53.救うべきは
大変遅くなりました。。
(きっと、ヘレンは知っていた……)
森が荒らされていることも、今日ユーリグゼナたちが現場に居合わせてしまう可能性も。知っていたからこそ、準備万端でここにいる。
ユーリグゼナには、そうとしか思えなかった。
もう手遅れかもしれない。
パートンハド家総領代理ヘレントールは、森を救わないことを決めたかもしれない。
ふつふつと沸き上がってきたのは怒りだった。
森はシキビルドを浄化し、生き物に恵みを与える。生命の源である森を守ることは、シキビルドを守ること。パートンハド家は長い間その務めを果たしてきた。
それを放棄するとは、どういうことだ!!
叔母に飛びかかり、なじりたい衝動が身体のなかで火花を散らす。
……ここで爆発して何になる。落ち着いて、事実を確認して。そのうえで、できることは全部やる。最後までやる……。
「……戻ったら、美味しいお茶とお菓子をご用意しますね」
彼女を見つめる灰色の目に気づいた。心配そうに揺れている。
「……お茶とお菓子」
「あなたを元気にする方法は、これしか知らなくて……すみません」
身体の熱が、一気に霧散する。
「ありがとう。シノ。……私、元気出ました」
◇
空から舞い降りた鳳魔獣は、大きな翼を窮屈そうに折り畳んでいる。深部の森は木々が生い茂り、巨大な体を休めるには向いていない。
ユーリグゼナは意を決して駆け寄った。
『鳳魔獣』
『……』
重い沈黙に、ユーリグゼナは身を固くする。
受け入れ難いと、森の王としての彼が告げている。
もう遅かったと、彼女は知った。
いつの間にか、厳しい表情の叔母ヘレントールが傍に立っていた。
森の王鳳魔獣は、ぐっと頭をもたげヘレントールを真上から見下ろす。そして……。
グググググゥ────
森に響き渡る重苦しい威嚇音を出す。凍りついた空気に、ユーリグゼナは全身を強張らせる。誰ともなく膝をつき、地面に跪いた。
『森を守らぬパートンハド家など、ただの侵入者。敵だ』
背中がひやりと冷たくなった。告げられた言葉の重さに、心も身体も潰されそうだ。
『──今後、森が力を貸すことは無い。他の侵入者同様、排除する』
古くから森を守ってきたパートンハド家であっても。今、守れないなら、認めない。そう森が決めた。
パートンハド家と森の親密で特別な関係が──ぶつりと、断ち切られた。
鳳魔獣は翼を広げ、竜巻のような風を起こしながら、羽ばたき始めた。こんなところに留まっている場合では無いのだろう。
森の王である彼にとって、救うべきは森。人など眼中にない。そうだとしても……。
『私、償う! 必ず元の森に戻して見せる』
鳳魔獣の目がチラリとユーリグゼナに向いた。
『森に人は入れぬ』
『鳳魔獣がなんと言っても、か……勝手に入る。音楽で癒す。私は森と鳳魔獣のおかげで、これまで狂わずに生きてきた。恩は返す。邪魔しても、むむむ……無駄だから!! 私、とっても強いしっ!!』
風圧と威圧感の中、精一杯のやせ我慢をする。
森を統べる王に本気を出されたら、手も足も出ない。破壊力も機動力も遥か上。
それでもここで引き下がる訳にはいかない。何も答えず飛び去ろうとする鳳魔獣に向かって、大声で叫んだ。
『勝手に守るから──っ!!』
『好きにしろ。我が番』
遠ざかる鳳魔獣の声が、彼女の耳に届く。
呆れかえっているのか。それでも、好きにしろと言ってくれたから、好きにさせてもらう。
叔母ヘレントールは青ざめたまま、空を見上げていた。
なぜこんな顔をしているのか。ユーリグゼナは問わずにはいられない。
「ヘレンは……こうなると、分かっていた?」
「ええ」
「だから……フィンたちにも言わなかった?」
「そうね」
「全部……背負うつもり?」
「……………………………そうよ」
水色の目はいつもの穏やかさがなく、仄暗さを湛えている。
森に切り捨てられるという、パートンハド家の歴史的な不名誉を、一人で背負うつもりなのだ。
◇◇
ヘレントールは淡々と、今回の経緯を話す。
「最初に気付いたのは研だったわ」
仕入れた森由来の商品に、本来あるはずのない魔法の痕跡があったという。パートンハド家の御用達は、相変わらず目敏い。
「どこから流れてきているのか、仕入れ先をあたっても分からなかった。パートンハド家が動いていると勘づかれたのか、魔法痕跡付き商品が、裏ルートへ流れるようになってね。調査が進まなくて、古くから森の収集を生りあいにしている特権階級、魔法を使わない平民の狩人たちに協力を依頼したの。『森を掟を破る奴なんか、見つけたら許さない』って団結したのは良かったのだけど──そもそも人数が少ないでしょう? 森を監視するといっても、目が行き届かなくて。犯人たちは捕まらないようますます魔法を多用して逃れたから、かえって森への被害が増えた。全てが後手に回って、その結果がこれよ……」
「……母上。どうして話してくれなかったんだ!!」
従弟の長男フィンドルフの紺色の目に、堪らえようの無い苛立ちが込められている。下の従弟二人も眉をひそめて、不満をあらわにする。
「子どもには、手に負えないもの」
「なっ……」
「森がいつ暴発するか分からない。残された形跡から犯人が子どもと特定された。──大人が責務を負うべき案件だわ」
「それでも、俺たちにも何かできたはずだ。役目なら俺は、何でもやる」
