39.小麦と髪飾り
ユーリグゼナ視点。
移動型金庫と現金の話。長めです。
ユーリグゼナは、子どもたちの金属筒打楽器の練習を見るため、養子院に来ていた。今日もシノには会えない。これはもう、呪いか何かに違いない。
「本日はこれまで」
「ありがとうございました!」
子どもたちは元気いっぱいの声で、散らばっていく。教えた以上に上手くなる。次の演奏会が楽しみだ。
一緒に教えていた音楽仲間たちが、帰りの準備を始めていた。
「あの!」
仲間たちが、ユーリグゼナを振り返る。
「……力を貸して欲しくて」
ペルテノーラ王カミルシェーン、金属筒打楽器の注文が入った。前回一緒に試行錯誤した彼らから、どうにか協力を取り付けたかった。
話を聞いた仲間の一人が、真剣な顔で言う。
「で、いくらで買ってもらえるんだ?」
「……まだ決まってない」
「特権階級は気分次第で買い叩く。先に金額を契約してからがいいぞ」
高価な資材と手間のかかる工程。代金が貰えなければ、大赤字だ。
ペルテノーラ王が、払わないわけは無……いや。カミルシェーンは確実に難癖をつける。気をつけよう。
「分かった。みんなに支払えなくなったら大変だもの。現金先払いにしてもらう!」
「いや。そこは移動型金庫でいいから」
「え? なんで?」
移動型金庫は魔法で縛られたお金だ。平民は受け取れない。
「嬢ちゃんが全額受け取れ。あとから現金にして支払ってくれればいい」
「え? なんで?」
「いいから!」
ぴしゃりと言われ、彼女は面食らった。いつも陽気で、頼りになるお兄さんたちが、今日はちょっと不機嫌。
◇
シキビルド王ライドフェーズと側近たちは、朝一で、簡単な打ち合わせをしている。
教育係セシルダンテの勧めで、ユーリグゼナも同席するようになった。最近、側近たちがトゲトゲしい。
「何かあったのですか?」
淡々と打ち合わせを終え、執務室に向かおうとするライドフェーズを、ユーリグゼナは呼び止めた。
振り返ったライドフェーズの眉間には、相変わらずシワがよっている。そこへセシルダンテの声がかかる。
「王。ご説明が必要ですよ。ユーリグゼナ様は、この国の王女です」
「……そうだな。よし、セシルダンテ。しばらく執務から離れるぞ。──ユーリグゼナ。来い!」
ライドフェーズはまんざらでもない顔に変わり、スタスタ自室へ歩いていく。セシルダンテの慌てた声が、彼を追う。
「王。すぐお戻りくださいよ! 皆で決済をお待ちしておりますゆえ!」
「善処しよう」
言葉のみ返し、振り向かない。彼の歩みは速度を増す。
サボれる!! という心の声が聴こえるようだった。
相変わらずのライドフェーズぶりに、ユーリグゼナは思わず笑ってしまう。
久しぶりのライドフェーズの部屋は、備品が減りスッキリしていた。セルディーナの気配が無いのは、他の部屋に移されたからだろうか。
彼は床に敷かれた、草で編まれたマットのようなものの上に、黙って横になった。ふやけた果実のように、一気萎れ、王らしさが皆無になる。
「お疲れですか」
「おう。とてもな」
「今回の件、関係あります?」
「大アリだ」
その辺に座れと、座椅子を指差される。ユーリグゼナは腰を下ろし、そのまま背中を預けた。
(うわあ。楽〜)
素晴らしい座り心地。このまま眠れる勢いだ。
「起き上がれなくなりそうです」
「いいぞ。私もこのままダラけていよう」
セシルダンテさえ来なければな……と、ぼやく声が聞こえる。
「何があったのですか?」
ライドフェーズは半分起き上がり、つまらなそうな顔で頬杖をついた。
「…………ユーリグゼナ。パートンハド家では物品を買う際、何で支払う」
「現金です」
「移動型金庫は使わないのか?」
「制服の購入には使いました。でも他は平民の店で揃うので、ほぼ現金です」
「……つくづく特殊な一族だな」
ライドフェーズの目は遠くを見ていた。
「普通の特権階級は、すべての物品を御用達に調達してもらい、移動型金庫で支払う」
移動型金庫は、各国の特権階級、上流階級が使う国際魔法通貨だ。100ベルでパン一斤、もしくはパン二斤分の原料である小麦一袋が買えるよう、契約魔法で縛られており、価値は揺るがない。
対してシキビルド現地通貨単位ニョンは、シキビルドの平民しか持たず、移動型金庫と比べ流通量が遥かに小さい。そして家の御用達によってレートが違う、というとんでもないことがまかり通っている。──貨幣価値は無いも等しい。
「なんか聞いただけで気分が悪くなりました。特権階級、なんでもありじゃないですか」
「……パートンハド家は貯蓄も現金か?」
「そうです。領内で収穫した余剰分を町で売って、現金化します」
「…………………………そうか」
「なんですか? その間は」
ライドフェーズの表情は冴えない。
「特権階級の領内で採れた小麦は、普通は国が買い上げる。代金は各家の財産管理をしている御用達に預ける。移動型金庫で小麦一袋100ベル。国際基準通りにな」
「へー」
どうして彼は、苦虫を潰したような顔をしているのだろう。
