39.決意
テル→アナトーリーと視点が変わります。
「テル、お願い。私の命よりユーリグゼナの命を守って」
そうセルディーナから懇願されたとき、テルはきちんと了承した自分を褒めた。本当は彼女と別れる心の準備など無理だった。
セルディーナはテルの親友の身体で、人間として生きている。彼女は一度だけ「私は人間の命を喰って生きてるのよ」と、冷たい目で震える声で言ったことがある。セルディーナの闇は深い。テルは懸命に生きる彼女に巣食う闇をずっと見続けている。
(終わりが欲しい、その気持ちも多分おありでしょう)
テルは暗い表情で金色の目を閉じ、セルディーナを思う。セルディーナは妖精の常識を人間の常識で無理やり塗りつぶしながら、必死にライドフェーズとの恋に生きている。とても幸せそうなのに、どこか無理があってテルは時に胸が苦しくなった。
テルはセルディーナの事が愛しくて堪らない。限りある命であることは最初から分かっている。でもそれが今でなくてもいいはずだ。
(たとえ誰かを犠牲にしても、生きて欲しい)
それがテルの本音だ。だからライドフェーズの気持ちは痛いほど分かった。
彼女は目を開け手を動かす。今日は準備を急がなくてはならない。
あの時セルディーナに頼まれたのは、たとえ自分が倒れてもユーリグゼナを優先して欲しいということ。倒れている間にライドフェーズが鎖を奪おうとした時どうするのか、ずっと打ち合わせをしてきた。でもそれももう終わりだった。
戸を叩く音がする。シノが入室を乞う。
(慌ててる……)
あまりない、いや最近は増えたシノの動揺にテルはほくそ笑む。親友の兄である同僚は、テル同様ライドフェーズとセルディーナのために尽くすことを生きがいにしている。
(でも少し、変わったわ)
シキビルドに来てから、シノは今まで以上に精力的に二人のために働いていた。テルが側人を務めるだけなのに対し、シノは政に近い仕事にも踏み込んで、王と妃になった二人を支えようとしている。
テルは戸を開けシノを見て、小さく首を傾けた。波打つような深紅の髪がゆらりと揺れる。
「おはよう。早いわね」
シノが必死に動揺を抑え込んでいるのが分かり、テルも努めて普段通りに言う。シノは応えた。
「おはよう。早いが……セルディーナ様はお目覚めか?」
「ええ」
テルはにっこり笑うと部屋へ誘う。シノはゆっくり足を踏み出した。
セルディーナはすでに着替え、出かける準備をしていた。驚いた表情で動きを止めるシノに、さらりとした長い金髪を揺らしてセルディーナが微笑んだ。
「急ぎましょう。大変だけど私を運んでくれる?」
セルディーナの腹部は大きく膨らんでいる。圧迫しないようシノは慎重に抱き上げる。少し俯きながら彼は言った。
「ご存じでしたか。でもなぜ……」
セルディーナはにっこり答えた。
「決めたからよ」
(そう。決めてしまった。終わりの日を)
テルは二人には分からぬよう顔を歪め、嗚咽に耐える。
セルディーナは迷いなくシノに行き先を指示する。彼女が触れると扉がすっと自然に開く。あまりの不可解さにテルは目を細めた。
たどり着いた場所は御館の地下の最奥だった。魔法の類が分からないテルから見ても、異質で清浄な場所だった。
最奥の扉は装飾がなく大きい。その扉もセルディーナが触れると自然に開いた。扉の先に、意識を失い倒れるユーリグゼナとそれを抱えるライドフェーズの姿があった。
(間に合わなかった……?!)
