38.空箱
視点がライドフェーズ→ユーリグゼナ→ヘレントールと変わります。
ライドフェーズは中規模国ペルテノーラの第二王子として生まれた。恵まれた環境にあっても、彼の心はいつも空虚だった。この世界の何にも興味が持てない。他の人間が心を揺らし必死に生きる様を見ると羨ましい気持ちになる。
(空の箱だな。外側はよく整えられているのに、みんなが普通に持っているものが私にはない。中身は空っぽ)
ライドフェーズは自分の事をそう思う。政も商いも人も、本音を言うとどうでも良かった。
(こんな状態で王子としてずっと取り繕って生きていくのか)
そのことに絶望しながら、でも自分が空っぽであることに気づかれないよう繕いながら、日々を過ごしてきた。
ライドフェーズがこの世界の美しさに気づいたのはセルディーナのおかげだ。
森を濡らしていく雨の音がとても心地がいいこと、草いきれに香りがあること、枯れ葉の踏みしめる音が葉っぱの種類で違うこと、降り積もった雪が月明かりで青みがかって見えること。全部彼女が教えてくれた。
セルディーナは妖精として生まれたものの身体が弱く、その赤く澄んだ目には妖精の世界は映らない。彼女の居場所は妖精も人もいないペルテノーラの森だった。自分の命が僅かであることを受けとめ、終わりの日までを大事に過ごしていた。
森の中では、空っぽだろうと王子だろうと彼はただの生き物だった。セルディーナの側でようやく息がつけるようになり、自然界の縮図のような魔法陣の研究にのめり込んでいく。
その限りある幸せな日々に最初に耐え切れなくなり、森で幸せそうな彼女を人間の世界に引き込んだのはライドフェーズだ。それからは彼女とその周辺の人間を守ることが彼の関心事になった。
でも──。シキビルドに来てからというもの、ライドフェーズは心が荒れて落ち着かない。シキビルドの王の仕事は人任せにできなくて、思った以上に大変だった。いつの間にか彼は、日々起こる出来事に心を揺らしながら、必死で生きていた。
◇◇◇◇◇
ユーリグゼナが家を出てすぐのところに、ライドフェーズが一人で立っていた。それを見て彼女はようやく気付いたのだ。
(今日が最期だったんだ……)
ライドフェーズの傍らには大型の魔術機械があった。座る部分があり乗って飛べるようだった。ユーリグゼナは尋ねた。
「これに乗ってきたんですか?」
ライドフェーズは軽く目を伏せ、彼女に答える。
「ああ。素手格闘技戦の会場に襲撃してきた奴から没収した魔術機械だ」
「……見覚えがあります」
ユーリグゼナは襲撃の時、自分が次々と墜落させた情景を思い出し顔が引きつる。
彼女はライドフェーズに促され、飛行魔術機械に乗り込む。ライドフェーズは魔法陣で操縦を始める。逃げ出そうとは思わなかった。むしろ説明が欲しかった。
(納得できたら、私は鎖でも何でも渡す。セルディーナ様のために)
そうユーリグゼナは思いながら先に一つライドフェーズに確認する。
「笛はどうなりますか?」
「大丈夫だ。シノの手に渡るようにしてあるから、彼が返却するだろう」
「なら、良かった」
きっぱりそう言うユーリグゼナを、チラリとライドフェーズは見た。そして苦笑いする。
「まさかお前だけが私の味方になるとはな……」
「どういうことですか?」
呆けた顔で聞くユーリグゼナにライドフェーズは何も答えず、別のことを聞いた。
「アルクセウス様への願い事は決めたか?」
ユーリグゼナは、あっと口を開けて固まる。
(完全に忘れてた……)
ライドフェーズは予想通りだったのか、静かに言った。
「まあいい。適当に言っとく」
「いえ。勿体ないじゃないですか。今決めました。楽器ください。貴重なやつ」
「何の楽器だ? 名前は?」
ユーリグゼナはライドフェーズの質問に答えられない。彼女は思い付きで言ったことを後悔した。うーんと唸りながら、たどたどしく言う。
「金属の棒に小さい槌がついてるもので、音ごとに1本ずつに分かれている楽器です。演奏者は一音ずつ担当して、みんなで一曲を演奏します」
「探してみよう。名前は分からないのか」
「はい……。養子院に似たものがありました」
ユーリグゼナの言葉に、ライドフェーズは小さく息をつく。
「シノに聞いておこう。誰に渡したい?」
彼の言葉にユーリグゼナは少しぼんやりして、ふふっと笑ってしまう。
(そうだ。自分がいないの忘れてた)
彼女の頭の中には養子院で、子供たちが演奏する情景が浮かんでいる。管理者のシノに渡すか、音楽の理解者アルフレッドに渡すか。考えた挙句ユーリグゼナは言う。
「アルフレッドに」
