28.朱雀の刺繍
視点がユーリグゼナ→シノ→ユーリグゼナと変わります。
ライドフェーズは参列者たちに飲食不要と言っていたが、彼の側近たちの尽力で御館の庭には机と椅子が用意され、食事がとれるよう準備された。しばしの休憩時間となり、参列者は歓談したり食事したり和やかに過ごしていた。
ユーリグゼナとアルフレッドは演奏者でありながら、それぞれパートンハド家とサタリー家の代表としても出席している。そのため最低限の挨拶をこの休憩時間内に終わらせなければならない。
「ユーリ。そろそろ行くぞ」
「ごめん。ちょっと先に行ってて」
ユーリグゼナはアルフレッドに先に行くように言い、他の演奏者たちに向き直った。彼らはこれから控室に向かうはずだ。
「良ければこれを」
ユーリグゼナはどこからか箱を取り出し、差し出した。受け取った年配の演奏者が、不思議そうな顔になりながら箱を開ける。
「お菓子?」
「あの、多分この休憩後はずっと演奏になります。少し食されてください」
「なぜ芋の茶巾絞り……?」
「私が好きだからです。勝手してすみません。茶巾絞りにしたのは、時間が無くても片手で綺麗に食べれるものをと……」
「おい。嬢ちゃんが作ったのかよ」
どやどやとみんなが集まってきて、ユーリグゼナはいたたまれなくなり逃げ出す。
(やっぱり止めておいた方が良かったかな……。でもみんな。これからずっと舟に乗って演奏するんだよ……。しかも王と同乗で……)
平民の食事は朝と夕方の2回が基本だ。控室にお茶の用意はあっても食事があるとは限らない。多分すぐに舟に乗り込むことになるはずだ。王を守るため先の計画をユーリグゼナから漏らすことができない。彼女なりに精いっぱい考えた結果だった。
◇◇◇◇◇
演奏者たち八人が控室に行くと、シノがちょうどお茶の用意をしていた。
『お疲れ様です。少しの時間になりますが、ご休憩ください』
そういうと、シノは米を炊いて丸く丸めたおにぎりをテーブルに並べる。みんながびっくりしている様子に、少し戸惑いながら説明する。
『時間も無い事ですし、片手で綺麗に食べれるものをと……』
その言葉にみんなが一斉に笑う。シノは理解できずに固まる。
「悪い。今さっき全く同じ文句を嬢ちゃんが言ったんだよ。そして手作りのお菓子をくれてな」
「言葉が……」
「分かるさ。俺たちのことを色々考えてくれてありがとう。しかも、わざわざ平民の食べものまで調べて用意して……。せっかくだ。忙しいだろうけど、つまんでいきなよ。嬢ちゃんのも、ほら。紫野さんや」
(紫野さん……)
シノは言葉のことも、お菓子も呼び方も思うところがあったのだが、何だか気が抜けてきてしまう。演奏者たちが勧めるユーリグゼナのお菓子を有難くいただくことにする。そのお菓子は黄色くて、小さくてまん丸で一口で食べれてしまう。食べると意外にしっとりとしていて、ほのかに甘かった。
◇◇◇◇◇
逃げ出したユーリグゼナは、うっかり人気の無い御館の中庭に来ていた。慌てて戻ろうとすると、近づいてくる男がいた。ライドフェーズだった。
「久しぶりだな」
またいつかの時のような穏やかな笑顔だ。彼の栗色のくせ毛がふわりと風になびいている。今日の衣装は特別良いものだった。白衣に白袴はユーリグゼナと同じだが、生地が違う。やわらかそうで艶がある。上に羽織った衣は、黒地の裾に赤の朱雀が刺繍されていて、威厳がありながらも華やかでとても美しい。耳と首につけられた高品質の装飾品が、彼を特別な存在であることを示していた。
ユーリグゼナは小さく会釈する。断ったはずの養女と婚約の噂が、なぜか一人歩きしている。彼女にはライドフェーズが何かしているとしか思えなかった。彼は穏やかに話し出す。
「アルクセウス様と会った時、願いは卒業までに考えておけって言われただろう。理由は分かるか?」
「いいえ」
「あれは、アルクセウス様なりにお前を助けようとされたんだ。卒業までは待ってやれ。そう私に促したんだ」
「……」
「でももう待てなくなった。セルディーナが妊娠した」
(今日が結婚式のはずでは……)
ユーリグゼナは混乱する。ますます何も言えない。
「セルディーナを繋いでいる鎖が解けやすくなっている。次、私とお前が二人で話すときが最期だ。それまでにやりたいことがあったら終わらしておけ。アルクセウス様への願い事はその時に聞く。私から伝えよう」
「……養女と婚約の噂は何のためですか?」
「あれか。────ヘレントールは手強いな。外堀から埋めているがなかなか動かない。……お前が急死したとき、誰かを犯人に仕立てなくてはならない。お前が養女になることやペルテノーラに輿入れすることに反発した連中の仕業にする予定だ」
ライドフェーズは淡々と微笑を浮かべながら話す。まるでもう決定したことのように。ユーリグゼナはぼんやりと思う。
(私の死は決まったのかな。それなら、話しておかないといけないことがあるのだけど……)
「会場にいくんだろ? これ着ていけ」
ライドフェーズは彼女に近づき差し出す。赤地に朱雀の刺繍が施された美しい衣だ。
(これ着て、王の養女になると宣伝して歩けと?)
