37.優先するもの
視点がアナトーリー→スリンケットと変わります。
長めです。
「落ち着きなさーい!!」
ヘレントールの蹴りを、今回はギリギリで避ける。アナトーリーは勢いよく言い返した。
「落ち着けるか!! すぐにユーリを探し出す」
「駄目よ。アナは時空抜道の起動を確実に成功させて」
「はあ?! 今はそれどころじゃない!!」
アナトーリーは濃い紺色の目をぎらつかせながら、ヘレントールを睨み付ける。全く動じずヘレントールは言った。
「学生達はどうなるの? シキビルド全員欠席させる? パートンハド家の惣領の身勝手な行動のせいで」
アナトーリーはぐっと息を飲みこむ。ヘレントールは続ける。
「それに失敗したらたくさん人が死ぬわ。戦闘よりも酷いことになる。必ず成功して!!」
アナトーリーの拳にぎゅっと力がこもり、薄い茶色の髪が小刻みに揺れる。
「……分かった」
アナトーリーの様子を見て、ヘレントールは少し言葉の勢いを弱めた。
「ユーリの手紙にもあったでしょう? アナに成功させて欲しいって。──選んだ主にこんなことされる惣領って気の毒だけど、今は集中して」
「今のは余計だろ……」
「どうせグチグチ悩むんでしょ? 後にして。成功してからなら愚痴に付き合ってあげるわよ」
ヘレントールの厳しいのか優しいのか分からない激励に、アナトーリーは大きくため息をついてから答えた。
「ああ。頼むよ」
「シノとセシルダンテ様が動いてくれてるんでしょ? 私も探しに行くわ」
「アランとユキは家に置いてか? 危なくないか?」
「え? 連れて行くわよ────ねえ」
ヘレントールがそう言って振り返ると、次男アラントスと三男ユキタリスは急いで朝ごはんを食べ始める。そして勢いよく言った。
「僕がユーリを見つける!」
「ゆーりみつけゆ!!」
アナトーリーは頬を緩ませた。そしてスリンケットを誘い、家族で朝食をとることにする。
スリンケットはお茶だけで、と懇願する。彼の顔色は悪いままだ。ヘレントールの淹れてくれた熱いお茶の湯気を前にしながら言う。
「プルシェルでユーリグゼナに連絡をとってみましたが、やはり反応はありません」
「あ……」
アナトーリーは天を仰ぎ、片手を両目にあて悔しそうに続ける。
「俺、ユーリが怪我したときに、耳からプルシェル外した。あいつ着け忘れてると思う」
「着けてなかったわ。さっき」
ヘレントールはそう言い、ため息をついた。
◇◇◇◇◇
雨はひどくなる一方で、雷まで鳴り始めている。
スリンケットは、アナトーリーとフィンドルフと共に時空抜道起動場所まで徒歩にて向かう。着いたら水を蒸発させる魔法を使えばすぐに乾く。それでも雨の中歩くのは骨の折れることだった。
心の中にあるのは、ユーリグゼナの誘拐は自分のせいだという苦い思い。できる事を確実にやり遂げる。それ以外償う方法は無い。彼は家を出る時、アナトーリーの手助けをするよう、ヘレントールに念押しされていた。
(自分の姪が危ないかもという時に、よくあんな落ち着いて食事できるよね。パートンハド家は本当に変な家。家族を何より大事に思っているのに、今回はユーリグゼナより役目を優先した)
雨に濡れながら早足で進むうちに、スリンケットの頭は整理されていった。
ヘレントールが時空抜道の起動を優先したのは、それが最善だからだ。この酷い状況下で、ヘレントールは冷酷と言えるほど、冷静な判断をした。彼もまた、それをすべきだ。
スリンケットは、顔を強ばらせ隣を歩くアナトーリーに声をかける。
「戦前、パートンハド家は命を懸けて前王を諫め続けたのだと聞きました」
不機嫌そうに返される。
「そうだ。そんな話、誰から聞いた?」
