36.雨
視点がユーリグゼナ→アナトーリー→シノ と変わります。
無事に日々は過ぎ、ついに再び学校へと向かう日の朝が来た。
ユーリグゼナの傷は癒え体調も戻っている。ユーリグゼナはライドフェーズ対策のため、ずっと家に引き籠っていた。今日もいつも通り早起きをして、ヘレントールと朝食の準備をしていた。二人きりで話せる機会はしばらくない。ユーリグゼナは、ヘレントールに話しておきたいことがあった。
「ヘレン。おじい様と母様がいなくなった後、私が少しの間だけヘレンの旦那さんの家にお世話になってたこと覚えてる?」
ユーリグゼナの話にヘレントールは顔がこわばる。彼女は親王派だった元旦那の話になると黙りこくってしまう。
「その時、何度も助けてもらったんだよ」
「あの人がそんなことする?!」
「うん。分かりにくいけど、とても優しい人だと思った」
「何があったの?」
ヘレントールが話を聞いてくれそうだ。そう思いユーリグゼナは話し出す。
「他の奥さんの側人から嫌がらせ受けたことがあったんだけど、側人に『こいつは王の敵だぞ。関わるな』って言って助けてくれた」
「は?!」
口を開けて思考停止するヘレントールに、ユーリグゼナは少しおかしそうに話を続ける。
「御用達だった研を逃したあと、入学の準備ができなくなって困ったの。そしたら『うちの家に恥を掻かす気か?』って全部揃えてくれた」
ヘレントールは黙って、目を閉じる。ユーリグゼナはさらに続ける。
「揃えてくれたあと『もう二度と家にくるな。学校にずっといろ。申請書にサインしてやる』って。戦争始まるの知ってたみたい」
「……相変わらず変な人。よく助けてもらったと思えたわね」
ヘレントールは呆れた顔をしながらも少し表情が緩んだ。ユーリグゼナは少しホッとして言う。
「助かったから。だから分かった。この話、フィンにしていい? フィンは絶対自分のお父様のこと口にしないから」
「喜ばないかもしれないわ。フィンはあの人のこと嫌ってる」
「三人の中で一番似てるよ?」
「それ言うと本気で怒るから言わないでね」
ヘレントールはふうと息を吐き、料理の手を止めて、ユーリグゼナの頬に優しく触れる。
「あなたのお父様の話もしてあげたい」
「ベルンの話は結構知ってる。連が良く話すし。それより……」
ユーリグゼナは黒曜石のような目を伏せ、硬い表情で言う。
「おじい様と母様のことがほとんど思い出せない。それに……」
ユーリグゼナは目を閉じる。彼女の肩が小さく震えた。思い出せないけど恐怖心が出てくる。その様子を見ていたヘレントールはそっと彼女を抱き寄せた。
「無理しなくてもいいでしょ? それより最近昔のこと話せるようになったのね? 今まですぐ具合悪くなってたのに」
「なぜか少しずつ思い出してる。養子院で怪我してからかも」
「原因は例のルーン文字と文様の印? 実は調べたけど分からなかったの。悪いんだけど学校でも調べてくれない? スリンケットと一緒なら何とかなるでしょ」
「分かった」
今日一緒に集合場所に向かうフィンドルフとアナトーリーは、まだ起きて来ない。ヘレントールは様子を見に行くと、ユーリグゼナを残し二階へ上がる。アナトーリーは昨日夜遅くまで時空抜道の魔法陣の設営作業をしていた。今日起動させるのは彼だ。一番得意なライドフェーズが協力しないので、仕方なくやることになった。
(ライドフェーズ様は、魔法陣の起動だけはかっこよかったな)
アナトーリーには負けて欲しくない。ユーリグゼナはそう思いながら朝食の準備を終えた。その時ふわっと白いものが目の前を飛ぶ。紙を折って飛ばす手紙だ。
(おっ!)
ユーリグゼナは手で摑まえる。思わず笑顔になった。
(これ、一年前にスリンケットにあげたやつ!)
結局スリンケットは全然使わなかった。ユーリグゼナがプルシェルを手に入れ連絡が取れるようになったから不要になったのだろう。そうユーリグゼナは思っていた。
(ちゃんと持っててくれたんだ!)
