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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第3部

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191/198

49.包んで焼いて

本当に遅くなりました。。。

餃子作ります。

 パートンハド家は定期的に、家族総出で食事を作る。

 

 今日は小麦粉を練った皮で、肉や野菜を包む料理が主菜だ。一つ一つを、手のひらに乗るほどの大きさに仕上げる。

 従弟の上二人は、挽いた肉と香味野菜を、薄い皮にしこたま押し込み、焼いて食べるのが好きだ。叔母ヘレントールは、分厚い皮に粗みじんの肉と葉野菜をたっぷり包んで、茹でた汁と一緒にいただくのを好む。末の従弟はホクホクに茹でた甘い野菜の実を皮に包み、お菓子にする。

 それぞれ家族が望むものを包んで、みんなでたくさん食べて幸せになるから『幸包』と呼んでいる。


 ビタン バタン バタン

 

 一番上の従弟フィンドルフが、小気味良い(リズム)で小麦の生地を捏ね、板に叩きつけている。次第にまとまってきた白い塊を、小さな刃物で手早く切り分ける。小分けした生地を、クイクイと板に押し付け、次々と丸く整えていく。

  

 ユーリグゼナは、ほぅと息をついた。見事な手際だ。


「ユーリ。包むの、やったら?」


 フィンドルフがからかうような口調で言う。暇そうだな、の意味である。

 

 三年前まで、包むのは、もっぱら従弟たちの仕事だった。

 小さな子が刃物を握るのも、肉を挽くのも、怪我をしそうでハラハラする。だから具材作りはユーリグゼナと叔母ヘレントール、叔父アナトーリーが請け負った。小さな従弟三兄弟は騒がしさを封印して、各々真剣な顔で包む。

 それがもう、ずいぶん昔のように思う。

 

 ユーリグゼナと叔父アナトーリーが家を離れてからは、具材を作るのも包むのも焼くのも、全部従弟たちだ。ユーリグゼナは居合わせたときだけ、お手伝いしている。


「やるよ」


 ユーリグゼナは手を清め、香味野菜を刻んだものに挽いた肉を混ぜた具材の種を、皮の真ん中に落とす。

 水で濡らした指で、端に半円を描く。乾いた方の端から、ひだを折り込みながらくっつけ、種を包んでいく。ようやく一つ完成。


 不意に、フィンドルフが空を仰いだ。

 

「皮、作り過ぎた……」

「フィン兄。人数増えたし、冷凍して保存する分を考えると、ちょうどいいくらいだよ。──具材が足りないね。僕、畑から野菜をもぎってくる」


 真ん中従弟のアラントスは立ち上がる。彼の額で、銀色の巻き髪が跳ねた。


「じゃあ俺は、もう少し肉を挽くようユキに言って来るわ」


 ゆっくり腰を上げたフィンドルフの茶色の目が、ユーリグゼナに向いて、一瞬固まった。


「なに?」


 彼女が不思議そうに見返すと、フィンドルフは目を逸らした。厨房にいる(ソウ)に声をかける。十五歳の少年側人が両手を布で拭いながら、早足に出てきた。


「フィンドルフ様。いかがされました」

(ソウ)。俺たち少し席を外す。戻るまで、ユーリを見ていてくれ」


 ユーリグゼナは不満げに従弟を見上げる。


「ちょっと! フィン! 私、子どもじゃないよ。……まあ、確かに手際が悪くて、みんなに仕事取られたけどさ」

「手際……。いや。厨房で刃物落として、危なかったから追い出されたんだろ?」

「うぅ……。其の節はごめんなさい。でもさすがに包むぐらいは私一人でできます」

「一人じゃないから危ないんだろうが……」

「え?」


 首を傾げる彼女を放って、フィンドルフは(ソウ)に念押しする。さっと部屋を出ていった。

 

 入れ替わるように、厨房から背の高い美しい男が上がってくる。


「爽。厨房は大方片付きました」


 青紫色の柔らかそうな髪は、明るいところで見ても綺麗だ。

 シノは灰色の目に彼女を映すと、ふわりと笑った。


「包む作業をお手伝いしていいですか?」

「あ、あの。はい。もちろん。よろしくお願いします」


 ユーリグゼナは動揺を逃がすため、具材をかちゃかちゃと棒で混ぜ始める。顔の温度が急上昇していく。

 

 シノは隣に腰かけた。彼女の緊張は極限まで高まる。


(もう、怒ってない。かな?)


