35.孤立
シノ視点です。
シノは今日も養子院に通っている。
シキビルドの国全体が結婚式以降、落ち着かない。それはそう悪いことでもなく、式の準備や本番で影響を受けた特権階級たちが自発的に国のために動き出したからだった。そんな中でも、養子院は取り残されたように誰も担当するものがおらず、ずっとシノが一人で取り仕切る形になっている。状況は良くなっているので、彼に焦りは少ない。シノは穏やかな気持ちで思う。
(平民の方の協力者が増えて、本当に助かる)
仕入れの店の担当者や、式を通じて知り合った演奏者が優秀な人を紹介してくれたおかげで、かなり人手不足が解消していた。問題だった言葉も、共通語とシキビルド現地語がどちらも分かる者が、時々来てはみんなに教えている。経営状態は改善していないが、子供たちの笑顔が増えてシノはかなりホッとしていた。
反面、彼が御館に滞在する時間が短くなって、ライドフェーズとセルディーナの周りの仕事はテルを中心に他の側人に任せきりになっている。式以来、未だに二人は雰囲気が悪いままだ。そのことが一番の気がかりだった。
日が暮れた時間、シノが養子院から戻ると御館は慌てた雰囲気だった。靴を脱ぎながら周りの様子を素知らぬ振りで窺う。たくさんの会話の中に気になる言葉があった。『セルディーナ様が倒れた』と。
彼は事実を知るためセルディーナの部屋に向かう。するとちょうど中からペンフォールドとライドフェーズが出てきた。
「もう少し治療にご協力いただきたい」
ライドフェーズを責めるような、厳しい声でペンフォールドが言う。ライドフェーズは項垂れ小さく頷く。シノはその様子を見てペンフォールドに苛立つ。
(ライドフェーズ様のお気持ちも知らず、なんてことを……)
部外者にライドフェーズの事を批判されると、シノは腹を立ててしまう。たとえライドフェーズが間違っていても。シノの目から見ると、ペンフォールドはライドフェーズに対し元々敬意を払わない。親しみというか親のような態度をとるのだ。彼は気持ちが治まらないまま、目の前を通り過ぎるペンフォールドに礼を執り見送った。シノの肩が軽く叩かれる。
「シノが不快感を他人に見せるのは珍しいな」
ライドフェーズは最近には珍しく小さく笑っていた。彼はセルディーナと仲違いしてから、ずっと表情が硬いままだった。シノはいつも二人の距離が近すぎて対応に困っていたことが、遠い昔のように感じられた。ライドフェーズは少し疲れた顔で言う。
「シノのお茶が飲みたい」
「かしこまりました」
シノはすぐに準備にかかる。ライドフェーズがシノに話したいことがあるのだと察しがつく。
(できれば愚痴などもお伺いしたい)
彼はライドフェーズの気持ちを少しでも軽くしたかった。抜かりなく美味しいお茶を淹れるため集中する。
「美味しい。シノのお茶はいつも心が和む」
お茶を飲むライドフェーズは穏やかな表情になる。シノはホッとして微笑んだ。ライドフェーズは一度お茶を机の上に置く。そして何かつぶやき、両手を軽く握る仕草をした。
(盗聴防止の陣をひいた?!)
