40.祖父の餅
ユーリグゼナ視点の続き。少し長めです。
ナンストリウスからの手紙は、側人サギリ宛だった。
サギリは開けた手紙を、机の上に置きっぱなしにしてくれていた。
手紙とは別に、違う筆跡で夕食会から翌朝までの詳細な予定表がある。護衛としてサギリが必要な情報が網羅されていた。
(シノの手だ)
とても読みやすい。が、個性のない手習いの見本のような文字は、伝えることだけに特化している。私心を全く入れない強い精神性が窺えた。
シノが王女の教育係としてユーリグゼナの側にいた頃、彼女はこの文字で書かれた内容を何度も読み込み、覚え練習してきた。
久しぶりに手にした筆跡に、そっと触れる。手先からじわっと痺れていく。
◇
約束の日の夕方。ユーリグゼナは、側人兼護衛のサギリとともに養子院へ入った。
彼女たちを歓迎しようと、子どもたちは夕食会の前に金属筒楽器の演奏を準備していた。
その席順で、ユーリグゼナは自分の立ち位置を知る。
先に来ていたテラントリーは、代表のナンストリウスの隣。サギリはユーリグゼナから離され、副代表オスニエルの隣に席を準備された。
ユーリグゼナの隣は……。
「まかせろ。俺がきっちり、もてなしてやるぜ!」
にっと笑うブルーナの前歯が一本欠けている。
離れた大人席から、謝罪や懇願が入り混じった視線が飛んでくる。『役目を与えないと、何するか分からないから、どうかお願いいたします!!』と、心を読まなくて聞こえてくるようだ。
(……私は多分。裕福な商家の子、くらいに思われてるんだろうな)
共通語を話している時点で、普通の平民ではない。だが、特権階級にしては気品が、大人にしては身長が足りないのだろう。衣服も平民に準じているから、尚更だ。
金属筒楽器の演奏のため、子どもたちは席を立つ。ブルーナだけは残り、あとはまかせろ、とばかりに手を振る。赤茶色のくせ毛がふわふわ揺れる。
周りに人がいなくなると、ブルーナは神妙な顔でこそこそ耳打ちをしてきた。
「この間は助かった」
ユーリグゼナは、ブルーナに出生のことを尋ねられた。しかし緘口令をひかれているため、彼女から話すことはできない。だから良くないと分かっていながら、平民で契約魔法の外にいるシノの名前を出した。
「大事な人は、大丈夫だったの?」
赤子のブルーナを見つけて、養子院に届け出てくれた恩人が、行方不明だという。彼女を助けるため、親の力を借りたいと泣きつかれた。
助けるのなら、まず代表のナンストリウスに相談してみては? と言ったら、すでに断られたという。なんだかナンストリウスらしくないように感じるが、契約魔法に触れるのを恐れたのかもしれない。
「うん。仕事でいなかっただけだって。ばあちゃん、花屋でさ。今度養子院の庭に木と花を植える立ち会いに来るんだ」
彼が嬉しそうで、何よりだ。
ティンティラ ティンティラ
ティラティラ ティラリラ
淀みなく美しい音色が重なっていく。数え切れないほど奏でている『レンベル』は、安心して聴いていられる曲だ。
(みんな上手くなったな……)
練習を始めて二年。今ではたびたび演奏を依頼され、演奏料を受け取れる程になった。ユーリグゼナは思わず涙ぐむ。
ブルーナに『ほんっと、ユーリって、よく泣くなあ』と、ぐしゃっとした手布取り出し、ガシガシ顔を拭かれる。洗濯したものであることを祈る。
演奏が終わり、食堂に向かうと、すでに夕食が並べられていた。
お米を炊いて丸めた『おにぎり』、煮豆を米麹と混ぜ発酵させた味噌の汁物『味噌汁』、海の生き物である魚に塩をして焼いた『焼き魚』。くず野菜を米の糠に漬け込んだ『ぬか漬け』。
いつもの養子院の夕食でもてなすと、ナンストリウスの手紙にあった。
これが普通だとすれば、なかなか変わっている。
「いつもより豪華〜。おにぎりは握るのが大変だし、大きな魚は数が揃わないからって、あんまり出してもらえないんだぞー」
と、もてなし隊ブルーナから説明を受ける。
膳からは湯気が立ち昇り、美味しそうな匂いがする。冷める前に食べたい。
空席が目立つが、客人のため、先に食事の前の挨拶をしてくれるらしい。
「大地と海の恵み、神々の英知に感謝いたします」
養子院の子どもは、食事を前に両手を合わせていた。そして、二本の細い木を使って食べ始める。まるでパートンハド家のように。
(なんで……?)
