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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第3部

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50.良い夢を

前回の続きです。長めのお話です。

 パートンハド家に、静かな夜が訪れていた。

 

 ユーリグゼナは今晩の寝台を自ら整える。勝手知ったる元自分の家。側人のサギリがいなくとも、特に不自由しない。パートンハド家に滞在する間くらい、サギリに身体を休めて欲しいので、休暇にしている。

 

 昨夜は(セイ)として歌っていたので、遅い就寝だった。明日は朝から森に行くし、今夜は早く休んだほうが良いと分かっている。が……とても寝ることはできない。


(シノはまだ、厨房で片付けをしているよね)


 勉強という大義名分を手に寝室を出た。



 


 

   

 ユーリグゼナは食卓の机の上に、全四国上位階級登録者年鑑を広げ、深いため息をついた。

 王女教育は覚えるまで終わらない。各国の上位階級くらい、さっさと頭に入れたいのに、全く集中できない。

  

 従弟の真ん中アラントスと末っ子ユキタリスは、すでに就寝していた。叔母ヘレントールは、ユーリグゼナの向かいで資料を広げ仕事をしている。

 ポコポコと温かい音を立てながら、お茶を注いでいるのは、従弟の一番上フィンドルフだ。


「ユーリ。開いてるページがずーっと『ア行』なんだけど、進んでるか?」


 ひんやりとした声が、ユーリグゼナの背中を撫でる。


「進んでる……よ。少しは」

「へえ。じゃ、『ハ行』を最初から言ってみろよ」

「……【パートンハド家】シキビルド王国紫位(しい)で、世界で最も古い一族。最強の戦闘能力を持ち、特異な才能(ちから)を保持する」

「それ、言う必要あるか? 次は?」

「……【ヘレントール】現在パートンハド家の惣領代理で」

「おい。飛び過ぎだろう? ……ぜんっっぜん覚えてないってことだな」

「うっ。すみません。……でも『ア行』なら得意だよ?」


 いつもア行から読み進めるため、よく頭に入っている。


「当ったり前だろう?! ア行は知り合いばっかりじゃないか。アラントスにアルフレッド。アーリンレプト王女、アクロビス王子、学校長アルクセウス、あと……」

「アナトーリー!」

「ああ、そうそう……って、新しく覚えるところなんてあるか?」

「た、多少は」

「いいから、とっとと覚えろ」

「うぅ……はい」

 

 フィンドルフに言い訳なんか通用しない。聞いてくれるだけマシである。彼の機嫌はだいぶ直ったような気がする。


 厨房から、すらりとした美しい立ち姿のシノが現れた。後ろに爽もついてきている。


「ヘレントール様。片付け終えました。今夜は下がらせていただいて、よろしいでしょうか」

「ええ。爽。お疲れさま。今日もありがとう。おやすみなさい」

「おやすみなさいませ。ヘレントール様」


 爽は深く頭を下げ、自室に下がる。

 名前が呼ばれなかったシノは、戸惑ったようにヘレントールを見た。


「私も下が」

「シノはまだいいでしょう? ユーリの勉強を見てくれる?」

「……はい」


 シノはぎくしゃくした動きで、ユーリグゼナの隣の椅子を引く。それはそうだろう。爽の側人研修に訪れたはずなのに、王女教育をみてとは……。

 席についたシノに、フィンドルフから刺さりそうな視線が飛んでいる。


 こんな状況下で勉強が進むはずもない。誤魔化すため、書き取りを始めた。


「もしかして、音順に覚えようとしていますか?」

「へ。……は、はい」


 しばらく黙って見ていたシノが、突然言葉をかけてきたので、ユーリグゼナは動揺する。

 彼は至極真面目な顔をしている。


「書き取りは効果的ですが、覚え方は変えた方がいいかもしれません」


 そう言うと、紙にさらさらと書き始めた。


「国の組織、交友関係、世代順、家系図。どういった方向でも構いませんが、自分でまとめ直すと頭に入ります。ユーリグゼナ様は、幸運なことに全四国の主要な方々と面識があります。そこから繋いでいけば、だいぶ覚えやすくなるのではありませんか?」


 形の良いシノの指先から、整った文字が現れるのをじっと見入ってしまう。

 カンザルトルのリナーサの家系の一人から、ペルテノーラ王カミルシェーンへと線が繋げられる。王妃として嫁いできたのか。ということは第一王子アクロビスの母方はカンザルトルの出身で、リナーサと遠い親戚……。

