46.最良の隣2
アルフレッド視点、続きです。
飲酒シーン入ります。(彼らはこちらの世界に換算すると、20歳超)
成人してからというもの、人付き合いにお酒が付き物になった。
アルフレッドの場合、酔うと演奏出来なくなるので、一、二杯付き合う程度で終わらせる。
それが、今夜は違った。
ペルテノーラ帰国が目前に迫っているナータトミカは、起きたまま悪夢を見ているかのような暗い顔で、無言で酒坏を空け続けた。
ずっと泣き続けているので、いたたまれなかった。もっと早く止めれば良かった、と反省してももう遅い。
ナータトミカは突然、机に頭から打っ伏す。
「これは、どうするんだ」
養子院の次官を務める友人オスニエルが、綾織の裾をひらひらさせながら、机に乗った巨大なナータトミカの上半身を指差す。揺り動かしても、背中を力強く叩いても、全く起きない。ゴォォーゴォォーと悪魔のような寝息を立てていた。
「目覚めるまで、そっとしておこう」
アルフレッドは予備の毛布を持ってきて、彼の広い背中を覆う。
オスニエルは、音楽理論を語り合えるナータトミカを殊の外気に入っている。自らの整った頬を指先で突きながら、しんみりと訊いた。
「そんなに難しい恋なのか?」
「うーん。家柄とかは問題ないけど、本人が……ちょっと、難攻不落というか」
「私が知っている者か?」
「会ったことがあるはずだ。サギリといってね。ユーリの側人だよ」
二年前ユーリグゼナがペルテノーラに家出したときのこと。
アルフレッドと彼女は、ナータトミカの家で過ごした。金に困り、家の御用達にも逃げられるほど困窮した状況下に、ユーリグゼナの側人サギリは森から獣や野草を調達する。家中みんなの食料危機を救った。
ナータトミカはこの凛々しくも美しい年上の彼女に、恋をした。学校でもシキビルドでも、やたらとユーリグゼナの周りを彷徨き、サギリと接触を試みたものの、想いを伝えられることもなく終わったらしい。
アルフレッドはナータトミカの恋に、全く気づかなかった。卒業後、シキビルドでの音楽活動のため、サタリー家に滞在するようになって、ようやく彼の前途多難な恋心を知ったのだ。
先日、とうとうナータトミカは、サギリと二人きりで話すことに成功した。必死の告白に戻ってきた答えは……。
「なんでも『一生ユーリグゼナ様の側人を務めますので、家業は一切務めません。子どもは産んでも構いませんが、仕事中面倒見るのはずっと夫の役目になります』って言われたそうだよ」
「わー。家も育児も放棄って。体の良い断り文句だね」
「多分な。俺もサギリは断ったつもりだったと思う。でもナータトミカは『だったら、俺が全部やろう』って求婚した」
「えー」
オスニエルは、信じらんないと呟き、酒杯を置いた。
「そうしたら今度、徹底的に避けられるようになった。ナータトミカが会いに行っても、いつも不在。ユーリグゼナと会っても、サギリには巧妙に逃げられる──流石に酷いと思うよ」
「……どこが良かったんだ。そんな女」
心底嫌そうなオスニエルに答えたのは、地獄の底から響いたような低い声だった。
「……サギリはな。ユーリグゼナのことが、何より大切なんだ。だから、自分の気持ちや都合は全部後回しにしてしまう……」
「起きてたのか? 具合はどうだ?」
心配するアルフレッドに、ナータトミカは机に打っ伏したまま『駄目そうだ』と呟く。
「最初に気になったのは、合間に見せる寂しそうな顔だ。ユーリグゼナに仕えるときの穏やかな顔が嘘みたいに」
あの顔を穏やかと思えるのは、ナータトミカだけだと思う。
ナータトミカは、ほとんど独り言のように続けた。
「可愛いんだ。ユーリグゼナが笑うと、サギリは本当に嬉しそうに微笑むんだ」
「……そうか」
アルフレッドには、なかなか持てない感想だ。彼女の冷たい視線で、常に凍らされている。
オスニエルは、美容に良いという薬酒を傾けながら言った。
「まあナータトミカがその女を好きだとしてもだ。家のことも育児もしてくれないなら、結婚する意味ないんじゃないか?」
「いや……話して分かった。サギリは子どもが欲しいんだ。でも側人の仕事が優先だから、諦めている。だったら俺が子どもを持てるようにしてやりたい、って思った」
「本気? 音楽は演奏会はどうするんだ。遠征もこれから増える。どう考えても家を開けっ放しになる。子育てなんか無理だ」
「……そうだな」
気持ち悪そうに身体を起こすナータトミカに、アルフレッドは水を汲んで渡した。
