45.最良の隣1
アルフレッド視点。
時は遡る。
アルフレッドがペルテノーラでの武者修行を終え、ユーリグゼナのもとに帰国した頃。
成人したアルフレッドは、正式にパートンハド家の養子となった。家の仕事である「目」の役目を見習う傍ら、王女の婚約者としての公務、音楽広報活動を掛け持ちするという、多忙な日々を過ごしていた。
そんな彼は、自室の片付けと引っ越し準備が追いつかず、未だに生家サタリー家で生活している。
◇
アルフレッドはペルテノーラ帰国後、シキビルドの政の中枢である御館に頻繁に通っている。
公務はさほど無い。主な目的は、日課である弦楽器の練習を、婚約者ユーリグゼナとともに励むこと。
彼女との音合わせは楽しい。ユーリグゼナはどんどん上達していく。演奏だけでなく、曲に込められた想いを読み話し合うことまでできるようになった。
友人オスニエルによると、毎回渋い顔で楽曲の授業を受けているらしい。その成果は、確実に出ていた。
アルフレッドはユーリグゼナと演奏できる日々が、楽しくてたまらない。
今日の弦楽器の練習を終え、ユーリグゼナは楽器を片付けながら彼に話しかけてくる。
「アルフ。ちょっといい?」
「ああ。どうした」
「あの、私……養子院の夕食会に招待されたんだ。この間テラントリーたちと作った焼菓子のお礼だって」
「へえ……楽しそうだな」
アルフレッドが全く楽しくなさそうな顔で言うのは、もう今更である。
「ただお礼を受け取るんじゃなくて、私からも鍵盤楽器を弾くのはどうかな。金属筒打楽器で演奏している曲なら、子どもたちが喜ぶかなって」
「いいんじゃないか」
「何曲か繋いで演奏したいのだけど、私、一度もやったことなくて……。アルフ。どうやるか教えてくれる?」
「ああ、それは」
彼は冷静沈着を装い、曲の繋ぎ方をいくつか教える。難なくできるようになった彼女は、お礼とともに、はっきりと告げたのだ。泊まりになる、と。
(ああ。いよいよなのか……)
アルフレッドは苦い気持ちとともに、唾を飲み込んだ。
◇◇
ユーリグゼナが夕食会に向かう夜。
一人ではいたたまれないアルフレッドは、祖父ペンフォールドの弟である連の店『楽屋』で夜を過ごす。
店で仮眠を取り、翌朝サタリー家に戻ると、ユーリグゼナの側人サギリから音声伝達相互システムがかかってきた。ユーリグゼナのものは壊れたままで、連絡手段がない。彼女の伝言は「会いたい」だった。
正直、会いたくない。しかも、アルフレッドの部屋を訪ねて来て、二人だけで話したいなど悪い予感しかしない。
それでも、彼は覚悟を決めて「待ってる」と伝言を頼んだ。
日が昇り朝の空気が温まった頃、ユーリグゼナが訪れる。どこかぼうっとした顔で、アルフレッドの側人が用意したお茶を口にしていた。話し始めるまでの時間が、やたらと長く感じる。
「アルフ。私、シノと話した」
何をだ。相変わらず大事な説明がない。でも今日の彼は、自分から質問する勇気がなかった。
「……そっか」
アルフレッドは曖昧なまま、相槌を打つ。
彼女はもう話し切ったような、すっきりした顔になっている。
「一緒にいられるよう、国を変える」
最愛の初恋の彼女は、唐突過ぎる言葉を凛として言った。
「シキビルドを身分で大切なことを諦めなくてもいい、不幸の少ない国に変えて見せる」
黒曜石のような黒い目は、真っ直ぐアルフレッドに向けられる。こうと決めたら、絶対に成し遂げる強い意志力。今まで音楽に限定されていた力が、もっと大きなことに使われようとしている。
「……そっか」
他に何が言える。好きな人のため、自分の殻を破って前に進もうとする彼女に。
「アルフ。これからも力を貸してくれる?」
濡羽色の艷やかな髪が揺れる。
「貸すさ。当たり前だろう」
「良かった。私、アルフがいないと何にも出来ないから」
「何にも、ってことは無いだろう」
ユーリグゼナは必死に、王女であろうと努力してきた。公式の場に出れば、彼女はやる。本来のゆるゆるした姿を知っているアルフレッドが心配になるくらい、気を張って、別人のように演じる。
「ううん。何にも、だよ」
少し甘えた姿を見せるのは、今では限られた身内にだけになった。その一番にアルフレッドが入っていると自負している。