 ペルテノーラのナータトミカとレナトリアの姉弟の一族は、代々各国の実力者と婚姻関係が結ばれている。捕縛されたウーメンハンのミネランの父方と線で結ばれているのを見て、ユーリグゼナは息を呑む。


「……これほど、各国に血の繋がりがあるとは、思いませんでした」

「何代にも渡り、国の権力階級同士で政略結婚が行われてきました。今ではほとんどが縁戚関係にあります」

「そうですか……。代々親戚同士で結婚するのは、良いことではありませんね。魔獣も親同士の血が近いと、身体が弱い子が生まれる傾向にあります。代々続くと徐々に数が減り、その種は滅んでしまうのです。──権力階級は身分にこだわり過ぎず、婚姻の幅を広げるべきです。そうしなければ、将来的に権力階級だけ人数が減ってしまうでしょう」


 言い終えたユーリグゼナはシノを見上げる。彼の顔がピキっと音がしそうなほど固まっていた。


「……私、何か間違えましたか?」

「………………申し訳ございません。私が間違えました。今は各国の主要人物を覚えるときです。…………お茶を入れ替えてまいります」


 シノはさっと立ち上がり、各人の器を集める。盆の上で、茶器がかちゃりと音を立てた。動揺しているようだ。足早に厨房へ消えていく。

 ヘレントールが書類から目を離し、ユーリグゼナを見ていた。


「ユーリ。今のは良くなかったわ」

「……魔獣の話、ダメだった?」


 それくらいしか心当たりがない。確かに魔獣の(つがい)の話を、人間に当てはめるのは良くなかったかもしれない。

 フィンドルフから唸り声のような、深いため息が漏れている。


「……魔獣じゃない。婚姻の方だ」


 ヘレントールは頬杖を付き、水色の目を揺らす。

 

「ユーリ。お付き合いしている相手に結婚の話をしてはダメよ。さっきの言い方だと、特権階級より平民のシノと結婚したいと聞こえるわ。……まあ、シノは冷静に判断して、ユーリが一般論として話しているのに気が付いたみたいだけど」

「……結婚はしない」


 ユーリグゼナは呆然としながら言う。頭に霞がかかったように、ものがよく考えられない。結婚は嫌だ。恐怖にも近い感情が湧き上がる。

 

「当然だ」


 フィンドルフが機嫌良さそうに言う。彼女の言葉を肯定しただけなのに、なぜかイライラした。




◇◇

 

 


 席に戻ってきたシノは、ユーリグゼナが覚えていない箇所を確認しながら、彼女自身に資料をまとめさせた。

 確かにこれを覚えこめば、主要な人物は完璧そうだ。相変わらずシノは教えるのが上手い。なのに、なぜだろう。シノの声を聴いていると、やたら……眠い。シノの声が淡々として穏やかで子守り唄のようだからだろうか。勉強への集中力が途切れたからだろうか。寝不足にも心当りがある……。


 ぐわんぐわん、と頭が揺れて、はっとして起きる。


「お休みになられますか?」

 

 シノが横から窺っていた。急いで頭を上げたがバレた。真剣に教えてくれているのに、眠くなるなんて最低だ。

 続行すると彼女が答えるより、ヘレントールの方が早かった。


「そうね。寝ぼけて危なっかしいから、シノが部屋まで連れていってくれる?」

「はあ? 母上、何言って……」


 フィンドルフの声が裏返る。

 シノの顔から表情が消える。

 ユーリグゼナはどうすればいいのか分からなくなった。

 でもきっと、目が覚めましたので、もう少しやります。明日早いので、シノはもう休んでください。と言うのが一番だろう。

 彼女が口を開くより、シノの方が早かった。


「……かしこまりました。ユーリグゼナ様。立てますか?」


 シノは机の上を片付け、ユーリグゼナの椅子を引いて立ち上がらせてくれる。立たざるを得ない。

 シノは彼女の肩を支える。そんなことをしなくても安定歩行できるのに、どうすべきか。


(これは……)


 手の置かれた肩から温もりを感じる。もったいなくて、お断りできない。

 狡いユーリグゼナは、眠たい演技をすることにした。しかし抜け目だらけな彼女は、顔だけ眠そうでも、階段を上る足にふらつきがない。この不自然さに気づかないのは、本人だけである。

 階段を上がりきったとき、シノが小さく息をつき、肩から手を離した。


「困りましたね」

「……は?」

「夕食前に、ヘレントール様に呼ばれたでしょう? そのとき言われたのです。『シノが接触するたび、ユーリが意識を失うのは問題だから、パートンハド家にいる間に、どういう条件下で倒れるか確認したい』と」

