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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第3部

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183/198

41.月がきれいな夜

本年もありがとうございました。

 謝礼金を貰えるほどに成長した子どもたちの金属筒楽器の演奏。精魂込めて作ってくれた(シルクアン)餅。

 何をすれば、このお礼になるのだろう。


(きっと、何をしても足りない……)


 ユーリグゼナはため息をつきながらも、どこか幸せな気持ちだった。

 返しきれなくても精一杯返そう。少しでも喜んでもらえたら、また次も。何度も何度も返していこう。


 

 夕食が終わったあと、ユーリグゼナは五角堂へと移動する。

 演奏予定の演目を鍵盤楽器(ピエッタ)で最終確認をするうちに、聴き手が集まってきた。子どもたちのほか、今回は養子院を支え続けている調理場や世話係にも、良ければどうぞと声をかけた。忙しいのにも関わらず時間を作ってくれたのだろう。見知った顔が見え、嬉しい。


 先頭に座る子どもたちが『何を弾くんだろう』と、キラキラの笑顔でユーリグゼナを見ていた。彼女は緊張感を滲ませながら、鍵盤に手を走らせていく。


「あっ。『レンベル』だ!」


 思わず声を上げた子に、他の子どもたちが『しっー!』と口に人差し指を当てる。

 そう、子どもたちがいつも金属筒楽器で弾いている曲ばかり、切って繋いで奏でていく。聴き馴染んだ曲に、子どもたちは興奮気味だ。

 知っている曲でも、楽器が違う。編曲もしている。よく練習している子たちほど真剣な表情をしている。


 感度の高い観客の反応に、ユーリグゼナの演奏も熱を帯びていく。


 (楽しい……。とても)


 人が喜んでくれるのが、何より嬉しい。

 編曲なんてアルフレッドよりずっと拙い。技術もまだまだ全然。でも今は、そんなこと気にならない。もっとみんなを楽しませたい。もっと。もっと。

 


 


パラパラ パラパラ

  

 雨粒が五角堂の屋根に落ちる。鍵盤楽器(ピエッタ)が止み、静かになった五角堂内部に雨音が響いていく。


(……この曲を弾こうとすると、雨が降ることになっているのだろうか)


 ユーリグゼナは雨に音を借りながら、卒業式のあとの演奏会で弾いた『時の円舞曲』を奏で始める。

 不穏な音を織り交ぜ、嵐の前の静けさから一気に上昇、下降を繰り返す。ずっと並走してきた踊りの(リズム)が、主旋律を飲み込み、五角堂を包みこんでいく。

 温かい拍手に、ユーリグゼナは我に戻る。雨は止んでいた。


 

 最初に五角堂で演奏会を開こうとしたきっかけは、叔父アナトーリーと養子院担当者たちへ感謝を伝えたかったからだ。それがペルテノーラ王カミルシェーンに邪魔され、四国代表者を招いた演奏会に変えられてしまった。その後も、ユーリグゼナ自身が養子院を避け続けたために、養子院を支える彼らへの気持ちは伝えられないままだ。


(まあ、焼菓子はとっても喜んで貰えたみたいだから)


 シノのために作るつもりが、広範囲になってしまったことを、今では良かったと思っている。


(どうか、こちらも楽しんで貰えますように) 


 ユーリグゼナは楽屋で歌っている曲を、鍵盤楽器(ピエッタ)用に書き換えた。知っている曲なら、聴いてもらいやすい。(セイ)の歌なら平民の知名度は抜群だ。



 ティッタッティラ

 ティッタッティラ

 ティッタッティラ ジャン!



 小切れよく音拍(テンポ)を上げていく。上がった先で、語るように鍵盤楽器(ピエッタ)は歌い出す。元々スリンケットの卒業祝いに歌った歌は、今では楽屋の定番になっていた。


 案の定、曲を知っている者がいたらしい。厨房係たちから手拍子が始まった。突然大人が盛り上がり、呆然としていた子どもたちも、次第に手拍子に加わる。

 ユーリグゼナは過度に集中していく。観客に応えたい。それだけだった。欲しい音、望んでいる音を次々に形にする。手拍子が歓声がそれに呼応する。


(ずっと、弾いていたい。いや違う……。歌いたい!)


