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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第3部

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39.小麦と髪飾り

ユーリグゼナ視点。

移動型金庫(トラキース)と現金の話。長めです。


 ユーリグゼナは、子どもたちの金属筒打楽器の練習を見るため、養子院に来ていた。今日もシノには会えない。これはもう、呪いか何かに違いない。


「本日はこれまで」

「ありがとうございました!」


 子どもたちは元気いっぱいの声で、散らばっていく。教えた以上に上手くなる。次の演奏会が楽しみだ。


 一緒に教えていた音楽仲間たちが、帰りの準備を始めていた。


「あの!」


 仲間たちが、ユーリグゼナを振り返る。


「……力を貸して欲しくて」


 ペルテノーラ王カミルシェーン、金属筒打楽器の注文が入った。前回一緒に試行錯誤した彼らから、どうにか協力を取り付けたかった。

 話を聞いた仲間の一人が、真剣な顔で言う。


「で、いくらで買ってもらえるんだ?」

「……まだ決まってない」

「特権階級は気分次第で買い叩く。先に金額を契約してからがいいぞ」


 高価な資材と手間のかかる工程。代金が貰えなければ、大赤字だ。

 ペルテノーラ王が、払わないわけは無……いや。カミルシェーンは確実に難癖をつける。気をつけよう。


「分かった。みんなに支払えなくなったら大変だもの。現金先払いにしてもらう!」

「いや。そこは移動型金庫(トラキース)でいいから」

「え? なんで?」


 移動型金庫(トラキース)は魔法で縛られたお金だ。平民は受け取れない。


「嬢ちゃんが全額受け取れ。あとから現金にして支払ってくれればいい」

「え? なんで?」

「いいから!」


 ぴしゃりと言われ、彼女は面食らった。いつも陽気で、頼りになるお兄さんたちが、今日はちょっと不機嫌。


 

 

 ◇





 シキビルド王ライドフェーズと側近たちは、朝一で、簡単な打ち合わせをしている。

 教育係セシルダンテの勧めで、ユーリグゼナも同席するようになった。最近、側近たちがトゲトゲしい。


「何かあったのですか?」


 淡々と打ち合わせを終え、執務室に向かおうとするライドフェーズを、ユーリグゼナは呼び止めた。

 振り返ったライドフェーズの眉間には、相変わらずシワがよっている。そこへセシルダンテの声がかかる。


「王。ご説明が必要ですよ。ユーリグゼナ様は、この国の王女です」

「……そうだな。よし、セシルダンテ。しばらく執務から離れるぞ。──ユーリグゼナ。来い!」


 ライドフェーズはまんざらでもない顔に変わり、スタスタ自室へ歩いていく。セシルダンテの慌てた声が、彼を追う。


「王。すぐお戻りくださいよ! 皆で決済をお待ちしておりますゆえ!」

「善処しよう」


 言葉のみ返し、振り向かない。彼の歩みは速度を増す。

 サボれる!! という心の声が聴こえるようだった。

 相変わらずのライドフェーズぶりに、ユーリグゼナは思わず笑ってしまう。




 久しぶりのライドフェーズの部屋は、備品が減りスッキリしていた。セルディーナの気配が無いのは、他の部屋に移されたからだろうか。

 彼は床に敷かれた、草で編まれたマットのようなものの上に、黙って横になった。ふやけた果実のように、一気萎れ、王らしさが皆無になる。


「お疲れですか」

「おう。とてもな」

「今回の件、関係あります?」

「大アリだ」


 その辺に座れと、座椅子を指差される。ユーリグゼナは腰を下ろし、そのまま背中を預けた。


(うわあ。楽〜)


 素晴らしい座り心地。このまま眠れる勢いだ。


「起き上がれなくなりそうです」

「いいぞ。私もこのままダラけていよう」


 セシルダンテさえ来なければな……と、ぼやく声が聞こえる。


「何があったのですか?」


 ライドフェーズは半分起き上がり、つまらなそうな顔で頬杖をついた。


「…………ユーリグゼナ。パートンハド家では物品を買う際、何で支払う」

「現金です」

移動型金庫(トラキース)は使わないのか?」

「制服の購入には使いました。でも他は平民の店で揃うので、ほぼ現金です」

「……つくづく特殊な一族だな」


 ライドフェーズの目は遠くを見ていた。


「普通の特権階級は、すべての物品を御用達に調達してもらい、移動型金庫(トラキース)で支払う」


 移動型金庫(トラキース)は、各国の特権階級、上流階級が使う国際魔法通貨だ。100ベルでパン一斤、もしくはパン二斤分の原料である小麦一袋が買えるよう、契約魔法で縛られており、価値は揺るがない。


 対してシキビルド現地通貨単位ニョンは、シキビルドの平民しか持たず、移動型金庫(トラキース)と比べ流通量が遥かに小さい。そして家の御用達によってレートが違う、というとんでもないことがまかり通っている。──貨幣価値は無いも等しい。

 