ユーリグゼナの心の声が聞こえたかのように、ライドフェーズは言う。
「どのみちお前は養女になる。今も後も一緒だ。受け取れ」
その時、ユーリグゼナの目の前を青いものが遮った。アナトーリーが庇うようにユーリグゼナを背中で後ろへ押しやる。
「ライドフェーズ様。恐れながら、お受けすることはできません」
「アナトーリー。この件に関しては本当に頑なだな」
「……その言葉、そのままお返しいたします」
ユーリグゼナは目の前のアナトーリーの羽織っている青い衣に触れた。本当はこのまま泣き出したいくらい怖かった。そのことに今更ながらに気づく。
突然、白い衣装を着たセルディーナが急いだ様子でやって来た。彼女の長い金髪が風で乱れている。
「ライドフェーズ!!」
聞いたこともないような厳しい声だ。彼女はライドフェーズに近づくと、彼の胸をいきなり右の拳骨で力いっぱい殴った。ライドフェーズはうっと呻く。
「あなた何考えているの? 駄目と言ったはず。私、許さないわよ」
セルディーナの勢いに、ライドフェーズは顔を逸らす。それでも彼女は厳しい目で彼を見つめ続けた。そして大きなため息をつくと二人に向き合い言う。
「ユーリグゼナ。アナトーリー。本当に申し訳ございません」
「セルディーナが謝る必要などない」
ライドフェーズがそう言った途端、セルディーナは彼の脛を蹴る。ライドフェーズはかなりの痛みに顔を歪めながらも黙って耐えた。彼女の衣装は薄い白衣を何枚も重ね、上に羽織る衣には下半分だけ薄く朱雀の図柄が入った繊細なものだ。この衣装がセルディーナの激しい動きに従い舞っていた。
この状態に終止符を打ったのは、テルだった。探していたセルディーナの形相にぎょっとしたのもつかの間、セルディーナに優しく声をかけ静々と会場に連れて行く。ライドフェーズもそれに続く。
二人が立ち去り、ホッとしたアナトーリーは振り返りユーリグゼナを見る。彼は苦々しい表情になった。
「ユーリ。なんて顔してる」
彼女の顔からはすべての感情が消えていた。アナトーリーは優しくユーリグゼナを抱きしめる。ユーリグゼナはただぼんやりと、されるがままになっていた。彼女の頭に浮かぶのは……。
(やり残したことは二つ)
アナトーリーは彼女を抱きしめたまま言う。
「もう結婚式なんてどーでもいい。帰るぞ」
「みんなで頑張ってここまで来た。それが分かってるアナトーリーは最後までやるよ」
「冷静に言うな。馬鹿」
「それに私の友達の鳳魔獣に乗せてもらえるの楽しみにしてなかった?」
「してたけど、それどころじゃないだろ?」
そう言うとアナトーリーは、ユーリグゼナの顔を覗き込む。ユーリグゼナは何もなかったように笑う。それを見て彼は、無理すんな馬鹿、と言い彼女を小突く。ユーリグゼナは微笑み言う。
「式終わったら、フィンの側人探さなきゃ。当てがあるって言ってたよね?」
「ああ。分かってる」
そう言ってアナトーリーはユーリグゼナを放すと、自分が羽織っていた青い衣を脱いだ。ユーリグゼナが上に着ていた白い狩衣を青い衣に着替えさせる。
「さすがに大きいよ」
「大丈夫。調整できる。王除けだ。着ておけ」
アナトーリーは手慣れた様子でユーリグゼナの腰で紐を締め、裾の長さを調整した。最後に帯を締め終わると、彼は小さくため息をついて言った。
「時間か? スリンケット」
「はい」
後ろに歩いてきたスリンケットが答えた。アルフレッドもすぐ横についてきている。アナトーリーはどんな変化も見逃さない鋭い目でユーリグゼナを見た。
「ユーリ。できるのか?」
「私が演奏したいの。必ずやり遂げる。師匠とも約束した」
「分かった。俺もやり遂げよう」
アナトーリーはユーリグゼナの頭に手を乗せて、小さな声で祈りの言葉を言う。彼女の心は少しだけ軽くなった。
次回「水路」は2月15日18時に掲載予定です。