重要な話をする時の仕草に、シノは目を見張る。何の話をするつもりかと少し緊張する。それを見てライドフェーズは苦笑いする。
「本当にシノは私たち昔の馴染みには、感情が表に出るな。……そう構えないでくれ。私の愚痴みたいなものだ」
「それだけではないように思います」
シノの緊張した面持ちを見て、ライドフェーズは片方の眉をあげ、ため息をついた。
「……そうかもしれない。セルディーナもその以前の姿も知るシノに聞きたい。──出来れば私の味方になって欲しい」
「常にそのつもりですが?」
シノは目を細め不服そうに言う。ライドフェーズはそんな彼をじっと見た後、少し目線を下げてため息をつく。
「違うな。最近は。……嘘つかれたし」
「!!」
シノはうっと息を止める。
それは、先日のユーリグゼナが養子院の礼堂を破損させ、彼女自身も大怪我を負った報告のこと。
シノは、子供たちに『悪い魔獣が入り込み、戦ったユーリグゼナが大怪我を負った』と説明した。子供たちは鳳魔獣がユーリグゼナを乗せて飛び立ったのを見て、良い魔獣と友達なのだと、彼女を完全に信用した。
それをそのままライドフェーズに報告したところ、「で、本当はどうだったのだ?」と不機嫌そうに言われた次第である。驚くシノに「シノは嘘が下手過ぎるし、ユーリグゼナが魔獣ごときに負けるわけがなかろう」と呆れたように言った。
(あれで信頼を失ったのは痛い)
シノはぐっと手を握りしめる。ライドフェーズはため息をつき言う。
「最近は私の味方が誰もいなくなった。セルディーナにテル、アナトーリーまで」
シノはお茶のお代わりを注ぐ。ライドフェーズはシノの細やかな手の動きを見ながら続ける。
「セルディーナがまた倒れた。彼女を救うためにユーリグゼナの持つ鎖が必要だ。私はこれを奪おうと思う」
シノは手を止める。セルディーナは妖精の魂と人間の体を、鎖と呼ばれる異質なもので繋いでいる。鎖が無くなれば、彼女はもう人間として生きられない。ユーリグゼナの鎖も同じものなら、奪われれば死ぬのではないか。
ライドフェーズはシノの表情を見てため息をつく。
「……やはりシノもユーリグゼナの味方か。何なのだ。みんなして。私はセルディーナを生かすためなら、何でもする。当たり前ではないか!」
ライドフェーズは栗色の前髪を掻きむしる。シノは彼の様子を痛々しく思った。何とか主の問いに答えようとする。
「……セルディーナ様のためでも、生きている人間から命を奪うことに抵抗があります」
シノの言葉に、ライドフェーズはため息をついた。
「セルディーナのため、必要な犠牲だ。ユーリグゼナは敗戦国の人間。役立てて何が悪い。そもそも私は、最初からそのつもりでこの国に来ている!!」
ライドフェーズの拳が机の上で、固く握られていた。
シノは言葉に詰まる。彼の中で、何が引っかかっていた。
セルディーナに生きて欲しい思いは同じ。戦争でもっとたくさんの命が奪られたことを思えば、一つの命がもう一つの命の代わりになるくらい、大したことでは無いだろう。第一、王の側人であるシノは、どんなときも主の決断に寄り添うべきだ。それなのに……
シノにも、自分自身が何にこだわっているのか分からない。明言を避け、曖昧な気持ちを隠すため、話を逸していた。
「……セルディーナ様のご病状はそんなに悪いのですか」
「悪くなっている。だからペンフォールドも言うのだ。産もうとする者へ心の負担をかけてはならないと。彼は私とセルディーナが上手くいっていないと知っている」
「ペンフォールド様は、ライドフェーズ様にはどこか態度が違います。なぜお許しになるのですか?」
「ペンフォールドは……」
そう言うとライドフェーズは一度口を閉ざす。そして、思い切ったように続きを言った。
「ペンフォールドが私を取り上げたんだ。私の母は……前女王は静養目的と称してパートンハド家に滞在した。ペンフォールドがそこに立ち会い、私が生まれた」
「……」
シノは次の言葉が出なかった。ライドフェーズはペルテノーラを出るまで何度も命を狙われた。カミルシェーンとは双子ではなく、王を産むと予言された前女王の子供だからなのでは、とシノは周囲の状況から察していた。しかし……
(この国で生まれたのか。ライドフェーズ様は)
シノは不思議な縁を感じた。ライドフェーズは机を睨みながら言葉を続ける。
「この話を知る者で、生きているのはペンフォールドだけだ」
「ライドフェーズ様はいつ、お知りになったのですか?」
