41.月がきれいな夜
本年もありがとうございました。
謝礼金を貰えるほどに成長した子どもたちの金属筒楽器の演奏。精魂込めて作ってくれた芋餅。
何をすれば、このお礼になるのだろう。
(きっと、何をしても足りない……)
ユーリグゼナはため息をつきながらも、どこか幸せな気持ちだった。
返しきれなくても精一杯返そう。少しでも喜んでもらえたら、また次も。何度も何度も返していこう。
夕食が終わったあと、ユーリグゼナは五角堂へと移動する。
演奏予定の演目を鍵盤楽器で最終確認をするうちに、聴き手が集まってきた。子どもたちのほか、今回は養子院を支え続けている調理場や世話係にも、良ければどうぞと声をかけた。忙しいのにも関わらず時間を作ってくれたのだろう。見知った顔が見え、嬉しい。
先頭に座る子どもたちが『何を弾くんだろう』と、キラキラの笑顔でユーリグゼナを見ていた。彼女は緊張感を滲ませながら、鍵盤に手を走らせていく。
「あっ。『レンベル』だ!」
思わず声を上げた子に、他の子どもたちが『しっー!』と口に人差し指を当てる。
そう、子どもたちがいつも金属筒楽器で弾いている曲ばかり、切って繋いで奏でていく。聴き馴染んだ曲に、子どもたちは興奮気味だ。
知っている曲でも、楽器が違う。編曲もしている。よく練習している子たちほど真剣な表情をしている。
感度の高い観客の反応に、ユーリグゼナの演奏も熱を帯びていく。
(楽しい……。とても)
人が喜んでくれるのが、何より嬉しい。
編曲なんてアルフレッドよりずっと拙い。技術もまだまだ全然。でも今は、そんなこと気にならない。もっとみんなを楽しませたい。もっと。もっと。
パラパラ パラパラ
雨粒が五角堂の屋根に落ちる。鍵盤楽器が止み、静かになった五角堂内部に雨音が響いていく。
(……この曲を弾こうとすると、雨が降ることになっているのだろうか)
ユーリグゼナは雨に音を借りながら、卒業式のあとの演奏会で弾いた『時の円舞曲』を奏で始める。
不穏な音を織り交ぜ、嵐の前の静けさから一気に上昇、下降を繰り返す。ずっと並走してきた踊りの拍が、主旋律を飲み込み、五角堂を包みこんでいく。
温かい拍手に、ユーリグゼナは我に戻る。雨は止んでいた。
最初に五角堂で演奏会を開こうとしたきっかけは、叔父アナトーリーと養子院担当者たちへ感謝を伝えたかったからだ。それがペルテノーラ王カミルシェーンに邪魔され、四国代表者を招いた演奏会に変えられてしまった。その後も、ユーリグゼナ自身が養子院を避け続けたために、養子院を支える彼らへの気持ちは伝えられないままだ。
(まあ、焼菓子はとっても喜んで貰えたみたいだから)
シノのために作るつもりが、広範囲になってしまったことを、今では良かったと思っている。
(どうか、こちらも楽しんで貰えますように)
ユーリグゼナは楽屋で歌っている曲を、鍵盤楽器用に書き換えた。知っている曲なら、聴いてもらいやすい。青の歌なら平民の知名度は抜群だ。
ティッタッティラ
ティッタッティラ
ティッタッティラ ジャン!
小切れよく音拍を上げていく。上がった先で、語るように鍵盤楽器は歌い出す。元々スリンケットの卒業祝いに歌った歌は、今では楽屋の定番になっていた。
案の定、曲を知っている者がいたらしい。厨房係たちから手拍子が始まった。突然大人が盛り上がり、呆然としていた子どもたちも、次第に手拍子に加わる。
ユーリグゼナは過度に集中していく。観客に応えたい。それだけだった。欲しい音、望んでいる音を次々に形にする。手拍子が歓声がそれに呼応する。
(ずっと、弾いていたい。いや違う……。歌いたい!)
望まれている。応えたい。
この曲が終わるまでに、ユーリグゼナは心を決めた。
最後は、『朧月夜』という母と父の思い出の曲だ。父ベルンが楽屋で弾いていたから、年配の人は知っているかもしれない。
前曲から一転。鍵盤楽器で一音一音、ゆっくりと空気を震わせる。手拍子は消え、観客はただ耳を傾けていた。
ユーリグゼナは、もう一つ楽器を足す。
「えっ、声……?」
誰かの言葉が静けさを割る。始めの一瞬、ざわりとしたものの治まった。
ユーリグゼナはとどめることなく、自分の声で旋律を奏でる。鍵盤楽器の音は華やかに伴奏を彩る。
火も色も人も音も全てを霞める、朧月夜。
そうシキビルドの古語で綴られる春の歌は、五角堂の物にも人にも沁みていく。
ユーリグゼナは大きな拍手と歓声、それにキラキラ舞い散る光の粒で、心を取り戻した。
大人も子どもも驚きと興奮を隠せない顔で、彼女に向けて手を叩き続けている。
正気に戻ったユーリグゼナは、いつにも増して緊張していた。やってしまった感で、身体が動かなくなる。
そこへ、つかつかとナンストリウスが舞台に上がってきた。いつもの美しい所作が崩れ、彼女に向けた顔が引きつっている。
彼はくるりと観客の方に向き直ると、いつもの優雅な彼に戻りふわふわと笑う。
「彼女の初めてとは思えない、素晴らしい歌声に、今一度、拍手を」
盛大な拍手とともに、大人たちから声がかかる。
「いいぞ!」
「良かったぞ!」
ユーリグゼナは固まっていた。
(何か言わないと……)
しかし、楽屋でも観客に言葉を返せたことがない。いきなり今、話せるようになるわけがない。
ナンストリウスに腕が掴まれ、ヒョイッと引き上げられる。彼は耳元で囁いた。