叔母ヘレントールが、すっと目線を落とした。
「知ってる。フィンがそう言うのは分かっている。……私が関わらせたくなかったのよ。ごめんね」
「母上!!」
フィンドルフが声を荒げた。
ユーリグゼナは従弟の腕をとり、後ろへ引いた。ヘレントールをこれ以上落ち込ませたくなかったから、充分に距離を取る。
「フィン。ヘレンはフィンを信用していないわけじゃない」
「分かってる! だからなおさら腹が立つんだ」
「巻き込みたくなかったんだよ……大事だから。守りたいんだ。パートンハド家を終わらせた人間として名を残すのは、自分だけにしようとしてる」
「分かってる!!」
苦し気に従弟は言い放った。理解してなお、飲み込めない苦々しさがにじみ出る。
パートンハド家は、強い能力と優れた知力を持つ特別な一族だった。
戦前まで、優秀な諜報員たちが各国各組織に入り込み、生き馬の目を抜く情報戦で、国内外を震え上がらせてきた。
今やその貴重な人材は失われ、『目』の役目をこなすのもやっとだ。一番上の従弟フィンドルフは、その事実を知っていたはずだ。
ユーリグゼナもまた、森の見回りが充分でない事実に目を背け続けた。パートンハド家がとっくに力を失っているなんて、信じたくなかったのだ。
◇◇◇
親を失った特権階級の子どもたちに、救いはない。
すぐに人買いに目をつけられ、引き取り手が無いとみるや否や、巧妙に買い取られ国外に高値で売りに出された。
戦後、戦勝国の介入により、シキビルドで合法化されていた人身売買が禁止された。しかし親を戦争で失った子どもたちが、どれだけいて、どこにいるのか、未だに国は掴めずにいる。
今回捕まった二人は、それぞれ幸運にも祖父母に引き取られた。しかし下級の特権階級である彼らに、経済力はなく、子どもたちは生きるために日銭を稼ぐ。
森の採集は、子どももできる仕事だ。しかし獰猛な魔獣たちから身を守るのは非常に困難で、魔法だけが頼りだった。
来年学校に入学するための準備金、不在の間の祖父母の生活費のため、今まで以上に森に入った。それでも資金が足りず、森の深部に侵入し、より高値を付ける魔獣を狙う。
「……俺たちにどうしろっていうんだ。金がなきゃ、生きていけない」
「僕はこの生活から抜け出すために、学校に行きたい。そのためには準備金と生活費を稼がなくちゃ。森以外で、子どもがお金を稼ごうとしたら、身体を売るぐらいしかない。そうしろってこと?!」
目を覚ました二人の子どもは、必死に訴える。助けてくれないのに、決まりだけは守れなんて、納得できない、と繰り返す。
彼らは森を傷つけた加害者だが、そうしなければ生きていけなかったのだ。
叔母ヘレントールは、穏やかな物腰で子どもたちに語りかける。
「ねえ。森で魔法を使って狩りや収集物で生活している子、他にもいるわね?」
「っ……」
「……」
「私はその情報が欲しいの。貰えるなら、今回のことは不問にする」
彼女の言葉に、子どもたちは顔を見合わせる。
「見逃してくれるってこと?」
「情報を対価にね」
「でも……他のやつら、捕まえる気なんだろう?!」
「そうね。捕まえて……まずは説教よ。でも……これからの生き方も教える。具体的には国から補助金を受け取るための申請をしてもらう」
「え?」
「申請? お金がもらえるってこと?」
ヘレントールは大きく頷く。
「審査が通れば、継続的に援助を受けられる。両親を亡くして困窮してるあなたたちは、間違いなく救済の対象だわ」
パートンハド家惣領代理ヘレントールは、国の支援から漏れた子どもたちを救おうとしている。そして……。
森での行いを不問にしようとしている。
そうだとすれば、ユーリグゼナができることは、ほとんどなかった。
元気を取り戻した二人の子どもに、水と携帯食を渡した。何も食べていなかったのか、ガツガツとかぶりつく。
「私たちの飲み水を、森が作ってくれているって、知ってる?」
「井戸じゃないのか?」
「井戸の水がどこから来るのかの話だよ。……森からなの?」
「うん。地表にしみ込んだ雨を、森の土がろ過して、綺麗で美味しい飲み水にしてくれる」
二人は手にした水をじっと見つめる。
「魔樹と魔獣たちの死骸や糞尿が分解されてできた土が、畑の土を肥えさせるって、知ってる?」
「知らない」
「知らない」
「美味しい野菜が育つには土の栄養が必要なの。だから川が森から運んできた栄養たっぷりの土を、畑に混ぜて耕すんだって」
二人は手にした食べ物をじっと見つめる。
「魔法使って、悪かった」
「森がどうなろうが、知ったこっちゃないって言って、ごめん」
「分かってくれたなら、嬉しいよ」
ユーリグゼナはすくっと立ち上がる。
「じゃあね」
「えっ?」
「どっか行くのか?」
「森が好きなのは、雨と風と音楽だって知ってる?」
「知らない」
「知らない」
「私は雨を降らせたり、風を吹かせたりは出来ないけど、音楽ならできるから。癒してくるよ。森を」
呆然としている二人の子どもを背に、ユーリグゼナは森の奥へと足を進める。
すぐ後を、従弟三兄弟が追いかけてきた。
「俺も行く。護衛がいるだろう」
「伴奏もいるでしょう?」
「歌も!」
ユーリグゼナは振り返り微笑んだ。
次話「給金と税金」で予定しております。来月までに更新予定です。。