 だったらいいな、と思う。でもやはり怖くて、大好きな人の顔を見る勇気が湧かなくて、俯いてしまう。

 

 ユーリグゼナは、想いが通じ合った翌朝、ナンストリウスにしかられた。内容はぼやかされたので、魔法的に禁忌で破廉恥なことを、やらかしたのだと思う。

 シノに謝ったら、なぜか怒ってしまった。

 何が駄目だったのだろう。誰にも聞けず、未だに分かっていない。どうしよう。







 

 

「……包み方、教えていただけますか?」


 シノの声が、ぎこちない。

 ユーリグゼナが顔を上げないから、気を遣われてしまった。シノは爽の側人教育のために来ている。彼らの邪魔だけはしたくない。彼女は覚悟を決めて、背筋を伸ばした。


「こうやって……」


 生地を一枚とり、中央に具材の種を小さめに落とす。たくさん入れると、初心者はうまく閉じられなくなる。小さかった従弟たちに教えた頃を思い出しながら、ゆっくりと指を動かす。

 シノはじっと観察していた。ユーリグゼナが包み終えると、彼はすぐさま長くてきれいな指先で、丁寧に生地を折り込んでいく。あっという間に見事な『幸包』が完成し、ユーリグゼナの作った隣に置かれた。


(びっくりするくらい上手だ……)


 焦りを感じたユーリグゼナは、より丁寧に包んでいく。今度は上手に包めたなと、満足げに皿に並べる。その隣に秒違いで芸術品のように美しい『幸包』が置かれた。


(うん……王家に献上できるレベル。食べるのが勿体ない)


 次を作っても、そのまた次を作っても、無難な出来の『幸包』の隣に、芸術品が並べられる。

 流石にこれは偶然じゃない。ユーリグゼナは渋い顔で呟いた。


「わざとですか……シノ」


 シノからの返事はない。


「初めてなのに上手すぎです。こんなの隣に置かれたら、私の不細工が目立つじゃないですか」

 

 絶対、意地悪だ。ユーリグゼナが彼に拗ねたような視線を向けると、シノは楽しそうな、それでいて少しホッとしたような顔をしていた。


「ようやく、顔を上げてくれました」

「え……」

「このままずっと目を合わせてくれなかったら、どうしようって、不安でした」

「う……」


 シノは彼女との再会を喜んでいたのだろうか。そうとしか思えなくて、声が詰まった。

 シノは言う。


「先日は強く言ってしまい、すみません」


 ユーリグゼナは首が取れそうなほど、頭を左右に振りまくった。

 シノの灰色の目に僅かに混じる緑が見える。


「あの夜は、私にとって特別で……。それなのにユーリグゼナ様が何も覚えていないなんて、本当にショックだったのです」


 つまり、覚えていなかったから、怒った??


「いえ……覚えています。シノに抱……あの。えーと……とにかく眠ってしまうまでのことは覚えています。全部」

「なら、なぜ……」


 言いかけたシノの目線が、扉に向いた。

 側人の(ソウ)がこっそり部屋を出ていこうとしている。

 

「爽。どこへ行くのですか?」

「少し席を外します。どうぞお二人でお話しください」

「なりません」


 シノの強い口調に、爽が足を止めた。


「主に見ているよう頼まれたでしょう? それを簡単に違えてはなりません」

「……申し訳、ございません」


 爽は顔を強張らせて、席に戻る。すぐに具材を包む作業に入った。

 そんなに厳しく言わなくても、東司処(トイレ)くらい良いだろう、と思う反面、理由があるような気もした。シノは二人きりにならないよう、気を付けているのかもしれない。想いを交わしても、きちんと一線引いている。そう、周りにもユーリグゼナにも見せているような気がした。