ユーリグゼナは機嫌よく折り目を開き、中身を読む。彼女の黒曜石のような目がキラキラひかる。
(やった!! 横笛見つかった。御館の備品庫にあったんだ……。シノに連絡がとれてスリンケットが今から受け取りに行く。その後返しに行くなら、鳳魔獣で家に迎えにきて、と。そうだね。学校行くと秋まで戻れないから。鳳魔獣に乗せてもらえば早いし……)
ユーリグゼナは嬉しくてニコニコしていた。鳳魔獣は結婚式でも、養子院でも町に下りたったせいであまり驚かれなくなったらしい。ヘレントールはまだ二階から下りてこない。ユーリグゼナは受けとった紙の余白に『そういうわけで、スリンケットと笛を師匠に返したらすぐ戻ります。アナトーリーは絶対に時空抜道を成功させてね!!』と書き机に分かるように置いて家を出た。
◇◇◇◇◇
アナトーリーは眠そうに目を半開きにしたまま外出準備をする。天気も悪いし、俺も絶不調だし困ったなあ、と思いながら食事の机に向かう。すると机の横でヘレントールとフィンドルフが立ったまま固まっていた。席についたアラントスとユキタリスも食事に手がついていない。
「どうかしたか?」
そう言いながら近づいてくるアナトーリーに、フィンドルフが折り目の付いた手紙を渡した。すぐに目を通したアナトーリーの顔は蒼白になる。
「これいつの話だ。ユーリはいつまで家にいた?」
「ついさっきよ。ご飯を作るところまで一緒だったわ」
その時、家の玄関から人の気配がした。扉が空いた途端、雨の激しい音が家の中に響いてくる。すぐに閉じられる音がすると、靴が水で滑るような音をさせながら、人が入ってくる。
「おはようございます。凄い雨ですね。……どうかしました?」
スリンケットは魔法陣で雨を蒸発させながら入ってくると、全員に見つめられ少し緊張したように言う。彼は学校でのユーリグゼナの警備を確認するために、早めに迎えに来る約束をしていた。アナトーリーが折り目の付いた紙をスリンケットに渡すと、スリンケットはぎょっとした顔になる。
「これ……」
スリンケットはそういったまま茫然とする。そして徐々に顔を歪めていく。
「だいぶ前にユーリグゼナに作ってもらった魔法の手紙です。去年学校が始まったばかりの頃、彼女はまだプルシェル作っていませんでした。連絡手段に困っていた王に、これを差し上げました」
◇◇◇◇◇
シノは朝早くからセシルダンテに呼び出されていた。今日は学生が学校に移動する日だが、留守番担当の二人はさほど忙しくなかった。むしろ前日までが時空抜道の修理が難航した影響で、ずっと御館に人が留まりシノの対応は深夜にまで及んでいた。
(セシルダンテ様もお疲れのはず。わざわざ話したいこと……)
シノは想像がついていた。パートンハド家の情報収集をやり過ぎた件である。
シノにはライドフェーズがルリアンナに誘導されて、ユーリグゼナの鎖を奪うように見えていた。彼女が子供の命を危険にさらすような、ライドフェーズを利用するような人物なのか、それが知りたかった。
しかし国家の機密情報を管理していた家なだけあり、特権階級からは全く情報が取れない。ところが平民の知り合いからの情報で累という人物が、スリンケットとよく面会していることが分かる。ここから累がアナトーリーであることをシノが感づいてからは、足りない情報がありながらもパートンハド家の背景が少し読めてきた。
戦前のパートンハド家は国内外の情報網と自らの能力とカリスマ性を使い、シキビルドの前王の悪政に対抗してきた唯一の一族だった。国外にもかなりの影響力があり、ペルテノーラ王カミルシェーンとこの世界の最高権力者アルクセウスとは確実に繋がっている。ユーリグゼナの祖父で惣領のノエラントールは、ペンフォールド、スリンケットの父ケトレストと旧知の仲だった。
そうするうちに、研というパートンハド家の御用達を務める人物がシノを訪ねてきた。そして……。思い出したシノは身震いする。
「月の無い夜はお気を付けください」
研はそう言っただけだ。それが死ぬほど怖かった。
シノはきっぱりパートンハド家の情報収集は諦める。ライドフェーズの動向から情報を得るやり方に変えた。
(鎖の魔法陣をどうやって受け取るつもりなのだろう)
