24.希代の能力
アナトーリー(平民名・累)視点。
アナトーリーは累として連に呼び出され『楽屋』に来ていた。昼間の店は「閉店」の看板が掛けられたまま、住み込みの店員ばかりがのんびり過ごしている。ちょうど目を覚ましてご飯を食べていたところで、累と付き合いの長い店員たちのテーブルに招かれ、一緒に薄い緑色のお茶を飲んでいた。
『累は、最近青が恋歌ばっかり歌っているの知ってるか?』
累はお茶を吹きだしそうになるのをギリギリで止める。店員たちはその様子を見て、知らなかったかあ、と残念そうにする。
店員の一人が真剣な面持ちで、小声で言う。
『俺たち、青が好きなら男でも女でも応援してやりたいんだ。だから客の中にいるんだったら、連にばれないように手引きしてやろうと思ってて……』
『ほう。やるんなら命がけでやれよ。俺を出し抜けると思うんならな!』
後ろから連の底知れなく恐ろしい低い声が響く。店員たちは慌ててテーブルの上を片付け、逃げ出す。その場に一人残された累の横に、連がよっこらしょと座った。
『で、青の相手は誰なんだ? お前じゃなさそうだな』
『……知らん』
累は拗ねたように顔を背ける。連は顎に生えた白髭を片手で撫でながら言う。
『姉に続き、姪にも振られたか』
『あいつには何も言ってない。勝手な勘違いするな』
累は連に向き直り、むきになって言い返す。そう勘違いでもないだろう、と連は言葉を続ける。
『まあ、青のおかげで店は大繁盛だ。礼にスリンケットをそっちに回してやる』
『待て。じじいが仕事振ってたのスリンケットだったのか?』
累が「俺、勧誘しちまった……」と呟き、頭を抱える。知ってる、と連がニシシッと笑うのを見て、累は大きなため息をついた。累は虚ろな目で連に言う。
『……紹介されても意味がない。じじいに振ってた仕事が俺に戻ってくるだけだ』
『だから、お前は馬鹿なんだよ。あいつは特権階級だ。しかも紫位復帰予定のな。上級対応を学ばせてお前の仕事手伝わせろ。スリンケットは使えるぞ』
『じじいに頼んでた仕事は、これからどうするんだ?』
『俺の手足はたくさんある。遠慮なく振れ。そして金と人脈をよこせ。後払いにしといてやる』
ごうつくじじい、と累が呟いたが、連は素知らぬ顔だ。店の扉が開いて、外の空気が店の中に入ってくる。誰か客が来たようだった。連は席を立ち入口へ向かう。
『じゃ、後でな。奥の控室でゆっくりして行け』
『ああ。いろいろありがとう。恩に着る』
累が素直な気持ちで礼を言うと、連が歯を剥き出しにしてニシシっと下品に笑う。累はひくっと顔が歪む。
(どうにかならないのか、あの笑いは……)
ふわりと累の前に風が通る。客が部屋の中に入ってくる。連の客が来るなら、ここに居てはならない。そう思い累が椅子から立ち上がると、その客は目の前で立ち止まる。
「アナ……累さん。でしょうか?」
戸惑いがちに累の名を呼ぶ男は、スリンケットだった。彼の赤茶色のフワフワした髪がゆれる。累は硬直する。
(じじい。どこまで情報漏らした)
連は姿を消している。この鉢合わせは計算通りだということだ。スリンケットがまずどこまで知ってるか確認してから、そう思いながら累は考え直した。
(──違うな。じじいはパートンハド家の情報を持たせて公私ともに手伝わせろ、って俺にけしかけてるのか)
累は大きなため息をつく。連が言っていた奥の控室へスリンケットを誘う。部屋に入り扉を閉めるとすぐ、スリンケットは緊張した様子で言った。
「サタリー家でユーリグゼナが倒れました」
「!」
「前王の話をしている最中に、急に具合が悪くなりました」
「……」
「倒れたのは僕の知る限りで二回目です。彼女には何かあるのですか? 教えてください……」
スリンケットは累を見つめ一歩も引かない様子で言った。累は顔を歪ませて俯き、スリンケットに椅子を勧める。スリンケットは緊張した面持ちで座る。累は一度部屋を出て、厨房に用意してもらった茶と菓子を手に、部屋に帰ってくる。『楽屋』の物は平民の店にしては、良いものを揃えている。店の客層に特権階級も含んでいるからだ。
累はスリンケットにお茶を勧め、自らも飲む。ユーリグゼナの話の前に、確認しておきたいことがあった。
「君の目は澄んだ綺麗な青色だな。君の父上譲りか」
「……」
「能力もそう? 真偽の目か」
「はい」
スリンケットの口は重い。彼の実家の話はしたくないのだろう。それでも続ける。
「連とはどうやって知り合った?」
「父と連は昔からの馴染みで、互いの情報を交換していました。父の処刑後は完全に縁が切れていましたが、最近私の方から連絡を取り、仕事を手伝うようになりました」
「連絡を取り始めた訳は?」