「ユーリグゼナ様。覚えているのなら、なぜナンストリウス様とオスニエル様に何かあったかのように言われて、認めてしまったのですか? 何も無かったでしょう?」

「え……何も無かった、ですか?」


 ユーリグゼナとしては、あった。想いを交わして付き合っている気でいたのに、それが何も無かった……とは。彼女の顔色を見て、シノは慌てたように言葉を重ねる。

 

「今話しているのは、男女の行為のことです。……何も無かったでしょう?」

「え……何も無かったのですか?」

「爽!?」


 突然の横槍に、シノが驚く。

 

「す、すみません」


 爽は首を竦めて、具を包む手を速めた。僕は何も聞いてません! 喋りません! と暗に伝えてくる。

 

 シノは大きなため息をつくと、改めてユーリグゼナの方に身体を向けた。


「あなたが認めるので、ナンストリウス様もオスニエル様も。それに……アルフレッド様まで、勘違いされていました。だから私からきちんとお話しして、誤解を解いています。合わせて、その……お付き合いしている旨も、伝えましたから」


 シノの顔がぶわっと赤らんだ。ユーリグゼナの顔も勝手に同じ色になっていく。


「あの……アルフと話した、のですか?」

「はい」


 どうやって、話すことになったのだろう。アルフレッドはシノを嫌っていたし、平民のシノから最高位のサタリー家を訪ねることは無理なんじゃないだろうか。

 シノは静かに目を伏せた。


「……アルフレッド様はあなたにとってかけがえのない人です。私からの挨拶と説明は、最低限の義務でしょう。それに……いつかは私自身を認めていただきたい、とも思っていて。ナンストリウス様にご協力いただき、お伺いしました」

「……だ、大丈夫でしたか?」


 アルフレッドは、未だに彼女を特別に思ってくれている。図々しい彼女自身を許す寛容さはあっても、恋敵には厳しい態度をとるように思う。


「はい……紳士的でした」

「紳士的……」


 何やら含みを感じるのは、ユーリグゼナの邪心だろう。


「あれほど真っ直ぐ、向き合ってくださるとは、思いもしませんでした。婚約者を誑かす無礼者として、切り捨てることなく、最後まで私の話を聞いてくださいました」


 そんなことがあり得るのか。

 あれほどシノを嫌っていたアルフレッドが、紳士でいるには、相当の自制が必要なはず。

 それに地位も武も無いシノが、地位も武も有るアルフレッドに単独で挑むなんて、自殺行為に等しいんじゃないか。


 会話が成り立ったというなら、二人がともに努力してくれたのだ。……ユーリグゼナのために。

 その重みを感じた。

 

「……ありがとう。シノ」


 感謝を口にしたものの、全然足りない。


「……いえ。お礼を言われるようなことは何も。私は決して良い態度ではありませんでした。どうしても、アルフレッド様への嫉妬を消すことができません。あんな非の打ち所がない人間があなたの隣にいるなんて。……認めるのは、本当に簡単じゃないです」


 それでも、認めてくれている。

 アルフレッドは、ユーリグゼナの心の一部だ。それが分かっているからこそ、シノは必死に関わろうとしてくれる。これ以上の幸せがあるか。

 

「……嬉しい。シノ。大好き」


 心からの言葉が溢れる。黒曜石のような目は潤み、シノを見つめた。

 

 シノの手から、ぽとりと皮が落ちた。彼女から詰められた距離を、更にシノが狭める。


 

 ガシャン ガランゴロン 

 

 

 開けっ放しだった扉から、大鍋の蓋が転がってきた。



 ガラン ゴロン ガラン ゴロン ガラガラガラガラ 


 

 盛大な音を立てユーリグゼナの足下で倒れる。

 続いてバタバタバタバタと荒々しい音が、階段を駆け上がっていく。


 ヒュー バタン


 二階の扉の一つが勢いよく閉められた。姿が見えない一番上の従弟フィンドルフで、間違いないだろう。しかし訓練を積む彼が、力任せに音を立てるなんて、何があったのだろう。

 

「ユーリ。何してるの? 周りの迷惑考えてよ!」

  

 ユーリグゼナの目の前に、真ん中従弟のアラントスが怒りに震え、仁王立ちしていた。


「え?」


 なんだかよく分からない。なぜこんなに怒っている?

