2.時空抜道
学校へ向かう日。ユーリグゼナは明け方に出発する。森の小屋から町の直前までは仲良しの魔獣たちに乗せてもらい、町の中は歩いて拠点へ向かう。
彼女は約束通りに仕上がった制服を身につけていた。最高品質なのは、アルフレッドの口添えのおかげだ。
集合場所に到着すると、戦争時の瓦礫が積まれたままになっていた。学校へはこの拠点から時空抜道で向かう。そのための魔法陣が、剥き出しの壁に直接描かれていた。
(雨だったら、大変だ)
これだけ複雑で緻密な図柄だと、描き直すのに何晩も費やす。戦後処理に明け暮れ、通常業務がままならない国の様子が透けて見えた。
学生を案内する役人は、前よりだいぶ減っている。学校に送る荷物の受付は、かなり長い列になっていた。出発に間に合わないかもしれない。ユーリグゼナは悩みながらも列の最後尾へ向かう。
集合場所に戻ってきたユーリグゼナは、アルフレッドの姿を見つけ、側に向かう。アルフレッドはホッとしたように彼女を見たが、すぐに呆れ顔になる。
「荷物は預けないのか?」
「うん。やめた」
そう言いながら荷物を足元に下ろす。その間もユーリグゼナは緊張を解かずにいた。何か奇妙な感じが、彼女を警戒させる。列に並ぶのをやめたのはそれが原因だ。
「何があった?」
彼女の様子に気づいたアルフレッドは小声で聞く。
「見られている」
「誰に?」
「見たことの無い人。学生でも役人でもない……。十人はいる」
彼女の言葉にアルフレッドは目を細めた。
学生たちの目は、大がかりな術に釘付けになっていた。空間と空間を繋ぐには、複雑な座軸調整と、正確無比かつ大きな魔法陣を描く必要がある。起動の失敗は空間をねじ曲げ、甚大な被害を生み出す。半人前の学生たちの目前で行われることはまず無い。
(自信あるんだ。術者)
術者は、魔法陣に右回りで順に手を触れ、文言を唱え光らせていく。すべての陣が光りだすと、胸の前で合掌した。
時の彼方 空間を司る神々精霊たちよ
土地の絆 温かな血脈
時空の理 解き放て 雌雄の門 こに交じらふ
一瞬の静寂後、じわじわと魔法陣から青白い光が放出されどこからともなく風が起こる。術者の服が風をはらみ、ふわりと舞い上がった。
(来る!)
ユーリグゼナが身構えた瞬間、魔法陣は強い光を放ち突風が起こった。学生が何人も吹き倒される。眩しい光を放った魔法陣は、ほの暗いトンネルへ変貌した。
ユーリグゼナは一瞬たりとも目を離さず、時空抜道が繋がる瞬間を見ていた。
(やっぱり魔法って、いい)
彼女はスッと姿勢を伸ばし、真剣な眼差しでトンネルのさらに奥を見ていた。
「前王の二倍以上ある……よな?」
学生たちは一様に目を見開き、その大きさに驚愕していた。
術者はすたすたとその場から離れ、さらりとした長い金髪の女性の学生に微笑み言葉を交わす。ユーリグゼナはその女性に目を奪われる。
(すごく綺麗な人。妖精みたいにきらきらしてる……。というか人間じゃない?!)
ユーリグゼナがその女性に見入っていると、また視線を感じる。さっきの術者にじっと見られている。アルフレッドも気が付いた。
「見られてるって、これのことか?」
「違う。でも、あれは何者?」
「……戦勝国からきた新王のライドフェーズ様だ。隣が婚約者のセルディーナ様」
ユーリグゼナは複雑な表情になった。
(王が……とても……残念)
術が終わると途端に、ただの人だ。全然威厳がない。むしろ下っ端の学者とかの方が似合いそうだ。失礼なことを考え続けているユーリグゼナに、アルフレッドは言う。
「あのさ……」
彼が言い終わる前に、ユーリグゼナは身をひるがえす。真後ろに男が立っていた。敵意を持って、彼女に掴みかかる。
ユーリグゼナから冷たい精気が放たれ、周りの空気を変えていく。
「待て! 逆らうな。王の側近だぞ」
アルフレッドが鋭く言い放った。
ユーリグゼナは蹴りを、男のみぞおちのぎりぎり手前で止める。
アルフレッドは側近の男との間に割り込んできた。彼女を背中へ追いやり、貴公子のような品のある所作で、男に礼をする。
「失礼があったこと、お詫び申し上げます。しかし、彼女は紫位です。なんの説明もなく、いきなり捕らえようとするのはいささか礼を欠くと存じますが?」
(アルフレッドが庇ってくれた?!)