「…………御用達が国に申請すれば、小麦代の移動型金庫を現金に両替することができる」
「へー。小麦一袋100ベルは、何ニョンです?」
「400ニョンだ」
「え? 小麦一袋は、せいぜい200ニョンですよ?」
「しかし国は400ニョンで替えるのだ。ちなみに戦前は800ニョンだった。それを私が半分にした。戦勝国の横暴だと叩かれながらな!」
ユーリグゼナは訳が分からなくなった。
「町で買えば200ニョンで買えるものを、400ニョン、ましてや800ニョンで買うわけ無いじゃないですか。払い過ぎた国が損するだけです。なぜそんな意味がないことを?」
ライドフェーズの不快そうな重低音が、耳に届く。
「……ユーリグゼナ。意味はあるぞ。大アリだ。特権階級は、領内で収穫した小麦を移動型金庫に変えれば、御用達から買える物品はニ倍になる」
移動型金庫は、錬金術か何かなのだろうか。現金にすると価値が二倍とは、これはいかに?!
「しかも終戦まで国は、特権階級に与えるニョンを何の担保もなく鋳造し続けた。物価は上がり、現金生活者を圧迫する」
ユーリグゼナはしばし沈黙する。
「あの……」
「なんだ?」
「なぜお金をたくさん造ると、物価が上がるのですか?」
「馬鹿者!」
ユーリグゼナは身を縮める。
ライドフェーズから『勉強不足だと、セシルダンテに厳しく言いつけておく』という、恐ろしい言葉が聞こえた。
◇◇
物価が高騰しても、国は放置した。特権階級の生活を優先したからだ。
主食だった米は、特権階級が食べないのでさほど値上がらなかった。芋も野菜も果物も、平民の食べ物は同じく。服飾品は例外だが、もともと平民は手作りする。糸や布が値上がったら、その分服を作らなくなるだけ。
階級が違えば、生活も違う。平民なんだから、値上がったら質素に生きればいい。現金の価値が低くてもさほど問題はない。そう特権階級に解釈され、放置され、今に至る。
「ずっと、誰も何もしなくて。他国も見て見ぬふりだったのですね」
内政不干渉は、国の基本だ。
「いや、非難していたぞ。前政権の時からずっとだ」
「そうなのですか?」
「シキビルドとの取引のせいで、移動型金庫の契約魔法に不具合が出るのだ。先日、ついに調停者アルクセウス様から正式な是正勧告が出された」
「ど、どうするんですか……」
「どうもこうもない。──他からもだ。ウーメンハンはシキビルドからの密輸が年々増えている。取締機能が破綻寸前までいっている。ついに『何とかしないと、訴える!』と言ってきた」
「訴えるって、調停者に?」
「そうだ。四カ国協議になる。シキビルドは不利な条件を突きつけられるぞ」
「本当に、どうするんですか……」
シキビルドが敗戦してから、少しずつ上向いて来た経済。こんなところで逆戻りさせたくない。
「しかもこんな情勢下に、紐の髪飾りを百個、国外に持ち出そうとした馬鹿がいてな」
「百個?!」
「捕まったシキビルドの青年は、ウーメンハンの商人から『運ぶのを手伝って欲しい』と頼まれたそうだ。罪の意識が皆無で、『日用品を持ち出すとなぜ駄目なんですか? ただの髪飾りですよ?』と、規制対象の高額取引商品であることを理解しなかった」
「……私も髪飾りが高級品だなんて、今知りましたよ。平民にとっては、ただの家庭内の手仕事。そんな認識持てないでしょうね」
うんうんと同情的な言葉を連ねるユーリグゼナに、ライドフェーズは眉間のシワを深くした。
「お前が、価値を押し上げたんだぞ」
「私、ですか?」
「卒業式で身につけただろう? 王女には地味過ぎると批判された、アレだ。評判になっている」
「まだ批判されているのですか?」
大事な髪飾りに、まだとやかく言われるのだろうか。
「なんて顔してる。逆だ。今では、糸を組んだ紐の美しさが評価されている。この間シノから試作品を借りたろう? カンザルトルで量産予定だったが、再現できる技術者が数人しか見つからない。しかも、一つ仕上げるのに何日もかかる……結果、入手困難な高価な品になった」
「シノの手は凄すぎますからね。他の方を見本にすれば良かったですねー」
自慢げな笑みが隠せていない彼女に、ライドフェーズは意地悪そうな顔をした。
「ああ、確かに凄すぎる。特に緑の編みが見事だそうだ。──ユーリグゼナは卒業式のパートナーに学校長を選んだ。彼の黒目の虹彩には、僅かに緑が混じっている。髪飾りの緑はその色だという話だ」
「違います!!」
シノの虹彩に混じる、美しい緑。アルクセウスのではない。
「お前が怒るとは珍しい」
「別に怒ってません!」
「噂になっても仕方あるまい。お前が卒業の時に来ていた制服は、黒に銀糸。アルクセウス様の目と髪の組み合わせだ。──アルクセウス様はお前の目と髪の色に合わせ、綾のある艶やかな黒い装いだった」
「ただの偶然です!」
嫌でたまらなかった。そんなつもりは全くなかったのに、勝手に本当のように言われるのは不愉快だ。
(髪飾りは灰色から薄い緑色まで、少しずつ色味を変えたグラデーション。シノの目以外に結びつかない。なのにっ!)
