く気配で目が覚める。彼は姪ユーリグゼナの寝台に寄りかかるように寝ていた。夏の強い日差しに目がくらむ。窓から差し込む光の中にユーリグゼナがいた。彼女はすでに朝の支度を終えていた。アナトーリーに近づくと、そっと彼の肩に触れる。
(まだ寝てて)
心の言葉で伝えてくる。アナトーリーは彼女に促され、寝ぼけながら寝椅子に向かう。それを見守っていたユーリグゼナは、家族の朝ごはんの準備をするため部屋を出て行った。残されたアナトーリーはまどろみながら思う。
(なんでベルンと姉上の夢なんか……)
ぼんやりした頭で考えているうちに、ライドフェーズの娘の誕生を祝う祭りの打ち合わせで、町の装飾に風車を使う話をしていたことを思い出す。今日がその祭りの日だ。それに影響されたか、とアナトーリーは思った。
ライドフェーズがユーリグゼナを連れ去った日以来、ユーリグゼナは過去の記憶が戻りつつあった。アナトーリーは苦々しく顔を歪める。
(ユーリは記憶が戻ったことを、俺たちにいわない……)
アナトーリーは毎晩、彼女が眠っている間に精神浸食の能力で彼女の心の中を盗み見ている。彼女が思い出した記憶は、彼女の父母と祖父に関わるものがほとんどだ。家族処刑や一人取り残された後のことなど、重く苦しいものばかり。子供が一人で抱えるような内容ではない。彼女は徐々に、そして確実に痩せてきていた。
(こんなことになったのは、俺のせい……)
アナトーリーはユーリグゼナが声を失った日からずっと、抜け出せない渦の中で生きている。
最近、姉ヘレントールは変に優しい。
「お代わりいる?」
そう言ってアナトーリーの顔を伺っては、やたら食事を勧めてくるのだ。
(もしかしたら、慰めようとしているのか?)
アナトーリーはそう思いながらも、正直身体が受け付けない。断ると、しゅんとするヘレントールを見てアナトーリーはかえって気が重くなる。今日は二人だけだった。甥の長男フィンドルフは学校に行っていて秋まで戻らない。姪のユーリグゼナと甥の次男アラントス、末っ子ユキタリスはすでに食事を終えていた。アナトーリーはヘレントールに聞く。
「今日は静かだな。子供たちは何してるんだ?」
「祭りを見に行ってるわ。ユキがユーリにせがんで」
「だ、駄目だろう。ユーリは……」
アナトーリーが心配で椅子から、腰を浮かせる。それを見てヘレントールはバシッと彼の背中を叩いた。
「大丈夫よ。アランがいるから上手くやるわ。ユキがユーリの気持ちを聞いてくれるだろうし。ユーリも少しは外に出た方がいいわ」
ヘレントールはお茶を用意し、アナトーリーに向かい合って座る。
「昨夜もユーリの記憶みてたんでしょう?」
アナトーリーは頷く。
「ああ。鳳魔獣との契約は人間の婚姻に近いものだったみたいだ。ユーリは全然理解せずに契約してた」
湯気が立ち昇る熱いお茶に躊躇しながらアナトーリーは言う。ヘレントールはふうん、と相槌を打つ。
「驚かないのか?」
「ええ。ユーリの治療したとき、何となくそうかも、と思った」
平然とした彼女に、アナトーリはむっとした。
「言ってくれよ! ユーリ、結婚は無理ってことか?」
「結婚はできるわよ。婚姻は解消できないけど、多重には結べるし。それより……鳳魔獣がユーリにとってかけがえのない者だったということね?」
「そうだ。ユーリが一人きりの時、ずっと側にいてくれたんだ」
アナトーリーが目を伏せ、かすれた声で言う。ヘレントールは弟を観察しながら、話題を変える。
「ペンフォールドはなんて? 診てもらったんでしょう?」
「ああ。声が出ないのは生命活動に不具合が出てるからだそうだ。ユーリには契約魔法が何重にもかけられていて、しかも内部で絡んで一部破損してた」
「……今回の鎖が解除されようとしたのが原因ね」
目を吊り上げたヘレントールに、アナトーリーは首を振る。
「いや。きっかけに過ぎない。いつそうなってもおかしくないから、前回診てもらった時、定期的に診せる約束をユーリはペンフォールドとしていたらしい」
「でもアナは……自分のせいだと思っているじゃない」
ヘレントールはアナトーリーを見つめて言う。彼は俯き黙りこくる。彼女は小さく息をつく。
「自分がライドフェーズ様を主に選んだから、自分が守ってやれなかったから……そんな風に思いつめてどうにかなるの?」
アナトーリーは何も言わず、ただ目の前のお茶を見つめていた。それを見てヘレントールは静かに黙ってお茶を飲んだ。アナトーリーは驚く。
(ヘレンが途中で言いたいことを止めた?! ……俺、心配されてる?)
