52.守られない掟
遅れました。長めです。
前シキビルド王に迫害され、パートンハド家の家族を失ったひとりぼっちのユーリグゼナに、森は優しかった。
彼女のお腹を満たし、彼女の音楽に耳を澄ます。──彼女の孤独ごと受けとめてくれた。
その森が、人の手で荒らされている。
(許せない)
ユーリグゼナの身体から、凍るような精気が溢れ出す。
彼女の腕を、真ん中従弟アラントスがぐっと掴んだ。
「ユーリ。基本を忘れてる」
「えっ?」
「非常事態が起こったら、まず全員の安否確認と情報共有。でしょ?」
アラントスの青い目が、彼女に冷静さを取り戻させる。
魔法という人災により、森の秩序が壊れた。生き物たちの暴走が起こる。単独行動しているフィンドルフに、一刻も早く伝えなければならない。
「……アラン。呼び笛持ってきてる?」
「もちろん」
アラントスは、緊急用の呼び笛を七色に吹き鳴らす。風を切るように、森全体に響いていく。
応える笛が遠くから聞こえてきた。フィンドルフは無事だ。
ズズン ドドン
地響きが強さを増してくる。もうすぐここへ何かが来る。
「アラン。みんなをお願い」
「任せて」
彼は、末っ子ユキタリスとシノと爽を地面に伏せさせ、自らは剣を構える。
地響きの方向から、子供二人が『誰か、助けてー!!』と泣き叫びながら走ってきた。
巨大な猪魔獣が、木々にぶち当たりながら、向かってくる。大きな雄叫びを上げると、彼女の目の前で大きく両前足を上げた。
グウォォ───
ユーリグゼナは高く跳躍する。小さな身体をくるくると回転させ、風のように舞う。
華奢に見える足は、人の十倍はありそうな巨大な猪魔獣の顎を、ほぼ真上に蹴り上げた。
一瞬、まるで重さが消えたかのように、巨体が空で止まる。そして、次の瞬間、消えた……ように見えた。
彼女の視線は、遥か遠くに向けられている。そこに、ドカーンという爆音とともに、土煙が上がる。ユーリグゼナは目にも留まらぬ速さで、魔獣を遠くの崖まで蹴り飛ばしていた。
魔獣はぴくりとも動かない。とはいえ、これくらいで死ぬほどヤワじゃない。目が覚めれば、また襲って来る……。
(次!)
ユーリグゼナは空を見上げた。
急降下してきた翼のある魔獣の腹部に、自分の拳を素早くめり込ませた。ギョエッッという異音とともに魔獣は、遠くの森へと消えていった。
再び飛んでくるまで、時間稼ぎできる……。
(次!)
巨体な蛇のような魔獣が、ねっとりとした長い舌でユーリグゼナを捕らえようとしていた。彼女は魔樹の木立をジグザグ走行で抜けていく。複雑な動きに、長い舌が木の幹に貼り付き、絡まった。
結ばってしまった舌は、そう簡単に解けない。
とはいえ、これではキリがない……。
早く魔法を排除し、暴走を止めなければ。
「アラン!」
「分かってる!」
アラントスは、見知らぬ子ども二人を背に庇いながら、次々と繰り出される魔樹の枝を掃うのに奮闘していた。
背後へ語りかける。
「……その魔獣、放してやって」
「は? 何言ってんの?」
「嫌だよ。なんで?」
アラントスの額に汗が滲む。
「捕まえている限り、僕たちは襲われ続ける」
「えー。そこは何とかしてくれよ〜。森入るのも捕まえるのも、ホント命懸けだったんだぜ」
二人に危機感は無い。助けて貰えて安堵している顔だ。
アラントスは剣を握る手に力を籠め、一気に魔樹の枝を薙ぎ払った。大きく肩で息をしながら、説得を続ける。
「……その七色鳥。捕まえてどうするの?」
「飼う」
「卵が高く売れるんだ」
「……無駄だ。もう卵は産まない」
「なぜさ?」
「若い雌だぜ?」
二人の子どもは不思議そうに、首を傾げた。アラントスは青い目を細める。
「魔法は森にとって毒だ。触れたら、狂う。この魔獣は、もう卵を産めない。長くは生きられない」
◇
七体目の魔獣を気絶させたユーリグゼナだったが、気が急いていた。時間をかけるだけ、森を傷つけてしまう。従弟たちは何をしている。
「アラン!! まだ?! ……うっ」
魔獣から目を逸らした瞬間、鋭い針を持つ小型の蟲の羽がユーリグゼナの頬を掠めた。
羽音の多さで囲まれていることを知る。何百匹もの大群に襲われようとしている。
(捌き切れるか……?)