「とりあえず、笑って」
彼に導かれまま、彼女は観客の前に立つ。精一杯口角を上げる努力をする。再びナンストリウスの小声が聞こえる。
「今、君はなに?」
彼女の耳から、周りの音が掻き消えていった。
「君はユーリ。気まぐれで養子院を手伝う、豪商の子ども。でしょう?」
ユーリグゼナはようやく、自分がどう振る舞えばいいのか、分からなくなっていたことに気付いた。
(そうだ。私は……)
彼女は舞台から、無邪気に手を振る。
拍手の音が更に激しくなる。可愛い声が飛んできた。
「ユーリ! かっこいい!」
「俺の家来にしてやるぞ!!」
「ブルーナ。また、そんなこと言って!!」
子どもたちの声に、彼女は緊張が解けた。今頃になって、身体が汗でぐっしょり濡れていることに気付いた。
拍手と歓声のなかナンストリウスに手を引かれ、ようやく五角堂を出る。廊下をたどる道に、二人の重い沈黙が落ちていく。
ナンストリウスは自室につくと、灯を入れユーリグゼナを招き入れる。魔法で着火した暖炉の火が、パキパキと音を立て、徐々に部屋を温めていく。
「……久しぶりに、肝が冷えた。現地語も歌も出来るのバラしちゃうなんて。ついでに王女だってバラしちゃう?」
ナンストリウスの軽口は、今ひとつ勢いがない。顔色も幾分青く見える。
「音楽に夢中になって、正気を失うなんて。君は一体どういうつもり」
「ご迷惑おかけして、申し訳ございません」
ユーリグゼナは目を伏せ、謝罪する。
舞台の上で、いつの間にか『ユーリ』とは違う者になっていた。青もユーリグセナも混ざった、音楽のためなら何でもやる彼女の本性が剥き出しになった。ナンストリウスが上手く誤魔化してくれなかったら、何をしでかしたか……そう思うと怖い。
「助けていただき、ありがとうございました」
「……やっぱり君は青なんだって、思い知ったよ。真摯に歌う君の、変声魔術機械の無い声が、こんなに……うっ……」
ナンストリウスは呻きながら、手のひらで額を覆う。薄紅梅色の豊かな髪が震えていた。
「……衝撃的だったよ。久々に超えた。いろいろ」
「超えた? いろいろ?」
「まあ、君はさ。これからもきっと上手くいかないだろうから、どうにもならなくなったら、僕が引き取ってあげる」
いろいろ失礼なことを言われている。
「私、もう養子院に入れる年じゃありませんよ」
「ハハ。大丈夫。ちっちゃいし、未成年にしか見えない」
冗談だろうか。冗談だとしても、何なのだろう。今夜の彼は。
「……ナンストリウス。今日はなかなかに……酷……辛辣ですね」
「君の声のせいだよ」
「……すみません」
ユーリグゼナは謝る以外にない。とにかく人前で歌うのは誤りだった。特権階級の人間が、奏でるのは楽器だけ。普通の平民だって、人前で歌うのは職業にしている者だけだ。
「なんか惜しくなった」
「何がでしょう」
「でも君は、久々に僕を突き動かした。幸せにした。その分の対価はあっていいと思う」
「……あの」
ナンストリウスはユーリグゼナに答えない。顔すら見ない。
「だから……夜、みんなが寝静まったら庭に出ておいで」
「えっ? 庭?」
「今日のシノの仕事は、子どもたちの就寝まで。養子院が静かになったら、庭に出てくるよう、僕から話してある」
なんと答えて良いのか分からない。シノに会わせてくれようというのか?
ユーリグゼナの気持ちを汲み取ってくれているとしても、彼女にとっては感謝の気持ちより戸惑いのほうが強い。
彼がようやく彼女の方を見た。急いで言う。
「ナンストリウス。よく分かりませんが、庭に行きます。ご配慮ありがとうございます。でも……シノは……。きっと、夜に呼び出されて怒っているでしょうね」
「なぜ? だってシノから泊まってほしいって誘われたのでしょう?」
そういえば、そうだった。
「夜でなければいけない、用があるんだよ。君がシノにいかがわしいことをしなければ、問題ないはずだ」
前回、誤って魔法的に問題な行為をしたため、ナンストリウスの信頼は得られていない。
「二度と禁忌は犯しません。どうかご安心を」
「……いや、なんか。やっぱり君、分かってないよね?」
「私、また何か間違いを……?」
「どうだろう。今夜は僕もいろいろ間違ってるから、分からなくなったよ」
ユーリグゼナは首を傾げた。彼はいつも飄々としていて、相手を油断させながら先の先まで読んで動く。そんな彼が間違うだろうか。でも確かに今夜は少しおかしい。
「ナンストリウス。何かあったのですね?」
「君のせいでね」
「言いたくないのなら、かまいません。ただ思慮深いあなたらしくなくて、心配です」
「思慮深い……ね」
彼の笑顔は、どこか寂しそうに見えた。
「僕だって、月がきれいな夜は血迷うよ」
「……月、ですか?」
演奏中の雨が止み、雲が晴れて月が出たのだろう。それはどれほど綺麗だろう。ユーリグゼナは、ふふっと笑う。
「そうですね。私が興奮し過ぎたのも、月のせいかもしれません」
ナンストリウスに話を合わせたつもりだった。
しかし彼は何も答えず、目をつむってしまう。調子に乗ってしまった彼女に、怒っているのだろうか。
ユーリグゼナは自らの失敗を改めて反省する。楽屋以外では二度と歌わない。そう、心に誓った。
次話「恋の変」は、来月更新予定です。
みなさま、良いお年をお迎えください。