「いつもありがとう。私、必ずアルフの隣に相応しい人間になる。待っててね」
ユーリグゼナの笑顔から溢れるのは、純粋な感謝と親愛。アルフレッドは、眩しさに深緑の目を細める。
今まで彼女が願いごとをするとき、後ろめたさが全面に出ていた。アルフレッドの想いに応えられない。なのにその好意を利用している。そう思っているのがありありと感じられた。
でも今は違う。彼女は狡さも、アルフレッドがどう感じているかも飲み込んだうえで、迷いなく気持ちを伝えてくる。
好きだな、と思う。背筋をすくっと伸ばす、前向きなユーリグゼナはますます綺麗だ。
十一歳のとき、入学式で初めて目にしたユーリグゼナは、誰をも寄せ付けない青白い少女だった。それが失敗を重ねながら、少しずつ変わっていく。そして今、アルフレッドの隣で花開こうとしている。
その努力が誇らしい。泣きながら、ひたむきに強くあろうとする姿が愛おしい。それを誰よりも見てきたのは、アルフレッドだ。
シノだろうと誰であろうと、この場所を渡す必要はない。ユーリグゼナが隣にいさせて欲しいと願うのは、アルフレッドなのだから。
ただ、彼女の隣に相応しい最良の人間であり続ければいい。これからもずっと。最後まで。
◇◇◇
ユーリグゼナが、ごそごそと紙袋を出しながら言う。
「お菓子貰ってきた……。アルフが嫌でなければ、一緒にどう?」
アルフレッドが甘い物好きと知っているのに、わざわざ嫌でなければと断ってくるのは、シノが作った菓子からだろう。
「いただくよ」
アルフレッドは自分の側人にお茶の用意を頼み、扉の外で待つ彼女の護衛フィンドルフを呼び入れる。
話題は自然と音楽の話になった。ペルテノーラ王の所望する金属筒打楽器の支払いが揉めている件を話しているとき、不意に扉が叩かれた。
アルフレッドは立ち上がり、扉を開ける。
サタリー家に滞在中の客人、ナータトミカの大きな身体が隙間から見えた。
「ああ、アルフレッド。客だったか。すまない。出直す」
「構わない。……ユーリ。ナータトミカだ」
ユーリグゼナはぴょこんと立ち上がり、アルフレッドの隣に駆け寄っていた。黒曜石の目が煌めく。
「こんにちは。ナータトミカ。ちょうど良かった。ペルテノーラでの楽器の価格について聞きたくて……」
相変わらず音楽が関わると、彼女はいきなり話し始めてしまう。
ナータトミカが扉の外で固まっていたので、アルフレッドは部屋の中へと促す。人サイズとは思えない靴がのっそりと絨毯を深く踏みしめ、部屋の中へと進む。
フィンドルフが立ち上がり、挨拶をする。
「こんにちは。ナータトミカ。先にお茶を頂いていました」
合同演奏会でシキビルドを取り纏める彼と、ペルテノーラを取り纏めていたナータトミカは、気心の知れた間柄だ。
「……」
ナータトミカは黙って、フィンドルフを見下ろす。この世の終わりのような顔になっていた。
「……すみません。俺で」
「謝らないでくれ! フィンドルフ! ……悪いのはこちらだ。無礼な態度をとって、本当に申し訳ない」
ますます悲愴感漂わせながら平謝りする大男を、ユーリグゼナがぽけっと見て呟いた。
「……今日は良くない日、か」
席に着いたフィンドルフが、ユーリグゼナへ尋ねるのが聞こえる。
「なんだ? ユーリ」
「最近のナータトミカは、私に会うと一喜一憂するの。何でだろう」
「ユーリ…………。まだ気づいてないのか」
「私、何か気づいていないの?」
「……俺からは言えない。いい加減気づけ!」
彼女の従弟でもあるフィンドルフは、ユーリグゼナに当たりがきつい。それはどこか愛情を感じさせるものだったが、今日は機嫌の悪さも手伝っているように見える。
(フィンドルフは多分、同志だよな)
アルフレッドにとって、今日は葬式だ。いつか来ると分かっていても、初恋の彼女が別の男と添うのを見るのは耐え難い。
今夜はどうせ眠れない。友人を招いて酒でも飲もう。
音声伝達相互システムでオスニエルに連絡を取った。今夜は仕事が無いそうだ。喜んで遊びに来てくれるという。
彼は有り難い友人だ。音楽の話なら、徹夜をしても付き合ってくれる。片想い中のナータトミカも誘って、三人で楽しい夜を過ごそう。
次話「最良の隣2」は今週中に更新予定です。




