18.香り
ペルテノーラから来訪者……シノ視点。
ライドフェーズの新しい居住場所は、御館というシキビルド古来からの名前で呼ばれている。前シキビルド王の住んでいた館は、戦争で崩壊していたため、新しく立て直した。造営が遅れていたが、ようやく秋口になり完成。ライドフェーズとセルディーナが移り住む。
移転してまだ御館内が落ち着かない中、ペルテノーラから二人の人物が訪れる。一人は青紫色のやわらかそうな髪に灰色の目の長身の男性。もう一人は波打つような深紅の髪に金色の目の女性だった。共に旅装束で、護衛が厳戒態勢を敷く御館には不釣り合いだった。門の護衛は、いぶかし気な表情で二人を見たが、紹介状を差し出され確認すると慌てて案内をする。
来訪者の二人は表情を変えないまま目配せをして、御館の中に入っていく。入り口で靴を脱がなければならず、ペルテノーラにはない習慣に目を見張りながらも美しい所作で脱ぎ、靴を整えると廊下を静かに歩いていく。二人ともに見目麗しく、その立ち振る舞いから教養の高さがうかがい知れる。案内する者たちはこの二人の地位がよく分からず、おどおどした様子で、ライドフェーズの部屋に案内した。
◇◇◇◇◇
「シノ!! テル!!」
案内が戸を閉めた瞬間にセルディーナは駆け出し、二人に飛びついた。あまりの勢いにテルがひっくり返りそうになる。慌てて長身のシノが、セルディーナとテルを支える。
「聞いて聞いて!! この国のお茶にミルク淹れようとしたら怒られたのよ! あとパンケーキに甘い生クリームをつけたら、山盛りでつけるものではないって────」
物凄い勢いで続くセルディーナの愚痴の数々に、テルは驚くが、徐々に表情を緩ませる。彼女の金色の目に涙が浮かんでくる。
「思ったよりセルディーナ様がお元気そうでよかった……」
「安堵いたしました」
シノも表情を緩める。ようやくいくらかスッキリした様子のセルディーナが、二人にニッコリ笑う。くせのない長い金髪がさらりと揺れる。
「いや、本当に危ない状態だったのだ。ごく最近までな」
相変わらず渋い顔をしたライドフェーズが言う。少しおやつれになられた、と思いながらシノはライドフェーズに聞く。
「お元気になられたのはこの御館に移られてからでは?」
「!」
「そうよ。さすがシノね」
驚くライドフェーズに代わり、セルディーナがシノに答える。シノは女性とも見間違えそうなやわらかい表情で言う。
「とても良い木の香りです。シキビルドでは建物にこれほどふんだんに木を使うのですね。ここはとても整えられています。ペルテノーラの頃より良いように思います」
「ここならセルディーナは大丈夫そうなんだな?」
「はい」
ふーっと息をつくと、ライドフェーズは座り込みシノを手招きする。この建物は全面木の床になっており、綺麗に磨かれている。ライドフェーズ達は床にそのまま座り込んで生活しているようだ。その床に草で編まれたマットのようなものが敷かれている。ライドフェーズはその上で寝ころびながら彼に言う。栗色のくせ毛がフワッと揺れる。
「ここで私を揉め。その後、茶と菓子で私をもてなせ。小言なんぞ一切受け付けぬ。私を癒せ」
シノが少し呆れて、長年のライドフェーズの側近で唯一この場にいる男をチラリと見る。彼はうるうると目を潤ませながら、シノに言う。
「ライドフェーズ様はきちんと王として頑張っておられた。ペルテノーラの頃とは違う」
「そうですか」
通常はこのような状態でないと分かり、ホッとしながらライドフェーズのところに行こうとすると、男は長身のシノをむんずと掴む。
「セシルダンテ様?」
「うちの孫娘はどうしているだろうか。『じいじ──』と泣いている夢ばかりみる。何か聞いていないだろうか」
「ご子息からお手紙を預かっております」
シノは鞄から手紙を取り出し、セシルダンテに差し出す。セシルダンテは大喜びで息子経由の孫娘の手紙を受け取り、自室へ戻る。それは贈り物の催促の手紙です……とつぶやきながら見送っていると、ライドフェーズが「まだか!!」とイライラしながらシノに按摩の催促する。
シノがテルの方をみると、ようやくセルディーナに開放されたらしくお茶の準備のために一度下がるところだった。おそらくミルクたっぷりのお茶と、生クリームたっぷりのパンケーキを用意するはずだ。テルが彼に目配せする。どうやらライドフェーズ分のお茶もいれてくれるらしい。シノは少し微笑み礼を伝えると、ライドフェーズの元へ行く。
ライドフェーズが横たわる草で編まれたマットは、とても落ち着く香りがした。シノは、マットの上に横になるライドフェーズを足の方から揉んでいく。ライドフェーズは少し痩せ、体のあちこちが硬く強ばっている。シノは少し眉をひそめたが、気を取り直し優しく丹念に体をほぐしていく。途中でライドフェーズが寝入ってしまった。シノはふんわり布をかけ、心の底からの思いを言葉にする。
「お疲れ様です」
休憩し少し復活したライドフェーズだったが、シノがカミルシェーンから預かってきた手紙を読むと、再び眉間にしわを寄せる。そして、長い時間呻いていた。しかし次の日からは少しずつ今までの政策を変えていく。シキビルドは上手く動き出したように見えた。