テルは顔を歪めた。
セルディーナは凛とした声で言う。
「下ろして」
呆然としていたシノが我に返った。セルディーナの足がしっかり地面を捉えるまで慎重に見守りながら下ろす。
セルディーナはライドフェーズを無視して、ユーリグゼナに触れた。彼女のさらりと長い金髪が流れる。ホッとしたように息をつく。それを見てテルは最悪の事態ではないことが分かった。
セルディーナの様子を見ていたライドフェーズが、彼女に強く言った。
「何をやってる? 安静にしておけ」
「無理よ。ライドフェーズがユーリグゼナから鎖を取り上げようとするから必死だったもの。でも……この状況は何?」
セルディーナが凄みのある表情でライドフェーズを見る。ライドフェーズは息を呑んだ。
「私は何もやっていない」
ライドフェーズの言葉に、セルディーナはもの凄く嫌そうな顔をした。テルも当然同じ顔になっていた。
(なぜ無意味な嘘を……)
同じく嫌そうに目を細めていたシノが、ぎょっとして言う。
「ライドフェーズ様。この魔法陣は……」
魔法陣が薄っすらと光り始め、徐々に光の量が強まっている。おそらく鎖の解除の魔法陣だろう。テルはセルディーナに駆け寄り、彼女の手を引く。
(すぐに離れなければ! セルディーナ様の身体に障るわ)
ライドフェーズは慌てて言う。
「全員出ろ。シノはユーリグゼナを連れて出てくれ」
ライドフェーズは慌てて扉を開ける。
ところがセルディーナはテルの手から離れ、ライドフェーズに駆け寄っていってしまう。
「ライドフェーズ。私が何とかするわ」
「駄目だ。セルディーナの鎖が壊れる恐れがある」
ライドフェーズは彼女の肩を抱き、部屋の外に連れ出す。テルは胸をなでおろした。
「でも、私ね」
なおも言いかけるセルディーナの額を、ライドフェーズはぺちっと叩いた。今まで彼女に向けることのなかった苦々しい顔だ。
「分かってる。決めてしまったんだろう。この部屋を開けられる者など王以外いないはずだ。できるのは神獣かそれに準ずるもの。セルディーナは朱雀と御代代わりの契約をしたんだ。私を置いて……逝く気だな……」
ライドフェーズの顔が歪み泣きそうな表情へ変わっていく。セルディーナは彼の頬にそっと手を添えた。
「勝手に決めてごめんなさい。でも今は…………ユーリグゼナは? シノ、どうしたの?!」
シノはまだ部屋の中にいた。蒼白な顔のままユーリグゼナを抱え座り込んでいる。張りつめた声で言う。
「ここから動けないのです……」
◇◇◇◇◇
アナトーリーは無事に時空抜道を成功させ、学生を見送った。役目を終えた彼の濃い紺色の目が鋭く光る。
(もう十分だ。ユーリを探しに……ん?)
拠点の外は大雨と落雷で、ひどい天候になっていた。
けたたましい音が起こると同時に、建物内に風と雨が吹き込む。外にいた役人たちが、慌てて奥へと避難してきた。アナトーリーは役人たちを掻き分け外へ向かう。そこには鳳魔獣が降り立っていた。
アナトーリーは呆れた顔で、雨の中を彼の下へ向かう。すると彼の心に、乗れと呼び掛けてきた。一度深く息をすると、大きな魔獣の背中に飛び乗った。
(ユーリの居場所を知ってるのか? そもそも……ユーリと鳳魔獣との繋がりが強すぎる。契約を超えるもっと濃い何か……)
下りたったところは御館だった。飛び降りて、呼びかけた。
「ここにユーリがいるんだな?」
鳳魔獣は素知らぬふりで、こちらを見ることすらしない。アナトーリーは面食らう。先にセシルダンテからプルシェルで連絡があり、ライドフェーズが御館の朱雀の間にいる可能性を聞いていた。
(一体、どうなってる。全然分からん……)
分からなければ確めれば良いことだ。
「助かった。ありがとう」
鳳魔獣は小さく頭を振った。そして動かない。アナトーリーは問う。
「何かまだあるのか?」
鳳魔獣は何も言わずそのまま動かない。アナトーリーは訝しく思いながらも、御館の建物に急いだ。
御館に入ると、アラントスが入り口で出迎える。
「アラン? もしかしてユキもいるのか?」
少し先にユキタリスと手を繋いだセシルダンテが見える。
(なんだこの状況は?! ユキがセシルダンテ様を懐柔してる……。いや、今はユーリだ!!)
アナトーリーが靴を脱ぎ捨て、すれ違うセシルダンテに会釈だけして御館の奥へ急いだ。
魔法を解除した痕跡が残っていた。アナトーリーはライドフェーズの存在を確信しながら突破していく。最後の扉の入り口が開いていた。
「ユーリ!!」
他の人間に構わず、アナトーリーはまっすぐユーリグゼナに向かっていく。シノが抱えていた彼女に、彼は触れた。
(すでに魔法陣が発動している?!)
アナトーリーはユーリグゼナに触れたまま、目を閉じ能力を使う。彼女の内部を探ろうとする。家族には効きにくいが、意識がないためどうにか潜り込んだ。
(まだ命は繋がっている。でも鎖の本体はどこだ?)
そうアナトーリーが思った瞬間、何か黒いものが彼を襲った。避け切れなかったアナトーリの肩から血が噴き出す。
「アナトーリー!!」
ライドフェーズが彼の下へ駆け寄ろうとすると、アナトーリーは彼の方へ片手をかざす。
「来ないでください。ライドフェーズ様」
「しかし……」
「今あなたを信用するのは無理です」
アナトーリーは顔を背けたまま苦し気に言った。ライドフェーズは静かに言う。
「分かった。引こう。シノが出られない。おそらく陣に取り込まれている。頼んでいいか?」
アナトーリーは頷く。
「すまない」
ライドフェーズは苦し気に言い、セルディーナを抱き上げるとテルを連れ、朱雀の間から離れた。
次回「対峙」は3月25日18時に掲載予定です。