ライドフェーズは頷き了承する。彼は飛行魔術機械を御館へと向かわせた。ユーリグゼナはすぐに見つかるように思え、心配して彼に言う。
「すぐにパートンハド家は動くと思いますよ?」
「そうだろうな。多分シノとセシルダンテも動く。でも恐らく見つけられまい」
ライドフェーズは彼女をチラリと見て、小さく息をつき再び操作する。彼は目を細め表情を暗くする。何でお前は……とつぶやきながら、ふと空を見上げた。
空からぼとぼと水が落ちてくる。大粒の雨だ。ライドフェーズは雨をはじく陣を引いた。ユーリグゼナは真上を見上げ、降ってるのに濡れない不思議に微笑む。
(便利だな。これ)
透明な屋根があるように見え面白かった。
ライドフェーズは他の人に見えない陣をひき、御館へと飛行魔術機械を下ろした。御館の中は閑散としていた。ユーリグゼナは笛の練習で一時期、毎日御館に来ていた。その時と比べて何の気なしに言う。
「今日は人がほとんどいませんね」
「ああ。今日は学校に学生が向かう日で、時空抜道の起動もするから出払っている……」
そう言うとライドフェーズはまた暗い表情になり、目線を下げた。ユーリグゼナは不思議に思いながら、彼の後をついて行った。
彼は何個も魔法陣付きの扉を開け、地下の美しく整えられた部屋の最奥へと彼女を連れて進んだ。そこで、二人は止まった。
ライドフェーズは入念に陣を操作して施錠していたが、ユーリグゼナには複雑すぎてよく分からない。彼女が一番気になったのは、部屋の中にあるルーン文字と赤い文様だった。
(色が違うけど、養子院にあったやつだ)
今日は理性が無くなるようなことがなく、ユーリグゼナはホッとしながら印を見る。見入る彼女にライドフェーズは言う。
「それは神獣朱雀の印だ」
ヘレントールに調べるよう頼まれていた情報だった。ユーリグゼナは悩む。
(ライドフェーズ様にヘレンへの伝言を頼んでもいいのだろうか……)
ユーリグゼナは考えながらうろうろしていると、床に直接書かれた大きな魔法陣を見つける。とても美しく芸術品の水準だった。彼女は座り込んで詳細を見る。
「綺麗というか、生きているみたいに精巧な魔法陣ですね」
少し興奮気味のユーリグゼナに、ライドフェーズは静かな目をして言う。
「鎖の解除の陣だ。ルリアンナが描いた」
「え? 母様がですか?!」
ユーリグゼナは目を丸くして立ち上がる。ライドフェーズに歩み寄り聞いた。
「それって……何年前の話です?」
「四年くらい前」
「誰からの情報ですか?」
「本人から手紙で」
ライドフェーズは淡々と答えた。ユーリグゼナは目を見開いたままだ。驚きが隠せない。
「母様と交流があったんですね? しかも処刑の直前まで」
ライドフェーズは頷く。彼はずっと静かな顔のままだ。
「ルリアンナに最後に頼まれたのは、鎖の解除だ。『ユーリグゼナの延命のため朱雀と鎖で繋ぐ。王が死んだあとは鎖を外してほしい。そして鎖はセルディーナのために使って』と一方的に手紙に書かれていた」
ユーリグゼナは何も言えない。ライドフェーズの話が頭の中で反芻する。ライドフェーズは彼女の様子を紫色の目でじっと見つめる。
「神獣と繋いだ場合、人間は影響が強すぎて人でなくなる。具体的には能力が強くなる。そして死ねなくなる」
ユーリグゼナは魔法陣を見つめ、もう一度ライドフェーズに向き直り言った。
「死ねなくなるなんて嫌です。解除をお願いいたします」
「解除したらお前は多分死ぬぞ。繋ぐ前に死にかけていたのだろう?」
ライドフェーズは言いながら目を伏せた。ユーリグゼナは本気で彼に乞う。
「セルディーナ様が少しでもシキビルドで幸せに暮らしてくれるなら、その価値がありますよ。私の鎖を使ってください」
ライドフェーズはさっきまでの静かな顔を急に歪ませ、不愉快そうになった。ぷいと彼女から顔を反らせた。
「やめにする」
「……はい?」
「鎖の解除は止める」
ライドフェーズの言葉が信じられず、ユーリグゼナはあんぐり口を開ける。
「……なぜですか? セルディーナ様の命がかかってますよね? 子供も無事に産んでいただきたいし」
「何でそこで人の話になる。自分は? 自分の命を大事にしないのか?!」
「あまりそこは気にならないので」
「気にしろ。馬鹿。お前を守りたくてアナトーリーもヘレントールも必死じゃないか」
ライドフェーズがだんだんいつも通りの不機嫌な様子になってきた。事は深刻なのに、ユーリグゼナはなんだか少し顔が緩んだ。
「ライドフェーズ様が最初に言い出したことですよ? セルディーナ様のために、とっととやりましょう」