「10年以上前だ。ユーリグゼナの母親にあたる人から聞いた。私とカミルシェーンは彼女とは同級で学校で交流があった」
シノは眉間にしわを寄せる。それには気づかずライドフェーズは少し表情を緩め言葉を続ける。
「前回セルディーナの鎖を作るため、魔法陣を頼んだ際、彼女が教えてくれた……」
「え? 鎖はライドフェーズ様が作ったのでは?!」
実際に魔法陣を起動させるところを見ていたシノは驚く。ライドフェーズは少し微笑んだ。
「いや。ルリアンナが、ああユーリグゼナの母の名だ。──彼女しか作れまい。何年たっても追いつけない技術だ。鎖の魔法陣は非常に緻密で美しかった……」
ライドフェーズは目を輝かせる。シノは呆れて口が開く。
(ライドフェーズ様。……嬉しそうに言うところではないですよ)
ライドフェーズの話は止まらない。話すほどに興奮気味に頬が高揚していく。彼は魔法陣に関してはかなり高い技術を持っている。魔法が使えないシノだが、時空抜道を繋げたこと、戦争前後の作戦の様子からそれを察した。
(ライドフェーズ様は興味があることには、かなり変態的で盲目的だから……)
ライドフェーズは自分より上の技術を持つ人間を簡単に信用してしまうのだ。話を聞くにつれシノはどんどん不安になる。それにもう一つ不審に思える点がある。シノは話し続けるライドフェーズの話の腰を思いきり折る。
「ルリアンナという名は伺ったことがあります。カミルシェーン様とお噂のあった方では?」
ライドフェーズは不服そうに魔法陣の話を止めた。そして目を伏せ静かに言う。
「ああ。カミルシェーンの長年の想い人だ」
シノは目を細める。彼の中でさらにルリアンナに対して不信感が高まっていた。
(当時敵国の王子二人と繋がっていた? 絶対に裏がある。なぜライドフェーズ様はこうも疑いを持たない?!)
シノはライドフェーズの事が心配でたまらなくなる。急ぎルリアンナの事を調べる必要があると感じた。合わせてライドフェーズの動向も見逃さないようにしなければならない。
ライドフェーズが聞く耳持たないことを承知の上で言った。
「ライドフェーズ様。鎖の件、前回との大きな違いは、セルディーナ様が望んでいらっしゃらないことだと思います」
「私にはそこが理解できないのだ。子供がいるのだぞ。なぜ一緒に生きたいと思わない」
「一緒に生きたいと思っていらっしゃいます」
「ではなぜだ!!」
ライドフェーズは立ち上がり机を叩く。シノは静かに彼を見上げた。
「御自分よりユーリグゼナ様を大事に思われています」
ライドフェーズは自分の頬に手をあて、きつく目を閉じる。そしてゆっくりと目を開けシノを見下ろす。
「……お前もだな。シノ」
ライドフェーズの呟くように言った言葉がシノに突き刺ささる。俯きそのまましゃがみ込み床に手をついた。
「……そうです」
シノは絞り出すように答えた。そうだったのだと、ようやく自覚する。
ライドフェーズは深いため息をつきながら栗色の髪を掻きむしった。しばらく二人は黙りこくっていたが、ライドフェーズは目を伏せ静かに言った。
「この件にシノが関わることを禁ずる」
そう言うとライドフェーズは自ら戸を開け出ていった。
シノは体から力が抜けていく。ライドフェーズに切り捨てられた。自分の中の大きな柱が崩れてしまったようだ。それでも彼はライドフェーズを守りたい。
(我ながら頑固だな……)
乾いた笑いを浮かべる。鎖に関わることは禁じられても、ルリアンナと昔のパートンハド家の情報を調べることは問題ないはずだ。
(多分。セルディーナ様は、何か手を打たれている)
テルと連携をとることにする。
(誰が何を仕組み、ライドフェーズ様に何をさせようとしているか掴もう。分かるまでライドフェーズ様に何かさせては駄目だ……)
シノは大きくため息をつく。青紫色の髪が力なく揺れた。
ずっと、ライドフェーズとセルディーナに仕えることが自分の存在意義だと思ってきた。二人を優先しない自分が心の中にいるなんて、未だに信じられない。シノは自分の手を見つめる。
(私がユーリグゼナ様をどう思っても、どうにもならない。彼女は子供だし、身分も違い過ぎる。それに私は……男として機能しない)
シノには心的外傷がある。性的なことに未だに嫌悪感が強い。
(死なないでいて欲しいだけだ。それ以上は望まない……)
彼は立ち上がり窓の外を見て、灰色の目を細めた。厚い雲がたちこめ今夜は月が見えない。
次回「雨」は3月11日18時に掲載予定です。