「なんか聞いただけで気分が悪くなりました。特権階級、なんでもありじゃないですか」

「……パートンハド家は貯蓄も現金か?」

「そうです。領内で収穫した余剰分を町で売って、現金化します」

「…………………………そうか」

「なんですか? その()は」


 ライドフェーズの表情は冴えない。


「特権階級の領内で採れた小麦は、()()()国が買い上げる。代金は各家の財産管理をしている御用達に預ける。移動型金庫(トラキース)で小麦一袋100ベル。国際基準通りにな」

「へー」


 どうして彼は、苦虫を潰したような顔をしているのだろう。

 

「…………御用達が国に申請すれば、小麦代の移動型金庫トラキースを現金に両替することができる」

「へー。小麦一袋100ベルは、何ニョンです?」

「400ニョンだ」

「え? 小麦一袋は、せいぜい200ニョンですよ?」

「しかし国は400ニョンで替えるのだ。ちなみに戦前は800ニョンだった。それを私が半分にした。戦勝国の横暴だと叩かれながらな!」


 ユーリグゼナは訳が分からなくなった。


「町で買えば200ニョンで買えるものを、400ニョン、ましてや800ニョンで買うわけ無いじゃないですか。払い過ぎた国が損するだけです。なぜそんな意味がないことを?」


 ライドフェーズの不快そうな重低音が、耳に届く。


「……ユーリグゼナ。意味はあるぞ。大アリだ。特権階級は、領内で収穫した小麦を移動型金庫トラキースに変えれば、御用達から買える物品はニ倍になる」


 移動型金庫トラキースは、錬金術か何かなのだろうか。現金にすると価値が二倍とは、これはいかに?!


「しかも終戦まで国は、特権階級に与えるニョンを何の担保もなく鋳造し続けた。物価は上がり、現金生活者を圧迫する」


 ユーリグゼナはしばし沈黙する。


「あの……」

「なんだ?」

「なぜお金をたくさん造ると、物価が上がるのですか?」

「馬鹿者!」

 

 ユーリグゼナは身を縮める。

 ライドフェーズから『勉強不足だと、セシルダンテに厳しく言いつけておく』という、恐ろしい言葉が聞こえた。



 

 ◇◇


 


 物価が高騰しても、国は放置した。特権階級の生活を優先したからだ。

 

 主食だった米は、特権階級が食べないのでさほど値上がらなかった。芋も野菜も果物も、平民の食べ物は同じく。服飾品は例外だが、もともと平民は手作りする。糸や布が値上がったら、その分服を作らなくなるだけ。

 

 階級が違えば、生活も違う。平民なんだから、値上がったら質素に生きればいい。現金の価値が低くてもさほど問題はない。そう特権階級に解釈され、放置され、今に至る。


「ずっと、誰も何もしなくて。他国も見て見ぬふりだったのですね」


 内政不干渉は、国の基本だ。


「いや、非難していたぞ。前政権の時からずっとだ」

「そうなのですか?」

「シキビルドとの取引のせいで、移動型金庫(トラキース)の契約魔法に不具合が出るのだ。先日、ついに調停者アルクセウス様から正式な是正勧告が出された」

「ど、どうするんですか……」

「どうもこうもない。──他からもだ。ウーメンハンはシキビルドからの密輸が年々増えている。取締機能が破綻寸前までいっている。ついに『何とかしないと、訴える!』と言ってきた」

「訴えるって、調停者に?」

「そうだ。四カ国協議になる。シキビルドは不利な条件を突きつけられるぞ」

「本当に、どうするんですか……」


 シキビルドが敗戦してから、少しずつ上向いて来た経済。こんなところで逆戻りさせたくない。


「しかもこんな情勢下に、紐の髪飾りを百個、国外に持ち出そうとした馬鹿がいてな」

「百個?!」

「捕まったシキビルドの青年は、ウーメンハンの商人から『運ぶのを手伝って欲しい』と頼まれたそうだ。罪の意識が皆無で、『日用品を持ち出すとなぜ駄目なんですか? ただの髪飾りですよ?』と、規制対象の高額取引商品であることを理解しなかった」

「……私も髪飾りが高級品だなんて、今知りましたよ。平民にとっては、ただの家庭内の手仕事。そんな認識持てないでしょうね」


 うんうんと同情的な言葉を連ねるユーリグゼナに、ライドフェーズは眉間のシワを深くした。


「お前が、価値を押し上げたんだぞ」

「私、ですか?」

「卒業式で身につけただろう? 王女には地味過ぎると批判された、アレだ。評判になっている」

「まだ批判されているのですか?」


 大事な髪飾りに、まだとやかく言われるのだろうか。


「なんて顔してる。逆だ。今では、糸を組んだ紐の美しさが評価されている。この間シノから試作品を借りたろう? カンザルトルで量産予定だったが、再現できる技術者が数人しか見つからない。しかも、一つ仕上げるのに何日もかかる……結果、入手困難な高価な品になった」