「そんなことお前に言われる筋合いはない。敗戦国側のお前に促されるのは不愉快だ」
ライドフェーズは眉間にしわを寄せ、真後ろが見える角度までそっぽを向いてしまう。ユーリグゼナは呆れ果てた顔になった。
(なんで。どこで気が変わったのか。全然分からない)
この部屋に入るまで間違いなく鎖を取るつもりだったはずだ。ずっと躊躇いは見えたが、最後はセルディーナのために奪うとユーリグゼナには思えた。
ライドフェーズは静かに話す。
「この部屋は朱雀の間と言い、王になる者しか開けることができない。お前は感じないようだが、心が洗われるというか素にさせられる。非常に不愉快だ」
「素だと不愉快になるんですか?」
ユーリグゼナがぼんやり言った言葉に反応して、ライドフェーズが勢いよくユーリグゼナの頭を叩いた。彼女はなぜか身体が動かず避けられなかった。結構痛い、とユーリグゼナは頭を押さえる。彼はじっと彼女を見ながら言う。
「シキビルドに来てから忙しいしイライラするし、毎日色んな問題に私が判断を下さないといけないし、ずっと嫌だった」
(それ、仕事してる人は皆さんそうだと思います……)
ユーリグゼナはライドフェーズの話を聞いたせいか、力が抜けてくる。彼は話し続ける。
「セルディーナの延命のためにお前の鎖をもらうから、我慢してやってきた。でも王の仕事は厄介だが意外に面白くて、成功したときの充実感を他人と共有できたのは初めてで、嬉しかった。──お前がな」
そう言うとライドフェーズが、紫色の目を細めてユーリグゼナに少しだけ微笑んだ。
「何をやらかすか分からなくて本当にイライラした。でも嫌じゃなかった。いつの間にかお前から鎖を奪うことが嫌になってた」
ユーリグゼナは穏やかに話すライドフェーズに見入っていた。
「そういうわけでセルディーナを生かす別の方法考えるから、お前の家に行かせろ」
(なぜ?!)
呆れ顔になるユーリグゼナにライドフェーズは遠慮なく言う。
「鎖は異世界のものが材料になってる。お前の家の異世界の書物見せろ」
(なんで異世界のものがあるって知ってるんですか?!)
ユーリグゼナの疑問が声にならなかった。彼女は身体に力が入らなくなっている。それに気づかないままライドフェーズが答える……。
「そんなもんお前の言動と音楽ですぐに────おい。声出てないぞ?!」
ようやくユーリグゼナの異変に気づいたライドフェーズが、驚いた顔で彼女の様子を窺う。ユーリグゼナの身体から完全に力が抜けていく。倒れる寸前、慌ててライドフェーズがユーリグゼナに駆け寄り支えた。
鎖の魔法陣がいつの間にか光を放ち始めていた。それにユーリグゼナは気づいたが、何もできないまま意識を失った。
◇◇◇◇◇
ヘレントールは自分でも予想外のところへ向かっていた。ユキタリスがユーリグゼナはこっちだと言ってきかないのだ。雨の中、アラントスが不服そうに半分諦め顔でユキタリスの手を取り一緒に歩いている。二人は水をはじく素材でできた上着を羽織っていた。
「どうしようか……」
御館の前に来たものの、ヘレントールは悩む。流石に子連れで入るのは難しいかもしれない。そう彼女が思案していると、ちょうど御館から知り合いが出てきた。彼女は声をかけた。
「セシルダンテ様!」
「おお。ヘレントールか。ユーリグゼナを探しているのではないのか? ──ああ。こんにちは」
きちんと挨拶をしたアラントスとお辞儀だけしたユキタリスに、セシルダンテはにこにこと嬉しそうに笑いかけた。ユキタリスは少し濡れた金髪を揺らしながら、御館を指さして言う。
「ゆーり、いるんだよ」
「そうか」
そう言うとセシルダンテは笑顔でユキタリスを抱き上げた。そのまま御館に戻ろうとする。ヘレントールが慌てて止めようとする。セシルダンテはチラリと彼女を見た後、ユキタリスに聞く。
「ユーリグゼナはここにいるのかい?」
「いるよ!!」
「だそうだ。……御館へお上がり。ここだと濡れる」
ヘレントールはセシルダンテに礼をいい、アラントスの手をとり共に御館の中へ向かう。セシルダンテはヘレントールに言う。
「御館に一か所だけ心当たりがある。王しか入れない部屋だ。そこかもしれない」
「入れないのですよね?」
「ああ。でもアナトーリーなら魔法の痕跡を追えるだろう」
セシルダンテはそう言うと、入り口で上着と靴を脱がすためにユキタリスを下におろす。アラントスはユキタリスの上着と靴を脱がすのにあくせくしている。セシルダンテはヘレントールに向き直り、穏やかに微笑んだ。
「無事に時空抜道は起動した。学生は移動を始めたそうだ」
次回「決意」は3月22日18時に掲載予定です。