その緑がたくさんの人の目に触れていると知って、嫌だった。自分だけが知るシノの色なのだと、心に秘めていたのに、汚されたようだった。
「シノの灰色の目に僅かに混じる緑は、とても美しい。そのことを最初にシノに教えたのは、私だ」
ライドフェーズが、ふふんと余裕そうに笑う。なんだかムカムカする。
「シノは真っ赤になって照れていたな。当時まだ十三歳で、本当に可愛かった」
「……」
「私が言ったから、自分の色だと認識したんだぞ」
「……ライドフェーズ様」
まだ言う気だろうか。
「虹彩の緑は分かりにくい。シノは伏目がちだからな。でも私にはいつも、緑が混じる目を真っ直ぐに向けてくれる」
「……ライドフェーズ様。意地悪ですか?」
「いや。普通に話している」
「嘘です。絶対、わざとです」
「そうか。ではなぜ、お前はシノの目の話で、そんなにふくれっ面になる?」
自覚がなかったユーリグゼナは、自分のほっぺたを、急いで揉みほぐす。
「……シノは私のことも、見てくれますよ。緑が混じる灰色の綺麗な目で……いつも」
もう心の内をそのまま話すより、ほかに返事のしようがない。彼女の顔はどんどん熱くなっていく。
「そうか。良かったな」
「はい」
「私は、シノが髪飾りに緑を入れたことが、結構悔しかったのだ」
「私も、シノの緑が他の人に広まって、悔しいです」
「お前、シノのこと大好きだろう」
「ライドフェーズ様の方こそ」
◇◇◇
ライドフェーズは、ゆっくり起き上がった。
「貨幣の格差は、早急に是正しなければならない。だから、側近たちに提案した。御用達へ支払う小麦の現金価格を、400ニョンから200ニョンにする。通貨の両替ルートも100ベルを200ニョンと国で定める。とな」
「それがいいと思います」
価値のねじれは、だいぶ是正される。解決に向かうように思えた。
「……ユーリグゼナ。これが何を意味するか、考えてから言え」
「どういうことですか?」
「特権階級にとっては、シキビルドの物価が二倍に跳ね上がるということだ。国外の商品を買って生活している裕福な家は、この際どうでもいい。しかし下位で貧しい者は、移動型金庫の高い現金率を頼みに、どうにか食いつないでいると聞く。……押し通せば、死人が出る」
ユーリグゼナの顔が強ばった。見えていなかった事情が見えた途端、不平等への怒りは萎んでいく。変えることで、虐げられる者がいる。しかし、このまま放っておくこともできない。
「……だから、日増しに緊張が高まっているのですか」
「そうだ」
「側近たちはライドフェーズ様の意見に反対なのですね」
「そうだ」
ユーリグゼナは、ぐっと喉がつかえた。
ライドフェーズは静かな目をしていた。
「ユーリグゼナ。パートンハド家は戦前から、頑なに領地の小麦を移動型金庫に換えようとしなかったと聞く。そもそも作付けのほとんどは米らしいな。芋や豆の栽培、養鶏、海洋資源の利用など、他家とは違う路線ばかりに私財を投じていた。なぜだか分かるか?」
分からなかった。おじい様と母様が何を考えていたのか、全く分からなかった。
「学べ。私は、お前なりの答えを聞きたい」
そう言って微笑むライドフェーズに、王らしい気品を感じる。
ユーリグゼナは自分の使うお金がどうなっているのか、何も知らずに生きてきた。この情けなさと恥ずかしさは、どうやったら無くなる。
◇◇◇◇
打ちひしがれたまま自室に戻ると、養子院の代表ナンストリウスから手紙が届いていた。夕食会の詳細が決まったらしい。
張り詰めた心が緩んでいく。
(会える……)
酷い心持ちのときほど、シノがいい。会いたい。ユーリグゼナは、自分の心に呆れた。
次回来月中更新です。




