55.祖父の遺産1
遅くなりました
ユーリグゼナは身を硬くして、静かになるのを待つ。
面倒くさそうに会場の大騒ぎを見ていたライドフィーズは、最年長の王の側近セシルダンテに声をかけた。
「休憩にしろ。シノに準備させている」
途端に声が鎮まっていく。
「かしこまりました。シノですね」
会場が、しんとした。そして全員が静かに自分の席へ戻っていく。
なんだろう。シノという言葉は魔法か何かなのだろうか? それとも名前以外の意味があったりする?
「特権階級の義務は、国とそこに住む人々のため、自己犠牲を厭わず働くことだ、と私は思っている」
ライドフィーズは静まり返った部屋で、独り言のように呟いた。
「おぬしらは全員、無償で国に奉仕している。この場に、税の優遇のために特権階級を名乗っている者など一人もいまい。──さっきは煽って悪かった。私も熱くなりすぎた」
王が頭を下げる。場の空気がふっと変わる。
(おそらく、こういうところが良くなかったり、悪くなかったり……)
ユーリグゼナの複雑な気持ちは、全て顔に出ていた。王族らしくないのは、お互い様である。
「とはいえ、おぬしら。税の額も聞かずに、よくもそれだけ騒げたな」
ああ。そんな言い方しなくても……とユーリグゼナは額を覆う。
「さっき、仕事は忠誠心ゆえの奉仕だと言い切っていたではないか。国に貢献しているお前たちは、支払われる給金と税はほぼトントン。働いている限り今までと変わらん。──税は収入に応じて課される。下級の者たちはほぼ無税だ。そして最も税率が高いのは、大領地を所有する最上位の紫位サタリー家、パートンハド家、それに次ぐニ家、全部で四家。収益の三割を納めてもらう」
若い特権階級の男が、おずおずと口を挟む。
「三割……莫大な金額です……。許可は取れているのですか?」
「ああ。四家とも国のためなら、そのくらい構わないそうだ」
「なんと……」
上位の家々が賛成しているならと、長いものに巻かれる者たちが続々と出てくる。
反対に険しい顔で黙りこくるのは、もっとも強く反対してきた面々だった。
ライドフィーズは腕を組み、部屋を見渡す。
「とはいえ、給金だけでは解決しない。国自体が痩せ細れば、増税しても減収だ。仕組みは破綻する。根本から変えねばなるまい。すなわち国力の底上げだ。……ここで、一旦小休止とする」
はらはらしているユーリグゼナの隣で、ライドフィーズはぼそっと呟く。
「……ユーリグゼナ。休憩時間に提案準備をしておけよ」
「……はい」
彼女はドクドクいう鼓動を感じながら、まとめた資料に目を通す。準備はしていても、人前で話をすると、いろいろ飛んでしまいそうだ。
◇
シノは青紫色の髪を揺らし、大きな荷台とともに入室する。みんながチラチラと彼を見た。
「シノの茶と菓子の美味さを知らぬ者はいない」
ライドフィーズがにやにやと無作法な笑いをしている。
なるほど。それでシノの名で、静まったのかと納得した。
シノに頼んだのは、シキビルド産の食材だけで反対派をもてなすことだった。案の定というか、彼はユーリグゼナの想定を遥かに超える仕事をしてきた。
「おお。美味そうだ」
ライドフィーズの前で、香りの良い茶に、牛乳がたっぷり注がれた。ゆらゆら揺れる湯気は、乳独特の甘い匂いを拡散させる。
彼は細切りの芋に手を伸ばす。油で揚げ、シキビルド産の貴重な砂糖と蜂蜜をからめたそれを、口に放り込みカリコリカリコリと咀嚼音をさせた。
食べながら、紫色の目を彼女に向けてくる。
(さっさと説明してしまえ、と……)
シノは一人一人に給仕している。個々の食の好みを踏まえ、それぞれ違う茶と茶請けを選んでいる。みんな、自分には何が来るかと興味津々で、彼女を見る者などいない。
かえってやりやすいか。そう解釈して、ユーリグゼナは立ち上がる。
「こちらのお茶とお茶請けは、全てシキビルド産の物を使用しています」
ライドフィーズがさっさと食べ始めたため、みな給仕されると同時に手を付けていた。
「……非常に美味です」
「こんな素晴らしい物がシキビルドにあったとは!」
「どこで手に入りますか。早速、御用達に申しつけて購入させましょう」
一気に和気あいあいといった感じで盛り上がる人々に、ユーリグゼナは冷水を浴びせることになった。