 望まれている。応えたい。

 この曲が終わるまでに、ユーリグゼナは心を決めた。




 最後は、『朧月夜』という母と父の思い出の曲だ。父ベルンが楽屋で弾いていたから、年配の人は知っているかもしれない。


 前曲から一転。鍵盤楽器で一音一音、ゆっくりと空気を震わせる。手拍子は消え、観客はただ耳を傾けていた。

 ユーリグゼナは、もう一つ楽器を足す。


「えっ、声……?」


 誰かの言葉が静けさを割る。始めの一瞬、ざわりとしたものの治まった。

 ユーリグゼナはとどめることなく、自分の声で旋律を奏でる。鍵盤楽器の音は華やかに伴奏を彩る。


 火も色も人も音も全てを霞める、朧月夜。

 そうシキビルドの古語で綴られる春の歌は、五角堂の物にも人にも沁みていく。


 ユーリグゼナは大きな拍手と歓声、それにキラキラ舞い散る光の粒で、心を取り戻した。

 大人も子どもも驚きと興奮を隠せない顔で、彼女に向けて手を叩き続けている。


 正気に戻ったユーリグゼナは、いつにも増して緊張していた。やってしまった感で、身体が動かなくなる。

 そこへ、つかつかとナンストリウスが舞台に上がってきた。いつもの美しい所作が崩れ、彼女に向けた顔が引きつっている。

 彼はくるりと観客の方に向き直ると、いつもの優雅な彼に戻りふわふわと笑う。


「彼女の()()()とは思えない、素晴らしい歌声に、今一度、拍手を」


 盛大な拍手とともに、大人たちから声がかかる。 

 

「いいぞ!」

「良かったぞ!」


 ユーリグゼナは固まっていた。


(何か言わないと……)


 しかし、楽屋でも観客に言葉を返せたことがない。いきなり今、話せるようになるわけがない。

 ナンストリウスに腕が掴まれ、ヒョイッと引き上げられる。彼は耳元で囁いた。


「とりあえず、笑って」


 彼に導かれまま、彼女は観客の前に立つ。精一杯口角を上げる努力をする。再びナンストリウスの小声が聞こえる。


「今、君は()()?」


 彼女の耳から、周りの音が掻き消えていった。


「君はユーリ。気まぐれで養子院を手伝う、豪商の子ども。でしょう?」


 ユーリグゼナはようやく、自分がどう振る舞えばいいのか、分からなくなっていたことに気付いた。


(そうだ。私は……)


 彼女は舞台から、無邪気に手を振る。

 拍手の音が更に激しくなる。可愛い声が飛んできた。


「ユーリ! かっこいい!」

「俺の家来にしてやるぞ!!」

「ブルーナ。また、そんなこと言って!!」


 子どもたちの声に、彼女は緊張が解けた。今頃になって、身体が汗でぐっしょり濡れていることに気付いた。

 拍手と歓声のなかナンストリウスに手を引かれ、ようやく五角堂を出る。廊下をたどる道に、二人の重い沈黙が落ちていく。 






 ナンストリウスは自室につくと、灯を入れユーリグゼナを招き入れる。魔法で着火した暖炉の火が、パキパキと音を立て、徐々に部屋を温めていく。


「……久しぶりに、肝が冷えた。現地語も歌も出来るのバラしちゃうなんて。ついでに王女だってバラしちゃう?」


 ナンストリウスの軽口は、今ひとつ勢いがない。顔色も幾分青く見える。


「音楽に夢中になって、正気を失うなんて。君は一体どういうつもり」

「ご迷惑おかけして、申し訳ございません」

 

 ユーリグゼナは目を伏せ、謝罪する。

 舞台の上で、いつの間にか『ユーリ』とは違う者になっていた。(セイ)もユーリグセナも混ざった、音楽のためなら何でもやる彼女の本性が剥き出しになった。ナンストリウスが上手く誤魔化してくれなかったら、何をしでかしたか……そう思うと怖い。