これまで学校で彼女を庇う人間はいなかった。
側近の男は警戒を強め、アルフレッドを睨み付ける。三人が膠着状態になっていると、周りが何事かとざわつき始めた。
(もういい。これ以上は彼に迷惑をかける)
ユーリグゼナはこの場を離れ、集合場所から立ち去ることにした。ところが、アルフレッドが彼女の手を掴み、引き止める。
「駄目だ。誤解されて学校に行けなくなる。俺はお前がいた方が楽しいんだよ」
その時、舞台上から低い声が発せられた。
「ユーリグゼナはこちらに来い。他の学生は移動しろ」
王はそう命じると、その場から離れる。アルフレッドはユーリグゼナの手を離し、彼女に深く頷いた。彼女は深いため息をついて、王の後を追った。
足早に控室に向かう新王ライドフェーズに、ユーリグゼナは追いついた。彼女の緊張は再び高まっていく。隣を歩くのは、さっきの側近の男だった。ライドフェーズは扉の前で、ぴたりと立ち止まった。二人を振りかえり、大きなため息をつく。
「いつまでもピリピリと……。いい加減にしてくれ」
「しかし、王! この敵国の娘、戦闘能力が高すぎます。何をしでかすか分かりません。捕縛の許可を!」
ライドフェーズはじろりと側近を睨む。
「捕縛? 馬鹿な。子ども相手に何をする気だ。最強の一族とはいえ、ただの学生だぞ。それにシキビルドはもう敵国ではない。我々が下した敗戦国だ。決着がついている相手に、いつまでも騒ぎ立てるな」
側近たちは黙り込む。ライドフェーズはユーリグゼナの方に向き直ると、深いため息をついた。
「我々は戦いでたくさんの同胞を亡くしている。戦争が終わっても簡単には割り切れない。そこは理解してくれないか」
ライドフェーズは彼女を静かに見つめ続ける。
「ユーリグゼナ。安全は王である私が保障しよう。だからちゃんと申し開きするんだ。これまでの行動が怪しすぎて、戦勝国の面子にかなり疑われている」
彼の言い様は、まるで子どもを諭すよう。敵意を露わにする側近たちとは全然違っていて、不思議に思った。入室するライドフェーズに、ユーリグゼナも続いた。
ライドフェーズは前置きも無く、話し始める。
「要件は、処遇の相談と税金未払いの件だ。まず聞きたい。パートンハド家の邸宅が更地になっていた。何があった?」
「…………破壊しました。私が」
ユーリグゼナは、答えにくそうに言う。いつ襲われるか分からない状況で、邸宅まで守る余裕はなかった。大事なものは森の小屋に詰め込んで、あとは壊し捨てた。人の手に荒らされるより、自分の手で思い出を壊す方がマシのように思った。
ライドフェーズのつり目が、細められていく。
「どうしてずっと連絡が取れない? 音声伝達相互システムが届かないのはなぜだ?」
それは特権階級必須の魔術機械だった。ユーリグゼナは目を泳がせる。
「…………音声伝達相互システムはまだ持っていません」
「はぁ? お前3学年だろう。1学年で取得できるものだろうが」
「……そうなのですが」
「お前……。授業サボったな?」
不機嫌なライドフェーズは、言葉がどんどん砕けていく。
「王! もう少し王らしくお願いいたします」
年配の側近が窘める。ライドフェーズはこほんと咳をして、勢いを弱めた。
「シキビルドの特権階級は、戦闘と処刑でかなり減った。人が減り過ぎて国が成りたたなくなっている。
パートンハド家はずっと前王一族から冷遇されていて、お前が唯一の生き残りだ。救済したいと思っている。処刑された家に嫁入りしていたお前の叔母と、その息子三人を、パートンハド家に戻すことにした」
そしてとても残念そうに呟いた。
「本当は無駄に強いお前に、婚約者の護衛を任せよう思ったのだが……」
ライドフェーズが言い終わる前に、側近たちから「危険すぎます!!」と声が上がり強く諫められる。彼は疲れた様子で言った。
「とりあえず……ユーリグゼナ。金払え。シキビルドの国の金庫はスッカラカンでな。代わりに、全特権階級から賠償金を取り立てることにした。他は請求済みで、あとはお前だけだ。ほら、移動型金庫だせ」
ユーリグゼナは黙り込む。ライドフェーズは不愉快そうに眉をひそめる。
「まさかそれも作ってないという気か!」
「……いえ。手元に無くてですね」