「サギリのことは、急がなくていいだろう? またシキビルドに来たときでも。その次でも。いつかナータトミカを見てくれるかもしれない……」
アルフレッドはどこか祈るような気持ちで言っていた。
ナータトミカは水を一気に飲み干すと、カタンと器を机に置いた。
「いや。急ぎたい。サギリが子どもを欲しいなら、彼女のために急ぎたい」
音楽の地位をどう高めるかは、この一、二年が正念場だ。でもナータトミカはこの大切な一、二年をサギリのために使いたいのかもしれない。
シキビルドの特権階級において、卒業後は男女ともに即結婚、結婚後は早い妊娠出産を求められる。
パートンハド家惣領代理ヘレントールは十八歳で結婚し、フィンドルフ、アラントス、ユキタリスと息子三人の母親で、現在三十三歳。
同い年のサギリを、結婚適齢期と言う人はいないだろう。
「サギリは一人で生きていける人だ。俺なんか必要ない。でも彼女が後回しにする望みを、彼女の代わりに叶える資格を俺に貰えたら……って夢見てしまうよ」
◇
具合の悪いナータトミカを彼の部屋に連れていき、休ませた。
自室に戻り、オスニエルと二人きりになれば、すぐに音楽の話に花が咲く。
「へえー。金属筒打楽器、ペルテノーラ王に売るために鋳造からするの? あの美しい楽器を造る職人はシキビルドにいるんだ。凄い情報。私は絶対に漏らさないよ。こんな機密情報」
そんな反応、オスニエルを除けば誰もしない思う。でも確かにペルテノーラ王から依頼を受けていることも、シキビルド国内で製造できることも、公にしない方がいい情報だ。パートンハド家の者としては、漏らすべきではなかったかもしれない。
多分、アルフレッドは酔っていた。でも顔に出ていないらしく、オスニエルは気づかない。
「それってさ。養子院の音楽教師たち関係してる?」
結婚式で古式演奏を請け負った音楽仲間たちを、オスニエルはそう呼ぶ。
「……ああ。ユーリが考案して、彼らと職人が話し合って一から造った楽器だから」
「へえー。ユーリがねえ」
一音階、オスニエルの声が低くなる。
アルフレッドは口にしてた水割りの蒸留酒を、机の上においた。
「まだ嫌いか……ユーリのこと」
「うん。……確かに。昨夜の歌は本当に見事だったよ」
ユーリグゼナは養子院の食事会で歌ったらしい。かなり重要な話なのに、彼女は何も言わなかった。わざとだな……。
彼女が歌い人青であることを隠すから、アルフレッドからは何も聞けない。
「でもね。何でもしていいわけじゃない。例え王女であってもだ。そうだろ?」
「そうだな。……何があった?」
「私は夕食会の日は夜勤でね。定期的に見回りするんだけど……皆が寝静まった夜。ユーリが泊まっている部屋から、衣服を乱したシノが真っ青な顔で出てきたんだ」
聞きたくない。聞きたくない!
アルフレッドの動揺に、彼は気づかず話し続ける。
「王女とアルフレッドの婚約は、音楽を広めるのに有用なのは分かってる。奔放な彼女だけど、確かに音楽には真面目だし、貴重な音楽の情報を持っている。でもさ。男を襲うとか駄目だろう。しかもシノは非常に真面目で優秀で、養子院になくてはならない大事な人なんだ。ただ──王に仕える側人でもあるから、王女の好意を無下にできないんだろうな。声かけたら、『支障ございません』って消え入りそうに答えるし。あれ、王女を庇ってんだろうな」
「酷い話だ」
「そうだろう?!」
アルフレッドの同意に、ますます憤慨するオスニエルの誤解を解く気力はなかった。
名前も聞きたくない。それが本音。なのになぜ今、ユーリグゼナと何かあったなんて話、聞かなければならない。あまりに酷すぎる。
「流石にナンストリウスに報告したよ。ナンストリウスは朝、ユーリを呼び出して説教してた。その後ユーリは、シノに『申し訳ございませんでした』って青い顔で謝罪してたけど、シノはますます顔色悪くなるし。やっぱ、碌な女じゃないよ。あの王女」
もう帰れ。帰ってくれ!!
その心の叫びは口にしないまま、オスニエルを追い出す。
「悪い。何か眠くなってきた」
「そうか。じゃあ、そろそろ帰るわ」
「ナータトミカの隣部屋に、簡易寝台あるから泊まっていけば?」
「ああ。そうするー。睡眠不足は美容に悪いし、すぐ寝るよ。おやすみー」
ふわふわと綾織の服が優雅に舞う。
見送ったあと、残った酒を一気に煽り、すぐ寝た。
次話「最良の隣3」は来月更新予定です。
アルフレッドが青の正体に気づいたのは、養子院の演奏会(第2部70.青の曲)のときです。だから「ユーリのばーか」って怒ってました。




