34.家族で話す
ユーリグゼナ→アナトーリー視点と変わります
アナトーリーはシノの見送りを丁重に断り、ユーリグゼナを抱えて養子院の廊下を進んで行く。ユーリグゼナはすぐ側にあるアナトーリーの顔をチラリと見て、ぽつりと言った。
「鳳魔獣を呼んだ」
「え?!」
「家までもたないみたい……」
「それは分かるが、なぜ呼べる? 魔獣と契約でもしないと遠隔で話すのは無理なはずだ」
アナトーリーの言葉にユーリグゼナは急に具合が悪そうに目を閉じる。アナトーリーは微妙な表情になった。
「……誤魔化してないか?」
ちょうど庭に鳳魔獣が到着し、突風で窓が揺れる。アナトーリーは大騒ぎになる養子院の様子を見て、片方の頬を歪ませる。こんなことなら最初から乗ってこれば良かった、と呟いた。
アナトーリーはユーリグゼナを抱え、鳳魔獣に飛び乗った。彼は濃い紺色の目を細め、彼女に最終通告をした。
「全部聞かせてもらうまで、絶対逃がさないからな」
「……」
◇◇◇◇◇
「セシルダンテ様。本日そちらに伺うことはできません。……はい。修理できる者がいなくてもです」
アナトーリーの声が扉の向こうで聞こえている。宣言通り逃がすつもりのない、確たる決意が伝わってくる。
(もう何も考えたくない……)
ユーリグゼナは思わず手で顔を覆いたくなったが、肝心の手が動かない。彼女は自身の寝台の上に仰向きに転がされていた。そこで少々手荒なヘレントールの手当を受けている。
帰る途中に止血していた布が外れ、さらに出血した。息が切れ浅い呼吸が苦しい。でもそれも徐々に落ち着いてきていた。
ヘレントールが疲れ切った顔で、ユーリグゼナの顔を見た。そっとユーリグゼナの頬に触れる。
「馬鹿ね。本当に……」
魔法による治療が終わったらしく、ユーリグゼナの服を整える。ヘレントールは血まみれの布を片付け始めた。ユーリグゼナの気分の悪さは改善してきていた。それでも体が重くとても動けそうにない。扉を叩く音がする。フィンドルフが扉越しに声をかけた。
「母上」
ヘレントールが入室の許可を出すと、ゆっくりとフィンドルフが扉を開け中に入る。手にはお茶と器などをのせた平たい木の盆がある。器からは湯気が立ちのぼり、部屋中にいい匂いが漂う。中身は、お米をトロトロになるまで煮込んだものに鳥の卵を落とした卵粥だ。香ばしい匂いもする。小さな木の実を炒って砕いたものと香草が添えられている。お腹が空いてきたユーリグゼナは寝台に横たわったまま言う。
「フィン。大好き……」
「なんだそれは……」
フィンドルフは呆れた顔でユーリグゼナに答える。盆が重いのか、彼は慎重にヘレントールに手渡した。
「アランとユキは同じ寝台で寝かしてきた。ユキが起きたらアランが何とかすると思う」
「フィン助かったわ。本当にありがとう」
ヘレントールは嬉しそうに言う。息子の成長を感じて驚きと喜びが隠せないようだ。
「ユーリ。今日は俺も聞く。この間母上に伺ったから、多少のことは知っている」
ユーリグゼナの顔がひきつる。フィンドルフは厳しい。彼女に全く遠慮なく本気で問い詰めてくるだろう。気弱になり泣けてくる。
(どうしよう。……なによりお腹が空いたよぅ)
フィンドルフはヘレントールの顔を見て頷くと、ユーリグゼナに手を貸して上体を起こすのを手伝う。腕ごとほとんど使えない状態の彼女を起こすのは力がいるはずだ。
(フィンも大きくなったんだな)
ユーリグゼナはふうふう息をかけ粥を冷ます。ようやくご飯にありつきながら、ユーリグゼナは涙ぐむ。
◇◇◇◇◇
「死にたくなることなんて、誰でも結構あるもんなのよ?」
アナトーリーは顔を歪ませる。彼がプルシェルを切りユーリグゼナの部屋で入ると、ヘレントールによる不思議な説得が始まっていた。ユーリグゼナは驚き戸惑いながら言う。
「そうなの?」
「そうそう。アナトーリーなんかしょっちゅうよね?」
アナトーリーは話を振られ、コクコクと首を動かした。ユーリグゼナはホッとしたような困ったような複雑な顔で話し出す。
「そっか。私、おじい様と母様もいなくなって一人残されたとき鳳魔獣に提案されたの。『食べてやろうか』って」
「?!」
表情を変えた三人に気づかず、ユーリグゼナはそのまま俯いて話し続ける。
「母様の『絶対に自殺はしないで』って言葉を守りたくて提案を受け入れた」
「具体的にはどんな提案?」
落ち着きのある声でヘレントールが聞く。ユーリグゼナは顔を上げヘレントールを見ながら言う。
「『私が死を願ったら魔獣に食べられる。それ以外でも死体は魔獣の食料になる』って森と契約した」
「契約魔法使ったの?」
「た、多分」
ユーリグゼナがおどおどした様子で返事をするのを聞き、ヘレントールは大きなため息をついた。
「じゃあもうしょうがないわね」
