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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第3部

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42.恋の変

遅くなりました。

長めの話になりました。

 今夜は新月だった。

 ユーリグゼナは、星が煌めく冬空を見上げる。ナンストリウスの言う月は、いったい何だったのか……。


「ユーリグゼナ様をお待たせするなんて、本当に失礼な男……」


 サギリの声は、吹き抜ける北風より冷え切っている。

 ユーリグゼナにシノを責める気持ちは起きない。きっと今ごろ、子どもを寝かしつけているのだろうと、想像が膨らんでいた。


「サギリと待つのは楽しいよ。一緒に星を見るなんて、久しぶり」

「……そうですね。月が無いので、いつもよりたくさん星が見えます」


 サギリの声に温かみが戻る。

 ユーリグゼナは穏やかな気持ちで、もう一度見上げた。








「お待たせして、申し訳ございません……」


 早足で庭に現れたシノの吐く息が、白くなって空気に溶けていく。

 ユーリグゼナの暗がりに慣れた目は、シノをとらえていた。じわりと潤んでくる。


(会えた。会えたよぉ……)


 間近に見る彼の姿は美しく、色気すら感じさせるほどだ。

 シノの方も彼女を見つめたまま、口を噤んでしまった。互いに固まっているところに、サギリの咳払いがゴホン、と入る。

 先にシノが覚醒する。


「……見て欲しいものがあるのです。一緒に来てくれますか?」


 ユーリグゼナは急いで頷く。

 シノがホッと息をつく。


「庭を整備中なので、足元には気を付けて……」


 彼は一度片手を空に浮かせたが、そのまま握りこんでしまった。

 くるりと踵を返した彼の後を、ユーリグゼナは、てくてくついていく。あのまま手を差し出してくれたら……とあらぬことを考えていた。本当は彼に触れたくて堪らない。でも、まともじゃないと分かっているから、口には出さない。


 

 

 

 シノはユーリグゼナの足元に目を配りながら、案内する。

 庭は地面のあちこちが掘り起こされ、奥へと進むにつれて穴ぼこの深さは増していく。


「今、花と木を植える準備をしています」


 シノの言葉に、ユーリグゼナは思わず笑みがこぼれた。前に二人で語った夢の庭を、現実のものにしてくれようとしている。

 

「ブルーナから聞きました。苗は彼の恩人が用意してくれるそうですね? ……あっ。あの」


 今さらになって思い出した。ブルーナに家族のことを問い詰められたとき、無断でシノの名前を出した。面倒に巻き込んだのだから、何よりまず謝る方が先だ。


「例の件で……勝手にシノを指名してしまいました。申し訳ありません」


 ブルーナの出生にはアルクセウスから緘口令が出されていて、破った場合は契約魔法により表沙汰になる。シキビルドの立場を悪くするわけにはいかない。注意して話したら、言葉少なになってしまう。


 シノはすぐに理解し、頭を振って答える。


「問題ございません。だいたい伝えました。デリケートな話ですが、私なら契約魔法に影響しません。お役に立てて良かった。今回は自分が平民であることを、少しだけ得意に思いましたよ」


 シノには珍しく、軽口が混じる。

 案外彼は、本当に平民であることを楽しんでいるのかもしれない。

 シノは万能人だ。礼儀作法や言語、側人としての能力は言うに及ばず、勤勉で誠実な仕事ぶりは誰もが認めるところだ。職人並みの手先の器用さ、何より美味しいお茶とお菓子とパンにかけては、彼の右に出る者はいない。


 身分など有っても無くても、彼の価値は損なわれない。それほど完璧な人間だと思う。

 その彼が、今夜はとても楽しそうにしている。


「実はユーリグゼナ様と庭の草木の話したあとすぐ、匿名で寄付のお話がありまして」

「へっ? へえ」


 彼女は内心の動揺をやり過ごす。


「……庭の整備に使って欲しいと、一筆ありまして」

「ほっ、ほう?」


 ユーリグゼナは、シノに予算に囚われず庭づくりをしてほしくて、ありったけのお小遣いを寄付した。しかし寄付金が思った通りに使われるか分からない。庭造り以外に使われたら、残念過ぎる。それでつい、サギリに『庭の整備に……』と余計な一文を添えるよう指示してしまったのだ。

 