「結婚式の準備で出会った大人たちにです。前惣領ノエラントール様が、前王から庇ってくれたと。今も命があるのは、パートンハド家が弱い者たちを守ってきたからだと」
アナトーリーの鋭い目がスリンケットに向けられる。
「そんな話。俺には一切耳に入って来ない。パートンハド家を厭う言葉ばかりが聞こえてくる。今残ってる連中は、父上と姉上を見殺しにしたやつらだ。今さら何を言う」
アナトーリーの口調が、冷たく厳しいものになる。予想通りの反発にあっても、スリンケットの声色は変わらない。
「そう思われてると思って、アナトーリーには何も言えないそうです」
「だったら、黙っていればいい!」
アナトーリーは吐き捨てるように言う。雨で彼の薄い茶色の髪が頬に貼りついていた。
スリンケットは雨音の中でも聞こえるよう、アナトーリーとの距離を詰め、声を大きくする。
「言えなくても、思っていることはあるんですよ。今でも前惣領ノエラントールは、当時を知る人たちにとって眩しい存在なんです。それにしても──彼はなぜ私事を捨てまでみんなを守ったのでしょうね」
「……」
「他国にも深い繋がりをお持ちでした。シキビルドを見捨て亡命すれば、処刑されることも家族を失うことも……」
スリンケットの言葉を遮るように、アナトーリーは彼の両肩を掴んだ。
「父上は絶対、誰も見捨てない!」
額に貼りついた前髪の間から、濃い紺色の目が睨む。
「人も国も森も。全てを愛しておられた」
スリンケットは雨に打たれながら、静かに見つめ返していた。アナトーリーは、くっと顔を逸らす。
「分かってる! 分かってるさ。今は時空抜道を起動させるのが先決だと。役目をきっちりこなしてから、最速でユーリを探す!」
アナトーリーは苦々しく顔を歪めながらも、覚悟を決めたようだった。スリンケットは表情を緩める。
「僕のできる事は全部やります。どうか国と、ユーリグゼナのこと、お願いします」
アナトーリーにいつの間にか距離を詰められていた。スリンケットはぎゅっと抱きしめられる。
「……ああ、まかせろ」
「っ!!」
スリンケットは濡れた服の冷たい感触に、内心悲鳴を上げた。
(気持ちが昂ると抱きつくのは家系か)
スリンケットが思い出したのは、謝神祭の演奏を成功させ、嬉しそうに飛びついてきたユーリグゼナのこと。できるなら、今すぐ元気な彼女に会いたい。でも……。
アナトーリーは集合場所につくと、運営側の役人たちと打ち合わせに向かう。
フィンドルフは、表情を強ばらせていた。家から一言も口を利かないまま、二人についてきた。スリンケットは素知らぬふりを続ける。
(それでもご飯はいくらか食べてた。大丈夫かな)
従姉が消えたのだ。動揺して当然。
「いよいよ学校が始まるね。僕が初めて学校に向かう時の事を思い出すよ。家から解放されるのは嬉しかったけど、大好きな側人から離れるのは寂しかったなあ」
まるで何の不安も無いかのように、いつも通りの口調で話す。ユーリグゼナが無事見つかれば、時空抜道が成功すれば、当然訪れるであろう学校生活。
「結局間に合わなくて、アルフレッドの側人を時々借りることにしたって?」
スリンケットの言葉に、フィンドルフは硬い表情のまま頷く。
「はい。基本的には自分でやることにします」
「たくましいな。でも、フィンドルフがユーリグゼナみたいに学校で浮いちゃったら、嫌だよ」
からかうように言うと、フィンドルフは僅かに笑った。
「やっぱりユーリは浮いてるんですね? 俺は早く馴染めるようにしたい。それでユーリが困ったときに助けたいと思っています」
フィンドルフが自然に、ユーリグゼナの名を口にする。
スリンケットは、ホッとした気持ちを押し隠し、軽口を続ける。
「それじゃ、どっちが年上か分からないな……」
