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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第1部

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19.柚と花

シノ視点続きます。

 店の裏側は人気(ひとけ)がない。ずっと騒動続きだったシノと女の子は、この静かな空間にしばし癒されていた。シノは素直な気持ちで、シキビルドの感想を言う。


「この国は建物や草でできたマットなど、ユズ以外にも良く香るように思います」


 シノの言葉に彼女は少し考えてから、答えた。


「……香りやすさは気候の違いもあるかもしれません。あなたは、ぺ……寒い国からいらしたのでしょう?」


 遠慮がちに彼女が聞く。それには答えず、シノは質問で返す。


「寒いと香りは感じにくいのですか?」

「はい。寒さと乾燥で感じにくくなります。私は国の外に出たときに初めて気が付きました」


 彼女は遠くを見通すような目をしながら、シノに言う。この年で国外に出たというのは……、不思議に思う彼は思い至る。


(そうか、学生か)


 特権階級の子供なら当然学校に行っているはずだ。少し納得したシノは、もう一つ香るものに気づいた。


「お茶だけでなく、あなたからも香ります」

「ああ……」


 彼女は少し顔を赤くして言う。


「この時期は家族でユズを採るのです。今日も収穫した後、大量に甘煮を作っていました」 






 シノと女の子はお茶を飲み終わると、器を持って店の表へまわる。女の子は店の人に器を渡しながら、言う。


『おばちゃん。ありがとう。なんでここの柚子茶は苦みがないの?』

『お嬢ちゃん家のは苦いのかい? 種と白い皮はきちんと取ってる?』


 店の人の言葉に、女の子は顔を傾げ、う―んと考える。


『……だいたいは』

『しっかりとるとだいぶ変わるよ。まあ苦みがあるのが好きな人もいるから』

『私の家もいた。そういえば』


 お店の人と女の子はアハハと笑い合う。無意識に所作を使い分けていることに、シノは感心した。

 彼は店の人に片言で柚子茶を分けてほしい旨を懸命に伝える。その間女の子はじっと黙って見守っていた。何とか伝わり、店の人は壺にねっとりした柚子の甘煮のようなものを入れてくれる。シノは壺代も含め多めにお金を払う。もらった二つのうち、一つを彼女にそっと差し出す。彼女は一度辞退したが、少々強引に渡すと迷いながらも彼女は受け取った。


「この布はどうやって返せばいいでしょう」


 シノは彼女の連絡先を知れるのでは、と思い聞いてみる。その言葉に、女の子はふわりと笑った。


「差し上げます。また町にいらっしゃるときにお使いください」


 シノはこれ以上の追及は難しいと感じた。気持ちを抑えて別れの言葉を言う。


「……。今日はありがとうございました。ユズの香りのするお方」


 シノの言葉に、女の子はまた顔を赤くする。そして彼を見ながら静かに言った。


「あなたはまるで、支那忘れな草(シノグロッサム)の花のようですね」


 シノがぎょっとして表情を変える。彼の整った顔立ちは、目を細めるだけで厳しい顔つきに見える。女の子は血の気の引いた顔になっていた。それを見て慌てた彼はできるだけ優しく聞こえるように彼女に言う。


「シノが本当に名前なのです。驚いただけです」

「そ、そうですか……。髪と目の色の組み合わせが同じで、綺麗で……」


 女の子はシノがまだ気を悪くしていると思っているらしく、目をそらしたままだ。シノはその様子に切ない気持ちになり、思わず彼女の腕に触れる。


「そのように言われたのは初めてです。私はその花を知りません。シキビルドにはよく咲いているのですか?」

「こちらでもあまり見られない花です。森の中に一か所だけ群生しているところがあるのです」


 女の子は少しホッとしたような顔になり、黒曜石のような目に光が差す。でも、すぐに手元に目を落とし居心地が悪そうな顔になる。シノは慌てて彼女の腕から手を離した。


「申し訳ございません」

「……」


 女の子はそっと後ずさり、会釈をすると、逃げるように行ってしまう。シノは呆然とした様子で見送る。彼の青紫色の髪がふわりと風になびいた。






 シノは御館に帰ると、さっそくユズ茶を淹れてみる。良い香りは漂うが、まだまだ淹れ方に改善の余地があるな、とシノは研究意欲を燃やす。その香りに最初に気づき、厨房までやってきたのはセルディーナだった。


「シノだったの? 御館中に香りが広がってるわ」

「申し訳ございません。不愉快でしょうか」

「いえ。何かは気になるけど、いい香り」

「飲んでみられます?」


 セルディーナの顔がぱっと明るくなったのを見て、シノは早速お茶の用意を整えることにする。執務中のライドフェーズも休憩をとるとのことで、同席することになった。手伝ってくれたテルも興味深そうにして言う。


