1.眠り姫は眠りたい
彼女は眠くなったら、眠る。
「あいつ。ずーっと眠ってるな」
「しー。あいつとか言うな。あれでも最上位の姫だ」
授業中のお喋りに、教授の目が光った。学生二人は、ぴしっと姿勢を正し筆記具を紙に滑らせる。
教授は授業開始から眠り続けるユーリグゼナには、一切注意を払わない。彼女の入学当初からずっと、学校全体で彼女の存在を無視、もしくは遠巻きにして避けている。
真面目な学生たちの最後尾で、ユーリグゼナはゆっくりと頭をもたげる。手の甲でよだれを拭い、ぼんやりと頬杖をついた。
(学校はいい。魔獣も、人さらいも出ない)
人目をひく容貌ながら、十二にしては成長不良。白い頬には、本の折り目がくっきりとついている。濡羽色の艶やかな髪はほつれ、黒曜石のように光る目は半分閉じている。
(お腹空いた……)
彼女の腹事情に合わせたように、授業終了の鐘がなる。
ユーリグゼナは、ゆらりと立ち上がる。ざわざわと騒がしい学生たちを尻目に、一人寮に戻る。食堂に行ければ、何か出してもらえるだろう。彼女にとって学校は、この世界で最も優れた避難場所だった。
彼女の国シキビルドでは戦争が起きている。
学校のある聖城区とシキビルドを結ぶ時空抜道は、戦いのなか吹き飛んでしまった。
学校長は自国へ帰れない学生たちのため、開校期間を延ばす。教授たちに授業を続けさせた。
戦争が終わったのは、それからすぐだった。
シキビルドは無条件降伏。
敗戦国の学生となった彼らは、戦勝国となったペルテノーラを経由して、帰国することになった。敗けたとはいえ、ようやく家に帰れる学生たちは、にわかに活気づく。
しかし、ユーリグゼナの思いはまるで違っていた。
(追い出される!)
学校で保証されていた食事と安全な住処が、無くなってしまう。死活問題だった。
彼女は必死の思いで、勉学のためという名目で残留申請を出した。しかし授業態度が悪すぎる彼女に、許可が下りるはずもない。
こうして彼女の、のんびり爆睡計画はあっさり破綻する。文字通り、ぽいっと学校から放り出されたのである。
国に戻っても、彼女を待つ者などいない。最愛の家族は、自国の王に殺された。命をかけてシキビルドを守ってきた彼らを、誰も助けなかった。
最強といわれたパートンハド家は、彼女を最後に消える運命にある。
◇◇◇
シキビルドに戻ったユーリグゼナは、森へ向かう。家族も家も無い彼女の唯一の当が、森に隠された小さな小屋だった。
一年半ぶりの故郷の森は、相変わらず豊かで美しい。
魔樹は四季折々に淫らに変化しては人間を惑わし、艷やかな羽や滑らかな毛皮を持つ魔獣は、鋭い牙と爪で侵入者を出迎える。
だから森へ入るとき必要なのは、挨拶だ。
森の精霊 神々よ
やをら過ごさせたまへ
森は侵入者への警戒を緩める。しかし魔獣の激しすぎる出迎えから逃れるには、まだ足りない。ユーリグゼナは小脇に抱えた三本弦の楽器を奏で始めた。
ポロンポロンポロン ポポンポポン
すると3本耳の白い生き物たちが、岩場からひょこひょこ顔を出す。音に合わせて耳をふわふわ揺らしている。生き物たちは、音楽が気に入ると荒ぶらない。
パートンハド家は国を人を、そして森を守ってきた。
戦闘能力の高さは、世界でも最高峰。唯一の生き残りの彼女に勝てる者はそういない。でも、寝入ってしまえば、ただの子ども。
学校へ入学する前、彼女は何度も行方不明になった。しかもその間の記憶はなく、身体に増える傷だけが、何かあったことを告げる。
学校では平穏に過ごすことができた。それでも、彼女は未だに────夜寝る、という普通のことができない。
◇◇◇
森での一人暮らしは、穏やかに過ぎていく。
森の中のユーリグゼナを害そうとする人間は、ついぞ現れなかった。
(どうして?)