両腕に剣を構え、一気に蹴散らす剣筋を探す。彼女の視界に、しゅっと銀鎖の網が広がった。
「悪い。遅くなった!!」
「フィン!」
フィンドルフが鮮やかな網さばきで、蟲たちを一気に絡めとる。さらに、網で捕らえ損ねた蟲を、剣で散らしていく。
ユーリグゼナはくるりと方向を変え、八体目の魔獣の牙を受けた。
◇◇
彼女から離れたところで、子どもたちの大声が上がる。
「てっめえ。何をする!!」
「返せ!」
アラントスの左手に七色鳥が握られていた。力尽くで奪い取ったのだ。
「僕が魔法陣を解く。本当は術者が解くほうが、この子の負担は少ないのだけど、仕方ないね。──魔法を嗅ぎ付けた森中の魔獣が、僕らを殺しに来てる。このまま何もせず全員死ぬよりマシだよ」
ビュンンン ──バシッ ビシッ
彼らの後ろから忍び寄っていた魔樹の鋭い枝先を、末っ子従弟ユキタリスが棒で打ち落とす。さらさらの金髪を振り乱し、子どもたちを見る。
「どうして森で魔法を使ったの? 掟のこと知らなかった?」
「……知っていたけど」
「……仕方なかったんだっ」
「そっか。知ってて、使ったんだ。だったら君たち、死んじゃっても仕方ない」
ユキタリスの澄んだ青い目は、決定事項のように冷たく瞬いた。
青ざめた子どもの一人がのろのろと動き出す。アラントスの手に掴まれた魔獣に手をかざし、魔法陣を解いた。
罠が外れた七色鳥は、どぴゅーんと木々の合間を駆け抜け、逃げていった。
スッと空気が解けていく。柔らかな風が森の中に戻ってきた。
攻撃していた魔獣が、急に方向を変え逃げ出す。蟲たちも飛び去っていく。
フィンドルフは何度も上下する肩を、大きな深呼吸で沈める。銀鎖の網を解き、捕らえた蟲たちを放した。
ユーリグゼナは憂鬱そうに剣を鞘に納めた。
◇◇◇
「だーかーら。俺たち生活がかかってるんだって!」
「森で狩りして、買い取ってもらって。それでようやく家族を養えるんだ。お前たちにつべこべ言われたくない」
掟を破ったのは悪い。でも生きていくために必要だ。子ども二人は、そういう主張を繰り返す。
真ん中従弟アラントスは、冷えた目をしているし、末っ子ユキタリスは無表情。むちゃくちゃ怒っている。
シキビルドは森と海の賜り物。それを守ることが国を守ること。森の守護がパートンハド家の存在意義だと、小さな頃から教わってきた。一個人の我儘など、許せるはずもない。
反応の悪い従弟たちに、痺れを切らしたのだろう。ユーリグゼナのところに、子どもが駆けてきた。
「おねーさん。俺たち、夜明け前から張ってて、疲れちゃった。もう家に帰っていいでしょう? ねえ?」
子ども全開で甘えられても、全然可愛くない。自然と口調が厳しくなる。
「自分たちのしたこと理解できてる? あなたたちは、七色鳥は命を縮め、森を汚した。どう償うの?」
二人はぽかんと口を開けた。
「えっ……森?」
「償うって何を? 七色鳥を失ったのは僕らだ」
彼らには本当に分からないのだ。
「助けて貰ったのは、感謝してる。怪我しなかったのは、あんたらのお陰だ。でももう、放っておいてくれ」
「掟を破っても、怒られるだけ。罰則もない。誰のものでもない森で、僕らが何をしようが自由。あとがどうなろうが、知ったこっちゃないよ」
バキンッ
ユーリグゼナの手の中で、冷たい精気が弾けた。
「分からないかぁ。そっか。…………だったら足とか折っておこうか? しばらく森に入れないように」
「駄目だ……ユーリ!」
フィンドルフが硬い声で制す。
アラントスは青ざめ、彼女から子どもたちを隠すように立ちはだかる。
ユーリグゼナは不思議そうに首を傾げた。
「どうして? また魔法を使われて、森を荒らされたら、今度こそ何が起こるか分からないよ?」
「……確かにそうだが……落ち着け。ユーリ」
「落ち着いてるけど?」
「……いや。いつもなら、そこまでしない。……そうだろう?」
焦った様子のフィンドルフに、ユーリグゼナは諭すように言う。
「私たちはこの子たちを守るため、魔獣と魔樹を退けた。でも、再び森を汚そうというなら、助けるべきではなかったんだよ。本来死んでいたはずだから、足くらい軽いよ? 別に命を奪うわけじゃない。治りやすく綺麗に折るし」
