30.青らむ
アルフレッド→セルディーナ→ユーリグゼナと視点が移ります
平民の町の水路を通り過ぎ、ライドフェーズは御館へ帰るための支流へと舟を進める。ようやく演奏を終え、それぞれ一応に達成感とホッとした後にくる疲労感で気を緩めていた。不意に辺りが真っ暗になる。支流の一部は森の中の洞窟へと繋がっていたのだ。水の流れが緩やかになり静かになる。
「暗くとも道筋は魔法陣で分かる。問題はない」
ライドフェーズはポツリと言う。そうは言っても、真っ暗というのは人を不安にさせる。誰も舟が暗くなる想定はしておらず、明かりの用意をしていなかった。それぞれが暗さと静けさを黙って我慢している。────しかし、そうでない人間もいた。
フィー フォー
フィフォフィファ──
横笛を吹き始めたユーリグゼナは、何だか嬉しそうな雰囲気だ。いきなり隣で吹き始めた彼女に、アルフレッドは暗闇の中ガックリと項垂れる。
(どんなときもユーリだな)
なぜ嬉しそうなのかが分かるアルフレッドは、彼女に合わせて弦楽器を弾き始める。
(ず──っと横笛の音聞こえなかったもんな)
他の演奏者たちも次々に自分の楽器を奏で出す。ほぼ無音の空間に合わせ、それぞれの楽器の音を適度な音量と速度に調整していく。この真っ暗な中に音が溶け込んでいくようだった。
ふわり ふわり
暗い空間の中、何かが光りゆっくり落ちていく。
ふわり ふわり ふわり
(ユーリの言う通り、青らむ雪だ)
アルフレッドは前に彼女が言っていたことを思い出す。水面の色が映っているせいなのか、彼女の着ている青い服の上に落ちたせいか。降ってくる白いものは青味がかって見えた。
少しずつ川の水量が増していく。静けさは消え、水音で他の音はかき消されていった。次第に明るくなってきたと思ったときには洞窟を抜けていた。川の流れに乗り思いのほか舟の速度は上がっている。しばらくすると、元の御館の池に戻ってきた。船着き場に着くと、みんな一応に疲れた様子で静かに下船する。
光るものが降ってきたことを誰も話題にしなかった。
◇◇◇◇◇
セルディーナの涙は、洞窟で降る雪を見てからずっと止まっていない。洞窟を抜ける前に顔を隠すためにヴェールをかけた。それを押さえる手は震えっぱなしだ。舟を降りる時にライドフェーズの手を取らず、自分で下りて東司処に駆け込む。テルが慌てて付いてくるが、様子を察して何も言わずに扉の前で待ってくれているようだった。
(テルごめんなさい。あなたまだ舞姫の格好のままだわ)
セルディーナはその状況を想像して申し訳無いながらも、少し笑ってしまう。静かに扉を開け、テルの前に泣き顔をさらした。テルは少しホッとした顔をして、目線を下げる。
「お着換えをされませんか? もう会場に戻らなくて良いようです」
ライドフェーズの配慮であることに気づき有難い気持ちより、苛立ちの方が先に出てくる。セルディーナはぎゅっと手を握りしめる。
(私は弱い。ライドフェーズにどうしても囚われてしまう)
今までライドフェーズが常にいて、テルとシノが助けてくれた。本当の意味で彼女自身が一人で選択したのは一度きりだ。────妖精から人間になるときだけ。
あの青味がかった雪は、彼女の過去も未来も移しているようだった。森での妖精としての自分、ペルテノーラでのセルディーナとしての自分、子を宿した自分と消えていく自分。
(本当に綺麗な雪だった。ずっと見たかったペルテノーラの雪そのもの)
セルディーナはユーリグゼナを守らなければならない。雪を見て確信に変わっていた。彼女は清いものだ。シキビルドの守り神に繋がっている。自分が消えてしまえば、ライドフェーズはユーリグゼナに何もしないだろう。そう分かっていても割り切れない自分自身にセルディーナは腹を立てていた。
(子供が愛おしい……)
もっと早くに決められなかったのか、と苛立ちが募る。
(私がライドフェーズと離れたくないなんて、この世界のことを思えばちっぽけなことなのに)
◇◇◇◇◇
「悪いが御館の外に出てくれないか?」
アナトーリーが困り果てた顔で、舟から降りたばかりのユーリグゼナに言う。ユーリグゼナは彼の手のすり傷を見ていた。
「揉めたの?」
「ああ。舟が洞窟に入って追えなくなったら、急に暴れ出した」
「……ごめん。説明してなかった。いいよ。どこにいるの?」
