40.対峙
視点がアナトーリー→ライドフェーズと移動します。
アナトーリーは周りを警戒しながら、シノに聞く。
「シノは襲われていないんだな?」
「はい。実は私には何も見えていません」
「え?!」
アナトーリーは濃い紺色の目を見開く。彼には存在感のある黒いものが、部屋全体に網目のように広がって見えていた。どこから襲ってくるかと、緊張感が高まる一方だ。
「全然見えていないのか?! この黒いもの全部」
「……はい。見えるのは魔法陣が僅かに光っていることだけです」
シノが答えた矢先、アナトーリーの背後から黒い塊のようなものが飛んでくる。今回はアナトーリーが避け切ることができた。彼は小さく息を吐く。
「やっぱり俺しか狙わない。協力してもらっていいか? 命がけになるが」
シノは灰色の目でアナトーリーを見つめて言う。
「構いません。主の間違いを償いたいのです」
「……俺の主でもあるんだよ。あの方は」
アナトーリーは周りを睨みながら顔を歪める。シノはアナトーリーの邪魔にならないよう、声を絞る。
「では二人で正しましょう。仕える者の役目です」
アナトーリーがシノの顔を驚いたように見つめる。その瞬間黒い塊がアナトーリーを襲ってくる。彼の反応が一瞬遅れた。シノがそっとアナトーリーの頭を腕で押さえ庇った。すると黒い塊はシノを避けるように、スッと方向を変えすり抜けていく。
「見えてるのか?」
アナトーリーは目を見開く。黒い塊から目を離さずにシノ聞く。シノは小さく首を振る。青紫色の髪が揺れる。
「いえ。アナトーリー様の動きで何となく」
「助かった。ありがとう」
そう言うとアナトーリーは警戒しながらも微笑む。立ち上がりながら言う。
「俺は魔法陣を無効化する。何が起こるか分からない。シノ。ユーリを守ってくれ」
シノもアナトーリーに頷く。そして、しっかりとユーリグゼナを膝の上に抱きかかえた。
アナトーリーは解除する魔法陣を描く。しかしとても強固で、鎖の魔法陣は全然破れない。アナトーリーが起動させた魔法陣が何個も何個も蒸発するように消えていく。彼はさらに何度も何度もそれを繰り返した。
(くっそ──!! 誰だ。こんな化け物みたいな魔法陣作ったやつ)
そのうちに部屋全体に広がっていた黒いものが、一つにまとまり実体を持つ。大きな黒い鳥のような形になった。アナトーリーはやけくそでそれに話しかけた。
「ベルンなんだろ!! いい加減にしろ。もう絶対鍵盤楽器弾いてやんないからな!!」
すると、一瞬黒い鳥の動きが止まる。アナトーリーはその間にも魔法陣を描き続け、傍らで黒い鳥に話しかけ続ける。
「ユーリに色々ばらされたくなかったら、ちょっとじっとしてろ」
アナトーリーの手元でようやく魔法陣が一部消えた。光が弾け形が崩れていく。彼は少しホッとして息をつく。もう一度黒い鳥を見たときには、ユーリグゼナの方へ飛び去ったあとだった。
(しまった!)
アナトーリーが急ぎ彼女のところへ駆け寄る。あと一歩のところで突然遮られ、視界が真っ赤なもので覆われる。彼は唖然としてその正体を見た。それは赤い炎のように揺らいで見える大きな大きな鳥だった。アナトーリーはそれが何か絵で見て知っていた。
(朱雀……)
その赤い揺らぎは、ユーリグゼナの下にゆっくり降り立つ。そして、黒い鳥に対峙した。すると黒い鳥の方が急に小さくなっていき、ユーリグゼナの頭の横にふさっと翼を閉じてとまる。
アナトーリーはユーリグゼナの側に行き、傍らに座る。すると、彼女の瞼が震え少しずつ開きはじめる。黒曜石のような黒い目にアナトーリーが映りこんだ。アナトーリーは声をかける。
「ユーリ」
ユーリグゼナはまだ夢うつつなのか、意識があやふやな様子だった。ユーリグゼナはアナトーリーに伝えてくる。
(今ね。母様と父様が喧嘩してた)
ユーリグゼナは幸せそうに柔らかく笑った。
「そうか」
アナトーリーはそれに優しい声で答えた。その声を聞くと、またユーリグゼナはゆっくり目を閉じ眠っていった。アナトーリーは俯きしばらく顔を上げることができなかった。
だいぶ時間が経ちアナトーリーが落ち着いてきた頃、シノは張りつめた表情で小さな声で言った。
「ユーリグゼナ様の声は……」
「……そうだな」