ライドフェーズは学生にとても人気がある。時空抜道の開通を目にした効果だ。しかしほとんどの特権階級には、支持を得られていない。そもそも不信感から面会も一部を除き許していなかった。上手く動き出した今になり、ようやく面会を許可するようになる。これ以後、王として多くの人に認識されるようになった。
シノの仕事は王と妃の周りを整えることだ。だが、人材不足のため仕事は日々幅広くなっている。今日はこの国に来て初めて御館を出て、平民の住む町の露天商を見て回っている。不慣れながらも町の情報を集めていた。
王一族の食事の材料は、未だにペルテノーラから時空抜道で輸送している。戦争終結からもうすぐ一年……。手間とお金の無駄だ。
何とかしたいと思っても、シノ自身では伝手がない。多忙と分かっていても、アナトーリーかサタリー家に仕入れを依頼しなければならない。せめて御館で何が必要で、シキビルドのどの商品が代用品になるかくらいは、把握しておかなければ、とシノは思っていた。
(でも、本当に勉強不足で……。全然シキビルドの事が分からない)
シノはここで過ごしてすぐにそれが分かり、途方に暮れていた。シノは無表情のまま、少し緑が混じる灰色の目を細める。
この国の様々業務が滞りがちな理由の一つに、言葉の問題もある。シノはシキビルドに行きが決まってから、密かに護身術とシキビルドの現地語に励んだ。護身の方はカミルシェーンのおかげで多少は進んだ。しかし言葉は教わる人間がおらず書物だけ。話す方はほとんど進んでいなかった。
町の中には様々な香りがしていた。特にシノが気になっているのは柑橘系のものだ。どこかしこから香ってくる。シノは露店の中に柑橘の皮と果実のお茶を見つけた。
(これだ……)
ようやく正体が分かり、ホッとしているところに後ろから声をかけられた。シノが振り向くと、がたいのいい男たちがニヤニヤと笑いながら、近寄ってくる。シノの身なりの良さ、整った顔立ちと所作の美しさは、かなり異質で目立つ。身代金をたっぷりとれる鴨に見えた。男の一人は彼の腕を取ろうとしていた。
(面倒なことになった……)
シノが袖の中で武器を構えていると、彼の前に空から何かが落ちてくる。
ふわり トン
あまりにやわらかい着地でほとんど音がしない。
シノも男たちもぎょっとした。降ってきたのは女の子だ。彼女の頭に巻いた布がふわりと舞い上がる。彼女の黒曜石のような黒く光る目は男たちを見ていた。濡羽色の黒い髪が布から垣間見えた。
シノに手をかけようとしていた男は、彼女に叫んだ。
『×××……!!!』
彼女は黒曜石のような黒い目を細め、男を見る。次の瞬間には男は吹っ飛び、仲間もともに倒されていた。シノはあまりの速さに驚きながら、お礼の言葉をシキビルド現地語で考える。でも自信が無くて躊躇してしまう。すると女の子がシノに声をかけた。
「これ、被った方がいいです」
女の子はぶっきらぼうに彼に大きな布を差し出した。粗末な素材だったが清潔感のある布だった。シノは丁寧に受け取る。素直に頭の上から布を被り、顔かたちが見えないようにする。
(……あれ?言葉が)
シノは共通語が話せることに気づき、女の子に言う。
「ありがとうございます」
「……袖の中のものはしまった方がいい。危ないです」
女の子は彼とは目も合わさず、行こうとする。シノは慌てて武器を収め、女の子を引き留めた。
「何かお礼を。助けていただいたうえ、こちらもお借りしてしまいました」
頭を覆う布に触れながらシノが言うと、女の子はちょっと困った顔になった。一瞬思案顔をした後、今度は彼を見て顔を赤くする。
(何か希望してくれそうだ)
シノは遠慮せずにどうぞ、という意味でニッコリ笑いかける。女の子は戸惑いながら、先ほどシノが見ていた柑橘のお茶を指さした。彼が了承して頷くと、彼女は店の人に注文する。
『おばちゃん、お茶ちょうだい』
『はいよ、いくつ?』
それにはシノが答える。
『二つ』
『!! 話せたんですか?』
『少し』
シノが不安そうに言うと、ちゃんと伝わっていたようで女の子も笑う。用意をする間、女の子は先ほどの騒動で乱れた店内の片づけをする。お茶を希望したのは、この店へのお詫びの意味もあったようだ。
お茶は素焼きの厚手の器にたっぷりと注がれた。シノが代金を払い、器を受け取った。店の人が裏で座って飲むと良いよ、と屈託のない笑顔で言う。女の子は軽く会釈して、シノと共に店の裏側に向かう。そこには古びてささくれの出来た木の椅子と机があった。シノが苦笑しながらお茶を机の上に置くと、女の子は綺麗な動作で椅子に座る。
(特権階級の子か)
そう思いながら素知らぬ顔でシノも座り、まだ熱いくらいのお茶を飲む。口の中で甘く柑橘の香りがはじけるように広がる美味しいお茶だった。外は寒くなってきていた。長い外歩きで冷えていた体がじんわりと温まっていくのが分かる。
(これであれば、セルディーナ様もお好きかもしれない)
女の子は鼻から喉までを覆っていた布を顎下まで下ろす。見とれるほど美しい顔立ちの子だった。彼女は器にふうふう息を吹きかけながら、美味しそうに嬉しそうに飲んでいた。シノは思わず笑顔になり、彼女に聞いた。
「これは何のお茶ですか?」
「柚子です。……ユズです」
彼女は共通語の発音で伝えてくれる。シノは自然と肩の力が抜けてきていた。灰色の目を細め微笑んだ。
「とても良い香りですね。町中からこの香りがしました」
次回「柚と花」は1月11日18時に掲載予定です。