ユーリグゼナがそう言った瞬間、頭上に大きな暗い影が走る。そして次の瞬間には大きな翼で爆風が起こり庭に居た人々を吹き飛ばす。鳳魔獣は様々なものを吹き飛ばしながら彼女の側に降り立った。彼は嬉しそうに頭をユーリグゼナの体に擦りつける。ユーリグゼナが困り顔をしながら、羽の合間を優しく掻いている。呆然とその様子を見ている彼に言った。
「アナトーリー。焼菓子ある?」
「あるけど。あっ、おい」
アナトーリーが懐から取り出した途端、袋ごと鳳魔獣の大きな嘴で器用に奪われる。ユーリグゼナは彼の上にヒョイと飛び乗る。
「とりあえず御館から出すよ。他の子たちも来たら収拾がつかなくなる」
ユーリグゼナが鳳魔獣たちと折り合いをつけて御館に戻ると、庭にはアナトーリーや参列者たちの姿はなく清掃を行う側人ばかりだった。探し物が無いか見て回るが、見つからない。そもそもほとんどの片づけが終了しているのだ。
彼女が気になっていたのは、舟に置きっぱなしだった横笛だ。恐らく他の楽器と一緒に師匠のところにあると思う。が、もしものことを思い戻った。誰にも頼んでいかなかったのが悔やまれる。
(アルフレッドに伝えられていたらな)
この後酒蔵にも挨拶に行かねばならないし、師匠のところに寄るのは夜遅くになりそうだった。
その時、人の気配がしてユーリグゼナは立ち止まった。
「ユーリグゼナ」
そう声をかけたのはセルディーナだった。ユーリグゼナはぎょっとした。庭の端に一人で歩いているような人物ではない。セルディーナは手招きをして、庭の中に隠されるようにある椅子に誘う。ユーリグゼナは心配になる。
「セルディーナ様。ここは身体に触ります。もっと温かいところに参りましょう」
「……知ってるのね?」
「……」
「それでライドフェーズに脅されたの?」
ユーリグゼナはセルディーナが何を言うためにここに来たのか分かったような気がした。
(でも……。本当に身体が心配)
「お部屋まで付き添わせてください。その間にお話しするのではいけませんか?」
「……分かりました」
今日のセルディーナはどこか幼く不安定だ。なんとなくユーリグゼナは彼女の手をとる。
「エスコートしてもいいですか?」
セルディーナがぷっと吹き出して頷いた。さらりと長い金髪が美しく波打った。彼女は歩きながら静かに話し出す。
「綺麗な雪を見せてくれてありがとう。そして、結婚式のためにたくさん協力してくれて祝ってくれてありがとう」
「……」
心配になるほど素の彼女だった。
「私はユーリグゼナを守ります。命の限り」
そう言い切るセルディーナは綺麗だ。赤く澄んだ目に力がこもる。思わずユーリグゼナは歩みを止めてしまう。
「私が守りたいのはセルディーナ様です。あなたには少しでも長く人間の世界にいて欲しい。どうか無事に子供を産んでください」
ユーリグゼナの最後の言葉にセルディーナはぐっと息を飲む。
「ユーリグゼナを犠牲にしてまで欲しい未来はありません」
「……」
「ライドフェーズの話は決して受けてはなりません」
セルディーナの言葉に今度はユーリグゼナが息を飲む。ユーリグゼナは真摯な言葉を正面から跳ね返せるほど強いことは言えない。しばらく悩みながら、誰にも言っていない本当の気持ちを伝えることにした。ユーリグゼナは地面に目線を落とし、静かに言った。
「私は長く生きたいと思っていません。私の何かがあなたの役に立つなら本望です」
「……なぜ生きたくないの?」
「分かりません。ただ不意に死にたくなります」
「なぜ?!」
ユーリグゼナは答えられない。これ以上はもう考えては駄目だと何かが伝えてくる。苦しそうにユーリグゼナは言った。
「私は自分のせいで家族を不幸にしました。生きている価値などありません。音楽に関わっている時だけは何も考えずにいられます。それ以上はもう……」
聞かないでください、とユーリグゼナは小さく呟いた。
セルディーナの顔が歪む。ユーリグゼナは深く俯き、じっと地面を睨む。
ユーリグゼナが顔をあげた時、セルディーナの透明な赤い目が彼女を見つめていた。セルディーナは静かに、きっぱりと言い放つ。さらりとした長い金髪が風に舞う。
「私があなたの全てを守ります」
夕焼けと夜空が相まみえる黄昏時のわずかな時間、セルディーナの姿は幻のように美しく輝いていた。
次回「やり過ごす」2月22日18時に掲載予定です。