「シキビルドにはこんなお茶があるのね。ユズって知らないわ」

「シキビルド固有の植物でしょうか」

 

 シノは思案顔で静かに言う。お茶を飲んだセルディーナは嬉しそうだ。さらりとした長い金髪が楽しそうに揺れている。


「私はこのお茶好きよ。体の芯から温まる。また飲みたいわ」

「かしこまりました。入手しておきます」

「どうやって手に入れたのだ?」


 ライドフェーズにシノが今日の経緯を話す。ライドフェーズの言う声に、セルディーナの声が重なった。


「ユーリグゼナだ」

「ユーリグゼナね」

「そうなのですか? 私は面識がございません」

「いや、話はしているぞ。そうか名前は言ってなかったな。今度私たちの養女になる予定の子だ」


 その言葉でシノは話が繋がる。


「カミルシェーン様の婚約予定者ですか」

「そうだ」


 カミルシェーンにはすでに妻子がいる。二十歳差の結婚は、子供からようやく女の子になったばかりのような彼女には、とても(いびつ)な感じがした。シノは気持ちを切り替えるように、話題を変える。


「日に日に寒くなっておりますね。こちらはこれから冬になるのですね」

「ペルテノーラではようやく春が来たところでしたのに、逆戻りですわ」


 珍しくテルも話に加わる。セルディーナに勧められ席につき、一緒にお茶を飲んでいた。深紅の髪が揺れている。

 国によって季節の巡りはバラバラだ。シキビルドが冬の時期、ペルテノーラは夏だった。


「シキビルドの冬は雪もほとんど降らない、過ごしやすい季節だ。この時期に結婚式を行うことになった」

「おめでとうございます」


 シノとテルは嬉しそうに微笑みながら、お祝いを述べる。セルディーナは本当に嬉しそうだ。その時、パタンと戸の音がした。


「王。そんな呑気にしていてはいけません。こちらは王の希望が、特権階級の面子を潰すような、非常識なものなので、収拾に追われているのですよ」


 苦労人のセシルダンテが、休憩室に入ってきた。そろそろ王を仕事に戻らせるように、と他の側近に促されたようだ。事情はよめていたが、シノは彼にもお茶の用意をする。予想通り座りこみ、柚子茶を飲み始めた。気に入ったようで、ホクホクとした顔になり、顔のしわも幾分伸びている。ライドフェーズはうんざりした顔で言う。


「特権階級なんてシキビルドの人口の十二分の一だぞ? しかも税金を払っているのは平民だ。どこに気を使う必要がある」

「実際に国を動かしているのは、特権階級です。人数ではなく、影響力の問題です!!」

「悪い方への影響力しか見えん。役目を果たし、まともに頭を働かして動いているのは紫位(しい)と他に何人かくらいだ」

「ですから、もっと他の者にも指示して、仕事をふってくださいと……!!」


 ライドフェーズがセシルダンテにうるさそうに手を振る。私は馬鹿とは仕事をしたくないのだ、とつぶやき、さらにセシルダンテを苛立たせていた。シノは二人の気持ちが和らぐことを願いながら、そっと机の上にお茶菓子を置く。二人はすぐに口を閉じ、何気ない動作で手に取った。シノは静かな声で、ライドフェーズに聞く。


「特権階級の面子を潰すような希望とは、どんなものなのですか?」

「式はシキビルド古来のやり方に乗っ取って行う。その方がこの国の精霊にも届く。この御館で行えば雰囲気も合う」

「どのようなやり方ですか?」

「昔ながらの音楽と舞を復活させる。神に誓う形になるため、参列者には見せない。披露は御館の庭で行う。靴を脱ぐのが嫌そうだからちょうどいい。飲食は無しだ」

「呼ばれた人は、どうお祝いしていいか分からなくなりそうです……」

「そうか。……誰も呼ばぬのも手だな」


 ライドフェーズの言葉に、セシルダンテが再び怒り出す。シノは失敗したことが分かった。これは早々に休憩を終わらせて、と思っていたところに、セルディーナが嬉しそうに澄んだ赤い目を見開いて言った。


「衣装がとても素敵なの! ライドフェーズが最高にかっこよくて。人に見てもらえないとしたら、残念だわ」


 ライドフェーズは急に神妙な顔になり、口元を押さえる。シノには彼が照れているのが分かり、笑わないようにするのに苦労する。ライドフェーズは、落ち着かない様子でセルディーナに言う。


「……そうか。多少は見せる必要もあるかもしれない」

「舞はテルにお願いしたいと思ってる。神様のために踊るものだけど、人が見てもきっと綺麗。音楽はシキビルドに残る古代の楽器も入れて演奏する予定。多分、誰も見たこともないものばかりよ。お祝いに来てくれた人たちに楽しんでもらえるのではないかしら」