彼女の黒曜石の目は、あくまでも真っ直ぐで、真っ黒だった。
従弟たちも子どもたちも顔色を失っていた。彼女が本気で、誰にも止められない。そう、誰もが理解した。
彼女の視界を、見慣れた背中が遮る。見上げれば、青紫色の柔らかそうな髪が揺れていた。安全な場所に伏せていたはずのシノが、ユーリグゼナのすぐ側に立っている。
彼はぞくりとするほど、冷たい表情で子どもたちを見下ろしていた。
「甘すぎます」
乱暴に二人の子どもの襟元を掴むと、ぶらんと釣り上げた。足がつかなくなった子どもたちは、恐怖で顔が歪む。
「シノ……?」
ユーリグゼナの知る彼からは、想像できない荒々しさだ。
「殺すべきです」
「……え?」
「悪いことをした自覚も、反省もない。足を折っても、治ればまた同じことを繰り返します」
「そ、そうです……が」
「分かっていて、自ら規則を破ったのです。死は当然の報い。そうですね? ユキ」
話を振られた末っ子従弟ユキタリスは、顔を引き攣らせた。さっき確かに彼は言った。言ったけれども。六歳の少年に死を背負わせるか?
幼い子供たちを怯えさせながら、シノの独壇場は続く。
「そうですね。手を汚すのがお嫌なら……。この子たちを、その辺の木に縛り付けておくのはどうでしょう。魔獣たちがキレイに片付けてくれます」
「シ……シノ……」
にっこり笑うシノが怖い。
怖すぎるシノに、ユーリグゼナは震える。泣きそうだ。
「ああ。ちょうど、鳳魔獣が来てくれました。この子たちを引き渡しましょうか」
そう言って、つうっと空を見上げる。
大きな影がユーリグゼナたちの上を旋回し、日光を何度も遮る。確かにここへ降りようとしていた。
彼の大きな躰も、鋭すぎる巨大な嘴も、見慣れない人間には恐ろしい。
森の掟を犯した子どもたちは、ぶるぶる震えながら泣き始めた。
「……助けてっ。もうしないっ。絶対」
「誓うからっ。二度と森に入らないっって。……引き渡さないで。お願いだよっっ……」
本当にシノは、鳳魔獣に突き出すつもりなのだろうか。
彼は、森の王だ。人間の言いなりにはならない。殺したいなら自分たちで殺せと言い、シノこそを殺してしまいそうだ。
ユーリグゼナはこわごわ様子を窺う。シノはなぜか困ったような、ホッとしたような、優しい顔をしていた。
「失神しちゃいました」
「えっ」
シノの両腕に抱えられた子ども二人は、青ざめたまま気を失っている。
「少しは薬になると良いですが」
「……演技だったのですか?!」
「あれくらいでないと、脅しにならないでしょう?」
「……てっきり本気かと」
「本気だったのはあなたでしょう? 本当に傷つけてしまったらどうしようって、気が気じゃありませんでした」
ユーリグゼナは自分自身に驚いた。魔獣のように荒ぶった心が、いつの間にか凪いでいる。
「シノ……私……」
「どうしました?」
「私……魔獣みたいに暴走したら止まらなくて、気がついたらいつもとんでもないことになってて……」
シノは両腕に抱えていた子どもたちを、丁重に下ろした。膝をついたまま、ユーリグゼナに微笑む。
「……知ってます。礼堂の時もそうでしたね」
「……今回は、シノが止めてくれたから。無事でした……。ありがとう」
「どういたしまして」
「……私のこと……嫌になりませんか」
「全くなりませんね。むしろ容赦のないあなたの姿は美しい、とすら思っています」
「美っ?! それはちょっと……変では?」
「そうですね。お陰で自覚しました。サギリ様の言う通り、私は『変態』なのでしょう。認めるしかなさそうです」
ユーリグゼナはぶぶっと吹き出した。
シノの頬が少し赤い。
「あなたが笑ってくれるなら……何でもします」
鳳魔獣が、竜巻のような風が起こしながら下りてくる。
木の陰から武装した女性が現れた。薄い茶色のふんわりした髪が風になびいている。今、この場に叔母ヘレントールがいることに、ユーリグゼナは混乱する。
シノの僅かに緑を帯びた灰色の目が、そっと伏せられた。
次話「追い詰められて」は今月掲載予定です。。。