「購入は難しいです。これらは生産量が限られ、非常に貴重な食品。国外品より高値で取り引きされ、販路を絞っています。また現地通貨ニョンでしか購入できません。今回王の声掛けで、特別にパートンハド家と御用達から提供され、機会を得ました」
後ろの席から、悲壮な声が響いてきた。
「そんな……っ!」
「それでは……この素晴らしい菓子は、二度と口にできないと……」
「ああっ……」
すすり泣きのような、悲しげなため息があちこちから漏らされる。
そんなにか? と疑問に思いつつも、自分も二度と食べられないと思ったら泣いてしまうかもしれない、とユーリグゼナは同情した。
「いえ。今後は変わってくるかもしれません。これらは全てパートンハド家領内で細々を生産、製造、加工されてきたもの。シキビルド全体に広げる用意があります。芋も牛乳も乳脂も砂糖も蜂蜜も茶も、生産量が増えれば、もっと広く流通させられるでしょう」
白髪をきっちり後ろにまとめた老紳士が、すうっと立ち上がった。反対派の中心人物だと聞いている。
「王女。簡単に生産量を増やせばと申されますが、品質を維持したまま増産するのは、並大抵のことではございません。戦争までにたくさんの技術者が、シキビルドから去りました。シロートが一から取り組んで結果を出すのに、どれほど手間と資金と時間が必要か。そもそも──牛乳と乳脂は牛が生み出すもの。頭数を増やすには何年もかかります。パートンハド家領内の牛は数えるほど。近親ばかりで、増やすこともできますまい」
ああ。この老紳士は、きっと昔からパートンハド家を知っている人なのだろう。
「はい。その通りです」
「そうであるなら、気安く語るべきではありません。シキビルドをもり立てる産業にしたい。そう考えていらっしゃるのでしょうが、農畜産、特に酪農は未来がない」
静まり返った。重たい沈黙の中、彼女は言う。
「……あります」
「なんですと?」
「未来はあります。作ります」
「……どのようにして、ですか? お気持ちだけでは、どうにもならないことがあることを、そろそろ学んでいただきたいものですな」
ユーリグゼナは黒曜石のような目を、老紳士に向けた。
「牛はペルテノーラから貰い受けます。……戦前に、祖父ノエラントールは自領の優秀な乳牛たちを他国に預けました。それを戻してもらうことになりました」
「な、なんと」
あのペルテノーラ王カミルシェーンがタダで戻してくれるわけもなく、金属筒打楽器の代金替わりである。シキビルドの現地通貨ニョンに換算した移動型金庫で支払ってもらおうとしたら、『為替切り替える時に支払えだなんて、詐欺だ』と文句をつけた。
物々交換にしようと、預かっていたシキビルド乳牛を提案される。
何年も預かっていたから高い費用がかかったと、もったいぶられたが、そもそもカミルシェーンは何もしてない。ルリアンナ経由で預かった乳牛たちに、土地も費用を提供したのは彼の弟ライドフィーズだ。その上、品質の良い牛乳と乳製品と子牛の売買で得た利益は、ペルテノーラ王国の金庫に入っている。本当に何を言っているのか。
とはいえ、時勢を見極める力は確かにある。シキビルドにとって、最も必要な時に戻してくれようとしている。それは素直に感謝する。
「あわせてシキビルドから亡命した酪農家と、乳製品技術者が戻ります。他にも、ウーメンハンからは植物や農産物の専門家、カンザルトルからは貴石加工技術者……から帰国の申請がありました」
祖父ノエラントールと母ルリアンナが行ったのは、シキビルド再生の種を死守すること。人道的な国家へと舵を切ったシキビルドに、粒揃いの人と物が戻ってくる。
「早急に彼らを受け入れ、技術を継承し、産業へと育てなければなりません。それゆえ、最初に申し上げました。全員働いてくださいと。才ある人間を遊ばせておけるほど、シキビルドに余裕はございません。──国力の底上げについて、私の提案は以上です」
ざわざわと興奮した声が止まらない。再び会場は熱くなる。
静かに席に着いたユーリグゼナの目に、呆然と立ち尽くす老紳士が映る。
「……ノエラントール様」
呟いた声が、彼女の良すぎる耳に届いた。
次話「祖父の遺産2」は今月中掲載予定です。




