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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第3部

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189/198

47.最良の隣3

アルフレッド視点続きです。

 アルフレッドは頭痛に苛まれながら起きた。朝食はまるで喉を通らない。

 友人オスニエルを玄関まで見送り、再び毛布に潜り込む。

 

 有り難いことに、今日、パートンハド家の仕事は休みだ。惣領代理ヘレントールのことだから、全て予想してのことかもしれないが……。

 

 演奏会の練習を進める予定だったのに、ガンガン痛む頭のせいで、全てのやる気を削がれる。ナータトミカも同じ状況だから、きっと練習は夕方になる。

 それまで、生まれて初めての二日酔から、考えたくないことから、逃げるように、眠る。







 頭痛が多少マシになった昼ごろ、思いもかけない人物から音声伝達相互システム(プルシェル)が来た。

 

 養子院代表ナンストリウスだ。彼はアルフレッドが名家サタリー家の子息であるのを知りながら『アルフ』と呼び、平民の子のように接する。

 しかしそれも養子院内だけのこと。外では全く接点がない。

 特権階級社会の中で、特異な存在の彼は、仕事以外では誰とも付き合わないという。


 そんなナンストリウスからの連絡を、落ち着かない気持ちで受けた。それに対して、返ってきたのは、心配そうな声だった。


「声が枯れてますね。調子悪そうです。大丈夫ですか?」

「いえ。病気とかじゃないので。ご心配なく」

「……酒ですか」

「恥ずかしながら、そうです。すみません」

「謝るようなことではありません。みんな、それなりに嗜んでますよ。私もよく失敗します」


 ナンストリウスは気が抜けるほど、穏やかに話す。

 不安が消えるような、心の棘が包まれるような、不思議な力を持った声だ。アルフレッドは、いつの間にかいつもの自分を取り戻す。


「ナンストリウス。今朝より、だいぶ良くなってきたところです。だからどうぞ。ご要件をうかがいましょう」

「そうですか。……これからアルフに、受け取ってもらいたいものがあります」


 何なのか、は言わない。アルフレッドは嫌な予感がした。

 ナンストリウスの声の調子は変わらない。


「飲み過ぎによく効く薬も持たせましょう。良かったらどうぞ」

「ありがとうございます。しかし……唐突ですね。ちょっと怖いです」

「ふふふ。あなたは本当に正直な人だ。本来ならアルフの体調が万全なときが良いでしょう。でも、すみません。急いだほうがいいと、私が背中を押しました」

「……逃げたら、駄目ですか」


 ナンストリウスは楽しそうに笑った。

 

「はは。あなたは逃げませんよ」




 ◇◇




 アルフレッドは音声伝達相互システム(プルシェル)を切った後、身支度し、禊のような気持ちで風呂に入り、心を整える。弾き馴染んだ弦楽器を携え、音を合わせていく。自分自身を取り戻すのに最適な手段。どんなときでも、弾き始めればアルフレッドは夢中になる。


 扉が叩かれ、我に返った。側人が来客を告げる。


「こちらの部屋にお連れしますか?」

「いや。行く」


 客室には居心地悪そうにしている客人、シノがいた。アルフレッドを見ると、スッと立ち上がり見事な所作で頭を下げた。


 なかなか頭を上げない。痺れが切れて声をかけようとしたとき、扉が叩かれる。サタリー家の側人がお茶を持って入ってきた。


 一つの器には普通のお茶。もう一つの器には、見たことのない濁った褐色の液体が入っている。嗅いだことがないのに、知っているような不思議な香りがする。

 側人はその得体の知らない飲み物を、つぅっと彼の目の前に置いた。


「アルフレッド様。こちらはナンストリウス様からの頂き物です。海の貝の煮汁を味噌という発酵食品で溶いた、二日酔の薬です」


 側人はじとりと目を向けてくる。今朝からずっと、彼に飲み過ぎについてくどくど言われ続けているアルフレッドは、不愉快そうに目を逸らした。


「分かった。いただくよ」

 

 側人は立ち去る素振りを見せない。

 

「アルフレッド様。この薬、本当によく効くんです。酒飲みの救世主とも称されている人気商品で、いつも売り切れなんです。入手困難の貴重品なんですよ!!」

「……ちゃんと飲むよ。何だよ。他にまだ用があるのか?」


 アルフレッドは口を曲げた。家の中では、まだ子どもっぽさが抜けない。

 

「いいえ。元気出してくださいね」


 子どもの頃から仕えてくれている側人の顔を見る。そしてようやく気付く。ここのところずっと沈んでいたであろう彼を、昨日から自暴自棄になっている彼を、心配してくれていた。

 