「しょうがないじゃないだろう?! ユーリが魔獣に食い荒らされるなんて耐えられるか!」
思わず声を荒げるアナトーリーに、ヘレントールはひんやりとした目線を向ける。
「大丈夫よ。私たちは。あなたユーリより後に死ぬつもり?」
彼女の言葉にアナトーリーは呆気にとられる。ヘレントールはそんな彼をめんどくさそうな顔で見てから、ユーリグゼナへ言葉を続ける。
「鳳魔獣と近くにいなくても話せる理由は分かった。じゃあ次」
ヘレントールは抑えた声で聞いた。
「ライドフェーズはあなたに何を要求してるの?」
「……」
ユーリグゼナは黙ったまま目を向ける。目線の先にいた人物に、ヘレントールが声をかけた。
「フィン。お茶のお代わりを持ってきてくれる?」
フィンドルフはムッとした顔で立ち上がる。何で俺だけ、と呟きながら、悔しそうに部屋を出ていった。ユーリグゼナは小さくため息をついて言った。
「妊娠がきっかけでセルディーナ様の命と身体が離れやすくなってる。治療に私が持っている鎖が使えるらしい。次に二人きりで会う時に鎖をとられるのだと思う……」
アナトーリーは慌てて止める。
「待て! ヘレン」
そう言った彼は吹き飛ばされ壁に叩きつけられていた。そして机の上のものも合わせて床に散乱している。
「鎖とったらどうなるか分からないのよ?! 何を考えているのよ。あの糞ツリ目野郎の……」
ヘレントールの罵詈雑言が続く中、扉が再び叩かれる。そっと扉を開けるのは申し訳なさそうな顔のアラントスだ。さらに一番末っ子のユキタリスがひょこっと顔を出す。
(騒がしすぎたか……)
頭を押さえながらアナトーリーが起き上がる。彼の予想の付かないことが起こった。ユキタリスはサラサラの金髪を揺らしながら部屋にトコトコ入ってくる。下には先ほどのヘレントールが散らばせた器の破片が散乱している。そこにユキタリスは裸足で踏み入りながらユーリグゼナを見つめて言う。
「ゆーり」
アナトーリーが彼を抱き上げようと近づくと……
ポ────ン
ユキタリスが高ーく跳躍して、ユーリグゼナの膝の上に飛んでいった。
「え!!?」
アナトーリーとユーリグゼナの声が揃う。ユキタリスはユーリグゼナにギュッと抱きつき、ゆーり、ゆーりと嬉しそうにしている。
「そうそう。あんたたちがいない間にユキタリスの能力が発現したの」
「強すぎないか?! まだ三歳だぞ……」
驚き慌てるアナトーリーにのんびりとヘレントールが言った。
「まあね。でもユーリがいて助かるわ。能力の強すぎる子は不安定な子が多いけど、自分より強い人がいれば上手く育つのよね。だから……ユーリ」
ヘレントールは寝台に腰かけているユーリグゼナに目線を合わせて、続きを言った。
「絶対に死なないで。学校が始まればライドフェーズも手が出しにくくなる。あと少しだから何とか避けなさい。学校から帰ってくるまでに何とかしとく」
ヘレントールの言葉に、ユーリグゼナは喉を詰まらせながら言う。
「……私はセルディーナ様を助けたい」
そう言うユーリグゼナを、アナトーリーは痺れるように見つめた。
(ユーリもまた。選んだか……)
おそらく同じことを思ったヘレントールが、水色の目を見開いて呟くように言った。
「────厄介だわね。パートンハド家は」
「え?」
「ユーリ。ライドフェーズが言ったとおりにしてもセルディーナ様は治らないかもしれない。生命を繋ぐってそんな簡単な事じゃないから」
ヘレントールの言葉にユーリグゼナは目を丸くしていた。
「それと契約魔法はもうやめなさい。あなたの中で絡みついて、取り返しがつかなくなるわ。さっきの治療も大変だったもの」
「そうなの?」
「ええ。魔法で生命活動を縛るのよ。無いに越したことはない。大人でも……婚姻か養子縁組くらいにしか使わない……ものよ」
そう言いながら何となくヘレントールが歯切れが悪くなる。アナトーリーも少し顔を赤くして目線を下げる。子供と話すには微妙な話題だった。ユーリグゼナが二人の不可解な反応に首を傾げる。
「契約魔法がどうかしたの?」
「ユーリ! もうこの話は終わりにしよう。疲れただろう。休め」
そう言いながら、アナトーリーはユキタリスを受け取るためにユーリグゼナの側に行く。その時、そっとユーリグゼナの耳に触れ、耳飾りを外した。基本プルシェルはつけっぱなしだ。不思議そうなユーリグゼナの顔を見下ろし、アナトーリーは落ち着いた声で言った。
「外しておけ。プルシェルも微弱だけど契約魔法だ。少しでも早く治せ」
アナトーリーはプルシェルを机の上にそっと置き、ユーリグゼナの頭をポンと叩く。彼女のぼんやりした顔を見てやわらかく笑った。そして彼女の膝からユキタリスを抱き上げ部屋を出た。
次回「孤立」は3月8日18時に掲載予定です。