「非常に助かりました。一言お礼申し上げたいので、ぜひ名乗り出て欲しいのです……」


 流し目がユーリグゼナでとどまる。彼女はふいっと顔をそらした。

 

「シノ。それ……分かっていて、言ってます、よね?」

「どうでしょう」

「……シノ」


 なかなか意地が悪い。


「木登りできる木、実が生る木を購入しました。花の苗もシキビルド原産中心で選びました。──見て欲しいです。植栽の日に招待したい」


 そんなの行きたいに決まってる。


「……喜んで」


 ユーリグゼナが折れると、シノは嬉しそうに笑った。


「楽しみです」

「私もです。とても楽しみ。シノ……二人で話したこと、形にしてくれて、ありがとうございます」

「…………」

「どうしました?」

「…………この先はさらに足元が悪いです」


 シノは美しい所作で、手を差し出す。

 ユーリグゼナは逸る気持ちを懸命に押しとどめながら、彼の手にゆっくり指先を乗せた。その瞬間、左手全部がふわりとシノの手の中に閉じ込められる。義務的なエスコートとは違うそれは、彼女の鼓動を一気に高め、幸せにした。


 シノは池の前まで彼女を連れていく。以前、玻璃の球を滑らせ中身をこぼしてしまったあの池だ。

 淡く光る水面に、彼女の目は吸い寄せられる。


「気を付けてください」


 身を乗り出す彼女の手を、シノはきゅっと握りしめる。


「シノ。これって……」

「はい。息を吹き返して、一気に数が増えています」

 

 水面は微かに青緑色に発光している。無数の小さな小さな生き物たちが、波立つ水際を踊るように光っていく。


「シノ…………塩……入れましたね?」


 海に住む生き物だった彼らが、ここで生育している理由はそれしかない。そういえば、こぼしてしまったとき、シノは塩分調整して生き延びさせようとしていた。


「入れてませんよ。ユーリグゼナ様に止められましたからね。生態系を壊すのは良くないと、私も納得しましたし」

「それなら、なぜ?」

「実はこの池の水、塩が含まれていたのです。海水ほどではありませんが、塩味がします」

「舐めたのですか?」

「はい。少し」

「……おなか壊します」

「平気ですよ。これでもペルテノーラでは、ライドフェーズ様のお毒見役を務めていました。私は元々毒に強い質ですし、ご心配には及びません」


 シノは何でもないことのように微笑んだ。

 

 ライドフェーズがペルテノーラの王子だった当時、味方が少なく、何度も命を狙われたと聞く。

 シノはどんな不利な条件下でも、目の前のできることを精一杯やる。平民の側人という弱い立場だろうとも、知力を尽くして守ってきただろう。

 養子院の演奏会でのウーメンハン代表捕り物の際も、調査に優れた手腕を見せた。卓越した人間観察力と度胸は、叔母ヘレントールに絶賛されている。


(凄い人なのだと、もう知ってる)


 そんな特別な彼がユーリグゼナを特別扱いしてくれるのは、彼の主ライドフェーズの養女だから。シキビルドにとって大事な王女だから。──それ以上の意味はない。

 過剰な期待はシノを苦しめる。上の立場にある彼女が、それを理解していなければならない。


 でも、どうしたらいいのだろう。ユーリグゼナはどうしても、シノがいいのだ。

 

「私はこれを、あなたに見せたかった」

 

 彼は薄ら光る池の水面を見ていた。彼の優しい声が、彼女の胸を締め付ける。


 彼女の気持ちが分かろうはずもないシノは、嬉々として池の淵にユーリグゼナをしゃがませた。

 自らも腰を落とすと、懐から見覚えのある球状の玻璃(ガラス)を取り出した。蓋をポンっと開け、池の水にジャボンと浸ける。球体が池の水で満たされると、再び蓋をキュッと閉めた。容器の中の小さな生き物たちが仄かに光る。