祖父ノエラントールと母ルリアンナは、シキビルド産の食材、廃れてしまった昔の文化を、精力的平民へ広めていた。
当時、特権階級に引っ張られ、平民もパンを主食に大型の動物を食べるようになっていた。
それと逆行するように、パートンハド家の領内では、米の作付けを増やした。当時全く見向きもされなかった海で、良質なタンパク源である魚介類を求めた。
意外と広まっていたのだろうか。
黙々と食べるユーリグゼナに、ブルーナが得意気に言う。
「おいしいだろー」
「うん。とても」
「俺はおにぎりが大好きなんだ」
「そう。私も好きだよ。養子院では、お米や味噌や魚がよく出されるの?」
「出る。おいしいんだけど、魚がさー。いつものは小さくて骨がたくさんあって、食べるの面倒なんだよー」
口を尖らすブルーナの頭が、いきなりガクガク揺らされる。頭を揺らす主は、彼女もよく知るフィンドルフの側人だった。
「うお。爽!」
ブルーナの頭を、ポンポンと少々手荒に撫でる。
「ブルーナ。ちゃんともてなしてる?」
「おう。完璧だぜ」
爽は苦笑いをすると、ユーリグゼナの隣に座った。養子院を出た彼は、客人の一人という立ち位置らしい。
「ねえ。爽。……養子院のご飯は、前からこうなの?」
「平民風、という意味ですか?」
「うん。まあ。それにしても独特だけど」
発酵食品や魚料理が、平民の食事と言えるほど広がっているのか、ちょっと疑問である。
「シノさんがいらしてからです。以前は、パン主食の特権階級の食事でした。ただ僕たちは……こっそりおにぎりや芋を口にしてましたね」
「こっそり?」
「はい。こっそりです」
シノ以前の養子院は、常に食料が足りなかった。見た目の良い子どもに充分与えられ、それ以外は少ない量で堪え忍ぶしかなかった。額に大きな傷のある爽は、それ以外に入る。
お腹を空かした子どもたちを満たしたのは、子ども部屋の隅に隠すように置かれた、おにぎりや芋だ。
「一体、誰が?」
「それは、未だに分かりません。……ある日を最後に、ピタリと無くなりました」
「……急に無くなって、大丈夫だったの?」
「はい。ちょうどシノさんが養子院にいらした頃でしたから」
爽が嬉しそうに笑った。
シノが来て、普通に食事が全員に行き渡るようになったという。
「最後のこっそりおやつは、お餅でした。年明けに毎年全員分用意されていた祝餅。私たちにとっては、特別なものです。──今夜、みんなであなたのために作りました」
わらわらと子どもたちが入室してきた。空いた席が埋まっていく。
腕を組んだブルーナは、鼻息荒く言う。
「遅い! 待ちくたびれたよ〜」
「ブルーナは何もしてないじゃないか!」
「つまみ食いばっかりして、調理場から追い出されたクセに!」
ぷりぷりしている子どもたちで、近くの空席も埋まっていく。
(あ……)
最後尾にシノが見えた。成人が近い子たちと一緒に、給仕している。
その姿を目にしただけで、彼女の身体はしゅっとした。気持ちが静かになる。なんというか、落ち着いた。
おやつは黄金色をしたお餅だった。
「黒。これはウマイぞ! 特別にきな粉をたくさんかけてやる」
ブルーナは豆の粉末を盛大にぶっかけた。当然、ユーリグゼナの皿の周りは粉が飛び散った。
「もう! 綺麗にかけてよ!」
「ユーリに変なあだ名つけないで!」
「ブルーナ。お礼とか、説明とかちゃんとしろよ!」
ブルーナがなにかするたびに、非難轟々。ユーリグゼナの机だけ、やたらうるさい。