ほぐれた顔になったフィンドルフの頭に、そっと触れた。
「びしょびしょだ。乾かすよ」
スリンケットは雨を蒸発させる魔法陣を起動させる。フィンドルフの髪も服も、じゅわっと音を立てて乾く。
「ありがとうございます」
フィンドルフは恥ずかしそうに目を伏せた。彼の柔らかそうな焦げ茶色のくせ毛が、ふわりと揺れる。
その時二人に、少し離れたところから声がかけられた。
「スリンケット! フィンドルフ!」
アルフレッドが、テラントリーとともに駆け寄ってきた。
スリンケットは二人に笑いかける。
「久しぶり。アルフレッド。テラントリー。結婚式以来だね」
アルフレッドは、すうっと顔色を変える。低い声で訊ねた。
「何かあったのですか? ユーリは?」
スリンケットは黙って微笑む。
(……アルフレッドは勘いいよな。ユーリグゼナに関しては魔獣なみ)
アルフレッドは苛立ちを隠せず厳しい表情になる。いつもより感情的な様子にスリンケットは、驚いていた。
「アルフレッド?」
「……何があったか教えてください。お願いします」
アルフレッドが切ない様子で嘆願する。スリンケットは呆気にとられる。
「まずは落ち着こう。ね?」
スリンケットはアルフレッドを伴い場所を変えることにする。テラントリーがちらりとフィンドルフの荷物を見て、スリンケットに軽く頷く。
(フィンドルフの荷物の手続きか……助かるよ。テラントリー)
スリンケットは軽く手を挙げ礼を伝える。
人気のない場所に着くと、アルフレッドはもう一度訊く。
「スリンケット。ユーリは? どうして来てないのですか?」
アルフレッドの声は上擦っている。スリンケットは人気がないところに来て、感情を隠すのをやめていた。
「その前にアルフレッド。必死すぎ。何なの?」
「俺は……ユーリと楽譜の約束をしていて……」
「それだけじゃないだろ? いつの間にそんなに好きになってたの?」
アルフレッドは動きを止める。茫然とした様子でスリンケットを見ていた。
「自覚なかったんだ」
スリンケットは大きなため息をついた。彼は自分の濡れた衣服を、魔法陣を起動させ乾かしていく。
「ユーリグゼナは行方不明になってる。ライドフェーズ様にさらわれている可能性が高い」
アルフレッドは目を見開き、そのまま出口へくるりと身体を向ける。慌ててスリンケットがアルフレッドの前を遮り、押し止める。勢いでアルフレッドは後ろの壁にぶつかる。スリンケットは彼の肩を掴んだ。
「どこ行く気?」
「分かりません。とにかく……ユーリを探します」
スリンケットはイライラした。何も考えずに動かれるのは、迷惑だ。
「ヘレントール、シノとセシルダンテ様が探している。王の情報を持ってる彼らに任せたほうが、確率は高い。それより、学生たちを無事に学校に送る手伝いをしてくれないか? そうすれば大人たちが彼女の捜索に集中できる」
アルフレッドは首を振る。
スリンケットだって本当は感情のままに、今すぐ彼女を探し出しに飛び出していきたい。でも……。
もし学生たちがここで足止めを喰らったら、大人たちは特権階級の親たちへの対応に追われる。加えて開校という公式行事に、国の不祥事で参加できなくなる。国の不安定さが浮き彫りになり、国として信頼を失う。
もし時空抜道が失敗したら……。それはもう、考えたくもない。途方もない犠牲が出ることだけは確かだ。
どちらにしても、ユーリグゼナどころではなくなる。
(今は感情を抑えて、特権階級の人間として優先すべきことがある)
スリンケットはイライラの原因がようやく分かった。アルフレッドに理解して欲しかったのだ。でも彼はもともと特権階級を嫌っていて、国を守る発想すら持っていない。分かっていても、この追い詰まった状況下、同じ気持ちを共有できないことに無性に腹が立った。