彼はそう思いながらもやはり言い合う気にはなれず、飲めるまで冷めたことを確認しながらお茶を飲んだ。ヘレントールは落ち着いた声で話題を変えた。
「今日はゆっくりしてるじゃない。休みなの?」
「ああ。休め、と言われた。最近仕事も減らされてる」
ヘレントールは呆れた顔をしながら、そうでしょうよ、と小さく呟いた。それに気づかずアナトーリーは言う。
「これからシノのところに顔を出してくる。前から頼まれてたんだ。側人の教育の件で」
「そう」
そう言うとヘレントールはしばらく席を外し、手に何か抱えて戻ってきた。ドンっと机に玻璃の容器を置いた。なぜか最近の姉は仕草が荒い。訝し気なアナトーリーに、彼女は言った。
「柚子茶よ」
「季節外れだな。これをシノに?」
アナトーリーは呆れた。今は夏だ。柚子の季節は冬である。
「冷やすと、さっぱりして美味しいから」
「まあ……な」
アナトーリーは柚子茶を鞄にしまい、王の側人シノのいる養子院へ向かう。
向かう途中の道々は普段より華やいでいる。大通り沿いを彩る装飾物の下に、それぞれ緋色や黄色や緑や桃色の吹き流しが、長く垂れ下げてあった。
小さな子供と両親の親子が楽しそうな様子で、アナトーリーの前を通り過ぎる。子供の手には風車があった。羽の部分が鮮やかな赤と白だ。
通路には人がくぐれるよう鳥居のような門が連ねられていた。赤色の門には何個もの風車と鳴り物が配されている。人々は列を作って、順番に笑顔でその下をくぐっていく。
不意に強い風が起こった。
カランカラン
パサパサパサ
鳴り物の下についている短冊が揺れ、音が鳴り響く。鮮やかな吹き流しが風に瞬き、風車も勢い良く回る。辺りの人びとから歓声が上がった。アナトーリーはその光景を見て、心の中が刺激された。今朝見た夢の続きが思い出される。
(ああそうだ。あの後ベルンは……)
ベルンはルリアンナに作ってもらった風車の設計図を持って、連に製作を依頼した。そしてある日、『楽屋』の近くの通路をその風車でいっぱいに飾り立てた。
(今日みたいに色鮮やかな風車がいっぱいで、風が吹くたびに歓声が上がった。その日は……)
ユーリグゼナが生まれた六年目の記念日だった。ベルンの世界では生まれた日に毎年誕生を祝うらしい。アナトーリーの脳裏に、幸せそうな三人が浮かぶ。幼いユーリグゼナは通路をうろうろ歩きまわり、風が吹くたびに黒い目をきらきらさせる。それを見て、ベルンとルリアンナが嬉しそうに微笑み合う。夢のような幸せな日は確かにあったのに。
アナトーリーは表情の抜けきった空虚な様で、祭りの様子を眺めている。今日の祭りはどこか遠くのもののように思うのだ。彼は大勢の歓声の中、一人立ち尽くすユーリグゼナを見つけた。
(ユーリ……)
声をかけるのを躊躇う。黙って見つめるうちに、アラントスとユキタリスが、ユーリグゼナに駆け寄ってきた。彼女は従弟二人に吊れられ、人混みに消えていった。
次回「苛立ち」は4月8日18時に掲載予定です。
ユーリグゼナの失った記憶「おわった日」を前話に移動しました。読みかけの方、ご迷惑おかけします。