アナトーリーは静かにシノに同意した。彼は自分の顔を拭いシノを見る。彼の薄茶色のやわらかな髪が揺れる。シノは頷き、抱きかかえていたユーリグゼナを丁重にアナトーリーの腕に渡した。
朱雀と黒い鳥はいつの間にか消えていた。アナトーリーはユーリグゼナをしっかり抱え、シノと一緒に朱雀の間を出た。
◇◇◇◇◇
ライドフェーズはセルディーナを抱え部屋に戻る途中、急にびくんと身体を震わせて立ち止まった。ぼんやりしている彼に、セルディーナは言った。
「行ってきて。私は大丈夫」
ライドフェーズは驚きを隠せず、彼女に言う。
「分かるのか」
「ええ」
セルディーナがそう言うと、さらりとした金髪が彼の腕にかかった。ライドフェーズは彼女をゆっくり下ろす。彼はテルにセルディーナを頼み、建物の外へ向かって行った。
ライドフェーズは御館から少し離れた立木の途絶えた空き空間に、彼に会うために歩いて来ていた。
『ギリギリだね』
鳳魔獣の声が直接ライドフェーズに届く。慣れない感覚にライドフェーズは驚く。彼に話しかけた。
「森の王か」
ライドフェーズはそういう存在がある、とアルクセウスから教えられていても、会うまでは信じ難かった。彼はからかうようにライドフェーズに伝えてくる。
『そうだよ。ギリギリの人間の王』
「ギリギリって?」
ライドフェーズは半分呆れながら聞く。彼は何でもないように答える。
『そのまま。ギリギリ朱雀に認められた、能力も心構えも顔も体力もギリギリの王』
酷い言われようだ、とライドフェーズはむくれる。
『久しぶりにシキビルドに王が立ったかと思えば、こんな奴だなんて人間の世界も大変だね……』
鳳魔獣の嘴から空気が吐き出され、彼の顔にかかる。鳥のため息があるとしたこれだな、と思われた。ライドフェーズは不機嫌そうに聞く。
「……今までのシキビルド王は何だったのだ」
『ただの自称だよ。今までのお前も含めて』
彼の物言いにライドフェーズは、眉間にしわが寄ってくる。
「なんでそんなに喧嘩腰なのだ」
『自分の番を害されそうだったんだ。殺してないだけマシだろう?』
ライドフェーズが驚いて聞く。彼の栗色のくせ毛が揺れた。
「ユーリグゼナのことか?!」
すると、鳳魔獣から低い声が短く聞こえてきた。ライドフェーズはそうだということか、と思った。鳳魔獣は言う。
『王。今回は朱雀による選定だった。大目に見てやる。今度彼女に何かすれば、お前をそのままにはしない』
彼の鋭い嘴が、ライドフェーズの頭上近くにあった。ライドフェーズは彼の艶やかで美しくも恐ろしい目を見上げながら言った。
「いいだろう。今度は殺していい」
鳳魔獣の嘴から途切れ途切れに空気が吐き出され、彼の顔にかかる。笑ったように思えて、ムッとして眉をひそめた。
鳳魔獣は用は済んだというように、ライドフェーズがいるのもお構いなしで、翼を広げ羽ばたき始める。ライドフェーズは慌てて離れる。鳳魔獣はそのまま彼の頭上高く舞い上がった。
ユーリグゼナはどうにか無事だった。ライドフェーズの感覚がそう告げている。彼が飛び立ったのもそのせいだ。雨と雷は治まっている。雲の切れ間から青空がのぞいている。
ライドフェーズが鳳魔獣に「次は殺していい」と言ったのは本気だ。弱い立場の者の命を、自分の都合で奪おうとした。責めは負わなければならない。
(これで良かったのだろうか。でも零れ落ちていく……)
ライドフェーズは息が詰まり、苦し気に地面にしゃがみ込む。ふらつき、地面に手をついた。
(神獣の御代代わりまでの時間は、短ければ一年長くても五年)
確実にセルディーナと別れることになる。彼を優しく包む彼女の手の感触。どんな状況でも彼に前を向かせる、心地のいい声。全部失う。ライドフェーズはそれを受け入れることができない。
(……まだ時間はある。あがこう)
ライドフェーズは立ち上がり空を見上げた。雲が流れていき、青空が広がっていく。彼はしばらくの間ずっと見ていた。
次回「二人の王」は3月29日18時に掲載予定です。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。これ以降は一話の中で視点移動がないよう、書けるように思います。今後も少しでも読みやすいよう修正していきます。初心者ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。