でも、それで良かった。
「これは芋を餅と練って作ったんだ。芋は苗からみんなで育てた。この間の焼菓子はほんっっっとーに、うまかった!! ありがとな……なあ、なんで泣く?」
祖父ノエラントールは年の暮れに芋餅を大量に作った。そして年が明けると、領内に近所、とにかくみんなに配った。
本来年明けに食べるのは、蒸した米を突いた餅だ。
でも餅になる品種は収穫分量が少なく、同面積で、ご飯用の米の四分の一しか採れない。
不作が続き、餓死者も出るようになったシキビルドでは、もう作るべきではない贅沢品だった。
『でも祝いたい時って、あるだろう?』と、祖父は作付けを減らしても、止めることは無かった。
たっぷり食べさせたいからと、餅の四倍量の蒸した芋を入れ、練って練って練ってとろとろのふわふわにした芋餅に、すり潰した豆の粉と貴重な砂糖をかけた。
餅ではない。でもそんな気になる。
手間がかかる。でもその分みんなで食べられる。
ユーリグゼナにとって、最高の贅沢品だ。
そのパートンハド家の贅沢品を、祖父はみんなに配ったのだ。この養子院の子どもたちにも。みんなが良い年を迎えられるように、と。
芋餅を前に、静かに泣き出した彼女の顔を、またブルーナは手布で力任せに拭こうとする。
「大丈夫。ごめん……」
こんなことでは駄目だ。みんなに作ってもらえて、みんなで食べられて嬉しい。それを伝えなければ。
「こんなにたくさん練り上げるの、大変だったでしょう」
ユーリグゼナは笑顔で尋ねた。
蒸した芋と餅をとろとろになるまで練り上げるのは、力と根気がいる。
「みんなでやったの!」
「大きい子たちが最後仕上げてくれた!」
「僕たちもね、蒸すのは手伝ったんだよ!」
上気したたくさんの顔が、キラキラした目でユーリグゼナを見た。
「綺麗な黄色だね。美味しそう」
甘そうな色だ。芋はたくさん実らせるより、甘く作るほうが手間がかかる。
子どもたちは我先に、と答える。
「でしょう! みんなで一生懸命育てたの!」
「交代でお世話したの」
「なかなか大きくならなくてね」
「甘くなるのに時間かかって大変だった!」
遠いところからも返す子がいて、騒然となる。
そこでなぜかブルーナがしゃしゃり出てきた。
「まっ。そんなことはいいから、食おうぜ」
「「「「「ブルーナが言うな!!」」」」」
そこはみんなの声が揃った。
ユーリグゼナは忍び笑いを、両手の平で隠す。どうにか押し止めると、両手をそっと合わせ、軽く目をつむった。
「いただきます」
他の子も倣う。皆がいそいそと食べ始めた。
ふわふわして、もちっと、とろっとしてほんのり甘い。芋餅にくっついた甘い粉の一部は、水気を吸って黒い蜜になる。一緒に食べると、口の中に香ばしさとしっかりした甘さが広がった。
子どもたちの顔が綻んでいる。大人たちも、みんな……。
次回は、ユーリグゼナの演奏です。来月更新予定。
セットリスト入れておきます。
養子院の五角堂にて 子どもたちへお礼を込めて
鍵盤楽器による独奏
演者:ユーリグゼナ
1 金属筒楽器のための『レンベル』『異国人に恋する少女の歌』他、メドレーを鍵盤楽器アレンジにて
2 『時の輪舞曲』
卒業式後の演奏会で弾いた三重奏を、鍵盤楽器アレンジにて
3 『さきゆく君におくる歌』
スリンケットの卒業祝いに贈った歌を鍵盤楽器アレンジにて
4 『朧月夜』
父ベルンと母ルリアンナの思い出の曲。鍵盤楽器アレンジの予定でしたが……。