「そう、だったんですか」


 がっかりだ。どうしようもなく落ち込む。触れてきたのは義務。触れられて嬉しかった気持ちは、ただの独りよがり。


「……どうかしました?」


 シノの落ち着いた声に、絶望する。そこに彼女への特別な想いは見えない。それはそうだ、とユーリグゼナは深く息を吐いた。

 家に来てからずっと嫌な思いをさせている。周りをうろうろしているだけで、なんの助けにもならない彼女に、触れたいわけがないじゃないか。


 普通を装い、シノに応える言葉を探した。


「意識を失うわけではありません。急に強い眠気に襲われて、すっと寝入ってしまうだけです。ヘレンにもちゃんと説明しておきますから。……大丈夫ですよ」


 本当はそれどころじゃない。目を逸らし気持ちを察せられないようにした。

 

 シノが黙ってしまった。

 なにか言うべきなのだろう。でも、自分でも訳が分からないことに、泣きそうだ。

 シノの手がためらいがちに伸びてきた。ユーリグゼナの両肩をふわりと包む。


「……すみません」

「え?」

「ちょっと嘘でした」

「えぇ?!」

「本当はずっと、あなたに触れる機会を探してました。でも……これ以上フィンドルフ様の不興を買うわけにはいかないでしょう? 我慢すべきだな、と思っていたのです。でも、ヘレントール様が大義名分を作ってくださったから……乗りました。すみません」


 廊下の暗がりのなか、シノを見上げる。鼻筋が通ったシノは、陰影が増すとますます綺麗だ。


「そうでしたか」


 ユーリグゼナの顔が、へらりと緩む。シノがホッと力を抜いたのが分かった。


「あなたは、ずっと気を張っていましたね。……どうかしましたか?」

「あ……いや。その」


 ずっと見ていて、気にしてくれていたのだと知る。

 気持ちを伝えても許してくれるだろうか。

 

「謝罪したくて……」


 ユーリグゼナが顔を上げると、シノが問うように覗き込んでくる。彼女の顔が歪む。

 

「……シノに不愉快な思いをさせてしまい、申し訳ございません。私がシノを想うことに、家族は好意的ではありませんでした。次回お会いするまでに、どうにか説得します」


 大好きな人をもてなす用意が全くできていなかった。家族がシノに強く当たるのを見て、それにようやく気がくなんて……。

 温かな手が、彼女の肩を撫でる。


「それは多分。難しいと思いますよ」

「だとしても……。私が何とかします。シノにこれ以上、嫌な思いをさせたくない」


 シノは優しく微笑んだ。


「いえ。嫌な思いなどしていません。……フィンドルフ様の焼いてくださった幸包は、とても美味しかったですし」

「でも、あんなにたくさん」

「ええ。量が多かったですね。それでも完食したのは美味しかったからですよ」


 楽しそうに笑う。どこか誇らしげに見えた。


「ヘレントール様は非常に厳しい方ですが、身分や周りの評価でなく、私自身を見ておられます。時間はかかると思いますが、認めてもらえるよう一つ一つ信頼を勝ち得ていきます。他の方々も同様です。なので……どうか。待っていて欲しい」


 シノの灰色の目には、僅かに緑色が混じっている。

  

「……シノが、頑張るのですか?」

「はい」

「二人の問題なのに?」


 シノがうっと呻いた。


「……そうさせてください。あなたの大事な人、全員に私は認められたい。あなたを取り巻く全てが欲しいのですよ」

「そんなに」

「ええ。欲深いでしょう? 引きますよね」

「そんなの、嬉しいだけです」

 

 ユーリグゼナは一歩、歩み寄る。シノの背中に手を回し、そっと力を込めた。


「そんなに頑張ってもらって、いいのですか? 私のために? どうしよう。私、幸せ過ぎて死ぬかもしれません」

「簡単に死ぬとか言わないでください」

「はい。もう言いません。シノと生きたいから……」


 シノの両腕が彼女を包み込む。彼女の身体から力が抜けていく。気持ちも緩んでしまう。

 

「……シノから、ぎゅってされるの、好き」

「本当に……もう」


 シノの腕に一層力が籠もった。蕩けるような声が彼女の耳をくすぐる。


「ユーリグゼナ様」


 すると、なぜだろう。意識が遠のいていく。抗えないほどの強い眠気に、彼女の瞼は閉じていく。


「……またですか」

 

 シノの呟きを最後に、眠りに落ちた。

 

 


 


次話「荒れた森」は、来月更新予定です。

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