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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第3部

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56.祖父の遺産2

時間が空いてしまい、申し訳ございません。少なめです。。

(一年分、話した気がするよ……)

 

 ぐったりと椅子にもたれかかってしまいたい。でもそんなわけにはいかないから、ユーリグゼナは背筋を伸ばし、王女の気品を保った。


 まだ終わりじゃない。始まったばかりだ。

 シキビルドを豊かにしたい。でも彼女が思い描くそれは、今の特権階級が願う豊かさとは、きっと違う。


(みんな、知ってくれたらいいのに。シキビルドはとても恵まれた国なんだ……)



───ユーリグゼナの幼かった頃。毎年秋に、領地に戻った。

 祖父ノエラントールを筆頭に、パートンハド家は総出で農作物を収穫する。領民たちに交じり、同じく汗を流す。

 のんびりと草を食む牛の群れ。日の光を受け黄金に輝く稲穂。出荷を待つ山積みの野菜。それらはシキビルドではありふれた風景だった。

 

 それが前王の時代、人身売買で多額の移動型金庫(トラキース)を得てからというもの、食材も雑貨や商品も、外国製に成り代わっていく。

 

 特権階級は田畑を、移動型金庫(トラキース)に換金できる小麦畑に転作した。古来の農業は廃れ、優れた技術も力を失っていく。


 祖父だけが、見向きもされなくなった芋や米に豆を領地で増産した。不当な条件で連れ去られる職人や技術者たちを救い出し、家族ごとパートンハド家で保護した。

 シキビルドの現金ニョンが暴落しても、戦争で物不足に陥っても、平民の食材はパートンハド領地が供給し続けた。

 領地で生産される農作物、新たに開発された粉末乳、養鶏による肉と卵、海の魚介類などの食料、職人たちの手加工品は、今もなお平民たちの日々の暮らしを支えている。


祖父様(おじいさま)母様(かあさま)が、何をしてきたのか、ようやく分かった……)


 ペルテノーラに逃れた乳牛たちの所有権、ウーメンハンやカンザルトルから届いた技術者たちの帰国願いの宛名、種や育苗の権利者。それらに記された名は全て同じ。


(どうして、私の名前なのだろう……)


 尋ねても答えてくれる人は、もういない。分かるのは、彼女に託されたということだけ。

 

(───だったら、私が継ぐ)


 黒曜石の目が、これまでにない強い輝きを放つ。

 いなくなっても、同じ夢は見られる。シキビルドを守ろうとした彼らの遺志は、生きているユーリグゼナが繋いでいける。

 

 彼女は胸を押さえた。身体の奥が熱い。痛いくらいだ。

 



 







 セシルダンテの会議終了の声を受け、ほとんどが退出していく。

 それでも主催側である王ライドフェーズと王女ユーリグゼナは、立ち上がれずにいた。

 目の前に座っている老紳士が、彼らを見据えたまま、ピクリとも動かない。孫に当たるであろう若者が、困り顔で促しても、席から立ち上がる気配はない。

 

 とうとう呆れ顔のライドフィーズが、老紳士に声をかけた。


「何用だ」

「一時、ユーリグゼナ様との会話をお許しください」

「……駄目だ。下がれ」

「いいえ! 何度申し入れても、却下されるではありませんか。今日はユーリグゼナ様と話すまで、帰りませんぞ!!」


 老紳士の頭から、ゆらりと湯気が立ち昇るように見えた。

 少しぐらい全然構わないですよ? という顔でライドフェーズを振り返ると、くわっと威嚇された。


「カルロは自分勝手な正義感で、本人の意志を無視して事を進める男だぞ。シノを教育係から降ろし、御館から追い出すよう仕向けた。お前に王妃教育しようとした元教育係は、あれの娘だ」


 老紳士は立ちあがる。嫌味なほど丁寧な礼を執った。


「全てはシキビルドのためでございます。けれど、何一つ成し遂げられません。未だにその下人は御館をうろうろしており、ユーリグゼナ様との縁も切れていないようですね。……あの時どうして仕留められなかったかと、悔やまれます」


 シノの誘拐殺人未遂のことだと分かる。

 息を呑んだユーリグゼナの横で、ライドフェーズが唸った。


「よくもそんな口がきけたな! 情報を流したウーメンハンの諜報員は、シノを殺そうとしただけでない。過去の悪行の証拠を消すため、有毒の薬草畑に火をかけた。ユーリグゼナと鳳魔獣(トリアンクロス)がいなければ、シキビルドは汚染され取り返しのつかないことになっていたぞ!」

「そうです! 私は大罪を犯しました。……なのに、なぜ王は私を罰せられない」

「裁いたら間違いなく死罪だからな」

「元よりシキビルドのために、命を散らすつもりでございました。首を洗って待っておりましたよ」

「……仕方なかったのだ。お前は優秀で、役人たちの信頼も厚い。お前に代わって各所を取りまとめて、動ける人間はいない───だから勿体無くて、殺せない」


 老紳士は玻璃のような透明な目を瞬かせた後、ゆっくりと下を向いた。


「王のそういうところを……苦しく思います」

「お前が苦しかろうが知ったことか。生きて役に立てと言っている。老骨に鞭打ってでも、働け!!」

「王……」


 セシルダンテが苦い顔をしている。本当にもう少し言葉を選んで欲しい。

 この空気の中、ユーリグゼナは話さなければならないのだ。


「……カルロ。手伝って貰いたいことがあります。会議でシキビルドの食材を広める案を出しましたが、おそらく簡単にはいかないでしょう。力を貸してくれませんか? あなたなら特権階級に、特に下級の家庭に普及することもできるように思うのです」


 彼女は噛まないように必死だ。

 何十年も(まつりごと)に携わり、経験も人心統制もはるか上の老獪紳士。果たして協力を得られるものか。表面だけ了承して、何もしてくれない可能性すらある。

 それでも願ってみたかった。この人は昔のシキビルドを知っている。皆が貧しく、助け合い生き抜いてきた。祖父ノエラントールと同じ時間(とき)を過ごした人だ。

 





◇◇





 

「大きくなられましたな」


 長い沈黙のなか、老紳士カルロはぽつりと呟いた。

 

「ノエラントール様が斃れられたあの日のことが、今でも昨日のことのように甦ります。……あの方を一人で背負った貴女の肩は、本当に小さかった」


 その途端、ユーリグゼナの脳裏に七年前祖父ノエラントールの惨殺された情景が浮かぶ。眼の前が真っ赤に染まった。

 

「あの方は死んではいけない人だった。誰もが呆然とするなか……貴女は一人、ノエラントール様の亡骸を背負い、垂れ落ちる血潮に何度も足を滑らせながら、それでも一歩一歩進んでいって……」

 

 老紳士の玻璃のような目から、涙が溢れていた。


「打ちのめされましたよ。……ああ、私は何をやっているのだと。こんな小さな子が、絶望の中でもしっかりと前を向いているのにと。────私はあの日から、一歩も進めていないのです」


 ユーリグゼナに歩み寄ると、そのまま床に膝をついた。


「あの方の血を、誰より色濃くひいているユーリグゼナ様。どうか貴女は人生を全うされてください。私に出来ることなら、何でもしましょう。ノエラントール様へのせめてもの償いなれば、本望です」


 

改稿しました。

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