「……分かった」

「どうかご無理なさらないで」

「気をつける。ありがとう」


 気遣う声に反省したアルフレッドは、ぐっと薬湯を飲み干した。

 とはいえ、元凶に立ち向かうのに、無理しないというのは無理がある。側人が下がると、大きなため息とともに目の前のシノを睨みつけた。




  

 ◇◇◇




 

 シノは再び深く頭を下げた。青紫色の柔らかそうな髪が、アルフレッドの目の前で揺れている。

 

「……王の側人シノ、と申します。主に養子院で従事しております」


 知ってる。よーく知ってる。

 何を今さら。自己紹介もしたことがあるはずだ。王の結婚式の演奏練習の時だから、もう五年も前になるか。その時からずっと、二人の距離は遠いままだ。

 

 シノは王の側人とはいえ、ただ平民。 

 アルフレッドはシキビルド屈指の名家サタリー家の子息で、王女の婚約者。

 

 二人には、天と地ほどの身分差がある。

 シノの卑屈と思えるほど恭しく腰が低い態度は、紫位の特権階級に訪ねて来た平民として、至極真っ当だ。

 でもそんな態度も、アルフレッドには不愉快でしかない。

 

 養子院のシノは、子どもを諭し教え叱る。媚びたりしない。いたって普通だ。

  

 それなのに側人として特権階級をもてなす彼は、不自然なほどに微笑んでいる。所作も表情も、全てが馬鹿丁寧。自分がなくて、気色悪い。

 心の底では相手を馬鹿にしてるんじゃないか、とすら思う。 


(ここまで思うのは、シノくらいだ)


 アルフレッドの嫌悪に、シノはすぐに気付いた。互いに距離をとった。今日この日まで、永遠に話すことは無いと思っていた。


「アルフレッド様。本日は急にも関わらず、お時間をいただき、ありがとうございます」

「ナンストリウスに頼まれたんだ。仕方ないだろう?」


 突慳貪(つっけんどん)な返しに、シノはさらに視線を落とす。

 本当に何しに来たのだ。腹立たしさが治まらない。


「よく来れたな。嫌われてるの、分かってるだろ?」

「はい。それでも今回のことは、私の口から報告すべきだと思い、参りました」


 ユーリグゼナはシノに会うとき、必ずアルフレッドに許可をとる。誰を好きでも側にいて守る、という事実上の敗北宣言のあとも、なぜだか事前に報告される。


 ユーリグゼナなりの、表向き婚約者を務めるアルフレッドへの誠意だろう。別にいい、と言ってしまえないくらいには、嬉しい。

 

 今回もそうだった。

 シノと想いを交わしたらしいことを、わざわざ翌朝伝えにきた。……曖昧かつ不十分な言葉だったので、何があったかさっぱり分からないが。……オスニエルの話だと。いやいや。

 とにかくだ。嫌いな相手から聞くことなど、無い。

 アルフレッドはきっぱりと言い放つ。 

 

「ユーリから聞いてる。要らぬお世話だ」


 シノはスッと視線を上げた。


「そうでございましたか」

「──俺たちは音楽で深く繋がっている。これからもずっと一緒にいると約束している。この関係が、シノに劣るなんて思わない」


 負け犬の遠吠え。そんなことは分かっている。

 でも本気。大真面目にそう信じている。シノごときに邪魔されたくない。


 シノは表情を変えないまま、アルフレッドを見つめていた。


「そうですね」


 馬鹿にしているのか。本当に嫌い。大嫌いだ。


 アルフレッドが何を言っても揺るがないほど、シノは自信があるのだろう。

 確かに、アルフレッドは負けている。男として選ばれなかった。勝っているのは身分だけだ。


「顔を合わせているだけで、不愉快だ。帰れ!」


 心のままに怒鳴っていた。自分の声に、特権階級独特の蔑みが混じっているのを感じ、自己嫌悪に陥る。

 自分の嫌な部分ばかりが引き出され、苦しくなった。


 そう。シノがおかしい。

 彼は相手にひたすら合わせる。何を言われても感情的にならず、ただこちらを観察する。これが気持ち悪い。

 たくさん話すのはこちらだけ。話しても話しても、ただただ定型文が返ってくるだけで、シノの気持ちは何も見えない。


 彼を色に例えるなら白。いや、濁った白。灰色か。

 反抗せず、言い訳もせず、こちらの言葉をただ受け止める。まるで雨水も雪解け水も泥水も、どんなに汚れた水も、注がれるまま吸い込んでいく排水溝のよう。

 アルフレッドは自身の想像の不気味さに、ゾクリと寒気がした。


 シノは静かに、彼を見据えていた。

 

「いいえ。このまま帰るわけには参りません」

  

 シノの灰色の目には、僅かに緑が混じっている。そのことに、アルフレッドは初めて気がついた。

 


今月中に更新予定です。

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