感情のまま、壁に拳を叩きつける。
「アルフレッドは中途半端なんだよ。ユーリグゼナのことを想ったって、彼女のこと何にも知らないだろう? どうやって探すのさ? それに紫位の人間である以上、最低限の義務はあると思うけど? この状況下で全部放っていなくなるわけ?」
アルフレッドの真っ青な顔を見て、スリンケットはハッとした。顔を歪め壁から離れた。
「ごめん。言い過ぎだ」
解って欲しいだけなのに、口から出た言葉は傷つけるような言葉ばかり。
スリンケットは暗い気持ちで目をつむる。彼にだって情報はない。ユーリグゼナの鎖が何なのか知らない。そもそも王がどういう人間なのか知らない。非常時でも、出来ることといえばアナトーリーの手助けぐらい。
アルフレッドに意見できる立場ではない。
こうも苛立つのは、ヘレントールがスリンケットに託した、最低最悪の理由が分かってしまったから。
(王が自国の姫を虐げ、国が乱れようとしていることを他国に悟られてはならない。そのために学生たちを無事に学校に送る。たとえユーリグゼナが二度と戻らないとしても)
ヘレントールはそう判断したのではないか。
スリンケットは他人だ。そして個人より国の対面をとる傾向が強い。逆上するアナトーリーを抑え、役目を全うさせるのに、適役だ、と。
(アルフレッドには、とても言えない。だから、嘘ついてでも協力してもらわないと……)
苦い思いを胸に顔を上げると、アルフレッドがしゅんとした顔で見ていた。
「すみません。俺、周りが見えていませんでした。スリンケットが先をよんで動いているのに、邪魔してしまうところでした。こんな俺にもやれること、ありますか?」
「アルフレッド……」
意地を張るこちらが馬鹿みたいだ。彼は素直さでスリンケットの心を溶かしてしまう。
「ありがとう。──時空抜道を無事起動させたいから、僕はアナトーリーを手助けする。アルフレッドには学生の誘導を頼んでいい? 王に王妃、地位の高い大人が軒並みいない。唯一紫位の君だけがみんなを取りまとめられる」
「分かりました。……あの」
「なに?」
アルフレッドはうーんと唸り、渋い顔で目をつむっていた。
「もしかしてライドフェーズ様単独ですか?」
「え? そうかもしれない。主だった側近はこの場にいるし、セシルダンテ様やシノまでユーリグゼナを探している。それに鎖なんて高度な技を奪えるのは、王くらいのものだ。他は足手まといだろう」
「だとすると、ユーリとライドフェーズ様が一対一ですね」
「そうかも……」
「どちらが勝つか明白だと思うんですが……」
スリンケットは想像した途端、ぶぶっと吹き出した。アルフレッドもそれを見て、一緒に頬を緩めた。
「それでも、俺は心配です。学生の誘導まではしますけど、全員学校に送ったら、とんぼ返りします。スリンケットには申し訳ないですが、俺は国よりユーリが大事です」
「分かった」
進むすぐ先にテラントリーが立っていた。二人の姿を見てため息をつく。
「何やってたんですか?」
スリンケットはからかうように彼女に言った。
「……あれ? 探してた?」
テラントリーは呆れたように頷く。
「アナトーリー様がスリンケット様をお呼びです」
「ああ、そっか。伝えに来てくれたんだね? ありがとう」
スリンケットはあくまで軽く返事をする。テラントリーの艶やかな薄紅梅色の髪がゆらりと揺れる。じっと彼を見ていた。
「気を抜いてる暇はありませんよ? 成功させてもらわないと困ります」
「もちろん。見てて?」
彼は赤茶色のくせ毛をフワフワさせながらテラントリーに微笑んだ。
次回「空箱」は3月18日18時に掲載予定です。
23/1/7大改稿