「シノの手は凄すぎますからね。他の方を見本にすれば良かったですねー」


 自慢げな笑みが隠せていない彼女に、ライドフェーズは意地悪そうな顔をした。


「ああ、確かに凄すぎる。特に緑の編みが見事だそうだ。──ユーリグゼナは卒業式のパートナーに学校長(アルクセウス)を選んだ。彼の黒目の虹彩には、僅かに緑が混じっている。髪飾りの緑はその色だという話だ」

「違います!!」


 シノの虹彩に混じる、美しい緑。アルクセウスのではない。


「お前が怒るとは珍しい」

「別に怒ってません!」

「噂になっても仕方あるまい。お前が卒業の時に来ていた制服は、黒に銀糸。アルクセウス様の目と髪の組み合わせだ。──アルクセウス様はお前の目と髪の色に合わせ、綾のある艶やかな黒い装いだった」

「ただの偶然です!」


 嫌でたまらなかった。そんなつもりは全くなかったのに、勝手に本当のように言われるのは不愉快だ。


(髪飾りは灰色から薄い緑色まで、少しずつ色味を変えたグラデーション。シノの目以外に結びつかない。なのにっ!)


 その緑がたくさんの人の目に触れていると知って、嫌だった。自分だけが知るシノの色なのだと、心に秘めていたのに、汚されたようだった。


「シノの灰色の目に僅かに混じる緑は、とても美しい。そのことを最初にシノに教えたのは、私だ」


 ライドフェーズが、ふふんと余裕そうに笑う。なんだかムカムカする。


「シノは真っ赤になって照れていたな。当時まだ十三歳で、本当に可愛かった」

「……」

「私が言ったから、自分の色だと認識したんだぞ」

「……ライドフェーズ様」


 まだ言う気だろうか。


「虹彩の緑は分かりにくい。シノは伏目がちだからな。でも私にはいつも、緑が混じる目を真っ直ぐに向けてくれる」

「……ライドフェーズ様。意地悪ですか?」

「いや。普通に話している」

「嘘です。絶対、わざとです」

「そうか。ではなぜ、お前はシノの目の話で、そんなにふくれっ面になる?」


 自覚がなかったユーリグゼナは、自分のほっぺたを、急いで揉みほぐす。


「……シノは私のことも、見てくれますよ。緑が混じる灰色の綺麗な目で……いつも」


 もう心の内をそのまま話すより、ほかに返事のしようがない。彼女の顔はどんどん熱くなっていく。

 

「そうか。良かったな」

「はい」

「私は、シノが髪飾りに緑を入れたことが、結構悔しかったのだ」

「私も、シノの緑が他の人に広まって、悔しいです」

「お前、シノのこと大好きだろう」

「ライドフェーズ様の方こそ」

 

 



 

 ◇◇◇





 ライドフェーズは、ゆっくり起き上がった。


「貨幣の格差は、早急に是正しなければならない。だから、側近たちに提案した。御用達へ支払う小麦の現金価格を、400ニョンから200ニョンにする。通貨の両替ルートも100ベルを200ニョンと国で定める。とな」

「それがいいと思います」


 価値のねじれは、だいぶ是正される。解決に向かうように思えた。

 

「……ユーリグゼナ。これが何を意味するか、考えてから言え」

「どういうことですか?」

「特権階級にとっては、シキビルドの物価が二倍に跳ね上がるということだ。国外の商品を買って生活している裕福な家は、この際どうでもいい。しかし下位で貧しい者は、移動型金庫(トラキース)の高い現金率を頼みに、どうにか食いつないでいると聞く。……押し通せば、死人が出る」


 ユーリグゼナの顔が強ばった。見えていなかった事情が見えた途端、不平等への怒りは萎んでいく。変えることで、虐げられる者がいる。しかし、このまま放っておくこともできない。


「……だから、日増しに緊張が高まっているのですか」

「そうだ」

「側近たちはライドフェーズ様の意見に反対なのですね」

「そうだ」


 ユーリグゼナは、ぐっと喉がつかえた。

 ライドフェーズは静かな目をしていた。


「ユーリグゼナ。パートンハド家は戦前から、頑なに領地の小麦を移動型金庫(トラキース)に換えようとしなかったと聞く。そもそも作付けのほとんどは米らしいな。芋や豆の栽培、養鶏、海洋資源の利用など、他家とは違う路線ばかりに私財を投じていた。なぜだか分かるか?」


 分からなかった。おじい様(ノエラントール)母様(ルリアンナ)が何を考えていたのか、全く分からなかった。


「学べ。私は、お前なりの答えを聞きたい」

 

 そう言って微笑むライドフェーズに、王らしい気品を感じる。

 ユーリグゼナは自分の使うお金がどうなっているのか、何も知らずに生きてきた。この情けなさと恥ずかしさは、どうやったら無くなる。

 



◇◇◇◇


 


 打ちひしがれたまま自室に戻ると、養子院の代表ナンストリウスから手紙が届いていた。夕食会の詳細が決まったらしい。

 張り詰めた心が緩んでいく。


(会える……)


 酷い心持ちのときほど、シノがいい。会いたい。ユーリグゼナは、自分の心に呆れた。


次回来月中更新です。

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