 楽しそうに語るセルディーナの様子を見て、ライドフェーズは顔がほころぶ。


「アナトーリーに相談して、見せ方を考えよう」

「良かった。そうだ。ユーリグゼナとアルフレッドにも弾いてもらいましょう。楽器を弾ける人いなくて困っているのでしょう?」

「……そうだな」


 ライドフェーズは紫色の目を急に伏せて、静かにセルディーナの言葉に同意した。シノにはライドフェーズが何かうかがい知れないものを飲み込んだのが分かった。






 シノは柚子茶も含め、御館で必要な様々な物品を書き出し、書類を作成した。シキビルド国内での仕入れを開始するための、第一歩だ。シキビルドに流通している商品もできるだけ調べあげ、代用品の検討を考えている品名も書き出してまとめた。セシルダンテが間に入ってくれ、パートンハド家が相談に乗ってくれることになり、打ち合わせの日程を決める。






「ライドフェーズ様の側人シノと申します。今回はご足労いただき、申し訳ございません」


 ヘレントールが御館に訪れていた。水色の透明な目に、薄い茶色のふんわりした髪が微かにかかる。どこかアナトーリーを思わせる顔立ちだ。彼の姉にあたり、パートンハド家で最も身分の高い女性だ。そういう人物に自分が出向くのではなく、来てもらうというのはシノには居心地が悪い。


「いいえ。家で客人を招く用意ができないの。お気遣いなく」


 ヘレントールは綺麗に笑う。本来パートンハド家の家事を取り仕切らねばならない存在である。小さい子供もいると聞き及んでいる。シノが心配すると、姪が居てくれるから、とニッコリ笑った。それがユーリグゼナのことだと分かり、シノはドキリとした。


「いつもは、無理させてもアナトーリーにやらせるのだけど、これを見て気が変わったのよ」


 ヘレントールはシノの前に彼の作成した書類を置いた。


「ここまで詳細に指示してもらえれば、こちらの動きも楽。これなら家のこと見ながらでも手伝える」


 シノは苦労して作成したものを認めてもらい、素直に嬉しく思った。実はセシルダンテに、そこまでする必要はない。シキビルドの者に任せるべきだ、と言われていたのだ。


「ペルテノーラの面子はね、ほとんど丸投げしてくる……。それを受け入れてやってしまうアナトーリーとサタリー家にも問題があるけど……。シノはシキビルドのことどうやって調べたの? 王の側近たちは情報持っていないはずよ」


 ヘレントールの痛烈な指摘に緊張しながら、シノは答えた。


「町で調べたり、平民の方に聞いたりしました。言葉が未熟で、さほど情報は得られていません」

「やるわね。他国で言葉も分からず情報収集なんて普通しない」


 ヘレントールは楽しそうに言う。シノは褒められているのか、からかわれているのか分からず、無表情のまま聞いている。ヘレントールはすぐに仕事の話に戻り、どんどん決めていく。


「商品の切り替えは、順次でいいの? 仕入れがペルテノーラ側と重なる時期はかなり煩雑で大変だと思うけど」

「できるものから順次お願いいたします。少しでも時空抜道(ワームホール)の使用を減らしたいので。落ち着くまで私が仕入れを受け持ちます」

「……シノは苦労しそうね」

「?」

 

 ヘレントールはふふっと笑うと、立ち上がり、帰宅の準備をする。所作は綺麗だが、手早い。


「連絡はセシルダンテ様経由でいいの?」

「はい。よろしくお願いいたします」


 丁寧に挨拶をするシノに、ヘレントールは少し心配そうな顔で言った。


「もし困ったら、相談にいらっしゃい。結婚式の進行担当にもなったと聞いてるわ。時期が重なって大変だと思う」

「お心遣いありがとうございます」


 彼の青紫色の髪がふわりと揺れた。ヘレントールはずっと、ライドフェーズの側人としてではなく、シノ自身を見て話している。そんな風にシノと関わる人は稀だ。しかし……


「柚子茶ありがとう」


 ヘレントールの一言でシノは一気に赤面する。彼女はあら当たりね、と呟いていた。彼女の水色の透明な目を瞬きさせながら、楽しそうにシノを見ている。シノは何とか気持ちを持ち直し、頭を下げた。


「その節は失礼いたしました」

「何したのかしら?」

「え?」

「うちの姪は何も言わないわよ。ただ柚子茶持って帰ってきただけ」


 シノはユーリグゼナらしき少女と会ったことをありのままに話す。ヘレントールは興味深そうにじっと聞いていた。






次回「こころの闇」は1月14日18時に掲載予定です。

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