「おい! 払わない言い訳ではないだろうな」
もともとほとんど無かったライドフェーズの王の品格は、完全に消える。ユーリグゼナは誤解されないようきっちり答えた。
「必ず払います」
「当たり前だ」
「移動型金庫は寮の自室です。学校でなら支払います」
「信じよう。金はあるはずだからな。お前、自分の領地を売り払っただろう。相当の金額だったはずだ」
よく調べているな、と思う。
年配の側近が、ライドフェーズの肩にそっと手を置き、微笑む。その顔から王らしくと申し上げませんでしたか? と諌めているようだった。
「そろそろ拠点を閉めます。お急ぎください」
入室してきた伝令の声に、ライドフェーズは大きなため息をついた。「請求は学校でしよう。セルディーナにまかせる」と側近たちに言う。
ユーリグゼナは一礼すると、部屋を出て先程の集合場所に急いだ。
「ようやく、か……」
壁に寄りかかっていたアルフレッドが、体を起こす。ユーリグゼナは彼の顔を見て、少しホッとする。周囲の係の役人たちがすぐに誘導を始める。2人は時空抜道へと歩き出した。ユーリグゼナは言う。
「よく待たせてもらえたね?」
「サタリー家は顔が利くらしい……」
アルフレッドは苦いものを飲んだような顔になる。
彼はシキビルドの筆頭貴族の人間だったらしい。理由は分からないが、嫌な思いをさせたようだった。
ユーリグゼナは、自分が持っていた袋から菓子を取り出す。森からの移動を手伝ってくれた魔獣たちに作った残りだ。木の実をたくさん入れ、バターと砂糖をふんだんに使って焼いた。サクサクとした食感と、キャラメルのねっとりした甘さが不思議と癖になる。
「食べる?」
自らも口に入れながら、ユーリグゼナはアルフレッドに勧めてみた。彼は興味深そうに覗き込み、ひとつつまむ。
「美味しい。なんだこれ。もう一ついいか?」
ユーリグゼナは袋ごと渡す。彼の顔が和んだ。彼女はホッと胸をなで下ろす。
「なんか、止まらなくなる」
隣からするバリボリゴリゴリという咀嚼の音が、暗い時空抜道のなかを反響していく。
「魔獣たちも気に入ってくれてて、あげると喜んでくれるんだ」
「俺は魔獣と同じ扱いか……」
「……」
二人はゆっくり暗いトンネルを進んでいった。
「アルフレッド。ありがとう。制服も荷物預けてくれたことも、さっき助けてくれて…………待っていてくれて…………えーと……あの」
ユーリグゼナはうまく言葉が繋げられない。人と話すことの無い彼女は、気持ちをどう伝えていいのか分からなかった。彼は素っ気なく言う。
「なあ、ユーリって呼んでいい?」
これは友達になろうの定番のセリフだ、ユーリグゼナはそう感じ答える。
「いいよ。アルフ?」
正解の答えだったらしく、暗がりの中、アルフレッドの手がポンと頭に乗せられる。ふわっとした気分になった。
その時、急に真綿のようなものが、素早く彼女に近づく。ユーリグゼナの首にグルグルと捕り付き、ぎゅっと絞めつけてくる。ぐっと声を出しそうになるのを必死に堪えた。その黒く生ぬるい存在は『置いていく気か』と伝えてくる。ユーリグゼナは、手を首に添え心の中で伝える。
(大丈夫です。必ず帰ってきますから)
そうしてしばらくするとシュルシュルと首から離れ、存在を消していく。ユーリグゼナは、アルフレッドに悟られぬようそっと息を整えた。
アルフレッドは何も気づかない様子で、彼女に話しかけてくる。
「ユーリ。眠り姫が王に付くのか付かないのかって学生たちは大騒ぎだ。覚悟しろよ」
「眠り姫って私?」
「そうだ。知らなかったか? ユーリの立場が微妙すぎて、下位階級の学生が『様』付けするか悩んで、そう呼んでる」
最上位の紫位なのに孤児。母譲りのパートンハド家らしい整った顔立ちながら、身なりは無頓着。下扱いも上扱いも迷うのだろう。
「なんで眠りなの?」
「授業中寝てばっかりだからな」
「なるほど」
「納得するな」
暗がりを抜け、まぶしい光に目がくらむ。学校の白い校舎が目の前に広がる。広大な敷地のほとんどは美しい森。ユーリグゼナは穏やかな気持ちで、その学び舎をながめた。
音声相互伝達システム(プルシェル)は、あちらの世界の携帯電話みたいなものです。かなり小さい物でピアス型、指輪型が主流。つけっぱなしにします。