戦争でたくさん人が死んだという。彼女を攫い続けた人間もその中にいたのだろうか。
(……そうか。そうだったのか)
ユーリグゼナは地面にしゃがみ込み、自身の膝を強く抱きかかえる。
もう、終わっていたのだ。
彼女一人を残して。
木枯らし、凍風、花嵐。季節は確実に移り替わっていく。
寒さが緩むと、森は色鮮やかに花ひらく。
暖かい日が続いている今日このごろ、小屋の近くに群生する青紫色の小さな花が、盛りを終えようとしていた。
彼女はささやかな朝食と小さな楽器を手に森の小屋を出る。火を起こしミルクを温めながら、三本弦の楽器を奏でる。昇る朝日が彼女と森の中を黄色く染めていく。
朝の清々しさは、すぐに夏の始めの生ぬるい空気へと変わる。
(もうすぐ学校が始まる………………)
彼女のため息は長い。
今では森の暮らしを快適に思う。人はいない。いつでも楽器の演奏ができる。
学校は避難場所として大いに役立った。しかし戦争が終わり、襲われなくなった今、要らない気がする。
(でも……三食昼寝付き)
ユーリグゼナは無表情に仰ぎ見る。鬱蒼とした魔樹の葉が空を覆い隠していた。気を抜くとすぐに魔樹や魔獣に襲われる森と違い、学校は命の危険は無い。寮のご飯は、自分で作るより遥かに美味しい。
(寝放題。何もしなくても出てくる美味しいご飯。安らぎのお茶に、心を蕩かす日替わりお菓子。うん。やっぱり……学校に行こう!)
ユーリグゼナの心の天秤は大きく傾いた。
人でいっぱいの学校だけれど、いつも彼女は一人きり。はぐれた彼女が何をしようと、誰も気に留めない。寝食に困らない、卒業まで長い自由時間を、どう使うかは彼女次第。寮を抜け出し森へ行き、存分に楽器の演奏をする。そんな幸せいっぱいの学校生活を夢見た。
でも、そんな安易な望みが叶うほど、世界は彼女に甘くない。
学校に行く備品を揃えるため、勇ましく小屋を出発した彼女だったが、日が沈み始める頃にはガックリ肩を落としていた。道端にぽつんと座り込む彼女の背を、夕陽が照らす。
(学校は、諦めよう……)
学校は四つの国から要人の子女が集まる。世界で最も厳しい防犯警備が敷かれている。
特別仕様の制服を着なければ、魔法で弾かれ入れない。
彼女は入学時に揃えた制服を、ニ年間着倒した。が、三年目は身体に合わない。
新しく仕立てようにも、シキビルドは戦後の物資不足の真っ只中。平民たちの多くは、未だ食事もままならない。そんな国で、高品質の生地と複雑な服を仕立てられる職人を、どう探せと?
特権階級なら権力と伝手で、何とかするだろう。が、名家の生まれとはいえ、事実上孤児である彼女に術はない。一日中町を駆けずり回っても、何の成果も得られなかった。
「おい」
機嫌の悪そうな声が、ユーリグゼナを現実に引き戻す。目の前には一人の少年が立っていた。小汚い服を着た彼は、一見すると平民に見える。しかし頭に巻いた布からはみ出した見事な金髪が、本来の階級を露呈させていた。少年は整った顔を歪ませる。
「こんなところで何をしている。側人はいないのか」
側人というのは、身の回りの世話係のこと。少年こそ側人を連れず、一人で何をしているのだろう。
特権階級の子どもは、身代金目的で誘拐される。治安の悪い平民の町から、さっさと立ち去った方が良い。
少年は、何も答えないユーリグゼナから目を逸らし、ため息をついた。彼女の荷物からはみ出した制服の生地を見つめて言う。
「仕立てられる店、口利きしようか?」
ユーリグゼナはごくっと唾を呑み込む。
諦めかけた三食昼寝付きが、目の前にぶら下げられている。美味い話はないと悟ったばかりなのに、なぜかこの少年を信じたくなった。
彼女はゆっくり頷く。
少年は「こっちだ」と歩き出す。
連れられたのは工房だ。特権階級の御用達の服飾専門店で、平民の職人たちがてきぱきと働いていた。
これだけ高級感漂う店なら、希望が持てる。
慣れた様子で少年が入っていくと、洗練された動きの男が直ぐに出て応対する。坊ちゃんと呼ばれる度、彼は嫌そうな顔をする。子ども扱いされるのが嫌なのか。
(悪い人では無さそう。でも……訳あり、かな)
平民と話す時は通訳が必要だ。特権階級と平民は言語が違う。