魔法陣の受け渡しは目立つはずだ。前回シノが見た魔法陣は、大きくとても精巧なものだった。同じく大きい時空抜道の場合は移動もできない。それなのに、今のところ誰からの接触もない。ライドフェーズが孤立していることがはっきり分かるだけだった。
セシルダンテはシノの用意したお茶を飲むと満足そうにしている。シノは微笑みながらも、早くしてほしいな、と思っていた。すぐにでもライドフェーズのところヘ戻り、監視したい。
「シノはパートンハド家の何が知りたいのだ?」
セシルダンテは意外にも単刀直入だった。シノは隠さず答えた。
「ルリアンナ様とライドフェーズ様との関わりです。ルリアンナ様はどんな方でしたか?」
「関わりも何も、友人以上の関係は無かった。彼女は人目を引く美しい女性だったが、ライドフェーズ様はセルディーナ様以外に目がいかなかったからな」
「……そうですか」
そんなことは知っている。ライドフェーズをだまくらかすような人間なのかどうかを知りたいのだ。
「なぜそんなことを知りたい?」
「ライドフェーズ様が……その……」
「なんだ?」
セシルダンテは、歯切れの悪いシノに眉をひそめた。このままうやむやにできる相手ではない。納得するまで引かないだろう。
「ルリアンナ様から受け取ったものを使って、セルディーナ様を助けるおつもりのようです。詳細が分からず調べていました」
「ライドフェーズ様から直接聞いたら良いではないか」
「……この件は関わるなと」
シノの顔は強ばる。それを見てセシルダンテはうーんと唸っている。外からは雨の音が聞こえてくる。
「もう放っておけ」
彼は大きなため息をついて言う。
「シノ。シキビルドはパートンハド家がいないと回らなくなっているのだ。今ライドフェーズ様とアナトーリーがあまり良い関係ではない。ヘレントールに至っては断絶状態だ。これ以上彼らを怒らせたくない。探るのはもうやめろ」
「……分かりました。申し訳ございません」
シノは俯き深く謝罪する。両手をぎゅっと痛いほどに握りしめる。彼は見当違いの動きをして迷惑をかけたことが苦々しく恥ずかしくいたたまれなくなる。
セシルダンテは彼の様子を見て、労わるように言う。
「今回はアナトーリーとヘレントールが二人とも『シノには悪意がない』と言っている。理由だけ知りたいと……ん?」
セシルダンテは話を止め、プルシェルを取る。
「アナトーリー? …………はあ?! シノはここにいる。シノ、笛って何か聞いてるか?」
セシルダンテに突然話を振られたシノは、自分の中にある情報から懸命に考えて言う。
「笛? ユーリグゼナ様の笛ですか?」
「そうだ。紛失してたのが見つかったと言ったか?」
「え? 言いました。ライドフェーズ様に。見つけてすぐ、ライドフェーズ様が用があるから預かるとのことで渡しました。そのことですか? ただ──式当日の話です。何月も前のことです」
シノの言った内容をセシルダンテは復唱して、アナトーリーに伝える。セシルダンテは少し話した後、プルシェルの会話を終えた。無言で説明を求めるシノにセシルダンテは緊迫した声で言った。
「ユーリグゼナが行方不明になった。シノから笛を受け取って師匠に返しに行く、と書き残して出て行ったそうだ。アナトーリーはライドフェーズ様が連れ去ったと言っている」
二人が沈黙する中、外の雨がさらに激しく降り始める。雨音でそれ以外の音が全て打ち消されるほどだった。
シノの表情をずっと見ていたセシルダンテは静かに言った。
「シノは知っていたんだな?」
セシルダンテの言葉にシノはびくっと反応する。それを見てセシルダンテは小さく何度か頷いた。
「ライドフェーズ様を止めようとしていたのか」
何も言えないシノの反応でだいたい読んでしまったようだ。
「私は替えのきくセルディーナ様より、パートンハド家を重要視している。ユーリグゼナの方を助けたい」
シノのぎょっとした顔を見て、セシルダンテは苦笑いした。シノは顔を歪めながら強く言う。
「私がライドフェーズ様をお止めします」
「そうしてくれ。私も手を尽くす」
そう言ってセシルダンテは部屋を出た。シノは動揺がおさまらないまま、動き出した。
次回「優先するもの」は3月15日18時に掲載予定です。