「助けていただき、ありがとうございました」

「……やっぱり君は(セイ)なんだって、思い知ったよ。真摯に歌う君の、変声魔術機械の無い声が、こんなに……うっ……」


 ナンストリウスは呻きながら、手のひらで額を覆う。薄紅梅色の豊かな髪が震えていた。

  

「……衝撃的だったよ。久々に超えた。いろいろ」

「超えた? いろいろ?」

「まあ、君はさ。これからもきっと上手くいかないだろうから、どうにもならなくなったら、僕が引き取ってあげる」


 いろいろ失礼なことを言われている。

 

「私、もう養子院に入れる年じゃありませんよ」

「ハハ。大丈夫。ちっちゃいし、未成年にしか見えない」


 冗談だろうか。冗談だとしても、何なのだろう。今夜の彼は。

 

「……ナンストリウス。今日はなかなかに……(ひど)……辛辣ですね」

「君の声のせいだよ」

「……すみません」


 ユーリグゼナは謝る以外にない。とにかく人前で歌うのは誤りだった。特権階級の人間が、奏でるのは楽器だけ。普通の平民だって、人前で歌うのは職業にしている者だけだ。


「なんか惜しくなった」

「何がでしょう」

「でも君は、久々に僕を突き動かした。幸せにした。その分の対価はあっていいと思う」

「……あの」


 ナンストリウスはユーリグゼナに答えない。顔すら見ない。


「だから……夜、みんなが寝静まったら庭に出ておいで」

「えっ? 庭?」

「今日のシノの仕事は、子どもたちの就寝まで。養子院が静かになったら、庭に出てくるよう、僕から話してある」


 なんと答えて良いのか分からない。シノに会わせてくれようというのか?

 ユーリグゼナの気持ちを汲み取ってくれているとしても、彼女にとっては感謝の気持ちより戸惑いのほうが強い。


 彼がようやく彼女の方を見た。急いで言う。


「ナンストリウス。よく分かりませんが、庭に行きます。ご配慮ありがとうございます。でも……シノは……。きっと、夜に呼び出されて怒っているでしょうね」

「なぜ? だってシノから泊まってほしいって誘われたのでしょう?」


 そういえば、そうだった。


「夜でなければいけない、用があるんだよ。君がシノにいかがわしいことをしなければ、問題ないはずだ」


 前回、誤って魔法的に問題な行為をしたため、ナンストリウスの信頼は得られていない。


「二度と禁忌は犯しません。どうかご安心を」

「……いや、なんか。やっぱり君、分かってないよね?」

「私、また何か間違いを……?」

「どうだろう。今夜は僕もいろいろ間違ってるから、分からなくなったよ」


 ユーリグゼナは首を傾げた。彼はいつも飄々としていて、相手を油断させながら先の先まで読んで動く。そんな彼が間違うだろうか。でも確かに今夜は少しおかしい。

 

「ナンストリウス。何かあったのですね?」

「君のせいでね」

「言いたくないのなら、かまいません。ただ思慮深いあなたらしくなくて、心配です」

「思慮深い……ね」


 彼の笑顔は、どこか寂しそうに見えた。


「僕だって、月がきれいな夜は血迷うよ」

「……月、ですか?」


 演奏中の雨が止み、雲が晴れて月が出たのだろう。それはどれほど綺麗だろう。ユーリグゼナは、ふふっと笑う。


「そうですね。私が興奮し過ぎたのも、月のせいかもしれません」


 ナンストリウスに話を合わせたつもりだった。

 しかし彼は何も答えず、目をつむってしまう。調子に乗ってしまった彼女に、怒っているのだろうか。

 ユーリグゼナは自らの失敗を改めて反省する。楽屋以外では二度と歌わない。そう、心に誓った。



次話「恋の変」は、来月更新予定です。

みなさま、良いお年をお迎えください。

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