少年は平民の言葉で、職人たちと直接交渉していた。
「……十日で仕上げる」
高度な技能で慎重に仕立てられる制服にしては、信じられない短納期が告げられる。
特権階級の言葉で説明を続ける少年は、顔を曇らせた。
「……ただ、生地はサタリー家の余り布を使う。今から新しく織っていては、開校までに間に合わない。……いいか?」
制服には決まりがある。生地は濃色で、差し色を1色入れる。濃色は幾種類もあり、差し色により無限に組み合わせができる。
手渡された生地の見本は、緑がかった紺で黒にも見えるほど濃く染め上げられている。現在シキビルド筆頭の家柄を示す、かなり上質なものだった。
ユーリグゼナは迷いなく制服を注文する。物資不足の中、手に入るなんて奇跡に近い。手持ちの現金は充分にある。表情を緩ませ、採寸部屋へ向かった。
ユーリグゼナが世の中と折り合いをつけるのは、やはり難しいようだ。
現金不可は、特権階級の常識。支払いは、魔術機械移動型金庫が基本だった。
現金しか持たないユーリグゼナは、支払いを断られ項垂れる。
森で生活し、平民の店で買い物をするユーリグゼナに、移動型金庫は必要ない。安全な学校寮の自室に置きっぱなしにしていた。
結局、少年が支払いを肩代わりした。ポンっと払えるなんて、どこぞの金持ち息子に違いない。
「すみません……。いつお返しすれば」
少年は気負いなく答える。
「学校に行ってからでいい」
彼女はきょとんとした顔で少年を見上げる。よく考えれば、学生なのは当たり前。特権階級の子は皆、学校に行く。
「私は、ユーリグゼナといいます」
自ら名乗り、誠意を見せる。支払い逃れを疑われては切ない。
それなのに、少年は苦虫を噛み潰したような顔になる。なにか言いたげに開いた口は、結局閉じられ、大きなため息に変わった。
「────俺はアルフレッド」
「アルフレッド。お礼をさせてください」
「別にいいから、ちゃんと学校に来いよ」
学校で会おう、と念押しされる。見知らぬ他人に大金を貸したのだ。人の良い彼だって、ユーリグゼナがちゃんと支払うか不安になってきたのだろう。
アルフレッドは、疲れ果てた顔で立ち去ろうとした。ところが一歩踏み出してすぐに、くるりと振りかえる。
彼は頭に巻いた布を、するりと外した。見事な金髪が露わになる。いたずらを企む少年のように笑っていた。
「教えてもらった曲、練習しておいた。今度一緒に弾いてくれ」
ユーリグゼナは、黒曜石のような目を見開いた。
(曲?!)
さらっとした見事な金髪に、見覚えがある。
(……そうだ! 同学年の!)
昨年の学校での出来事が脳裏に蘇る。
◇◇◇◇◇
「おい」
ユーリグゼナは実技の授業が好きではない。さすがの彼女も寝るわけにはいかないからだ。しかし音楽は別。課題をさっさと終わらせ、こっそり自由に弾くのを楽しみにしている。
「おい。ユーリグゼナ!」
ビクッとして演奏を止める。すぐ目の前に、さらっとした見事な金髪の男子学生が立っていた。彼は拗ねたような顔で、驚かして悪かったな、とつぶやく。
彼女は、声をかけられているのが自分だなんて、思わなかったのだ。人目がつくところで話しかけてくる人間なんて、ずっといなかったから。
「今弾いてた曲教えてくれ」
「え?」
「隣、座るぞ」
「は?」
彼が話すたびに、視線が集まる。無視することも難しく、彼女は最初からゆっくりと演奏していく。この曲は森に密集して生える魔樹の、舞い散る花びらを題材に作曲されている。拍が速く、練習してないと途中で手が攣る難曲だ。
「この前、伴奏の方弾いてただろう?」
「……」
そんなところまで見られていたのか。ユーリグゼナは顔が強ばる。彼は楽器を構えた。
「そっちを弾いて。合わせよう」
「え?」
「ほら」
男子学生は今教えたばかりの旋律を、正確に弾き始める。ユーリグゼナは音を重ねていった。二人で演奏するのは、いつもと全然違う。一人の音より何倍も美しい。
彼女は、学校でいないもののように扱われている。誰かと一緒に演奏するなんて、おそらく夢。白昼夢。そう思った。
お読みいただきありがとうございます。
12/12大幅改稿。