 最近機嫌悪いな、とは思っていたのだ。


「アラントス。どうかした?」

「どうかしただって!? すっとぼける気?」

「……私が原因? 私、何かした?」

「口づけ!」

「え?」


 隣にいたシノが血の気のない顔で、すうぅと空気に溶けるように、叔母ヘレントールの下へ向かって行く。叔母の笑顔が冷ややかで怖い。おそらく無言の招集を受けたのだろう。


 ユーリグゼナはその場全員の誤解を解くべく、反論する。


「し、してないよ!」

「……そう。でもフィン兄が鍋の蓋を転がさなかったら、してたよね」


 それは……そうかもしれない。


「なに、今さら赤くなってるんだよ。ほんっっと、迷惑。自分の家で、従姉にイチャつかれる、僕たちの身にもなってよ!!」




◇◇



  

 しばらくすると、フィンドルフは暗い顔で下りてきた。


 『幸包』は、食卓で焼きながら、わいわい食べるのが醍醐味である。朗らかな末っ子ユキタリスのお陰で、食卓は和んでいた。家族も側人も席を同じくして過ごす。特権階級としてはあり得ないが、パートンハド家では普通だ。

 ユーリグゼナは久しぶりの賑やかな食事に気持ちが緩む。しかし気になることは、未解決のまま。

 

 フィンドルフは、何故かシノの作った芸術的な幸包だけを選び、親の仇のような顔で焼き続けている。 

 そんなにいらない。もう食べ切れないよ……。というユーリグゼナの声は、アラントスにより妨げられる。


「こっちは凍らして保存しとくね」

「おう」


 アラントスとフィンドルフは何かを理解し合っている。ユーリグゼナと爽が作った分を別容器に詰め、貯蔵室へ持って行ってしまった。

 シノの分は保存しないらしい。残しておいて欲しかった。後日、作ったときのことを話しながら、焼いて食べるのが楽しいのに。

 

(……なぜシノのだけ? 嫌がらせ? まさか。でも、フィンもアランも、とっても感じが悪いよ?!)


 シノを見ると、静かに箸を進めている。彼が食事するのを初めて見た。箸はシキビルドに来てから使い始めたはずなのに、本当に綺麗に使う。箸が、整った唇に食べ物を運んでいくのを、喰い入るように見ていた。


「ユーリ」


 批判に満ちた肘鉄が、隣のアラントスから入る。

 これか。これを従弟たちは不愉快に思っているか。


 反省するものの、無意識をどう止めればいい。

 今度はシノの皿を見てしまった。フィンドルフが問答無用で焼き上がった幸包を積んでいく。絶対、そんなに食べ切れないと思う。流石に止めよう。

 ユーリグゼナが立ち上がろうとした、その時だ。

 

 シノは箸を置き、手を合わせて言う。


「頂きます」


 柔らかそうな青紫色の髪がふわりと揺れた。端正な目鼻立ちが露になる。

 フィンドルフがキッと彼を睨んだ。


(えっ。何か、始まった?!)


 シノは挑むように引き締まった顔をしている。受けて立った。そう。シノはフィンドルフからの挑戦を受けたのだ。

 焼きたての幸包に箸を伸ばし、綺麗な所作で、次々に平らげていく。


 叔母ヘレントールは仕事を理由に、早々に席を立った。

 アラントスは末っ子ユキタリスを連れ、子ども部屋に戻る。

 二人の本気の戦いに水を差してはいけないと、誰もが動いている。

 爽は涙目でユーリグゼナに離席を懇願する。立ち上がるほか無かった。

 

 

 フィンドルフはシノ製の幸包を全て焼き上げ、シノはそれら全てを綺麗に食べる。

 その間に太陽は傾き、部屋を赤く染めていった。


 

パートンハド家ステイ続きます。

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