 シノは手布で周りの水滴を拭き取ると、笑顔でユーリグゼナに差し出す。


「ようやくお返しできます」

「でも、シノ……私は」


 また弱らせ、光を失わせてしまう。

 彼女はもう、普通ではいられない。自制心が保てない。歪な想いは膿み始め、今にもシノを汚してしまいそうだ。


「また弱ってしまったら、池の水と取り換えればいい」

「……シノ。私は」


 この美しい贈り物に似合う人間ではない。

 シノの人を喜ばせようとする純粋な思いに、下心を抱いてしまう。受け取ってしまったら最後、もう止められないだろう。


 頑なに受け取ろうとしない彼女の様子に、ついにシノは差し出す手を下ろす。


「……ずっと眠っていたのです。だからもう死んだものと、願うのは無駄なことだと、そう思っていました」

「シノ?」


 水の中で光る小さな生き物たちの話、でいいのだろうか。シノの声がどこか仄暗い。


「それが私の中で変わってきたのは、本当に最近のことです。池の水面が囁くように光り始めるのを見て、もう生きていける条件が揃ったのだと。願いを言葉にしても許される。そんな世界に変わったのだと、思うようになりました」

「シノ……それは、この生き物たちの話……ですよね?」


 ユーリグゼナが水面を指差しながら問うと、シノは曖昧に笑った。


「どうでしょう」

「……シノ」

「私にとっては重い玻璃(ガラス)の器ですが、軽い気持ちで受け取っていただけませんか。あなたの負担にならないよう努めます」


 彼は改めて差し出す。祈るような厳かな佇まいに、周りの空気がピンと張り詰める。

 ユーリグゼナの手は震えていた。それでも玻璃(ガラス)に手を伸ばす。シノが願うというなら、叶えよう。難しいことであっても、応えたかった。


「確かにお預かりしました。出来る限りのことをすると誓います」

「……生き物の世話を頼んだわけではないですよ」


 シノの心配そうな声は、ユーリグゼナの解釈が自惚れでなかったことを裏付ける。

 

「はい。理解しています。新商品として売り出し、収益を得ましょう。私には販路の伝があります。広報活動に、王女の地位は有効です。シノの期待に応えられるよう、最大限力を尽くします。演奏会で話題にすれば」

「ユーリグゼナ様!」


 話し途中で妨げられる。シノが『ええ。分かっていましたとも。そう簡単に伝わらないって』と、盛大なため息をついた。


「これはあなただけに作りました。他の誰にも売るつもりはありませんよ」

「私だけに、ですか?」

「そうです。……ユーリグゼナ様。お聞き苦しいかと思いますが、聞いてくれますか?」


 ユーリグゼナは首をこくんと動かす。

 彼の話は何でも聞きたい。


 シノは物憂げに視線を落とした。

 

「私は……人なら当然持ち合わせているはずの感情を失っています。何を見ても心が動かない……。でもそれでは生きていくのに支障が出るから。いつも笑顔を絶やさず、相手が期待することは事前情報で割り出し、先んじて行うことで、人の心が分かるフリを装う」


 彼の声がか細くなっていく。吐かれる息の白さに、音にならないたくさんの熱を感じる。


 ユーリグゼナは、シノが愛情深い人だと知っている。


 彼は相手の希望を汲む。それが下調べした結果だとしても。義務感や偽善心からだとしても。実際にたくさんの人を癒し、救ってきたのだから、充分だろう。


 それに、シノはちゃんと人を思っている。ライドフェーズと接する彼を見れば明白だ。

 それなのに彼本人が、欠けていると言うのはなぜ? どうして、そんなにも強く自身を否定する。

 

「一番厄介なのが、恋愛感情でしたね。全く理解できない上……対象にされ、求められるのが気持ち悪くてたまりません。特に女性から迫られるのは恐怖でしかありませんでした。たとえ側人の仕事中であっても、一度秋風を送られたら、テルに仕事を押し付けて逃げ出していましたよ」


 自分のことではないか。ユーリグゼナは身体を凍らせる。

 シノから探るような灰色の目を向けられ、息が出来なくなる。


「孤児院にいた頃、毎晩大人の相手を強要されていました」

「……」

「その時に一度、私の心は死んだのでしょう。何が起きても、何も感じなくなりました。妹が死んでも涙一つ出ませんでした」


 シノの顔から感情が抜け落ちていくのを見て、未だに彼を苦しめ続けているのだと分かった。自分の傷と似た匂いを感じる。


「不快な話ばかり、すみません。でもあなたには聞いて欲しかった。…………私にとって、ユーリグゼナ様だけが特別です。あなたにだけ、感情が湧き上がるし、愛しさで自分を制御出来なくなる。非常識なことを願ってしまう」


 彼女は全身を傾けて聞いていた。

 ああ、もし今感じているものが勘違いなら、今死にたい。


「ユーリグゼナ様。私はあなたが好きです」


来月更新予定です。。

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