累からの質問に、スリンケットがうっと息を飲む。正直な反応に累は頬を緩める。
「パートンハド家の情報が目的か」
「……はい。王一族の動向も合わせて探れるかと」
スリンケットは真剣な面持ちで答える。累は彼に対し、情報を得るため割り切って人と付き合う人間に見えていた。だがユーリグゼナとの関わりを知るにつれ、かなり見方が変わってきている。穏やかな表情で聞く。
「連は手強かっただろう」
「はい……」
「自分の情報は全部持っていかれたんじゃないか?」
「その通りです……」
スリンケットが情けない顔になる。累は微笑んで言う。彼のやわらかそうな髪が揺れる。
「俺もだ。連には完全に牛耳られている。仕事に関しては頼り切っていると言っていい。家族も彼の店なしには生きられないだろう」
スリンケットは静かに聞いている。すでに知っている事実なのだと分かる。
「ユーリグゼナのこと、知らせに来てくれてありがとう。彼女自身の味方で、仕事も手伝ってくれるなら本当に助かるのだが……。アナトーリーとして依頼した王の結婚式の手伝いは、受けてもらえるのだろうか」
「はい。よろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしく。ありがとう」
累は素直に感謝を伝え手を差し伸べると、スリンケットも差し出す。累は手を強く握った。スリンケットも握り返し、ホッとしたように微笑む。累は、青く澄んだ目も見つめて言う。
「スリンケットの目に、ユーリグゼナがどう見えている?」
「能力でということですよね?」
スリンケットの言葉に累は静かに頷く。スリンケットは言葉を選ぶように慎重に言う。
「彼女のことは、最初からよく見えません。ただ表情からほとんどのことが分かるので、あまり気になりませんでした。違和感を覚えたのは今日です。彼女の近くに異様な存在があります。それは彼女と何かを繋いでいる? よく見えないのです」
「凄いな……。君は」
累は手で口元を抑え、目を伏せた。
「ほとんど見えているのか。さすが、お父上が隠された稀代の能力だ……」
「ご存じだったんですか……」
「ああ。お父上は、君の力が利用されないよう、国からも一族からも隠していらっしゃった。そして最後は君を残すため、一族の罪を全てかぶって処刑された。調書を取ったのは俺だ。全部知っている」
累の言葉にスリンケットは苦々しい表情になる。
「……父の本音はよく分かりません。もう何年もまともに会っていませんでした。ずっと自ら進んで人身売買に関わっているように見えていましたよ。昨年学校から戻った時には処刑されていて、全て終わっていました。あなたから聞いても、まるで他人のことのようです」
スリンケットの言葉に、累は悔しそうに口元を歪めうつむく。
「もっと早く伝えるべきだった。申し訳ない」
「いえ。今で良かったです。少し前だったらきっと、まともに聞こうとしなかったと思います」
スリンケットは張りつめた顔ながらも、冷静な声で言った。
累は苦しげな声になった。
「君ならば……と勝手に思っている。頼みたいことがある」
顔を上げたスリンケットを、累は見つめる。
「君同様にユーリグゼナは、強過ぎる能力と、過酷な生い立ちに振り回されている。君ならば彼女を理解できるのではないか? できるなら、彼女に力を貸してほしい」
「理解なんてできませんよ。全然ね……。でももう、ほっとけなくなってしまったんです。だから僕ができることなら、手助けします」
スリンケットは赤茶色のくせ毛をフワフワさせながら、ふわりと笑った。ユーリグゼナが厄介な相手だと分かった上で、了承してくれる。累は心から有難く思った。
「ありがとう。力強いよ。──ユーリグゼナは一度死にかけている。その際シキビルドの神獣と結びついたようだ。繋いでいる鎖は時空抜道を超えられず、学校には憑いて行かないらしい。スリンケットが今まで気づかなかったのは、彼女と学校でしか会ってなかったからだと思う。──というのもほとんど憶測で。情けない事に分からないことばかりだ……」
累は両腕を組んで、首を垂れる。
「ユーリグゼナが倒れる原因は分からない。それで今日もペンフォールドに検診をお願いして……」
「治療後に具合が悪くなってました」
「はあ。……確認しておく。状況は悪いようだな」
「死にかけた理由は教えていただけませんか?」
「……」
累は硬い表情になる。スリンケットは迷いを見せながら、思い切ったように言う。
「具合が悪くなった時、性的暴力を匂わせる話が出ていました。関係ありますか?」
累はピクリとも動かない。スリンケットは静かにお茶に口をつけた。
次回「音楽と彼女と」は2月1日18時に掲載予定です。




